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姫街道

凄い数の曲輪群 (2020/12/05 訪問)

十数箇所の曲輪が四方八方に作られている珍しいお城だと感じた。縄張り図にも曲輪だらけ。城自体はこじんまりとしているが、曲輪群のおかげで大きく見える。驚く事に城をトンネルが抜いている。しかも、道の駅が隣接しており、国境の城として戦火に明け暮れた城にしては、どこか明るさすら感じる。城の麓を塩の道「中馬街道」が通り、情緒あふれる地域だ。
さて武節城と言うと、長篠の戦いで敗北した勝頼が、田峯城主菅沼定忠と田峯城に逃げ帰ろうとしたら、家臣の裏切りによって入城出来ずに、武節城に逃げ込んだ事は有名だ。この山深い三河の最北端とも言える城までの田峯城からの道中、さすがの勝頼も辛かっただろう。

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姫街道

大給松平家 (2020/12/04 訪問)

〇〇松平家が多くて、なかなか覚えきれませんが、「徳川氏の祖、松平4代親忠の次男 乗元を城主として分立した大給松平家の城」です。親忠とは、安城城主、安城松平家の初代と言われ、安城松平家から家康が出ているとの事。
さて、遺構は陣屋跡との事で移築書院ばかりが目立ちますが、、、
少し坂を登り歴代のお墓を巡ると、立派な土塁が残存しています。書院や庭園に気を取られて危うく貴重な遺構を見落とすところでした。
土塁内側は、段々曲輪だったのでしょうか。
結構高低差もあります。
歴代の大給松平家の立派お墓が、功績順でしょうか、段々曲輪に分かれて立ち並んでいますが、、、墓石や塀など、もしかしたら近年の物かもしれません。

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カルビン

箕輪城 [栃木県下野市箕輪339] (2016/05/22 訪問)

JR東北本線自治医大駅から東へ徒歩15分程度のところに薬師寺城がありますが、西に25分くらいの場所には城びとに登録の無い箕輪城があります。

群馬県にある日本100名城の箕輪城と比べるのは酷ですが、一応栃木県に多い居館タイプの土塁と堀で囲まれたお城が見られます。

ただ恐らく風化による影響で、堀は浅く土塁は低いです。。。場所によってはほぼ平坦になってしまっている場所も・・・
一応城域に解説版があるのが救いか。。。
ま、全く全体像が見えなくなってしまっている訳では無いので、あまり過度の期待しなければそれなりのものが見られますので。

駅からお城への案内は無いので、城域内にある磐裂根裂神社を目指して行くと宜しいかと。
※ここからすぐ北東にある「みのわ古城公園」は関係無いのでご注意を。


この箕輪城は落城したのが5月だった事から、地域では縁起を担いで5月に鯉のぼりを上げないんだそうな・・・(・ω・´;)

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いんげん丸虫

遺構も雰囲気も最高 (2020/11/21 訪問)

丘陵に築かれた城で大規模な曲輪、堀切、土塁、石積等しっかりと堪能できます。獣避け柵を開けて訪城します。過度な整備はなく最小限の看板ですが、実に雰囲気が良く素晴らしい城跡だと思います。

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カズサン

肥薩境目の城 (2020/11/23 訪問)

日置市一宇治城を終えて熊本県南端の水俣城を目指す、今回の鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻り13城目、ナビは古城盛衰記さんの情報で東福寺の駐車場(熊本県水俣市古城1丁目6-88)をGoogleMap航空写真を微調整して合わせ出発、国道3号線を北上すると思いきや高速九州道の指示時間に変わりなければと九州道栗野ICを降り国道268号線を水俣市へ約2時間半、すんなり駐車場に着いたのですが1台分ぎりぎり、微調整を誤ったのか高城裏のシラス台地崖下でテニス場の駐車場でした。
 
