久し振りの大阪城
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2021/09/11 08:01
2021/09/10 22:07
武田家の土木技術と馬場美濃守の戦術眼に感服 (2021/09/08 訪問)
丸馬出で有名な諏訪原城を訪問。
アクセスは、東海道線金谷駅から、平成の町おこしで再興された石畳東海道(金谷坂)を通って徒歩約20分のところにある小高い丘の上に城は位置しています。
先ずは諏訪原城ビジターセンターを訪問します。
私が訪問した際には、係の方に城の見所(馬出や三日月堀の様子)を詳しく解説頂きました(車の場合にはビジターセンター前に6台程度、少し離れた場所(旧東海道沿)に10台程度の駐車スペースがあります)。
城には、茶畑が広がる大手曲輪から入城し、外堀を横目に見ながら、この城の最大の見所である二の曲輪中馬出に向かいます。
この馬出の保存状況は非常に良く、武田家の土木技術の高さがうかがえますが、敢えて言えば、これに代表される諏訪原城の多数の馬出は、防御力の誇示もさることながら、この馬出の様子が城外(旧東海道)からも見ることができることを勘案すると、この城が武田氏の城であること(すなわち、遠江の一角に武田の旗が立っていること)を認識させるためのものであったのではないかと思わされました。
また、本曲輪からは駿河方面の眼下に大井川と東海道を見ることができるため、東海道を監視・官制することが可能であり、この地に城郭を築いた馬場美濃守の戦術眼に感服する思いでした。
各種の馬出の様子も含め、城内をゆっくりみて所要時間は1時間程度。
深い空堀や土橋の形成など、武田家の最前線基地に投入された土木技術に改めて感服しました。
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2021/09/10 14:18
岡崎城に行ってきました (2021/09/05 訪問)
平塚、伊勢原城巡り《岡崎城→真田城→土屋城》
岡崎城に行ってきました
ここは無量寺に岡崎城と書かれた看板と説明看板があります。
その時の岡崎城は今と違い岡崎神社を中心にした城でした。(ここでは前期と書きます)
前期岡崎城は平安時代末期~鎌倉時代の源頼朝功臣の岡崎義実により築かれました。
その岡崎義実は衣笠城主三浦庄司義継の四男で岡崎の地名を取り岡崎と名乗りました
義実はそのごもずっと頼朝に付き従い三浦四棟梁の一つとなりました
そして今の無量寺を中心とした後期岡崎城(室町~戦国)は明応三年に三浦同寸が
義父の三浦時高を滅ぼして子息の義意を道寸本城の新井城におき
自分は岡崎城に手を加え、居城としました。
ですが伊勢宗端が小田原城を落とし相模平定を狙い三浦を滅ぼそうと来ましたが
小田原記によると岡崎城は要害だと書かれており岡崎城によって17年間もにらみ続けましたが
永正9年(1512年)に落城。道寸は弟の道香をたより住吉要害に逃げ込み転戦後に
新井城に立てこもり攻防、ですが3年後に落城。道寸は一族とともに自害しました。
その後は北条氏の持ち城となりました。
〔城情報〕
・築城年代 前期は平安末期~鎌倉 後期は室町~戦国
・丘城
・築城者 前期は岡崎義実 後期は三浦道寸
・主な城主 三浦氏、北条氏
・主な遺構 虎口、堀、土塁、井戸
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2021/09/09 22:02
2021/09/09 10:25
9/10から綾井城跡 登場記念 御城印発売 (2021/09/09 訪問)
販売場所:専稱寺
住 所:大阪府高石市綾園2丁目2-17
電話番号:072-261-1890
販売時間:9:00~17:00
販売価格:1枚300円(印刷で日付のみ手書き)
(歴史)
元々は岸和田城主、和田氏の弟であった綾井伝内の居城でした。戦国期には城主が沼間日向守となり、その後廃城となりましたが、城跡の壕の中から阿弥陀如来を見つけ出しそれをご本尊としてお祀りし、将兵の霊を尉めるために城蹟にお寺を建てました。
現在は専稱寺(正式名:専稱教寺)と呼ばれ壕のある珍しいお寺として親しまれています。
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2021/09/09 09:03
見どころいっぱい岩崎城 (2021/08/22 訪問)
先日、日進市の岩崎城を見て参りましたが、期待した以上の内容で
とっても良かったです。
ここに着いて最初に驚くのは立派な天守があることです。
元々この城には天守はなかったので、「園内のご案内」では展望塔と表記しています。
つまりこれは模擬天守で、ここには本当は天守はなかったのですが、「天守があったらいいなあ、
じゃあ造っちゃおう」というものですね。
小牧城に陣を構える徳川家康対、犬山の楽田城などに陣を張る豊臣秀吉との戦い、「小牧長久手の戦い」で
ここ岩崎城の丹羽氏は大変重要な役割を果たしました。
すーと読めるようやわらかーく書いてみます。
池田君と森君が秀吉に言いました。
