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Kitty

関戸塁(関戸砦) (2021/02/21 訪問)

関戸城の天守台標柱がある山の南側にある原峰公園内にあります。馬蹄型郭と思しき地形が残っています。

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ひろべえ

本当に残念 (2018/05/25 訪問)

2018年5月に来訪。正殿は改装中で足場が組まれ、さらに天気が良かったものの朝の来訪だったので写真を撮影しても逆光・・・とても残念な思いでしたので改装なったら再訪したいなあと思っていました。翌年まさかあんなことになろうとは・・再建に関してはしっかり精査するとともに、慎重に検討して欲しいと願っております。

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耕助

吉岡妙林尼を偲ぶ (2021/02/20 訪問)

島津軍の2将を討ち取った女傑がいた城です。
妙林尼の義理の父は豊州二老と言われた吉岡長増です。
今は、鶴崎城は鶴崎高校と鶴崎小学校の校地あたりにありました。
写真はないのですが、近くまで来たので備忘として。

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チェブ

将監と将軍。 (2021/01/02 訪問)

前回、投稿した埼玉県の「越ヶ谷御殿」から江戸川を渡り千葉県の「金野井城」へ向かいました。

野本 家定さんが築いたようです。

浄水場の入口に「金野井城」の城址碑がありました。車で浄水場のグルリと回ろうかと思いましたが、道幅が狭く戻りました。
城址碑が無ければ、きっと来ることもなかった土地だと思います。

野本 家定さんを調べてみると、鎌倉時代の御家人で通称『野本将監』。権力の強さから『野本将軍』の渾名があったようです。
前に行った、埼玉県東松山市の「野本氏館」近くに『野本将軍塚古墳』がありました。
野本氏は代々『野本将軍』って呼ばれていたのでしょうか?
野本 家定さん、遊女を好きになってしまい、お城を抜け出し毎夜、遊びに行きました。
家定さん、見かねた家臣達に、殺されてしまいました。
、、、将監や将軍と呼ばれた方ですが、他に逸話は なかったのか、、、。嫌いじゃないけど、、、。

浄水場のお隣に、お墓がありました。『西福寺』です。こちらの奥の方が「金野井城」を感じられるかもしれません。

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ヒロケン

武田氏の命運を決めた戦い (2021/01/10 訪問)

長篠城は寒狭川と宇連川が合流する地点の川面から60mほどある崖上に立地し、本丸東側には野牛郭、北側に二の郭・三の郭、西側には弾正郭・服部郭で守られていました。この城を一躍有名にしたのは、1575年に起きた織田・徳川連合軍と武田勝頼率いる武田軍との合戦で、織田・徳川連合軍が馬防柵を用いた、鉄砲三段撃ちで武田の騎馬隊を撃破した長篠の戦いです。
この城は、織田・徳川連合軍の後詰めによる決戦でした。この戦いで敗れ、多くの重臣を失った武田軍は、この後、衰退の一途をたどることとなります。

現在は、城址公園として本丸・土塁・堀・井戸が残っており、二の郭には、資料館と無料駐車場があります。本丸と野牛郭の間にJR飯田線が走り線路で分断されていますが、線路を渡ることもでき、野牛郭に行くこともできます。また、この城から西に数キロ離れていますが、長篠の戦いがあった地に、馬防柵が再現されています。併せて散策することをお勧めします。

この城址と長篠の戦いがあった場所には、家から比較的近いこともあり、何度も訪れていますが、徳川氏・武田氏の重臣達の墓や首洗いの池などが残り、目を閉じると、火縄銃の爆音や馬の蹄の音、武将達の歓喜・無念さが伝わってくるようです。

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ひろべえ

素晴らしい石垣 (2018/04/16 訪問)

続100名城スタンプ押印目的で登城。昭和初期に立てられた模擬天守は何とも言えませんでしたが、本丸石垣が素晴らしいです。時期は4月、思わず本丸で横になってしまいました。本丸大石段もとても力強い。あちこち破城感を感じさせる風景がありました。徳島藩洲本城代時代の金天閣へも行き蜂須賀卍も確認。登り石垣をや麓の石垣を見ることができなかったので、次回は是非散策したいと思います。

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城の主は猪に (2021/02/19 訪問)

