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赤い城

小さな堀の跡 (2021/09/20 訪問)

西武の1日乗車券を利用して再訪。
飯能駅から徒歩で15分くらい。
完全に住宅地となっています。
民家の前に石碑と説明板が立ち、近くに浅くなった堀が少しだけ残っています。
本当に住宅の真ん前なので写真撮るにも気を遣います。
元々は二重方形の館とされていますが遺構はここだけのようです 
近くに中山家の菩提寺である智願寺があり、歴代の墓があります。
この日はちょうどお彼岸でたくさんのお墓参りの方がいらしてました。

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小城小次郎

びっくりするような歴史も隠れている (2021/07/17 訪問)

300年くらい伊達氏の本拠として不動の時代を過ごした後、300年くらい支配者が転々とする慌ただしい時代を過ごした地。尾張藩を継ぐ徳川宗春がここにいたとか松前氏が蝦夷から移されたとか、びっくりするような歴史も隠れている。

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にのまる

佐竹氏の家臣、小野崎氏の城 (2021/09/05 訪問)

 太田城から徒歩約20分。瑞龍道の道標のある坂を上った右手の瑞竜中学校が城址でした。市の広報には、西側の土手は堀や城塁の名残と伝えられているとあります。また、城址碑が校内にあるとのことでしたが、こんな時期だし日曜日だしで、校門前のパイロン&チェーンを前に為す術はありません。しかし、このまま帰るのもなんかあれなので坂の途中の白鷺神社へ行ってみました。小さな神社がいっぱいある神社で(すみません、詳しくないです)、鳥居のすぐ横に「今宮館跡」の標柱がありました。「古くより今宮大納言坊館跡と伝えられる。館主は佐竹16代(15代?)義舜の庶長子永義で、修験となって佐竹領内の山伏を統率したという。」と書かれており、一気に500年前にタイムスリップしました。一帯が城跡、また館跡のようです。

【お城川柳129】
帰りがけの駄賃で出会った館跡

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ヒロケン

静岡の横須賀 (2021/09/05 訪問)

戦国時代末期、遠州南部は徳川と武田との境界となって攻防が続き、高天神城攻略の拠点として徳川家康は家臣の大須賀康高に命じて横須賀城を築かせました。それまで、遠州南部の拠点であった高天神城は落城と共に廃城となり、横須賀城が遠州南部の拠点として位置づけられました。以後、明治維新で廃城となるまで、288年間2万5千石~5万5千石の城として城主を変えながら続いています。
なかには、江戸幕府の老中を務めた城主もいたそうです。

横須賀城は、平山城として山城から平城に移る特徴を備え、中世城郭と近世城郭の二つを併せ持っています。また、玉石積みと呼ばれる丸い川原石を用いた石垣も特徴としてあげられます。
現在は、曲輪・玉石積みの石垣・礎石などが残り、国の指定文化財として整備が進められています。駐車場・トイレも完備されています。

横須賀城には2度目の攻城で、玉石積みの石垣は珍しく、興味を惹かれますが少々迫力に欠け、自分の好みではありませんが"(-""-)"改めて、城域を散策してみると、さすが明治維新まで続いた城だけあり、中々規模が大きく見所が結構多い城だと再認識致しました。

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カズサン

復元櫓門を見たくて❣ 初登城 (2013/01/19 訪問)

 茨木城は遺構は殆ど市街化で消え現在茨木小学校に成って居ます、その敷地の東側に櫓門が復元されて居り茨木城の紹介で復元櫓門が写真掲載されて居り是非見学探訪をと平成25年1月に毎年開催してる中学、高校、大学卒業後関西に住んでる同じ中学同年卒同窓会の前日初登城しました。

 JR茨木駅から徒歩でぶらぶらと茨木城茨木小学校を目指す、東に進行し元茨木川が公園化され水は無く、元水堀跡、土塁城塁を醸し直ぐ東に茨木神社参拝し、現在神社の表門に成ってる茨木城元城門搦手門を見学観察、搦手門を出て北方向に約400、500m茨木小学校の西側は表側、裏へとぐるっと回って期待目的の復元櫓門と面会やっと会えました感!!
 道は狭く車を駐る所はありません徒歩が正解です。
 
