詳細は不明ながら、南北朝期に地元国人の須知氏が築いたと伝わり、明智光秀の丹波攻めにより落城。光秀によって改修され、丹波支配の拠点となりました。
先人の投稿を参考に、玉雲寺の駐車場に車を駐めさせてもらって明石側から登城開始。本格的な山城は半年ぶりのため、身体がなまっていないか懸念もありましたが、特に問題なく20分程度で西曲輪群の西端に到着。一部急斜面もあるものの、こちらのルートはよく整備されていて歩きやすい道でした。
西曲輪群の西端には土塁があり、櫓台状の土壇を越えて東に進むと、階段状の曲輪群の上に石塁が見えてきます。石塁の南側にはスロープ状の虎口が開口し、虎口脇の櫓台から横矢が掛かる構造になっているようです。スロープを下りた一段下の帯曲輪にも石積みが見られ、厳重な造りになっています。虎口を入るとまたも石塁が立ち塞がり、南側には喰違い虎口が設けられている…ようですが、石塁が崩れていて、そのつもりで見てようやくそう見える、という感じでしょうか。喰違い虎口を入った先が主郭です。この朝の下界は霧に沈んでおり、主郭からは一面の雲海を見ることができました。主郭の東辺は高さのある土塁がめぐり、北東部から主郭の裏手に回ってみると……こんな山中に4mもの高石垣が! 苔むした野面積みの石垣が主郭の東半分を覆っています。下調べで存在は承知していましたが、これほどの規模だったとは。高石垣南東下の二条の堀切の先は東曲輪群で、一部に石垣も見られますが、基本的には土の城で、階段状の曲輪の土塁と南側斜面に竪堀が数条見られるくらいでした。
下山して玉雲寺に参拝。玉雲寺は須知氏の懇請により島津氏出身の梵清禅師が開いた寺で、須知城落城時に焼失するも明智光秀が再興したとされ、見頃にはまだ少し早いものの、色づきつつある紅葉と山門と高石垣はなかなか絵になる景色でした。
主郭部を中心に石垣造りの虎口を設ける改修は黒井城を、山中の苔むす高石垣は周山城を連想させ、現地に立ってみて明智光秀が改修したとされる理由を実感することができました。「青天を衝け」も終盤に向かう中、今さらながらの「麒麟がくる紀行」ですが、下調べしていながらコロナ禍のため未訪の地もまだまだありますので、もうしばらく紀行を続けたいと思います。
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