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dougen

2018.12.30登城 (2018/12/31 訪問)

明智長山城址はカーナビに登録されてるため、カーナビの指示通りに上恵土城からに南下し、羽生ヶ丘団地を通り団地の一角に明智長山城址があります。
麓の大手口に駐車場がある様ですが、団地側の二の丸にも駐車ができます。
城址は市の史跡であり、明智光秀ゆかりの城ということもあり、良く整備されています。
遺構はそんなに残っていませんが、馬防柵や逆茂木などが模擬復元されており、中世の城郭の雰囲気を演出しています。
展望台からは可児市街が一望でき、初心者や一般の人でも楽しめる城址です。
時間の関係で大手口の方に降りませんでしたが、大手冠木門が復元されている様です。
なお、搦手口は崩落の影響で通行止めとなっていました。

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退会済み
ユーザー

日尾城 (2019/04/05 訪問)

かなりつらい登山を要する

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姫街道

周辺砦と共に高天神城巡りを楽しむ (2020/04/05 訪問)

高天神城への登城は今回で3回目。
「1574年の第一次高天神城の戦い」の武田方の戦略と、「1581年の第二次高天神城の戦い」の徳川方の戦略を考えながら、周辺の砦や城と共に高天神城へ登城した。
まず武田方。信玄・勝頼公は共に小山城から塩の道を通って「塩買坂」に陣を張ったと言われる。そこで、小山城→塩買坂と行ってみた。なるほど納得のルートであり、牧野原台地の西端にある塩買坂と正対するように小笠山稜の東端に高天神城があった。また塩買坂の南にある新野氏領内には、笠原城など明らかに武田築城技術が入っていると思われる城が点在していた。これらは、小山城や持舟城などからの物資輸送路の確保に重要な役割を果たしていたのだろうと感じた。徳川方の高天神城主小笠原長忠は猛将であり、徳川の援軍が来ないなか、城の特徴を活かして孤軍奮闘よく戦ったが、東からの補給路がこれだけ確保されている武田の大軍には敵わなかったはずだ。
次に、徳川方の戦略だが、有名な6砦や畑ケ谷城郭遺構を回ってから高天神城を初めて大手門側から登った。家康が陣どった小笠山砦こそ高天神城を向いているが、他の5砦は立地や遺構から、城への敵の補給路断絶や援軍を阻止するような役割をしているのではないかと感じた。砦の分布は、全て先の武田方城群に対して高天神城側だ。なるほど、言われているような厳しい兵糧攻めの戦略がわかる。畑ケ谷城郭遺構は大手門のすぐきわにあり、今も神社などに形を変えて保存されている。戦いは、城の特徴を知り尽くした元武田方高天神衆の武将が徳川方横須賀衆となって弱点である西城の赤根ケ谷から攻撃を行い落城へとつながったのは間違いないだろう。
ただ高天神城は、その圧倒的堅固な作りから、城外戦の戦略が勝敗を左右したのだと感じた。

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小城小次郎

大津城

関ヶ原の戦いにまつわる激戦を経て今や跡形もなくなったこのお城の天守が、国宝・彦根城の天守に姿を変えた。なかなかロマンチックな話ではないか。

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城好きのメガネ

「長島城」 (2020/03/21 訪問)

<オススメ>★★★☆☆
1245年頃、藤原道家が館を築いたとされる。北勢四十八家の一人、伊藤重晴によって大改修が行われた。1570年、一向宗・願証寺証意によって伊藤氏一族が追放され、長島一向一揆の拠点となった。木曽川、揖斐川、長良川の中州にあり難攻不落の名城であった。織田一門が多く戦死するなど織田信長も苦戦したが、度重なる猛攻により長島一向一揆も平定される。賤ヶ岳の戦い後、織田信雄の居城となるが、1586年の天正地震で天守が倒壊するなど甚大な被害を受けたため、清洲城に移ったとされる。関ヶ原の戦い後は菅沼氏が2万石で入り、長島城を改修し藩庁として用いた。その後、増山氏が8代続き廃藩置県まで至った。現在、現存移築門が遺されている。(願證寺の一向一揆殉教之碑も併せて散策したい。)

