高遠城は江戸時代、高遠藩の藩庁として、明治維新まで存続したので、もっと近世城郭風に改修を受けているのかと想像していたのですが、思いのほか、戦国時代の山城のままの雰囲気でした。
高遠城は、織田信忠を総大将とする大軍の攻撃を受けました。時の城主は、武田勝頼の弟仁科五郎盛信。
木曽義昌の裏切りに始まり、次々と城を捨て、あるいは織田軍に降っていく、信濃の武田家の武将、しかし、仁科盛信は、10倍を超す大軍を相手に奮戦、激闘の末に落城、自刃しました。
寄せ手も、大将の織田信忠が自ら陣頭に立ち、指揮を執ったとされる猛攻でした。
織田軍は、無人の境を進むがごとく、ほとんど無抵抗のままに甲州に侵攻しますが、わずかに一矢を報いた、高遠城でした。
江戸時代は、譜代の小大名が入り、絵島事件で有名な絵島を預かっています。
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