みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

todo94

栗林公園近くの山 (2020/03/15 訪問)

栗林公園の隣と云った場所に秀麗な姿で佇む室山。城に関する表示は見つけることができませんでしたが、山頂部に土塁、曲輪のように見える遺構は視認できたかと思います。朝駆けの後、赴いた献血ルームオリーブで予約ですべて埋まっていて当日の受付はできないと言われたのはかなりショックでした。

+ 続きを読む

にのまる

八王子城の出城 (2020/03/12 訪問)

 浄福寺城登城を途中で棄権したため、この日のメインとなりました。
 小田野城はトンネルの上の城跡ですが、なぜトンネルの上なのか、というのがこちら
↓↓

『昭和54年から55年にかけて、都道建設に伴って発掘調査をしたところ、16世紀後半と考えられる数段の腰曲輪、枡形状の遺構や空堀等が発見されました。その結果、都道はトンネル構造に設計変更され、これらの遺構は保存されることになりました。そして昭和58年3月28日、八王子城跡の一部として国の史跡に追加指定されました。』(現地解説板より抜粋)

いい話だなあ…。
遺構保存に尽力された方々、計画変更に同意された地域の方々に思いを致します。
独立した小田野城ではなく八王子城跡(出城)と認められて国史跡になったのもきっとたくさんの方々の熱意の賜物。

 解説板のある公園側の入口のフェンスには「イノシシ侵入防止のため出入りの後は扉を閉めて!」とあります。「出入りするな!」ではないので入っても大丈夫です。向こう側も住宅街です。なので、この扉と注意書きは公園で遊ぶお子たちを守るため(誤って空堀に落ちないようにとか、連れ込まれないようにとか…)の意味もあるのではないかと思います。反対側の住宅街から城山のまわりをぐるっとまわっていると、案内板などはありませんがフェンスなしで城跡に入れる道が見つけられます。広い主郭から見下ろす腰曲輪が良き眺めでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

六神合体

環濠集落?城? (2020/03/22 訪問)

弥生時代の集落があったとされるそうですね。
心なしか縄張自体が何か弥生時代の環濠集落に見えて仕方ないわけです。
ただこの大堀切は確かに中世の城なんですよ。

にしても結構綺麗に残ってるもんですね。
模擬とは言えこう塀や門がしっかり作られてると何かそれっぽいです(小並感)
少し離れたところには模擬見張り台も復元されていました。

少し本郭から離れたところにも郭らしきものはありました。
あー、でもやっぱり本郭が強いですね。

やっぱりどう見ても環濠集落・・・

+ 続きを読む

六神合体

播磨河内城 (2020/03/22 訪問)

※城びと未登録城です。

駐車場が見当たらず「ここだ!」と思った場所が実は畑で、ぬかるみにバイクがハマりこんで脱出に体力を使うと言うハプニングはありましたが、六処神社の前の道路わきに停めていざ攻城。

比高は150mほどですが、一度手前の山のあづまやまで登ってまた降りるので思ったよりは長い道のり。

となりにゴルフ場があるのですが、ここが満久城という城であったともされてます。
おそらく河内城の出城ですね。

河内城、結構崩れかかってるのですが堀切や長細い郭はしっかり残ってます。
城としては比較的小規模なのですが、詰めの城?だった可能性もありますね。

伝承では別所氏が1160年に築いたとされますが、実際には室町時代に在田氏が城主だったとされてますね。

+ 続きを読む

まーやん

道後温泉横の公園が城跡?(;゜0゜) (2018/05/04 訪問)

知りませんでした。道後は何度か来ましたが、ただの公園だと思っていました。
100名城のおかげで知ることができました。
松山は結構な都会で道後温泉という一大観光地も近いですが、中世の遺構がほぼ残っているという稀有な存在です。
源平合戦で功績のあった河野氏が400年拠点としたようです。
見所があまり分からず普通に散策してしまいました。
車は伊佐爾波神社近くの駐車場に停め、神社も参拝しました。松平氏縁とのこと。(写真3枚目以降)
次は…西に見えるあのお城かなぁ~

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

前ちゃん

春を感じて (2020/03/24 訪問)

しっかりとした遺構も残っており、大変満足。週末は雨らしいが、満開望む

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

前ちゃん

北畠氏の繁栄 (2020/03/24 訪問)