 ガイドは古城盛衰記さん、駐車場から高上の裏虎口から登り高城頂上を確認し、西段丘に在る忠霊塔、グランドに回り発掘調査で発見されたという石垣の列、案内板、城名石碑、西にグランドを降りて加藤神社、井戸跡が分からず地元の方に伺ってグランドの南裏の小高い丘の神社が本丸、二の丸の残り跡らしく稲荷神社本丸、荒神社二の丸の奥に石垣の井戸が残って居り確認、破城が加藤氏時代、不充分で細川氏時代と二回行われ堀も埋まられ、近代の改修など遺跡は殆ど無くなってる、グラウンドの建設でせめても石垣根石列が発掘発見されただけでも加藤氏時代の面影が偲ばれる。

 歴史的には戦国期相良氏と島津氏の抗争、境目の城と位置し天正9年(1581年)島津氏の攻撃で落城し相良氏は葦北の失った、関ヶ原の戦いの後肥後51万石の領主と成った加藤清正により領内の他の支城と共に整備されたが慶長17年(1612年)幕命で破城、寛永15年(1638年)細川氏により加藤氏の破城不充分であったと改めて石垣を撤去、堀を埋めたてられてる。(案内板より抜粋)
 石垣の根石などを見ると近くの佐敷城の石垣を思い起こされさぞ立派な清正流石垣の城が在ったのではと思ったりしたり⁉

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じゅんじん

民家 (2020/11/08 訪問)

入口に城址碑があります。

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じゅんじん

模型天守 (2020/10/27 訪問)

東京研修の翌日はあいにくの雨。予定を変更して江戸東京博物館と江戸城へ。雨でスーツに荷物はつらいが江戸城は大きいなあ。本丸に行くのは2度目でした。天下の巨城です。

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昌官忠

「クラブツーリズム九州7県日本の名城13制覇4日間」⑬ (2018/10/23 訪問)

「クラブツーリズム九州7県日本の名城13制覇4日間」の13城目(ラストです)は府内城です。
100名城スタンプは「大手門」で押しました。このツアーで九州100名城のスタンプは全てゲットしました。

水に浮かぶようにつくられた安土・桃山時代のお城で、1597年(慶長2年)に福原直高が築城しました。
江戸時代になるとすぐ竹中重利が増改築を行い、1602年(慶長7年)に完成しています。
熊本(石工)や大阪(大工)、京都伏見(瓦師)から職人を招き、当時の最新技術で築かれたようです。
以上、府内城ウォーキングマップより転記

遺構としては、本丸跡に人質櫓(二重櫓)、宗門櫓(平櫓:写真は撮りましたが、自撮り棒で撮影したものしか残っておらず、自分が写っているので投稿は控えます)が現存し、現在は「大分城址公園」として整備され、3棟の二重櫓と大手門、土塀、廊下橋が復元されています。攻城時間は45分くらいでした。

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昌官忠

「クラブツーリズム九州7県日本の名城13制覇4日間」⑫ (2018/10/23 訪問)

「クラブツーリズム九州7県日本の名城13制覇4日間」の12城目は岡城です。
100名城スタンプは「観覧料発売所」で押しました。

岡城の歴史は古く、平安末期に豊後の地侍である緒方惟栄が、都落ちする源義経を迎える為に城を築いたと伝わっています。
戦国も終わりを告げる頃、この地を領した中川秀成が要害堅固な地形を土台として総石垣造の城郭に大改修を行い、以後、明治の廃城令が出されるまで、岡城は中川氏の居城として利用されたとのことでした。現在は「岡城公園」として整備されています。

~攻城ルート~
駐車場➡観覧料発売所(入城県が巻物になっています)➡かまぼこ石➡大手門跡(立派な石垣)➡御朱印趾➡家老屋敷跡(石垣で区画され、細く直線の通路で区切られていた)➡城代屋敷跡➡籾倉跡(この付近で大手門方向の高石垣を見る:高石垣が素晴らしい)➡三の丸➡二の丸(瀧廉太郎銅像)➡本丸(天満神社:ここで引き返す)➡大手門付近まで戻る➡西の丸(近戸門や西の丸御殿跡を確認)➡角櫓跡➡物見櫓跡➡古大手門跡➡駐車場へ戻る