 茨木城の櫓門は廃城後片桐且元の弟片桐貞隆の小泉陣屋に移され片桐氏の菩提寺慈光院(奈良県大和郡山市)の楼門と成ってる、由って慈光院の移築楼門を複製復元したのが茨木城跡の櫓門です。
 歴史的には織豊期中川清秀が茨木城主、秀政が継ぎ、秀吉直轄地、片桐且元、貞隆が治め大坂夏の陣後且元死去後貞隆は大和郡山小泉陣屋へ転封、後に廃城と成った。

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赤い城

石神井公園の中に (2021/09/20 訪問)

石神井公園の中に城跡があります。
最寄りは西武線の上石神井駅若しくは石神井公園駅です。
三宝寺池は自然の堀、石碑と説明板が立っています。
主郭はフェンスで通常時は入れません。
11月頃の文化財ウィークで公開されるようです。
フェンス越しに土塁や空堀を確認することができました。
豊島氏の拠点でしたが太田道灌に攻められ落城。
現在は市民の憩いの場となっています。

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カズサン

北辺探訪と博物館展示現存12天守模型見学 (2013/11/10 訪問)

 10月1日に緊急事態宣言、蔓延防止規制措置が解除され行楽の秋、いよいよ大手を振って(暫くは慎ましく)城廻りも出来るようです。

 過去分の投稿ですが平成25年11月第20回全国山城サミット朝来大会が有り1泊し、講演を聞き各市山城の展示コーナーで情報収集、朝来市は竹田城ですが登城はせず麓で眺め竹田駅の竹田城情報コーナーを見て資料、情報収集を早めに終えて以前から行きたかった生野銀山構内見学と生野口銀谷景観地区の見学、生野代官所跡も見学して姫路城へ。

 平成25年は5月と11月の2回登城ですが今回は何年も前から訪ねたかった姫路城北辺、内の中堀と外の中堀に囲まれた地区に在る「兵庫県立歴史博物館」で現存12天守の立体模型が展示され、特別展も開催「名城ふたたび ようこそ姫路城」、立体天守模型は是非見学したいと前々から願っていました。
 各模型の資料は無く写真を撮りまた頭に叩き込みました、一階二階と巡り見学、長年の願いが叶った大変満足な見学でした。

 後、気に成ってる所は博物館の北に在る「日本城郭研究センター」姫路市立日本城郭研究室と姫路市立城内図書館が有る様ですが日本城郭の資料、図書が有るのか、あれば閲覧出来ればと思う処ですが敷居が高いようにも見えるので情報が有れば教えて頂きたい。

 車は北隣の日本城郭研究センターの駐車場を利用。

 博物館見学の前後に今までの訪ねて無かった姫路城の北辺より天守閣は天空の白鷺の大屋根に覆われ公開一年前、内の中濠跡、東小天守、乾小天守、渡櫓景観を眺める、丁度季節なのか四季桜が咲いて居り写真に花を添えて呉れました、外の中濠には行ってません。

 宿泊し翌日は是非見たい参拝したいと思ってた小野市の国宝浄土寺、国宝阿弥陀如来立像、西陽に輝く阿弥陀仏として有名です、近くの広渡廃寺跡歴史公園、奈良薬師寺と同じ伽藍配置、近くを走り櫓を見つけ訪ねた金鑵城遺跡も初登城。

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JPN-AZE

新緑の季節に (2003/05/28 訪問)

2004年5月28日、埼玉県比企郡嵐山町の菅谷館を訪問。だいぶ前なので、あまり詳しく覚えてないのですが、埼玉県立嵐山史跡の博物館も入りました。

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JPN-AZE

The Buddhist temple with a manor house ruin (2021/09/22 訪問)

