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カルビン

四天王関連の中では微妙なのが多いかも (2019/06/01 訪問)

先週訪問した、微妙だったお城の1ヶ所・上野城。
群馬県・館林にある館林城同様、徳川四天王・榊原康政ゆかりのお城です。

館林城は思っていた程は残っている遺構が少なく、今でこそ及第点の残り具合と言えますが、自分がお城巡り始めた当時としてはハズレの部類に入っておりました。。。他が良すぎたっていうのが実際の所ではあるのですが(汗)


榊原康政の出身地・上野城自体に遺構等は殆ど無いのは解っておりましたが、もっとこう・・・何か推すものがあると思っておりましたが・・・駅から特に何も無かったんですよねw

道沿いにあるお城に対して小さな看板が見えるので、行き過ぎる事は無いとは思いますが、主郭?跡にはちょっとした土塁形状の上に祠が二段に鎮座しているのみ。。。
周辺の地形と合わせてお城っぽさはありましたが、まぁ特出して良い所・オススメする所は見当たりませんでした。


徳川四天王、武将としては大成してますが、その後徳川政権の中央から徐々に外れて行ったのは、やはり本多正信等の政治力に敵わなかったからなんでしょうね。。。唯一対応できそうだった井伊直政も若くして鉄砲傷が元で亡くなっちゃいましたし。

しかし家康時代に移る関ヶ原合戦前に亡くなった酒井忠次は仕方ないとして、本多忠勝(大多喜城)・井伊直政(彦根城)が元祖・続100名城になっているのに対し、榊原康政のお城が登録されていないのは。。。ただ館林城が開発の手を逃れられなかったからだけなんだろうか・・・


かなり脱線しましたが、上野上村城は狙って来る程ではなく、やはり何かとのタイアップで訪問する方が宜しいかと。

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やす

杉山城 (2019/06/08 訪問)

滑河町 おがた様

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街道おじさん

日本百名城最初の登城 (2019/01/09 訪問)

日本百名城スタンプを初めて手に入れた。残りあと99城。たいへんだ。
岡崎城は自宅から最も近い100名城。家康生誕の地でもあり、私の最初の登城に相応しい城。

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やす

菅谷館跡 (2019/06/08 訪問)

2019年6月8日4

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小城小次郎

新宮城

一国一城令で城を壊した本人によって再建された珍しいお城は昭和になって旅館になったりいろいろあったが、今は綺麗な公園になって見事な石垣美を楽しませてくれている。

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ぴーかる

山本勘助公墓所・川中島古戦場 (2018/11/03 訪問)

【山本勘助公墓所・川中島古戦場】
<駐車場他>各所無料Pあり <交通手段>車

<感想>お城とはあまり関係ないですが、歴史に関する投稿としてお許しを。
松代城登城後長野市内に食事の途中寄ってみた。先に山本勘助公の墓所にお参りした。墓所は千曲川の河川敷内にあり、土手上からすぐわかる場所にある。川中島古戦場は公園になっていて有名な一騎打ちの像・首塚・八幡社がある。激戦地はここではないらしい。

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ぴーかる

松代城 (2018/11/03 訪問)

【百名城43城目】
<駐車場他>城南側正面入り口前に無料Pあり。 <交通手段>車

<見所>真田邸・二の丸・本丸内堀石垣・櫓跡

<感想>1泊2日信濃攻城の旅2城目。まず真田邸・宝物館に行くと文化の日で無料でラッキー!だった。大好きな真田親子の末裔の邸宅でテンション↑堪能する。軒瓦の家紋六連銭がいい。邸宅自体はそんなに大きくない。次に宝物館内は撮影禁止。真田家の遺物はそこそこある。次に城は十数万石の松代藩の城にしては非常に小さい。二の丸は外郭に空堀があるが手つかずって感じで土で埋まっているが、二の丸跡内は土塁、本丸内堀からは石垣で非常に良く復元・整備されている。本丸は正方形で四隅に櫓跡がある。一番古いとされている戌亥隅櫓跡も非常に良く積み直しされていて良く感じた。城見学後、山本勘助のお墓(千曲川の河川敷内にある)、川中島古戦場跡に行って、長野駅ビルで夕食ソースかつ丼・馬刺しを食べ、宿泊の諏訪へ行った。今回満足度は真田邸を含む。