時間の都合上、霧山城は断念したが、続名城スタンプゲット

+ 続きを読む

カズサン

角田城本丸は角田高校 (2016/04/10 訪問)

 平成28年4月中旬陸奥金山城を終えて国道113号線北上約10km超の角田市に在る角田城を初登城。
 車は県道から水路を越えて角田高校に入って北に在るグラウンドの南面フェンス沿いに角田城の案内解説板が有りその近くの広い道脇に路駐。
 本丸の丘陵は角田高校に成って居り丘陵の法面が城塁切岸、余湖図コレクションさんの俯瞰図によると内濠が在るのですがグランドなどに成って居り形跡ははっきりしませんが県道沿いの水路、高校導入路より一段と低くなっていますから水濠の跡か?グーグルマップの写真で見ると高校の南法面と市街地の間に草地に様な湿地が散見され水濠かも?
 時期的に桜に覆われて美しい景観でした。

 角田城も相馬氏伊達氏との抗争で天正12年(1584年)伊達氏の支配と成り江戸期を通じて伊達氏家臣石川氏が角田要害として維持し明治に及ぶ。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

まーやん

能島村上氏の拠点 (2018/05/04 訪問)

いわゆる村上水軍、村上海賊です。
船には…乗ってる時間がありませんでした。
西側の駐車場から、スタンプのある今治市村上水軍博物館からと眺めてみました。
環礁ピット、見てみたかった。。。
能島水軍という沿岸のお店でのランチが絶品でした。確かここから乗船出来たかと思います。
リベンジを誓い次へ駒を進めました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カルビン

母校の山が目の前に (2014/04/19 訪問)

お城巡りを始めた頃、東京都のお城を検索していた時に昔良くその名前を聞いていた小山田と小野路の2つの地名にちなんだお城があるとは。。。
実は母校である日大三校の丁度すぐそばだったんですね(ーДー;)

小山田城は見学の許可取りが必要だった為にかなり後での見学になりましたが、小野路城はお城巡り始めて半年くらいで訪問致しました。
高校時代に部活で城址と知らずに(知っていても当時は興味ゼロだったw)山道を走って城域に入っていたので、ある意味再訪なのかもw

町田駅から神奈川中央交通(「かなちゅう」って読んでたw)バスで日大三校東口で下車し、お城の南西の神明尾根側から登城。


小野路城はお城への案内等が無い為とても判り辛く、「図師小野路歴史環境保全地域」の地図を頼りにお城方向に向かう事になります・・・が、それでもようけ解らんのですわw

道はあるのですが道案内が無く方向がまったく解らず、随所に浅くなったものの土塁や堀と思われる結構形の良い地形が見られるものの、それが城域のリアルなものなのかが判別できないという超不親切設定ですのでご注意をw

結構な時間徘徊してようやく祠のある主郭に到着した頃には、恐らく知らずに城全域歩きつくした感じでした(汗)
おそらく道中で見た推定遺構は正解だったみたいです ε=(ーДー;)


その後も道が分からず、最終的には多摩センター方面に出てしまいました・・・皆様はこうならない様事前調査等準備をしっかりして行って下さい。
(万歩計が4万オーバーしてましたよ(ーωー;))

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

チェブ

卜伝さん探し。 (2020/03/21 訪問)

以前、NHKのドラマ「塚原 卜伝」を観て鹿島神宮に行きました。
「鹿島城」には行かなかったな~。
ということで「鹿島城」のある鹿島山城公園に行きました。
入口から駐車場に向かう道、巨大空堀があります。
鹿島山城公園には、少し桜が咲いてました。
因みに、桜祭はコロナにより中止の張紙がありました。残念。
土塁の上は舗装がしてあり、チビッ子が遊んでいます。説明板を見つけましたが、塚原 卜伝さんの名前が出てきません。
「鹿島城」は平安時代末期に鹿島 政幹さんが築きました。佐竹氏によって落城するまでの400年間、鹿島氏の居城、とあります。
塚原 卜伝さんや~い!どこですか~?
卜伝さんのお父さん吉川 覚賢さんが「鹿島城」の家老だったそうです。
卜伝さんは塚原家に養子に行き「塚原城」の城主になったそうです。
、、。えっ!!しかも、「塚原城」お城を探す に入ってません。
近くに生誕の地があるとの情報で駅に移動し、車をコインパーキングに駐車ました。5分位、歩いた場所に塚原 卜伝像があります。
そもそも、鹿島神宮に行った時も撮影場所だって騒いでいたような記憶が、、。
そして、塚原 卜伝さんを思い出した理由は「麒麟がくる」で足利 義輝さんが登場した時、塚原 卜伝さんに剣術を習ったんだよな~と、フワッとした理由です。
塚原 卜伝さん、失礼しました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

