赤館城の次は棚倉城へ。この城は元和8年(1622)に常陸江戸崎から5万石で移封された丹羽長重が築城を開始するが、寛永4年(1627)その完成を見ずに白河に所替えとなる。以後は内藤、太田、松平(越智)、小笠原、井上、松平(松井)と藩主は交替し、最後の藩主阿部氏のとき戊辰戦争により焼失したという。城地は本丸を二ノ丸で取り巻き、北西に三ノ丸を置く「土の城」。本丸を囲む高い土塁と東西南北の内堀、大手道から続く南門桝形、北二門桝形が保存されている。往時は本丸土塁上をすべて多門櫓が巡っていたというが、土塁の幅と本丸内から見上げる高さがかなり印象的である。明治5年の調査記録である富原文庫蔵「陸軍省城絵図」に、本丸は「本城跡」と記載され、ニノ丸の大手門、南門、北一門、土蔵、板蔵、長屋、屋敷(旧知事住居)などの記載があるが、本丸にあった櫓5か所と櫓門2ヵ所、多門櫓は「跡」と記載されている。
戦国時代には常陸佐竹氏と陸奥芦名・白川結城氏の国境、江戸時代にあっては関東側の奥州押さえの地として親藩・譜代の家が配された城。水戸街道沿いにはかつての城下町風情がたっぷりと残る街並みが続く素敵な場所である。
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