2021年9月22日に訪問しました。前から、足利尊氏公ゆかりの寺とあったので、気にはなってたのですが、なかなか寄る機会がなかったです。先日、府中市内のセカンドハンドストアへ行った折に、寄ってみました。来てみて初めて知ったのですが、尊氏公だけでなく、藤原秀郷公ゆかりの地でもあります。館址があります。その横には、弁慶の硯の碑もあります。寺務所に声をかければ、寺に関する栞をもらえます。

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ぎりょう

仙台藩21要害を訪ねて 岩谷堂要害 (2021/09/12 訪問)

仙台藩21要害三ヶ所目は岩谷堂要害を訪問。旧江刺市岩谷堂(現奥州市江刺区岩谷堂)は私が大学を卒業して就職し、初めて出張で訪れた町。当時から城に興味は持ってはいたが、土で築かれた中世城館の認識が無く、50年ちかくを経て初の攻城となった。城の歴史は古く、奥州藤原氏の祖経清・清衡との関わりも伝わっているようだ。中世には千葉氏、江刺氏、葛西氏が城主。仙台藩領となり伊達家臣の桑折氏、古田氏を経て万治2年(1659)に御一門岩城左兵衛宗親が拝領、大きく改修した後、岩谷堂伊達家(5510石)の要害として明治維新まで使用された。
縄張は東に人首川が流れ、北から南にのびる標高115mの丘陵の南端部に築かれ、北側一番奥に本丸、次にニノ曲輪、中ノ丸、二ノ丸が続く。本丸は帯曲輪と横堀で守られており、それぞれの曲輪は空堀で隔てられている。
近世には二ノ丸(東西150m、南北100m)に多くの建物が置かれ、要害屋敷として使われたようだ。
訪問当日は人首川に架かる夢乃橋を渡って城址「館山史跡公園」に入ったので、城の東側が切立った崖であり、堅城ぶりがよく理解できた。

水沢ICから11km、17分。本丸下に駐車場があり。

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赤い城

太田道灌が築いた砦 (2021/09/20 訪問)

西武線の謎解き1日乗車券を利用して乗り鉄城廻り。
先日チャレンジした謎解きはさっぱりだったのでこちらにチャレンジ。
愛宕山砦跡には早大高等学院があります。
遺構はありません。
太田道灌が石神井城の豊島氏を攻めるために築いた砦です。
再訪ですがわざわざ行くことも無いと思います。
石神井城の帰りにどうぞ。

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ぴーかる

瀬田城・瀬田の唐橋 (2021/07/25 訪問)

【瀬田城】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>京阪石山坂本線 唐橋前駅より徒歩

<感想>JR・京阪・阪急 3電鉄利用の旅2城目。瀬田城は山岡氏が興った永享年間(1429~1441年)に築城されたとされ歴代山岡氏が治めていた。戦国時代山岡景隆は織田信長に仕え、有名なのが本能寺の変の際に景隆は瀬田の唐橋と瀬田城を焼いたことで明智光秀が安土に向かうのを3日間足止めしている。現在は県道号線の道脇に石碑が残るのみとなっている。

 瀬田の唐橋は乱の起こるたびに焼き落とされた橋で、本格的に架けたのが1575年、織田信長が家臣となった山岡景隆に命じたものがあるようです。その時橋に初めて擬宝珠が付けられたそうです。また俵の藤太の大百足退治発端の場所でもあります。琵琶湖の龍神が翁に化けて、三上山(現在の近江富士)に巣作った大百足が琵琶湖の魚を食べつくして困っているので瀬田の唐橋でスカウトした藤原秀郷(俵の藤太)に退治をたのみます。先に行った浮気住吉神社と繋がって納得しました。
 古代の時代から交通または軍事の要衝の場所で今でも西側の国道422号線と東の県道559号線を結ぶ橋となっており右折渋滞がよく起こっています。私も車やバイクで行楽の度々渡った経験がありますが、徒歩でじっくり鑑賞しながらは初めて。

