(続き)
北郭南端の堀切から南郭へと続く尾根筋には二条の堀切が設けられています。南東側の堀切を過ぎて坂道を登って行くと、眼前に立ち塞がる南郭主郭の切岸…。高さと大きさは北郭以上で、こちらもよく刈られていて大迫力です。南西麓のスロープから主郭に上がると、楕円形の曲輪には白米城阯石碑が建ち、360度視界を遮るもののない眺望が広がっています! この地に城が築かれた理由と、ここまでの道中で多くのハイカー(登城者ではない)と出会った理由がよくわかりました。南郭はほぼ単郭ですが、切岸の下には帯曲輪がめぐり、南方向に竪堀(堀底道)が落ちています。北東にはほぼ自然地形の尾根がのび、その付け根を堀切と堀切から続く竪堀で断ち切っています。南東方向への竪堀はかなり下まで落ち込んでいました。尾根の東端から北側に派生する支尾根の付け根にも浅い堀切が見られます。
阿坂城の両郭をひとめぐりした後は来た道(浄眼寺ルート)を下山しましたが、東麓の浄眼寺は北畠氏の菩提寺であり、往時は阿坂城を詰の城とする山麓の居館としての役割もあったようです。
北郭も南郭も切岸と堀による防御を主としたオーソドックスな中世山城ながら、草木が綺麗に刈られているために切岸の高さと急峻さが際立ち、大変に印象的でした。この状態を維持し続けるのは並大抵のことではないと思いますが、おかげさまで阿坂城を存分に堪能させていただきました。
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