2018年5月にキンヤさんが、訪れた後、菅原神社後ろの郭を囲む鉄柵が設けられ、立ち入れなくなってました。猪が住み着いたとの説明書きあり。
よくある獣よけの柵と異なり、開閉できる扉が見当たりませんでした。柵の外から、堀と切り岸を見ました。高く急な切り岸です。北西側は、川が削った崖になってますが、護岸工事中でこちらもしばらくは立ち入れません。

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ぴーかる

龍野古城~中世山城編~ (2021/01/10 訪問)

【龍野古城】
<駐車場他>龍野歴史文化資料館駐車場
<交通手段>車

<見所>曲輪・竪掘り・土塁・石垣・八幡宮跡
<感想>緊急事態前の駆け込み攻め城4城目。近世城郭のほうの龍野城攻城の後登城しました。龍野古城現地案内板の説明を要約すると、「龍野古城のある鶏籠山は鶏の伏せ籠に似た形だったためその名がつけられました。1499年に赤松一族によって築城され、赤松村秀が最初の城主として以降4代78年間赤松氏が支配します。1577年羽柴秀吉の播磨攻めの際に2万の軍勢を見た当時の城主赤松広英(広秀)は赤松氏の滅亡を憂いて秀吉の軍門に下ります。広秀は後の竹田城主となります。龍野城はその後秀吉の家臣が数人城主を務め、1598年に山頂の城を取り壊して麓の現在の地に城が築かれたといわれています。」

 龍野古城へは龍野城の西端の高麗門のそばに獣よけのゲートがありますので開けて入山します。登山道は整備されているのでストックは不要ですが靴はそれなりのものを履くようにした方がよいです。ゲートを入ってすぐ登った所も東西に長い曲輪跡が数段あったようです。20分程登ると南曲輪群の最下段とおぼしき曲輪にあたります。城跡は山頂に主郭、そこから南の麓側に主に連郭の曲輪が数段連なっていて明確に曲輪土塁が残っています。主郭から北へも3段程曲輪があり、その先は堀切で仕切っています。主郭周辺は残存の石垣が所々にあり探し見付けるのが楽しいです。主郭東側の腰曲輪には八幡宮跡があって、石鳥居の残骸、石畳み、石段が残っておりここも見応えあります。
 麓の龍野城と一緒に投稿するのには勿体ない見所ある城跡でしたので今回別途投稿しました。麓の龍野城来訪時には一緒に行くのをお勧めします。

<満足度>◆◆◇

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赤い城

鎌倉古道湯坂路の途中 (2021/02/20 訪問)

本来は箱根湯本からの山登りなんでしょうけど箱根登山鉄道乗りたかったのもあり小涌谷駅に降りました。
ここから箱根駅伝5区の一部を50分ほど登っていくと湯坂路の入口があります。
ここからハイキングコースがあり、10分くらいで鷹の巣山山頂。ここに説明板があります。
遺稿はないようですが少し道を外れるとそれっぽい地形も見られます。
正確な場所は解っていなく、さらに南の浅間山が跡地であったともされています。
小田原征伐で徳川家康が攻め落とし、その後本陣としていた城です。

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昌官忠

京成&東武野田線日帰り攻城⑧:馬加城 (2019/06/14 訪問)

武石城から徒歩12~13分で幕張町椎先公園(35.668389、140.058198)に着きました。
そこからだとマンションを見上げることになるので、もう5分歩いてマンション奥の農地入口(35.670286、140.055703)に向かいました。

馬加城の築城は、大須賀庄本郷に所領を与えられた千葉常胤の四男大須賀胤信によって1180年(治承4年)に行われたとされます。 胤信は後に埴生郡に移されました。
1455年(康正元年)には千葉満胤の長庶子の馬加康胤が拠り、享徳の乱に乗じて原氏と組んで千葉胤直を滅ぼし、宗家の座を奪いました。
翌年には室町将軍・足利義政が派遣した東常縁によって討たれ、おそらくその頃に廃城となったと思われます。
現在城址周辺は開発され、マンション等が建てられており遺構はありませんが、南東に位置する三代王神社か堀跡らしき遺構が発見されており、このあたりまでが城域だったと推定されています。
また近くに馬加康胤の首塚があるそうです。(行っていませんが。)

