中村神社前駐車スペース(37.796852、140.914143)に駐車し攻城。ここの見所は現存する大手一の門を筆頭に本丸の鉢巻石垣、水堀、木橋といった所だと思います。攻城時間は45分位でした。
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2020/08/03 09:12
2020/08/03 08:47
東北遠征・金箔瓦 (2020/07/01 訪問)
鳥居横の駐車場(37.567529、140.990525)に駐車して攻城。主郭には小高神社があります。攻城時間は20分位でした。
城びとには登録されていませんが、周辺に岡田館(駐車場:ごみ収集場(37.557539、140.995531))や村上城(駐車場:村上慰霊碑(37.554199、140.025969))もあります。時間がある方は合わせて攻城してみてください。
岡田館の攻城時間は10分位、村上城の攻城時間は15分位でした。
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2020/08/03 08:20
2020/08/02 23:20
長篠の戦い織田信長戦地本陣跡 (2020/08/02 訪問)
長篠設楽原パーキングエリアに立ち寄ったら
織田信長戦地本陣跡がありました。
織田信長は、天正3年5月14日(1575年6月22日)、熱田神宮で戦勝祈願をした後(桶狭間合戦でも戦勝祈願をしています)、翌5月15日に徳川家康の居城・岡崎城に入り、長篠城の武田軍包囲網を抜け出した鳥居強右衛門(とりいすねえもん)の援軍要請を聞くと、5月18日に長篠城手前の設楽原に着陣。
岐阜城から持参したという柵木と縄を使って馬防柵、そして土塁を構築し、武田の騎馬隊や足軽隊を迎撃する態勢をとっています。
設楽原に着陣した織田信長が最初に陣を構えたのが神仏習合の極楽寺。
徳川四天王・酒井忠次の鳶ヶ巣山奇襲の進言はこの極楽寺山本陣で行なわれています。
その後、自らは、茶臼山に本陣(現・織田信長戦地本陣跡)を構え、徳川家康を最前線の弾正山に配置しています。
ここで、信長は「きつねなく 声もうれしくきこゆなり 松風清き 茶臼山かね」と詠んだとされ、歌碑も立っています。
ちなみにこの織田信長戦地本陣跡へは、新東名高速道路・長篠設楽原PAから歩いて行くこともできます。
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2020/08/02 23:14
2020/08/02 23:09
亀山城 (2020/08/02 訪問)
道の駅つくで手作り村によって見たら
奥に亀山城跡への入り口を発見し、登ってみました。
三河亀山城は奥平貞俊によって築かれた城です。奥平氏5代が居城し、江戸時代には作手藩1万7千石として松平忠明が城主をつとめました。現在、城址は道の駅「つくで手作り村」に隣接する公園として整備されており、縄張りはほぼ当時のまま残されています。本丸を中心に各種の曲輪、土塁、空濠を確認することができる奥三河屈指の平山城です。毎年、5月には火縄銃の演舞などをおこなう「古城まつり」が開催されています。
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2020/08/02 23:05
2020/08/02 23:01
2020/08/02 22:52
長篠城 (2020/08/02 訪問)
長篠城を訪問し、
新城市長篠城址史跡保存館にて御城印をGETしました。
長篠城は徳川氏と武田氏の国境に存在する城で、愛知県から長野県や静岡県北部へ通じる交通の要衝にあったため、しばしば合戦の舞台になり奪いあった城です。なかでも1575年(天正3年)5月の「長篠の戦い」に先立ち、激しい攻防戦が行われたことで知られています。現在は国の史跡に指定され、城跡として整備されており、本丸付近には空堀や土塁が残っています。春は桜と新緑、秋は紅葉が美しく城址を彩り、また毎年5月5日の「長篠合戦のぼりまつり」では、合戦行列や火縄銃の実演が行われます。
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2020/08/02 19:04
2箇所まとめて。 (2020/08/01 訪問)
御土居は9箇所が史跡に指定されているようで、そのうちの2箇所を訪問した。
①京都市北区大宮土居町
ここは北辺にあたる部分の一部。中には入れないが、御土居の規模がよく分かる。
②京都市北区鷹峯旧土居町
このは北西角に位置し、御土居史跡公園となっており御土居に登ることができる。城びとの地図はここを示している。
その他に写真はないが、北野天満宮などが有名だあり、また時間を見つけて回ってみたい。
秀吉の土木オタクぶりにはただただ驚くばかり。
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2020/08/02 18:59
中学校が建っています (2020/08/01 訪問)
栄中学校とその下の駒形神社辺りが城址のようです。
遺構は残っていません。
地形的には城があった雰囲気は感じられますが・・・。
それにしてもここの中学校、坂の上にあって通うの大変そうです。
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2020/08/02 18:12
皆川広照の城が県名の元となった (2020/03/17 訪問)
この城と町を作った皆川広照は20年足らずで城も領地も召し上げられたが、下野国が栃木県となった今、自身が下野国を統一したくらいの気分になって、あの世でほくそ笑んでいるに違いない。広照はたぶん、そういう人だ。
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2020/08/02 17:46
信貴山朝護孫子寺 (2020/07/25 訪問)
朝護孫子寺の空鉢護法堂まで登ると信貴山城跡にたどり着きます。
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2020/08/02 17:33
東北唯一の現存天守 (2015/08/13 訪問)
弘前城は、津軽氏12代10万石の居城です。戦国時代津軽地方は南部氏の支配下にあり、のちに弘前藩主となる津軽為信公も南部氏の一族として従属していました。津軽為信公は戦国の動乱に際し、津軽地方の覇者になろうと南部高信のいる石川城を奇襲し、これを落としました。その後、次々に津軽の諸城を攻め滅ぼし、津軽地方一帯を統一して領土とすることに成功した。
2015年8月13日現在、弘前城は弘前公園として、東北地方唯一現存天守が残り、現存隅櫓も3基、現存城門5棟、本丸の石垣、土塁、内堀・中堀・外堀も良好な形で残っています。石垣や各郭跡の機構が良く残り、惣構も概ね旧態をとどめ、近世城郭のの規模を示すものとして価値が高く、国指定史跡に指定されたいます。
城は規模が大きく広い!!しかも現存建造物が多く城内の何処に何があるのか、自分がどこを歩いているのか分からなくなり、迷子になりそうなほど広い(*^▽^*)。
自分が攻城したときは、天守のお引越し前で、引っ越し準備が進められている最中でした。
コロナウイルス感染症の影響で攻城ができず、新しい攻城の投稿ができていない状態です。少々古い投稿ネタですがご容赦願います。
(画像ですが、櫓・門の名称が分からなくなっていて、門の画像が一棟ありません。悪しからず(>_<))
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2020/08/02 17:27
柳本城 (2020/07/25 訪問)
柳本城(柳本陣屋)は黒塚古墳にあり、柳本陣屋藩邸は現在、橿原神宮に文華殿として移築されてます。
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2020/08/02 17:00
夏の宇陀松山城 (2020/07/25 訪問)
夏草が繁って近くまで行って見ることごできない場所が多く晩秋から冬にかけて行く方が楽しめると思います。
でも夏でも十分堪能できます。
麓にも春日門跡と松山西口関門もあります。
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2020/08/02 16:33
2020/08/02 16:16
総石垣 (2020/07/24 訪問)
天守台、本丸、大手門と続く石垣は凄い!
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2020/08/02 13:43
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