「僕たちこっそり敵地を通って三河の岡崎城を攻めて来たいけどいいですか?」すると
秀吉は「きっと敵に見つかっちゃうから、やめときなさい」といいました。
でも池田君と森君は納得せず「絶対うまくやるから許してください」というので秀吉も
「しょうがないなあ、じゃあひとつ約束してよ、道草は絶対しない事!」と許してしまいました。
喜んで出発した池田君と森君はずんずん進んで岩崎城のそばまで来ました。
約束があるのでこの城は無視して先を急ごうとした時、
岩崎城から丹羽君が飛び出てきて、じゃまをします。
「かーっ」となった池田君は秀吉との約束を忘れて、丹羽君と戦ってしまいました。
そのため、この秘密の作戦はばれてしまい、到着も遅くなってしまいました。
それを知った徳川家康は先回して待ち構えていました。結局池田君と森君は討たれてしまい、
この作戦は大失敗に終わりました。
岩崎城公園には、立派な岩崎城記念館がありこのあたりの歴史を解説しています。
丹羽君こと丹羽氏重はこの戦いで亡くなりましたが地元の英雄であり、
ここ日進市の誇りであることが良く分かりました。
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2021/09/08 19:47
越水城 (2021/07/17 訪問)
【越水城】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>バイク
<感想>越水城は1516年瓦林正頼によって築城されたが三好氏の京・近畿の拠点として攻めとられ、三好長慶の芥川山城移転前の居城となっていたこともあった。その後城奪取の攻防が続き城主は目まぐるしく入れ替わる。廃城前は篠原長房が城主となるが、阿波本城の上桜城が三好長治によって攻められ自刃、信長によって廃城となる。現在城びとポイントは丘陵地の頂上付近の大社小学校に石碑と説明碑があるのみで特に遺構は残っていない。ここが主郭付近で天守もあったようです。ここから南側斜面にかけて曲輪が広がっていたようで、攻防の城だけあって当時としては大きい城だったようです。
<満足度>◆◇◇
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2021/09/08 15:47
蝉しぐれの中散策 (2021/09/08 訪問)
白露を過ぎ秋めいて来ましたが緊急事態宣言下の静岡県浜松市、県境を越えての往来がまだまだ自粛で動けません、宣言が解除され10月の秋の最中まで城廻りは待ちぼうけです。
城廻りで走り回る愛車も休暇中、バッテリーが上がってしまう次第、今日の午前中雨の心配もなさそうなので車の慣らし運転、バッテリー上がり防止で近くの森林公園、二俣城に出掛けました。
二俣城は搦手の駐車場利用し搦手から登城、他に人は無し貸切状態、駐車場から搦手と蝉しぐれ、夏の名残を惜しんでかやけに蝉の鳴き声がやけに強く大きい、搦手の本丸北門から入り本丸広場、天守台石垣が殿と構えてる、本丸中仕切り門石垣構え、大手門東土塁、石垣より二の丸、大手門から南の丸(蔵屋敷)、二の丸と南の丸の堀切は草が刈られてる、大手門から北の丸下の駐車場へ、その間蝉しぐれのシャワーを鮮烈に浴びる事に成ります、散策のルートは草は刈られて雪駄草履で問題無し、やぶ蚊は1、2匹で払って歩きましたが刺されます。
今回カメラ無しで歩きましたのでスマホで写した写真です。
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2021/09/08 12:09
見事な石垣が残る本格的な城跡! (2020/06/13 訪問)
毛利秀包と有馬豊氏が築いた近世城郭、江戸時代の久留米藩、約250年間を治めた有馬氏の居城跡で、その昔は笹原城の名で呼ばれていました。
今は平山城づくりの本丸跡が残され、見事な石垣や正面側の内濠に往時の雄姿をしのぶことができます。
城壁は当時のまま残っています。 ほとんど反りがない直線的な 高石垣。
久留米城の石垣は概ね打込み接ぎですが、隅部はしっかりと直方体に加工された石材で算木積みが形成されている。
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2021/09/07 22:47
大多喜城からの帰りに再訪 (2021/08/29 訪問)
大多喜城から九十九里を回って帰りに再訪しました。
前回の投稿から島さんの投稿のみ、あまり行く人いないのかなぁ。
本城寺ガ主郭跡ですが本堂の北側に土塁が残り、
さらに進むと空堀に出会えますが、この時季ヤブ蚊の大群が襲って来ます。
クモの巣も。。。
土塁も良好に残っていて冬にもう一度行きたい感じです。
土気城を居城とした酒井氏が土気城に移る前にいた城。
鹿島川沿いに位置しています。
周りを散策すると遺構はまだ残っていそうな城でした。
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2021/09/07 16:07
記念すべきスタンプ帳1城目 (2021/05/02 訪問)