<満足度>◆◇◇

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カズサン

ミュージアム展示模型を見学目的の3度目登城 (2013/08/17 訪問)

 平成25年8月故郷鳥取の行事を終えて高速道夜駆け、大分県日出城移築修復復元鬼門櫓を堪能、熊本県宇土城小西行長を偲び初登城を終えて宇土市より地道で八代城へ、主目的が以前見逃していた八代市博物館未来の森ミュージアムに展示されてる大型の八代城模型見学ですので車はミュージアム南の駐車場を利用。
 
 今回で八代城は出張中も入れて3度目と成りますが博物館は初めての入館です、八代城模型は1階に大きく場所を取り展示されてます、素晴らしい立体模型で圧巻の眺めゆっくり周囲を廻り観察、撮影それだけで興奮ものです。
 充分時間を掛け見学し八代城に関する資料も沢山展示配布されて居り頂く、麦島城の資料も有りゲット。
 
 車は博物館駐車場に置き、東に100m~200m程に八代城が在ります、水濠に浮かぶ天守台を眺め北門廊下橋から本丸に入る、北九間櫓台、唐人櫓台、間の埋め門から入り内から天守台、小天守台を眺めて内部を散策して東に面した枡形門石垣の構えを見学、欄干橋から東へ出る、今回は3回目ですし以前探訪してる天守台、小天守台、各櫓台上には登らず、庭園松浜軒も寄らず、水濠越しに石垣群を眺めて更に頭に叩き込みました、丁度夕刻良い時間に本日の城廻りが終わりました。

 この後は鹿児島に連泊ホテルを予約でき元会社の旧友と天文館で元馴染みの店に繰り出し旧友、マスター、ママと会話が弾み痛飲、翌日から鹿児島の未踏の城を登城と企画したのですが桜島からの降灰が酷く成り、連泊の残り宿泊をキャンセルして昼前に浜松帰路へ、約1200km高速道をゆっくりと途中SA車中泊仮眠して翌朝帰宅しました8泊9日良い思い出も有りますが疲れました。

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小城小次郎

大内定綱のイメージとは異なる城だ (2021/07/17 訪問)

表裏比興の梟雄的な印象が強い大内定綱の本拠地は意外なくらい求心性に乏しい群郭式のお城だった。生死を賭けて外敵から地域を守り抜く地域連合の惣領というのが、定綱の真の姿なのだろう。織豊系の石垣はおまけということで。

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じゅんじん

雑木林 (2021/09/11 訪問)

十数年ぶりでした。公民館横に榊原康政公出生の地の石碑などあります。駐車も可能です。
周囲には砦跡もあるみたいです。周辺の鴛鴨城、堤本地城とセットで行きました。

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カズサン

小西行長の宇土城を初探訪 (2013/08/17 訪問)

 大分県の日出城を終えて高速道で宇土城を目指す、宇土高校と宇土古城辺りにナビを定めて走行するが宇土古城の手前まで行き引き返し城跡らしき森を目当てに近づき案内板に従い細い道を北から南に進むと案内板、トイレ、駐車場に辿り着くが更に南に曲がり込み広い駐車場に辿り着きそこを利用。
 本丸の西は二の丸で現在広い墓地霊園に成ってる、広い駐車場は霊園利用者の駐車場かもしれない。

 初登城の宇土城本丸の西側に登城階段が有り本丸に登る、本丸話結構広い公園として整備されて居り、東側に小西行長が太刀を前に立て持ってる立像が建立されてる、側に案内板、周囲は崖で落ち込んでるが往時は石垣で覆われてたのだろうか?降りて本丸の周囲を散策、西側は崖と下部は石垣近年の復元石垣の様です、二の丸跡現墓地の間に堀跡、南から東に廻り東隣は宇土高校、夏草に覆われていますが崖土塁下は石垣が積まれ近年の石垣復元の様子、二の丸、三の丸現高校を西から南、東を囲むように外堀が有ったらしいが確認せず、今回の投稿でグーグルマップ航空写真で確認すると新しく出来た外周道路との間に堀らしき痕跡と見えるものがある。
 
