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模擬天守の裏 (2021/10/25 訪問)

模擬天守前の駐車場のレストハウスにカラーのハンディタイプの縄張り図が置いてあります。御城印も。
模擬天守閣内の展示は、石と化石の資料館だけあって、城があった時代よりも遥か古の1,600万年前を語ります。河口付近→浅い海→深い海と変化することで、備前、備中は一旦、平らになり、隆起後に浸食が始まったのですなあ。
さて、有漢常山城は、模擬天守閣の裏手と城びとの先達がレポートされております。すぐ裏手の高いところかと、林に立ち入ってみましたが、そうでなく、一旦下った先の尾根の先端にあるのでした。
道沿いに笹が刈られた処があり、ここが尾根を断ち切る二重堀でした。堀を伝って城内に進みます。縄張り図が手元にあるので、遺構がよくわかります。

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カズサン

9年前静寂な水戸城登城 (2012/04/29 訪問)

 平成24年4月の連休、三春の滝桜、棚倉城を終えて久慈川沿い国道118号線を南下、直線で約75km程の水戸城を目指す、途中久慈川沿いの道の駅で昼食休憩、日本三大名瀑の袋田の滝を見学し夕刻近くに成りましたが水戸城弘道館二の丸大手門前の駐車場に車を駐めて探訪開始。

 弘道館は内部に入らず外周辺を見学、前年の東日本大震災の影響で白漆喰壁が剥落等の被害が見られました、二の丸大手橋から入りその当時は大手門跡は樹木で鬱蒼としていました、二の丸大堀切を橋より眺め現在は県道232号線に成って居る、二の丸土塁の樹木は伐採されて居ましたが今思えば大手門、土塀、隅櫓復元の前準備だったのでしょうか?
 
 二の丸の復元、整備された彰考館、整備されつつある水戸学の道を通り、両サイドは学校施設に成って居り静かな雰囲気、本丸大手橋を渡り大堀切を橋より眺める現在は水郡線が走ってる、本丸大手門跡も樹木で鬱蒼としている、水戸第一高校の敷地内に唯一の遺構建造物である大振りの薬医門だ殿と控えてる素晴らしい薬医門です、探訪はここまで、三の丸の大空堀は探訪せず。

 二の丸大手門、土塀、2階隅櫓が復元され且つNHK大河ドラマでの徳川慶喜等で賑わってる現在とは違い静寂の中での探訪でした。

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イオ

一日とことん彦根城(第四郭) (2021/10/03 訪問)

(続き)

築城に際して、北向きに流れていた芹川(善利川)を西向きに付け替えて大外堀とし、芹川と外堀の間の第四郭には足軽組屋敷を置いて、豊臣氏や西国大名への防衛に当たらせました。

外町と呼ばれる第四郭に足を踏み入れると、細い道が縦横に通っていますが、ところどころで喰い違っているのがわかります。そんな中を自転車を走らせると、四 つ辻に大きく張り出した建物があります。お目当ての辻番所のようです。土日祝日は10時から16時まで一般公開(無料)されているようなので、駐輪場に自転車を駐めて、隣接する旧磯島家住宅の玄関から辻󠄀番所内に入り、見張り窓から覗いてみると、通りを喰い違わせていることにより、まるで四 つ辻の真ん中に立っているかのように、二方向の通りを遠くまで見渡すことができます。これは面白い! ガイドさんの説明によると、見張番は交代制だったため、磯島家の主屋を経由せずに通りから直接出入りできるよう出入口が設けられているとのことで、実際に開けて見せてくれるなど、見応え満点でした。また、旧磯島家住宅は足軽屋敷といっても長屋ではなく庭付きの一戸建、中二階に厨子まで備えた立派な造りで、さすがに譜代筆頭・彦根藩ともなると違うもんだなぁ、と感心するばかりでした。

現地に来るまでは、辻番所と旧磯島家住宅の存在しか知りませんでしたが、案内板や旧磯島家住宅に置かれたパンフレットを見ると、周辺には同じ善利組の足軽組屋敷がいくつも現存しているようなので、それらもめぐってみました。それぞれ個人所有のため、外観のみで内覧はできませんが、土壁の防火壁の建物なども遺っていて、雰囲気があります。そして、大外堀代わりの芹川で足軽組屋敷もひとめぐり。ブラタモリで観て以来の念願をようやく果たすことができました。

…ということで、この日は彦根城をめぐり尽くすつもりで6時間あまり(昼食時間除く)かけてあちこち走り回りましたが、帰宅してから振り返ってみると、まだまだ見落としや下調べ不足がありましたので、来年あたりまた訪れることになりそうです(それはそれで嬉しい)。今度は桜か紅葉の頃に行きたいものですね。
 

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小城小次郎

近くの大台城と混同されやすそうだ (2021/08/19 訪問)