<アクセス>
JR長島駅 徒歩15分

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城好きのメガネ

「神戸城」 (2020/03/21 訪問)

<オススメ>★★★★☆
伊勢国人領主である神戸氏4代の神戸具盛が築城したとされる。織田信長の伊勢侵攻で神戸具盛は信長の三男・信孝を養子にすることで和睦する。神戸(織田)信孝によって、野面積みの石垣や5重6階の天守が築かれた。信孝の死後は、城主は度々代わり、関ヶ原の戦い以降は一柳氏が5万石で入った。1732年に、本多忠統が2万石で封じられ、廃藩置県まで居城として用いた。現在、天守台や石垣等が遺されている。

<アクセス>
伊勢鉄道 鈴鹿駅 徒歩20分

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ぴーかる

土岐高山城 (2020/03/21 訪問)

【土岐高山城】
<駐車場他>三の丸跡駐車場あり。
<交通手段>車

<見所>穴弘法
<感想>1泊2日東三河・東美濃御城印取得の旅6城目。城の歴史は説明板にある通り。プラス戦国期には本能寺の変の後、金山城の森長可にも攻められている。地理的に武田・織田・徳川の間にあり戦いの場所になっていたことがわかる。
 城跡は山頂にはなく、山頂は墓地になっている。車で行くと途中山頂の墓地に行く方向を通り過ぎて、山の稜線の端っこあたりに城がある。三の丸跡が広場になっていて駐車できます。主郭を含む楕円形の三つの郭が主にあり、簡単な構造となっている。主郭跡には模擬門・模擬櫓と東屋、奥に井戸跡や祠がある。主郭は金網で囲っているので少し雰囲気を疎外している。堀切も埋められてしまっていて、これといったいい遺構はとくに見受けられないが、綺麗に整備された城跡です。
 穴弘法は城跡から東方向200㍍ほど下ったところにあります。現地の説明板によると、戦国時代にこの地で命を落とした人々の霊を弔うために元禄年間に開創された寺の跡だそうです。その後荒れ果てていたのを明治時代に地元の人々によって再興しました。岩肌に穴を掘って石仏を納めていますが、当時は武将のお墓があったようです。度々攻められる憂き目にあった城、今見せていただいている者としてお参りさせてもらいました。印象に残る場所です。今回は穴弘法も含めての満足度といたします。

<満足度>◆◆◇

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チェブ

ふかふかの、お城跡。 (2020/03/21 訪問)

南北朝時代「神宮寺城」は東条氏により築城されました。
前回 投稿した「阿波崎城」の前に北畠 親房さんが北朝方の佐竹氏達と「神宮寺城」で戦ってます。
親房さん「神宮寺城」→「阿波崎城」→「小田城」と逃れて行きました。
「神宮寺城跡入口」と看板。駐車スペースがあります。
目の前入口にすぐ梯子段があり、入城するとビックリしました。
木々に隠れて見えなかった遺構があり、別世界です。
写真は一ヶ所で写したのではなく、虎口からパチッ、少し行って土橋からパチッ、またまた少し歩いて土塁でパチッ。奥は竹藪になってますが空堀も確認できます。
木々が覆った「神宮寺城」は地面が腐葉土状で、ふかふかでした。
みなさんも「神宮寺城」ぜひ行ってください!
と、言いたいのですが、コロナが治まってから安心して外出できるようになってからですよ。
お願いします。
私は休みの日、昔の大河ドラマを見ながら籠城しています。コロナ軍には負けません!