<満足度>★★★☆☆

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赤い☆稲妻

駿府城 (2018/10/13 訪問)

天守台石垣の発掘工事を公開してるということで訪問しました。
元からあった天下普請の石垣も凄いですが、発掘している現場を目の前に見られるのは貴重な体験でした。

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赤い☆稲妻

上田城 (2018/10/27 訪問)

会社の後輩と一緒に訪問。
松本城〜上田城をセットで回りました。
千曲川側からの河岸段丘に聳える櫓は圧巻。
落ちない城として有名ですが、そうだろうなと。
真田神社で願掛けしました。

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ぴーかる

松本城 (2018/11/03 訪問)

【百名城42城目】
<駐車場>城周辺に有料あり。 <交通手段>車

<見所>天守群・黒門・太鼓門

<感想>1泊2日信濃攻城の旅1城目。2度目の松本城だがよく記憶していた。当時はすんなり天守に入れたが、様々な方のを拝見するに近年は入城制限があるようなので朝4時頃出発し9時前に到着入城してすんなり入れた。入城口の黒門は外観のみ。次に天守群内の乾小天守には入れないが、1Fフロアは覗ける。天守内は格子窓は小さく狭間しかないので非常に暗い。3Fは特に天井が低くくフロアには入れない。天守後本丸内を散策したが埋橋の門跡も立入禁止や櫓跡の形跡もなかった。太鼓門は櫓は復元、石垣はほぼ積み直しだが、櫓内に入れて鯱・瓦の展示物がある。石垣も鏡石の「玄蕃石」見応えある。太鼓門を出ると、東側の外堀が一部残っていて土塁および腰巻石垣になっている。6年前より城郭の知識も増えて天守以外の見所ある遺構も楽しみにしてたが、案外少なくて残念な感じだったがやはり天守存在感は強烈で良かった。さらに天気が快晴で写真が栄えた。城後十割の新そばを食べた。

<グルメ>蕎麦倶楽部佐々木 城の南側10分程歩くとあります。開店前から行列ですが十割でおいしいです。

<満足度>★★★☆☆

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ヒロケン

21棟の重要文化財 (2019/04/30 訪問)

松山城の創始者は加藤嘉明公で慶長5年の関ヶ原の戦いに於いて徳川方に従軍し、その戦功を認められて20万石となった嘉明公は、同7年に道後平野の中央にある勝山(海抜132m)に城郭を移すため、普請奉行に足立重信を命じて地割りを行い工事を着手させました。
しかし残念なことに加藤嘉明公は松山在城25年、完成直前の寛永4年に会津に転封されました。

日本屈指の名城、松山城は21棟の重要文化財があり、天守を含む各櫓・城門が有名ですが、自分は何と言っても石垣ヮ(゚д゚)ォ。姫路城の次に文化財が多いと言われる櫓も素晴らしいですが、天守閣がある本壇を囲む石垣が恐ろしく素晴らしい。住み着きたいとさえ思います。

4月30日天候雨、14時30分頃宿泊先のホテル駐車場に車を止め、二の丸史跡庭園を写真に収めつつロープウェイ乗り場に約1時間程で到着。到着した途端あまりの人の多さに仰天。ロープウェイ待ちで1時間(°д°)。徒歩で本丸まで20分!!迷わず雨の中傘を差して徒歩で天守を目指し、ずぶ濡れになりながら各櫓を写真に収めつつ本丸に到着。
本壇への入城は16時30分が最終受付で残り15分(○゚д゚)ャバィカモ・・・。しかも、ここにも行列・・・。松山城へは3回目の登城であった事から、本壇への入城は断念し周りの櫓・石垣を堪能。本壇には入れませんでしたが、十分楽しい時間を過ごせました。

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カルビン

何もなさそうで実は良く見ると・・・ (2014/11/01 訪問)

JR上野原駅からそんなにかからないと思っていたら、いきなり結構な登りを強いられ・・・
更に距離もなかなかで、駅から20分かけてやっとお城の場所に到着。

住宅街の一角にある小さな稲荷神社の中に上野原城の解説があります。


地形的に眼下に中央高速が走る場所なので、崖端城だったと推測出来ますが、あいにく住宅街と言う事で整地されてしまい遺構は残っておりません。。。とおもいきや、
稲荷神社の道を挟んで反対側にある畑が一段下がった場所にあったんです。。。もしかして堀跡?そんなまさか・・・