城びとさんにも登録されたお城だが、まあ現地には何もないと言ってよい。同じ千葉県内(芝山町)にも大台城があって、芝山の大台城が井田氏、栄町の大台城が依田氏と伝わるので猶更に混同されやすいお城でもある。

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ヒロケン

三河侵攻のため築いた名城 (2021/10/17 訪問)

古宮城は愛知県新城市作手に位置する平山城で、武田信玄が三河侵攻する際に、馬場信春に命じて築かせた土の城です。比高30mの丘陵を城塞化した城で、北・東・南の三方が湿地に囲まれており、城域は東西250m・南北200mにも及んでいます。
馬場信春が古宮城を築いたあとは、小幡又兵衛らが守備しましたが、武田信玄が三河に侵攻していた際に死去すると、亀山城の奥平貞能・伸昌父子は武田氏から離反し、徳川氏へ寝返りします。武田氏は奥平氏を討つべく軍勢を出しましたが、奥平氏・徳川氏の軍勢により古宮城は焼失、武田氏はこの地から撤退したと伝わっています。武田氏が築いた古宮城は僅か3年ほど存続したとのことです。

現在、古宮城の大半は個人所有の私有地でありますが、所有者の好意により見学が許されています。駐車場は3台分ほどありますが、トイレはありません。続100名城スタンプの設置場所でもある、作手民族資料館に寄って用を足した後に行かれると良いでしょう。

この城の見所は何と言っても、城の西側にある、幾重にも積まれた高い土塁、何重にも掘られた深い堀、城の東西を分断する大堀切です。(*^▽^*)5度目の攻城ですが、何度見ても飽きさせません(*^▽^*)
この城址に立つと、1Kmほど離れた場所に奥平氏の本城、亀山城・奥平氏が築いた文珠山城があり、更に文殊山城の尾根続きに武田氏側が築いたとされる賽ノ神城があり、三河侵攻の最前線である緊迫感がひしひしと伝わってきます。

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橋吉

15分程度で主郭に (2021/10/23 訪問)

10月とは思えない寒い日でした。
気圧配置も季節外れの冬型であり、太平洋側は好天ですが、日本側は崩れていました。
長野自動車道を北上すると、だんだん雲行きが怪しくなってきました。
ただ、長野市あたりは降り出す秒読み段階といった感じだったので、なんとかいけると思い霞城へ寄ることにしました。

霞城は、長野市松代町大室にあります。
長野インターからは4km、クルマで8分くらいです。

永福寺(長野県長野市松代町大室157)にクルマを駐めることができますが、大室の集落は道が狭い上にわかりにくいです。
高井大室神社の鳥居前の道を入って行き、案内板でしたがって曲がれば着きます。

なお、次のページに詳しいトレッキングガイド・マップがありますので、参考にされるよいでしょう。
https://nagano-yamajiro.com/trekking/kasumi/

永福寺登山口から登城
15分程度で主郭に着きます。

帰路は石門登山口方面に向かうつもりでしたが、落ち葉で、どこが道かわからない状態でしたので、登った道を引き返しました。

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けいちゃん

大垣城 (2021/10/17 訪問)

水の都。水路の水もキレイでした^_^
城のすぐ近くの公園も大きな遊具があったり、プレーパークもあって大満足!

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けいちゃん

岐阜城 (2021/10/03 訪問)

やっぱり登るね^_^

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けいちゃん

彦根城 (2021/09/27 訪問)

天守もお庭も城下町も、さすがは彦根城でしたね^_^

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けいちゃん

岡崎城 (2021/07/22 訪問)

出世ベンチの場所はとてもよいフォトスポットです^_^

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けいちゃん

郡上八幡城 (2021/07/18 訪問)

登り甲斐のある城だったね^_^
鍾乳洞も合わせて楽しみました!

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けいちゃん

清洲城 (2021/03/14 訪問)

新幹線も近くでみられました。

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けいちゃん

犬山城 (2021/06/06 訪問)

国宝天守!歴史も感じて景色もいいし、食べ歩きもいい感じに楽しめますね^_^

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けいちゃん

名古屋城 (2021/03/07 訪問)

早く天守に入れるようになるといいねー^_^

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けいちゃん

岩崎城 (2021/06/27 訪問)

子連れで手軽にいける城でした。階段の下から見上げた姿もいい感じでした^_^

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赤い城

吾妻川沿いの要害 (2021/10/10 訪問)

登城口近くに駐車場が無く、近くの家電量販店の駐車場に駐めさせてもらいました。
登城口から石段を登ると神社があり、そこから土塁上を進みます。
藪の堀を横目で見ながら進むと二郭と三郭の間に。
ここには土橋があり、その両側の堀も観察できます。
本丸と南曲輪の間の長い堀を歩き、三日月堀を経て本丸に。
本丸虎口は枡形になっていて石垣も残ります。
また、本丸は高い土塁にも囲まれていました。
一通り土塁上を歩き、二の丸、三の丸、北曲輪まで歩きました。
それぞれ曲輪は畑になっていました。
白井長尾氏の本拠で、江戸時代には白井藩が立藩されました。
しかし短命に終わり、江戸時代初期に廃城となってしまいました。

