平塚、伊勢原城巡り《岡崎城→真田城→土屋城》
岡崎城に行ってきました
ここは無量寺に岡崎城と書かれた看板と説明看板があります。
その時の岡崎城は今と違い岡崎神社を中心にした城でした。(ここでは前期と書きます)
前期岡崎城は平安時代末期~鎌倉時代の源頼朝功臣の岡崎義実により築かれました。
その岡崎義実は衣笠城主三浦庄司義継の四男で岡崎の地名を取り岡崎と名乗りました
義実はそのごもずっと頼朝に付き従い三浦四棟梁の一つとなりました
そして今の無量寺を中心とした後期岡崎城(室町~戦国)は明応三年に三浦同寸が
義父の三浦時高を滅ぼして子息の義意を道寸本城の新井城におき
自分は岡崎城に手を加え、居城としました。
ですが伊勢宗端が小田原城を落とし相模平定を狙い三浦を滅ぼそうと来ましたが
小田原記によると岡崎城は要害だと書かれており岡崎城によって17年間もにらみ続けましたが
永正9年(1512年)に落城。道寸は弟の道香をたより住吉要害に逃げ込み転戦後に
新井城に立てこもり攻防、ですが3年後に落城。道寸は一族とともに自害しました。
その後は北条氏の持ち城となりました。
〔城情報〕
・築城年代 前期は平安末期~鎌倉 後期は室町~戦国
・丘城
・築城者 前期は岡崎義実 後期は三浦道寸
・主な城主 三浦氏、北条氏
・主な遺構 虎口、堀、土塁、井戸
+ 続きを読む