 宇土城は市指定史跡、宇土古城は国指定史跡保存の扱いに大きな違いがあるがひっそりと小西行長を偲ぶには丁度良いのかも、芭蕉の句「夏草や 兵どもが 夢の跡」がピッタリです。
 歴史的には秀吉の九州征伐後肥後は佐々成政に与えられるが国一揆で肥後が混乱応援を得て鎮めるも責任を取らされ佐々成政は切腹、後肥後は北半分を加藤清正、南半分を小西行長に与えられ夫々20万石ほどの太守です、立派な城が完成するのでしょうが、其の後小田原征伐、朝鮮出兵、関ヶ原は西軍で敗退、斬首された。
 この間10年ちょっと秀吉の配下として多忙を極め宇土城築城に手間を掛ける時間も少なく、廃城、一国一城令で織豊系の石垣大城郭として残らなかったのでしょう? このまま大事に保存整備をお願いして、初登城で大感謝です。

 この後、八代城に移動します。

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よしくん

やっぱり雄大な姫路城 (2021/09/10 訪問)

県内移動ということで姫路城を訪問。天守の中もガラガラで、各階の案内人の方にいろいろな話を聞けました。
お城全体の美しさ・雄大さに感激、天守を支える巨大な大柱を組み立てた昔の人に驚嘆です。。。
お城の北側を探索すると、大きな樹木に埋もれた少し変わった雰囲気の天守が見えました。

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ふゆづき

千曲川のほとりにて (2021/08/20 訪問)

ここは私が一番好きな城の一つですが、3年ぶりの訪問になりました。
いつものように、大手門の駐車場に車を停めて、大手門→三の門→二の丸→本丸→馬場→展望台と訪問。(動物園は閉鎖中)
季節外れのため、桜や紅葉はありませんが、苔むした石垣に心が和みます。
三の門は現在修復中ですが、他の遺構については大きな作業は行われていないように思いました。
皆さんご存じのとおり、この城は浅間山の麓から千曲川に落ちておく緩やかな傾斜地の千曲川に沈む最後の一角に築かれたため、城下町よりも低い位置にあることから、大砲のような遠距離攻城兵器が実戦で用いられることとなった近世では、城下を占領されれば、攻城兵器でやりたい放題にされるので、近代戦には向きませんね。
しかしながら、城下より低い位置に築かれると、城主の目線も下がるということを考えれば、統治の上では悪いことばかりでは無いように思います。
少し離れた大手門と三の門の内を見て、1時間強というところだと思います。

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todo94

麻績古城(虚空蔵山城) 県内の城めぐり・その1 (2021/09/20 訪問)

松本献血ルームでの献血の予約が11:45。その前に朝駆けしてきました。そのまま、麻績城へ行くつもりでしたが、険しくて断念。麻績城の搦手口に行ってみたものの、草がぐっしょり濡れていて靴や服がずぶ濡れになること必定だったので今回は麻績城攻略は諦めました。でも、麻績古城もなかなか見所のある城で満足です。

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海城パートII (2021/09/26 訪問)

来島村上氏の本拠地、来島城に行ってまいりました。
島全体が城です。早い潮流が堀、石垣です。
今治市波止浜港から渡船で5分。
行った時間帯がタイミングよく、干潮時で岩礁ピッドを沢山見る事が出来ました。島の周りを一周できる潮位だったので犬走りのようなものも発見しました。ちなみに一周850mだそうです。
島を一周した後、頂上の本丸を目指しました。
途中、一部分ではありますが、綺麗に石垣が残っていました。
三の丸、二の丸、本丸とはっきりと曲輪を確認できました。
山腹には城主の居館後(心月庵)もありました。
1時間ほどで満喫できました。
蚊が多く、虫除けスプレー等あったら良いと思います。
自販機もないので、水分は島に渡る前に用意しておいた方が良いでしょう。

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