十数箇所の曲輪が四方八方に作られている珍しいお城だと感じた。縄張り図にも曲輪だらけ。城自体はこじんまりとしているが、曲輪群のおかげで大きく見える。驚く事に城をトンネルが抜いている。しかも、道の駅が隣接しており、国境の城として戦火に明け暮れた城にしては、どこか明るさすら感じる。城の麓を塩の道「中馬街道」が通り、情緒あふれる地域だ。
さて武節城と言うと、長篠の戦いで敗北した勝頼が、田峯城主菅沼定忠と田峯城に逃げ帰ろうとしたら、家臣の裏切りによって入城出来ずに、武節城に逃げ込んだ事は有名だ。この山深い三河の最北端とも言える城までの田峯城からの道中、さすがの勝頼も辛かっただろう。
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