咲庵

案内板設置 (2020/03/10 訪問)

坂本城🏯本丸跡付近に案内板が設置されました(^^)

+ 続きを読む

あつ

巨岩と巨木が絡みあう冒険心くすぐる城跡 (2020/03/22 訪問)

大河ドラマ麒麟がくるで明智光秀の妻、煕子ゆかりの城跡を見たくて訪問しました。妻木城跡、崇禅寺、士屋敷跡、妻木公民館は全てそれぞれ車で10分以内で回れるくらいのまとまったロケーション。駐車場も広くて快適でした。1658年に後継者が途絶えて廃城になるまで600年、信じられないほど不思議な巨岩群とそれに絡みつく自然木に守られた妻木城を想像すると、自然と一体となって長い年月を耐え抜けたのかなと共存の大切さを感じました。特に残念石(十字のくさび跡が残り、砕石を諦められた岩)を上からはっきりと綺麗に見ることが出来るのは感無量でした。私は車で全て移動しましたが、妻木城から歩いて20分登山道を下山すると士屋敷跡があり、その近くに崇禅寺があります。崇禅寺は妻木氏ゆかりの立派なお寺で、鐘楼門から左右に続く長い黄色い塀がとても珍しく、可愛くて気に入りました。妻木公民館で御城印証が2種類販売されています。地元のお土産も少し買えます。妻木氏は陶器の生産を奨励したため、織部焼を含む、美濃焼と呼ばれる焼き物が盛んになりましたので、道の駅や町中の陶器店で美濃焼をお土産に買われるのも良いと思いました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

やなぎぶそん

結構な階段 (2020/01/25 訪問)

主郭までの結構な階段で割と疲れました。主郭から若狭湾が見えます。

+ 続きを読む

やなぎぶそん

当時の城郭がよくうかがえるのでとても素晴らしい城 (2020/01/25 訪問)

玄蕃尾城へのアクセスは敦賀側の林道が通行止めになっているので、滋賀県側から登城をおすすめします。その滋賀県側からの登城ルートがあまり情報がなく、私自身も少し迷ってしまいました。 玄蕃尾城については、土塁や空堀がかなり残っており、当時の城郭がよくうかがえるのでとても素晴らしい城だと感じました。 お気に入りの山城の一つです。

+ 続きを読む

やなぎぶそん

こじんまりとしたお城 (2019/11/16 訪問)

こじんまりとしたお城ですが、よく再現されており、とても見やすいお城でした。

+ 続きを読む

やなぎぶそん

日本三大山城に数えられる (2019/11/09 訪問)

日本三大山城に数えられるだけあって、しっかりとした城郭を持ってますね。明治時代まで現存していたこともあり、石垣もしっかりと残っており、素晴らしい城です。

+ 続きを読む

やなぎぶそん

割としっかりとした城郭 (2019/11/09 訪問)

高取城、大和郡山城と並び大和国の防御拠点となったお城ということもあり、割としっかりとした城郭です。石垣にはかなりの土が被っているので、石垣の再建をすれば、かなり変わると思いました。また、城下町は重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、とてもきれいな街並みです。

+ 続きを読む

やなぎぶそん

本格的な登山かと思いきや (2019/10/26 訪問)

本格的な登山になるかと覚悟していきましたが、主郭へは登山口から10分程で着きました。 小さな山城って感じです。 曲輪や堀切などが見られます。 地元の方々がきれいに整備しており、私が行ったときにも草を刈っていました。

+ 続きを読む

やなぎぶそん

比較的規模も大きい (2019/10/26 訪問)

比較的規模も大きく、堀切や曲輪が割と残っており、楽しめます。

+ 続きを読む

ページ1074