と思って一応撮影しておいて後で調べてみたら、確定ではないものの堀説は存在するらしく。。。いや、堀であったと思いたいw


ま、それ以外には目ぼしいものは残っておりませんので、無理して訪問する程ではないですが。

更に駐車出来る場所も無く、行くとしたら電車での訪問となると思います。


上野原城域から高速道路を挟んで遠く先の山には尾根続きで2ヶ所の砦跡があるそうです。

ハイキングコースにもなっているそうなので、本当に行く場所尽きたら行ってみようと思いますww

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チェブ

兄弟喧嘩。 (2019/05/04 訪問)

福島県喜多方市の「新宮城」に行きました。
佐原 盛連さんの六男 新宮 時連さんが築城しました。
昨日、投稿した「猪苗代城」の猪苗代氏のお父様も佐原氏です。
佐原氏の子供達を調べてみました。
長兄=猪苗代氏。
次兄=北田氏。
三兄=金上氏。
四兄=蘆名氏。
五兄=加納氏。です。この「新宮城」蘆名氏との戦いで滅びました。
ちなみに加納氏とも戦います。金上氏とも対立します。北田氏とは同盟を組みます。
兄弟、仲良くできなかったのでしょうか?
ずっと田んぼ道を運転しました。
途中「新宮熊野神社 長床」といった看板を見ました。「新宮城」の住所がナビに無かったので「新宮熊野神社」を目指しました。
とても立派な神社でした。
「長床」は熊野神社の拝殿の事でした。
でも「新宮城」ではありません。
街の案内図があり「新宮城」は車で2、3分ほど行った所です。
駐車場がありました。
城碑を見つけましたが国道沿いにあるので写真を撮る際は車に気をつけてくださいね。
あわてて撮ると私の写真のようになります。
きれいな紫色の幟が立ててあります。
、、、折れてましたが。新宮さんの戦いの後みたいです。
遠くに掘や土塁っぽい所が見えました。
新しい幟と広い駐車場、何やら整備でもされるんじゃないでしょうか?期待してます!

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リャンス

暑かった〜! (2019/05/12 訪問)

私服とスニーカーでは
ちょっと無理
途中で断念 (涙)

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リャンス

明石氏の居城 (2019/05/25 訪問)

所在地は神戸市西区ですが
明石市までほんの数百m
地名は由来か?

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にこゆう

私費で再建されたお城 (2017/06/06 訪問)

別名「代物城」(だいもつじょう)
荒木村重が謀反の際、有岡城から逃げ込んだお城でもあります。


当時の場所に建てられたようではないようですが、
四層天守はそのまま再現されているようです。


今回登城はせず、周辺を探索。
ちなみに入館料500円。


一帯は公園のように整備されており、
駅からも近く市民の憩いの場となってる様子。


すくそばに櫻井神社があります。
尼崎城跡の石碑と拝殿の前に尼崎城で使われていた瓦がありました。


遺構は少ないです。


お城から線路を超えて歩いていくと、
ディープなB級グルメスポット尼崎中央商店街があり飲食には困りません。

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くろもり

中堀・外堀巡り (2015/05/23 訪問)

内堀はほとんど埋められてしまっていますが、中堀はほぼ完全に残っており、外堀も6・7割残っているので、外堀と中堀の周りを歩いてみました。

外堀・・・周囲約2.7km、北面西側から西面北側にかけて石垣に折れがたくさんあり(写真4枚目)、堀の水も綺麗です。南西にある静岡市立静岡病院の西側に外堀に面した櫓台で唯一残って入る櫓台(写真5枚目)があります。