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けいちゃん

小牧山城 (2020/09/27 訪問)

城好きに目覚めた城!?
妹が生まれる前日に登ったね^_^

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いんげん丸虫

村史跡 (2021/10/24 訪問)

南北400m東西200mの広い城跡です。
西面の巨大な横堀が素晴らしく圧倒されます。北で折れ曲がって大きな二十掘りとなってます。
この地方での中心的な存在で武田勢も重要視したらしい。
小型車なら中心部の今木八幡神社まで行けます。

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カズサン

滝桜鑑賞の後に登城、広い濠高土塁が圧巻 (2012/04/29 訪問)

 平成24年4月の連休群馬県太田金山城、高崎城、沼田城を終えて福島県三春の滝桜を是非見たいと大回りして滝桜朝駆け2時間の大渋滞でしたが着けば交通整理宜しく順々に駐車場に案内されました、滝桜の周りには大勢の見物客、日本三大桜の一つ、凄いと言うか息をのむ思い素晴らしい千年を超える銘木、その後8年掛けて残りの日本三大桜を鑑賞しました。

 三春の滝桜から県道40号線を約50km程南下、三春城の麓を城に行かず滝桜へ道中、枝垂れ桜があちこち咲それは素晴らしい、県道40号線の山道、里山沿いにも家屋敷に一本桜があちこちに咲き田植え前の田園風情と良くマッチし山里の古き良き時代を彷彿させる情景に走行中堪能しました。

 棚倉城へはナビに従い内堀南の二の丸駐車場を利用。城跡は亀ヶ城公園と成ってる。
 
 駐車場から直ぐに広い内濠、本丸の二段高土塁が目に入り浮き浮きドキドキの城探訪の開始です、本丸南側に在る追手門外枡形に土橋から入り本丸内部を一周、北に在る北門内枡形を見て内濠外周を一廻り、途中に二の丸西側の崖状に在る二の丸石垣を見学、本丸土塁上を一周、幅広の土塁上に多門櫓跡、四隅に隅櫓跡、途中に外の土塁側で二段に成ってる武者走り?を歩いてみる。最近復元の茶室も外から見学。
 
 大身丹羽長秀の嫡嗣丹羽長重は関ヶ原合戦西軍につき領地を取り上げられたが慶長8年(1603年)大名に復活し元和8年(1622年)5万石で棚倉領主となる。当初赤館に入るが寛永元年(1624年)幕命に由り現在の地に平城の棚倉城を築城し未完のまま寛永4年長重は白河10万石で転封、白河小峰城は棚倉城の土の城と違い総石垣の城郭に大改修、その白河城も寛永20年(1643年)代が変わり光重は二本松城に転封し城を大改修石垣の城へ以後丹羽氏は二本松で11代継承するが幕末の二本松少年隊の悲話は語り継がれてる。
 
 関ヶ原合戦の西軍につき領地没収後大名に復活するが幕府の目は厳しく立て続けに棚倉城築城、小峰白河城の石垣大改修、二本松城の石垣大改修と仕置きに近い幕府監視が辛すぎる。
 しかし後世に百名城として小峰白河城、二本松城として残し棚倉城も土造りの名城として残し築城の名手丹羽氏の名前を後世輝かしく誇ってる。城好きには大変ありがたい。

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カズサン

9年前の初登城桜満開花盛り (2012/04/28 訪問)

 平成24年4月の連休太田金山城、高崎城を終えて関越で一路沼田へ、車は人出も多く少し駐車場を探し回りましたが何とか臨時の駐車場に停める事が出来ました。
 
 早く登城したかったのですがやっと今回の初登城、駐車場の関係で二の丸グランドから攻城、二の丸土塁の桜は満開か散り気味、高崎城と違い標高差の違いでまだ桜が楽しめました花見客も大勢、本丸内堀横を通って本丸へ花壇にチュウリップ、花が咲き誇り沼田城址公園は植物園の模様、本丸跡、鐘楼、真田時代の復元想像図は薄く擦れてるが当時関東には唯一の5層天守が描いておりそれも金箔瓦と成れば真田氏の当時の勢いが感じられる、発掘発見されて復元整備された西櫓台、石垣も見事、城跡の先端捨曲輪からは谷川岳方面新潟県境の山々の残雪が見事に眺望出来ます、桜と残雪絵になるシーンです。
 歴史はさて置き沼田城跡の桜と花の情景と雰囲気に大満足の初探訪でした。

 投稿が今月二回とダブりますが9年前の古い写真を見て頂ければ幸いです。

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