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いんげん丸虫

新城、古城、古手城 (2020/02/02 訪問)

山梨県笛吹市。石和温泉駅の北に大蔵経寺山があります。その山頂に平場、堀切を伴った新城(にいじろ)。
そこから北西1.5kmにあまり遺構が明確でない古城(ふるじろ)。両地点を結ぶ尾根の中間点を東に行くと平場、古墳遺構?のようなコの字型石積みのある古手城(こてしろ)があります。
いずれも古い文献から推定される場所で確証はないようです。
そろそろ杉、檜花粉が少なくなってきて山城に行けそうな時期なんですが、ウィルスというやっかいな敵が登場しましたね。この戦いには絶対に勝たないと。

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モト

なるほど、これは土塁です。 (2019/09/10 訪問)

公園として整備されている伴野城、ここは主郭部分とのことです。
整備されているとはいえ、そこは見渡すと土塁に囲まれた明らかに城跡だとわかる場所でした。
入り口には堀の後が整備された池もありましたが、主郭の土塁と相まって雰囲気あります。
近くに来て、ちょっと寄ってみようかなと思ったら迷わず訪れてみてください。

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街道おじさん

土田城登城 (2020/04/05 訪問)

織田信長の生母、土田(どた)御前が生まれたという土田城に登城。
『麒麟がくる』では檀れいさんが土田御前を演じている。
駐車場が満杯で車を道路わきに止めたため、石碑と登城路のみを撮影。
城跡探索は断念した。

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四四一六

念願の登城 (2020/03/20 訪問)

道路状況や天候のタイミングが合わず、1年越しの計画が実現。
念願の登城が果たせました。

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四四一六

今のうちに行っておかないと… (2020/03/20 訪問)

地元から一般道で片道4時間弱。なかなか行ける所ではないので、体力のあるうちに周辺を巡って来ました。静かな所ながら存在感のある城跡です。

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todo94

麒麟がくる紀行 (2020/04/04 訪問)

大河ドラマ麒麟がくる紀行で明智光秀の妻・熙子ゆかりの地として紹介されていました。駐車場が完備されている麓の士屋敷跡の石垣も見事なものでしたが、山頂のⅠ郭にも石垣があるし、人工的に積んだ石垣にも見える花崗岩の巨石の節理、紀行でも紹介された矢穴など見所満載の素晴らしい城でした。2020年に初めて訪れた城のベスト3には必ず入ると思います。崇禅寺の山門は移築城門とのことです。

妻木しろやま観光案内所(城山公民館)は、土岐市内での新型コロナウイルス感染者発生を受けて、休館となっていました。

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四四一六

ポカポカ陽気に誘われて (2020/04/04 訪問)

2020年4月1日より発売になった登城記念を頂きに行ってきました。

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みやぞう

大人になった今、じっくりと再び訪れたい

6歳まで県北にある実家から車で3時間かけて、年数〜1回は仙台赤十字に通院していた関係で、その度に父に連れられて行った覚えがある。
それと小学校4年生くらいの遠足。

春〜初夏の季節で少し暑い中、快晴、新緑、白壁、濃灰の石垣と瓦のコントラストは印象に強く残っています。青、緑、白、黒で描かれた油画のようなイメージでした。

内部はキチンと覚えていないので、大人になった今またキチンと行ってみたいと思います。

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中川藤兵衛尉

河内飯盛山城 (2020/04/06 訪問)

今年の桜は、やや葉桜でした。もう草木が生い茂る季節なので今季の山城納めの心算で登城したのですが、緊急事態宣言が出るみたいなので、実質の登城納めになりました

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中川藤兵衛尉

龍間城 (2020/04/06 訪問)

以前見た飯盛城の赤色立体地図に載ってた城。うろ覚えですが、多分ここ

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中川藤兵衛尉

往生院城 (2020/04/06 訪問)

六万寺ハイキングコース上に城の遺構があります。登城口には曲輪群がありました。上の方には礎石があるそうですが、この看板を見て断念

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中川藤兵衛尉

河内小松城 (2020/04/06 訪問)

小松廃寺を経て、現ゴルフ場。寝屋川市立野外活動センターの駐車場の上あたり。清滝城と同一視する向きもあります

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