中堀・・・周囲約1.7km、北面は大部分が腰巻石垣ですが、石垣が低く、ほぼ土塁でした。東面に外堀と内堀をつなぐ水路を見ることができます。

外堀+中堀+二ノ丸の土塁をそれぞれ反時計周りに散策して、後は城内をウロウロ計7時間程散策を楽しみました。

お城好きが楽しめるのはもちろんですが、駿府城公園として地元の方の憩いの場になっていました。静岡市出身の後輩に「駿府城公園凄く良かったよ」と伝えると学生時代によく行ってたらしく、「あそこいい所っすよね!」と嬉しそうに答えてくれました。公園に姿を変えてしまっても、城跡が親しまれる場所となっており、本丸跡の家康公の像もなんだか嬉しそうに見えました。

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まーやん

日本最古の木造再建築の城 (2019/02/16 訪問)

1566年、遠藤盛数が陣を敷いた地に子の慶隆が築城し、その後秀吉による左遷で稲葉氏が入るが関ヶ原の戦功により遠藤氏が領土回復を果たしたらしい。
鮎とアマゴの名川、長良川支流の清流吉田川を南の堀、小駄良川を西の堀とした日本一美しいと言われる山城。野面積みの石垣も町から見上げた出で立ちも最高。
城下の新橋からの13mの飛び込みはあまりにも有名。古い町並みも残っており、郡上踊りや食品サンプル体験など観光資源の宝庫。
功名が辻で有名になった賢妻山内千代の出身地とも言われている。
スタンプゲットのために6年ぶりにリベンジを果たしたが、そんなことより城と城下町の美しさに心奪われた。
注:天守閣は大垣城を模した建物で史実に基づいておりません。

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ぴーかる

赤木城 (2018/10/07 訪問)

【続百名城21城目】
<駐車場他>登城口にあり。 <交通手段>車

<見所>東郭・西郭・本郭

<感想>日帰り南紀攻城の旅2城目。まず鉱山資料館にてスタンプを貰おうとすると、なんと盗まれていて、印刷した物で代用してほしいとの看板があったが、資料館の方がちょうど新調したものが寸前に届いて、運よく捺印できた。心無い人の盗難絶対やめてほしい事です。資料館の方に丁寧に道順を教えてもらいとても好印象でした。城跡の遺構は見受ける郭跡が9箇所と主郭で小規模だが、東・西・主郭は石垣で囲い横矢もある。東郭と主郭の間に虎口の枡形があるが添付写真の通りその枡形状にセメントで補強してしまっている箇所が残念。しかし城は非常に良く整備されており、石垣も積み直しているが今でも草木が取払われて見易い。主郭門跡には鏡石も見られる。北郭にも石垣があったが、あまり整備はされておらずよく分からない。北郭の更に北に堀切があるらしいが、山中で行ける状態ではなかった。この赤木城が1589年の築城とすると藤堂高虎は聚楽第などの作事奉行を行っているので城跡は野面乱積みの低めの石垣で曲輪も小さめ、中世感のある臨時的な城だったことを感じた。築城にしてはくまなくゆっくり見ても1時間だった。1日走行距離601㎞

<グルメ>新宮城で紹介を忘れていたのでここで紹介。新宮市のマグロの店「やまき」マグロ丼が安くておいしいお店です。

<満足度>★★☆

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チェブ

磐梯山と桜。 (2019/05/04 訪問)

福島県の猪苗代湖の近く「猪苗代城」に行きました。
鎌倉時代初期、奥州合戦の功労により会津を与えられた相模国出身の佐原氏が築城します。
佐原氏の子孫が猪苗代の名前を名乗ります。
江戸時代には一国一城令の時も存続が許されているそうです。
そして幕末、戊辰戦争の時、城代の高橋氏が「猪苗代城」を焼き会津若松に向かいました。
ずいぶん長い間 「猪苗代城」活躍したんですね。
どの時代を調べても深い歴史がありました。
「猪苗代城」、石垣がたくさん見られました。
もう最初の大手口の石垣から「ありゃ~」の連続です。
蒲生さん時代の 穴太積みなんだそうです。
本丸まで登りました。
土塁に囲まれています。更に深い堀切がありました。
その向こう側に高い土塁。
表現が上手に出来ないのですが、二段の平行している深い掘といった感じです。
なので、お城の東側が石垣エリア。西側が土塁、堀切エリアといった感想です。
実は「猪苗代城」、野口英世さんの子供時代の遊び場だったそうです。
首だけの像があって、ギョッとしました。
お城に首だけは笑えません。

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