後で縄張図を確認すると見学したのは、時間の都合上、全体の半分くらいでした。攻城時間は70分くらいでした。

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昌官忠

「クラブツーリズム九州7県日本の名城13制覇4日間」⑪ (2018/10/23 訪問)

「クラブツーリズム九州7県日本の名城13制覇4日間」の11城目は飫肥城です。
100名城スタンプは「飫肥城歴史資料館」で押しました。

飫肥城は伊東氏と島津氏により100年以上にわたって激しく領有権を争われた城です。
天正5年(1577)年に島津氏に敗れて、国を失い豊後に落ちた後、伊東氏が大名として復活するのは、豊臣秀吉に仕えた義祐の子・祐兵が天正15年の九州平定で功績をあげ飫肥城を与えられてからである。以降280年余、飫肥藩(五万一千石)を伊藤氏14代で治めた。

~攻城ルート~
飫肥城観光駐車場➡豫章館(よしょうかん:明治2年に旧藩主伊東家が居を移した屋敷)➡大手門(1978年(昭和53年)に復元)➡飫肥城歴史資料館(100名城スタンプ押印)➡松尾の丸(身分の高い武家の生活が体感できる武家屋敷がある)➡旧本丸跡(飫肥杉がびっしりと立ち並ぶ)➡旧本丸を裏門?から出る➡飫肥保育園前を通る➡旧藩校「振徳堂」(天正2年(1831年)飫肥藩13代祐相により開校)➡旧伊東伝左衛門の家(19世紀初めの建築と推定される)➡小村寿太郎生家(明治38年(1905年)日本側全権としてポーツマス条約(日露講和条約)を調印した人。平成16年に復元された)➡再び大手門前➡再び豫章館➡国際交流センター「小林記念館」➡飫肥城観光駐車場に戻る。

飫肥城址北側の主要ヶ所は見ましたが、南側(商家や民家があります)が時間の都合で見学できませんでした。攻城時間は60分くらいでした。

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todo94

危険な城 (2020/11/08 訪問)

明智光秀博覧会の山城コーナーにてDANGERとされていた土田城。土田御前ゆかりの城なのでどうしても攻城したく、朝霧の中無理して朝駆けしてしまいました。渓谷沿いの遊歩道をずっと進み、出丸から主郭を目指します。整備の手は入っていませんでしたが、なんとか主郭とおぼしきあたりにはたどり着くことができました。元来た道を引き返すことなく下山を試みたのが大失敗。途中で道を見失い非常に怖い思いをすることになってしまいました。靴は泥だらけになってしまいましたが、けがをしなかったのが不幸中の幸い。土田御前と吉法師の銅像チェックを失念するという大失態は2021年にリカバリーしたいと思います。

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Mt.stone

山中城 (2020/06/06 訪問)

堀でこんなにも興奮するなんて・・・
恐るべし障子堀。そして、維持管理されている方々に感謝。

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Mt.stone

松江城 (2020/11/05 訪問)

サンライズ出雲の旅、ひとつ目の城。圧巻でした。風格が違う感じ。堀川めぐりもオススメ。のんびり舟旅かと思いきや、船頭さんからのクイズでヒヤヒヤ⁈ でも、楽しかった!

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sakappa

思いのほか行けた (2020/12/05 訪問)

引佐北部少中学校の脇を北に進み、しばらく行くと、Googleマップに道が表示されていない林道の入口があり、そこから登っていきます。
頂上のdocomoの中継所までは約5.4kmです。
いろいろなサイトを見ると、乗用車だと厳しい、落石が、すれ違えなくて危険という意見もありますが、ほぼ舗装されていて、今まで行った山城の中ではそこそこ道も整備されており比較的普通に行くことができました。
(但し、ガードレールもなくて、道の脇は谷底っぽいところもあるので、それはそれで気を付けて。関係者以外立入禁止っぽいです。)
ただ、頂上の城跡には何もありません。
車で行けるのは救いです。
こんな山の頂上にこんなに広い曲輪があるとは思えず、中継所を建てるために平らにしたのでしょうか。

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カズサン

三州統合内城に移るまで島津の本城 (2020/11/23 訪問)