城跡とされる高台に大きなマンションが建てられていて、遺構は見つけることはできませんでした。
マンションの写真を撮って攻城としました。また、三代王神社には行っていません
攻城時間は5分くらいでした。

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昌官忠

京成&東武野田線日帰り攻城⑦:武石城➡城びと未登録(千葉県千葉市) (2019/06/14 訪問)

夏見城➡塚田駅➡JR幕張駅と移動し、JR幕張駅から徒歩20分ちょっとで真蔵院(35.665988、140.066299)に着きました。

武石城は千葉常胤の三男、武石三郎胤盛の居城として知られています。
源頼朝に従い奥州合戦(1189年)に参加した千葉常胤の子らは千葉六党と呼ばれ、庶家は治めた領地名から相馬氏、武石氏、大須賀氏、国分氏、東氏に分かれて発展したそうです。
武石氏の祖である武石胤盛は、下総国千葉郡武石郷(千葉市花見川区付近)を領したことから武石氏を名乗ったそうです。
武石氏は「1538年の第一次国府台合戦」において小弓公方に味方した武石胤親が討死して滅亡しました。
武石嫡流没後、里見家に残っていた武石氏末裔により武石城跡に代々の神霊が祀られ「おたけし様」と称され、当地には古くから石塚が祀られていたが、神社の創建年代は不明。
1756年に末裔の武石胤清が武石神社に詣でて奉賽したと伝わるそうです。
なお武石氏の一部が亘理郡に移り住んで亘理氏を名乗っています。この子孫が涌谷伊達氏で、「伊達騒動」で知られる涌谷藩当主・伊達宗重は武石氏の子孫でもあります。

現在城址は真蔵院となっており、墓地からのぼった先の平坦地が主郭部とされますが遺構はありません。
また近くにある武石神社は胤親の居館跡、真蔵院は胤盛の曾孫にあたる4代・武石長胤の居館跡とされます。

遺構はわかりませんが説明板から城があったことが窺えます。
攻城時間は30分くらいでした。

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教安寺 (2020/02/20 訪問)

 網代駅から徒歩で城址碑のある教安寺へ行きました。朝日山公園の方には石積みもあるとの情報がありましたが、今回は時間の都合で行っていません。

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下田公園 (2020/02/20 訪問)

伊豆急下田駅より徒歩にて登城しました。
主郭下の横堀が見どころで畝状になっている所もあります。他にも散策していると横堀を見ることができます。東側の尾根に横堀があり、先に行くと堀切のような形状の場所があります。余湖さんのHPを見ると堀切や竪堀があるようですが、藪になっていて道も整備されていないため十分な散策ができませんでした。

新型コロナウィルス感染症第3波の影響で、今年は初めから勤務先より移動自粛を求められていましたが、2月後半に少し緩和され今年初めての登城となりました。絶好の山城シーズンであったのに残念ですが、仕方ありません。静岡県内の城址ということで、住んでいる所からは遠いのですが、今まで気になっていた下田城を訪れました。

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姫街道

地元のお城でテーマを持って歩く (2021/02/19 訪問)

鳥羽山城は、カズサンの投稿文中に「天竜川行き来の船から石垣が白っぽく映え聳える鳥羽山城」とあった部分について検証した。今まで南の丸駐車場に車を止めてすぐに大手門に向かってしまい気が付かなかっが、駐車場から西の丸に向かって歩いていくと白色の石灰岩で積まれた腰巻石垣が現れた。しかも、本丸をめぐって鉢巻石垣との上下二段積は、天竜川からの景観を意識した作りを感じた。次に大手道北側の石垣も今回気になった。所々で石垣の発掘調査跡があり、現在の大手道とは幅も高さも違う事が判明している。その延長上に通じているのが1号堀だ。かなりの高低差があり、北側深くへ竪堀状に落ちている。東側の現在車道部に浜松道が通っていて、そこから大手道へと通じていたが、切通しのような使い方もされていたかもしれない。それにしても、鳥羽山城からの景色は綺麗だ。

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姫街道

地元のお城でテーマを持って歩く (2021/02/19 訪問)

