関ケ原の戦いでの功により石田三成の旧領を与えられた井伊直政が佐和山城に替わる居城として計画し、家督を継いだ井伊直継が天下普請により築いた城で、豊臣氏や西国大名への抑えとしての役割を担いました。明治になって天守や櫓は破却される予定だったところ、明治天皇の彦根行幸に随行した大隈重信の上奏によって保存が決まり(諸説あり)、現在に至ります。
琵琶湖畔の彦根山(金亀山)に築かれた平山城で、本丸を中心とした丘陵部を内堀で囲んだ第一郭、内堀と中堀の間に藩主庭園や重臣屋敷を置いた第二郭、中堀と外堀の間に武家屋敷や町屋を配した第三郭(内町)、外堀と芹川(大外堀)の間に足軽組屋敷を設けた第四郭(外町)で構成される惣構の巨大城郭です。
彦根城には一昨年、昨年と登城していますが、昨年は家族と一緒で思うようには見て回れなかったので、今日は一日かけてとことん彦根城です。いつものように表門橋から内堀を渡り、表御門の登り石垣を見上げつつ城内へ。この辺りは何度も来ているので、さらっと流すつもりが、天秤櫓内から佐和山城を見渡したり、城兵気分で登城路を見下ろしたり、やはり天秤櫓はスルーできませんでした。
太鼓門櫓も何度も通っているはずが、ぴーかるさんと同様に、門前の岩盤を組み込んだ石垣はこれまで特に意識していなかったので、今回しっかりと確認。昨年までは工事中だった櫓内にも初めて入ることができました。
本丸に着くとまずは天守内へ。一昨年は多聞櫓から附櫓を経て入りましたが、耐震診断の結果、現在は附櫓と多聞櫓の公開は中止されており、昨年6月からは天守台横の玄関棟の鉄の門扉を潜って地階から入るようになっています。梁を見上げて大津城からの移築の痕跡を探しつつ、急な階段を二回登るともう最上階です。やっぱりちょっと小ぶりだよね…と思う一方で、その小ぶりな天守にあの巨大な姫路城大天守をも上回る数の破風をこれでもかと詰め込んだところに、比類ない華麗さを感じるんだろうな、とも。一昨年の登城時は台風で剥落した漆喰の修復工事で天守に足場が組まれていましたが、今回は天守の周囲を回って、角度によって表情を変える天守の姿を存分に堪能することができました。
西の丸は一昨年も行っているのでスルーのつもりが、三重櫓の三階まで上がったばかりか、北端の大堀切を越えて出曲輪まで行ってしまいました。一昨年はここから観音台の脇を下り、西の丸北東の登り石垣を見上げて、黒御門を出て玄宮楽々園に向かいましたが、今回は水手御門まで戻って井戸曲輪に下り、未訪の山崎曲輪や米蔵跡、大手門に向かいます(続く)。
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