 頴娃城を終えて又指宿スカイラインを戻り今回の鶴丸城御楼門、九州未踏の城廻り第12城目一宇治城を初登城、ナビは城山公園駐車場(鹿児島県日置市伊集院町大田424-1)に合わせる、大型駐車場、トイレ完備公園として機能してる。
 ガイドは何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさんの俯瞰図です。

 駐車場から直道階段が曲輪三段を越えてメイン周遊通路に繋がってる、案内矢印で本丸である神明城、他の釣瓶城、南ノ城を示してるが本丸神明城を目指す、本丸には櫓風5、6階アスレチックジムの様な構造物が建ち(現在立ち入り禁止)、ザビエル対面記念碑、曲輪群に成って居りシラス台地に切岸城塁が見事に雛壇的に連なってる、中世山城、曲輪が綺麗に整備されており今まで鬱蒼とした杉林の山城でしたので気分さわやかでした、旗日でしたので親子での人出多し、後は伊作城、中平城、井戸跡と歩き、南側は省略、公園として良く整備され大変探訪しやすく簡単に登れるのが大変助かります。

 歴史的には:伊集院氏の築城領有でしたが島津氏に代わり忠良、貴久時代にここを拠点に薩摩を統一、三州薩摩、大隅、日向を支配下に置き天文19年(1550年)貴久は鹿児島の内城を築いて移る。義弘三兄弟はここで育ってる。

 昨日宿泊のGoToクーポン券で買った昼飯を車で食べ肥後水俣城へ、国道3号線の予定。

 

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Mt.stone

備中松山城 (2020/11/06 訪問)

サンライズ出雲の旅、ふたつ目の城。眩しいほどの晴天、ちょうど紅葉。次は是非、雲海に浮かぶ風景を見てみたい。乗合いタクシー、便利でした。

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Mt.stone

岡山城 (2020/11/07 訪問)

サンライズ出雲の旅、最後の城。城内で食べたパフェ、美味い。城と路面電車のある街、結構好き。

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小城小次郎

土佐にも伊予にも讃岐にも阿波にも出られるということは (2020/10/17 訪問)

土佐から見て伊予にも讃岐にも阿波にも出られる便利な立地は逆に言えばどの国の中心からも遠く、実に旅程が組み難かった。宿建設で遺構が消滅した現在、実は対岸から遠望するのが最も城跡を実感できる手段なのかもしれない。

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カニカニ

所用にかこつけた城巡り 3城目 (2020/11/12 訪問)

ガッサン  トダジョウ      この 響き と リズム   かっこいい!!
熊本と、ここだけは今回の計画の中に絶対欠かせない、旅の前半のメイン。

朝8時半に麓の歴史資料館に着いたが、9時開館と思っていたら9時半だった。
資料が手に入らないまま登ることに。  (縄張り図だけはコピーして持ってきていた)

駐車場裏手から入ったのだが、ここが御子守口だとばっかり思っていた。
(御子守口は資料館裏側の方面を少しばかり進んだところだと最後になって知った。)
毛利元就が攻め口を担った場所だと聞いていたのだが、最初からミスをしていた。

でもこの谷あいの道だって両サイドの曲輪から狙われ、攻め上がるのは容易ではなさそうだ。
馬乗馬場や千畳敷を歩くことができたが、太鼓壇ではなにやら作業中だったので未踏。
鹿介像の辺りからみる紅葉に癒されながら奥書院を抜けたところで突然雰囲気が変わった。
花の壇を目の前に切岸が現れ、壇へ登る階段と壇を回り込む細い道に分かれる。
簡単に壇へ登れるようじゃ切岸の意味ないじゃん。
観光客用のサービス路だな、と判断しチョット薄暗い細い道へと回り込んで壇へ入る。
復元建物の前の大堀切を隔てて山中御殿と七曲り、そして月山の威容が目の前に。
そして右手には、なんと駐車場。  ここまで来てしまったんじゃ勿体ないなー。(心の声)