お会いした事は勿論無いが、同郷の大先輩であろう「カズサン」の最近の地元城巡りに共感。二俣・鳥羽山城をテーマを持って回った。二俣城は桶狭間の合戦以降に現在の位置に築かれた。それまでは長らく現笹岡城(二俣古城)を本城としていた。勿論石垣は1590年の以降であり、今回はそれ以前の山城としての風景をテーマに、西の丸Ⅲと、本丸北側の腰曲輪に入った。まず、西に向かって天竜川に突き出る形の西の丸Ⅲは、天守台の西側切岸が整備されていて、そこから降りた。西の丸Ⅲの北側に狭い帯曲輪が付いているが、見上げる西の丸Ⅲは垂直に削られた露岩、そこから下の天竜川へもほぼ垂直であった。一方で西の丸Ⅲ南側は西の丸Ⅰと呼ばれる川湊や河渡点を抑える重要な箇所も見渡せ、西の丸Ⅲは戦略上重要な拠点であったと感じた。さて、本丸北側の腰曲輪だが、本丸からは絶壁で降りられず、北の丸との間の4号堀 より入って行った。こちらは天竜川の北側に向かって突き出ており、見上げる本丸はかなりの高低差。天竜川から上がってくる敵はここで一網打尽にしたのだろう。
二俣城は、三方を川に囲まれた尾根を5本の堀切で遮断し、曲輪間へ巧みに高低差を生み出している。天守台石垣や虎口が注目されるが、城の全体像も非常に面白い。

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くっしー

久しぶりのリア攻め (2021/02/20 訪問)

久しぶりに城攻めです。

でも、遺構は山頂付近にわずかに残る石積だけですね。

山頂の平坦面も曲輪にしては、ずいぶん小さいですね。

でも展望台が設置されていて、そこから眺める景色は素晴らしいです。

それを目的に登る価値はありですね。

駐車場は2か所あって、登城口近くの第1駐車場には10台程度とめることができます。

そこから5分ほど歩いたところに第2駐車場があり、5台程度とめることができます。

登城口にはトイレも設置されています。(←結構重要ですよね!!)

登城口から展望台までは約30分。結構、急峻でしんどかったです。

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サボテン

戦国を戦い抜いた最もお城らしいお城 (2005/10/14 訪問)

駅から城下町を歩き、お城に向かうと当時の城主が城下を大切にしていたことがうかがえる。現存天守の中で最も好きなお城です。

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ひろべえ

奥祖谷にあるお城 (2020/11/19 訪問)

南城はともかく北城へたどりつくのはとても困難でした。南城の北側にある堀切には立ちの悪い雑木がたくさんあり、まるで守備兵の如しでした。北城の北東隅に朽ち果てた標柱があります。城址は若干荒れ気味で、夏は木々に葉がある分、遺構の確認は困難だと感じました。公共交通機関で行くのは一苦労な城址だと思いますので注意が必要です。

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ひろべえ

3度目の登城 (2020/11/18 訪問)

天守へ上るのは14年ぶりで新装なってからは初めて。 今回は天守と初めて西の丸の化粧櫓と百間廊下を見学。天気もよく白亜に青空は映えます。天守に目が行きがちですが、下から見た帯郭櫓と太鼓櫓の高石垣の素晴らしさに気付きました。

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T-Shionoya

駿府城訪問 (2004/02/15 訪問)

過去のお城巡りの振り返り、第3段は駿府城。

賎機山と谷津山の尾根の先端に挟まれた微高地に築かれている駿府城。
かつては城の直ぐ南を安倍川の主流が走っており、その支流が静岡平野、更には現在の巴川で清水港にまで広がっていたとのこと。
陸上はもちろん東海道の通過点であり、陸路と水運の両面で好都合な場所だったのでしょう。

元々、今川氏の拠点でしたが、現在残る城郭の基礎をつくったのは家康。
江戸時代初期(慶長期?)には城下町を南に広げるために、安倍川の流れを変えて藁科川に合流させたんですね。

現在の駿府城公園は江戸期の二ノ丸と本丸。
しかしその外にも三ノ丸の堀が結構残ってます。
ただ訪問時の記憶はもう希薄ですが、残っている写真を見ると東御門・巽櫓付近と公園内を歩いただけだったでしょうか。
滞在時間は短く、当時の私には物足りなかった印象。

その後、2014年に坤櫓がつくられ、最近は巨大な天守台の発掘調査を実施。
巽櫓の展示内容がリニューアルされる4月以降に、また行ってみようかな?

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