トイレの先に石垣土居。 角部分はかつて登り口だったようで踏み荒らされている。
(すぐ先に階段が設置されており、現在その心配はない)
そして山中御殿が目の前に。
此処だけに注目しても池を前面の堀、周囲を石垣で固めた一つの城郭として成立していると思う。
菅谷口虎口もいいが、坂虎口と蔀をあわせたような、塩谷口の埋門虎口に魅かれる。

ヤットコサで登った西袖ケ平で、自分と同じ匂いのする(歩き回り、写真を撮る)人物に声をかけた。
公共交通利用の香川県の住人で、鉄道の駅からの距離やバスの時間的制約もあり一度に多くは
巡れないので、事前準備をして一か所に時間をかけ見落しの無いように心がけているそうだ。
事前調査もせず行き当たりばったりの車旅をしている私は、少々恥ずかしくなってしまった。

三の丸から二の丸へ続くあたりに数か所、直径1mほどの丸い、ほんの少し浅い窪みがあった。
本丸へ向かう階段を降りると窪みの真下あたりの場所に、なにやら穴があり覗くと水が溜まっている。
さっきの窪みは雨水を集め、この穴に貯めるための漏斗の役割をしているのだろうか?

本丸の神社裏手は二の丸、三の丸、本丸の表側と違い、いかにも山城然とした趣のまま残されていた。
しばし山上で景色を堪能したあと下城。
山中御殿へ降りる合坂は観光客用になのか片側半分が改変されていたので、何度か上り下りをして
歩き具合の違いを試していたら昔のお姉さま方に関西弁で 「何してはるの?」と言われてしまった。

大土塁の近くには、台風被害で幹が裂けたにもかかわらず立派に花を咲かせ続け不撓不屈の精神で
何度も困難に挑戦する鹿介と重なり”鹿介桜”と命名されたヤマザクラがある (案内板説明から抜粋)
大土塁の土橋の先は、少し荒れた畑のような私有地と思しき雰囲気の曲輪だったので退散。

苔むした厳倉寺の階段を気を付けながら降りると赤門と、お子守社があった。
ここにきて御子守口の事を気付いたのだが、すっかり戻る気力を無くしてしまった。
資料館裏側に地形模型も設置されていた。  

バス停に同じ匂いのする香川の人が、2時のバスに乗ろうとしていたので軽く会釈をして別れた。
いつか、どこかの山城で会えることを祈って…。

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ぴーかる

信貴山城 (2020/11/14 訪問)

【信貴山城】
<駐車場他>信貴山駐車場有料を利用
<交通手段>車

<見所>松永屋敷・堀切・曲輪
<感想>信貴山朝護孫子寺より登城した。信貴山城跡へは朝護孫子寺の中心部を抜けて登りますが、階段が入り組んでいてちょっと分かりにくい。お寺の人に聞いて登城口がわかった。空鉢堂という御堂が天守台に建てられているのでそこを目指しましょう。整備された階段の途中に雌嶽の山頂が左手にあり、山頂に曲輪・堀切が見られます。雄嶽山頂が本丸跡になっており、現在は空鉢護法の石灯篭や鳥居で囲まれている。天守台は巨石が組まれた台になっていて現在は石垣のような感じは残っていない。本丸跡手前の城跡碑のある細曲輪が二の丸跡、その手前の松永屋敷・ロープウェイ方面への分岐箇所の削平地が三の丸跡と思われた。
 本丸跡から北方向に下っていくと本丸の腰曲輪が数ヶ所見られる。更に少し下ると整備された立入屋敷跡の曲輪が見えてくる。立入屋敷・松永屋敷跡一帯の曲輪群は非常にきれいに整備されて見やすくなっている。池の水を少し引き込んだ水堀・曲輪間の堀切・虎口遺構の残る曲輪等見応えがありました。保存会・奈良大学の千田先生方々による遺構の説明板も分かりやすかった。現地縄張り図板に曲輪群西側に石垣が書かれていたので、未整備山林をアタックして探しましたが、残念ながら見付けられなかった。
 松永屋敷の曲輪群の西方向のハイキングコースより高安城跡に行き戻り、弁財天の滝を見て、朝護孫子寺の本堂をお参りして信貴山城攻めを終えました。

<満足度>◆◆◆

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