スタンプ帳と、であった記念すべき場所。もっと早くに出会っていたかった。
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2021/09/07 15:53
真夏の館跡 (2021/08/29 訪問)
駅から徒歩20-30分。駅からまっすぐ。道に迷うこともなくたどり着けました。
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2021/09/07 15:49
真夏の甲府城 (2021/08/29 訪問)
駅前にあるので大変寄りやすいです。
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2021/09/06 20:58
瓦林城 (2021/07/17 訪問)
【瓦林城】
<駐車場他>駐車スペース鳥居右手にあり。
<交通手段>バイク
<感想>瓦林城は室町時代初期に築城されたがその後文献には出てこなくなり、戦国時代には瓦林正頼が越水城(同西宮市)を築城し居城を移したようです。瓦林氏は信長方(当時は松永久秀属)だったので三好氏家臣篠原長房に攻められ落城した。その後瓦林氏も衰退しました。城びとポイントの日野神社は比定地で瓦林正頼の墓地のある極楽寺との2つの説がある。特に遺構は残っておらず本殿裏手の凸凹した地形があるのですが関係ないそうです。参道右手の駐車スペースに石垣っぽい巨石が2・3個あったので当時のものであればよいのだが・・・。
社務所も開いておらず御城印も購入せずでした。
<満足度>◆◇◇
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2021/09/06 20:45
三木氏じゃなくて金森氏だと思う!! (2021/09/05 訪問)
このお城は、とにかく石垣が素晴らしい。飛騨にこんな美しい高石垣があるとは驚きです。
論争があって…この城は、この石垣は、誰が作ったのか?
伝承によると三木自綱(みつきよりつな)が1579(天正7)年に築城したとされ、石垣もその時に作られたとされています。
一方で、石垣や枡形虎口を伴った縄張から考えると、三木氏を滅ぼした金森長近が改修しているという考え方もあります。
この論争があることを知ったうえで登ったのですが…率直に感じたのは、この石垣は近世城郭でしょうということ。
野面積みですが、布積みで、角部は算木積みになっています。高さも5mぐらいはありますし、結構広い範囲に石垣が広がっています。逆にこれが三木氏のものだとしたら城郭史の常識が変わるといってもいいのではないでしょうか。
このような論争があるからこそ、できるだけ多くの人に直接この石垣を見てほしいなと思います。本丸から15分ぐらいのところに「シンボル広場」という公園があって、駐車場には4~5台ぐらい止められます。
是非、高山にお越しの際は松倉城へ!!
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2021/09/06 20:09
金森氏が転封されなければ… (2021/09/05 訪問)
金森長近が築城したお城です。
二の丸が公園になっていて、駐車場があって20台ぐらいは駐車できると思います。
本丸はそこから15分ぐらい登ったところにあります。
本丸付近にいくつか石垣を確認できましたが、実際は総石垣の城だったみたいですが、金森転封後に破壊されたみたいですね。切岸が素晴らしかっただけに石垣がもっとしっかり残っていれば見栄えしたと思います。
本丸にも解説の看板はありますが、「高山市まちの博物館」に行くと復元された本丸屋敷の模型があるので、先にそっちを見てからお城を登った方がいいかもしれないですね。
本丸の南の方に曲輪が広がり、大手もそちらだったみたいですが、高山の街は北に広がっています。ちなみに、立派な大手門の石垣がありますが、これは昭和期に作られた模擬石垣だそうです。
二の丸の北にある三の丸は現在護国神社になっていますが、附属する水堀は当時の姿を残しているようです。
観光地としては高山城の西側麓にある「陣屋」が有名で、もちろんこれも素晴らしいのですが、是非高山城にも注目してほしいですね!!
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2021/09/06 16:59
唐津城 (2021/07/09 訪問)
お城最上階からは唐津の街並みが良くみえました
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2021/09/06 16:55
福岡城跡 (2021/07/06 訪問)
広い公園の様になっています。
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2021/09/06 16:49
平戸城 (2021/07/07 訪問)
2021年7月に行きましたが、運営会社が代わったとの事で、
パンフレットなども揃ってなかったです。
御城印も今製造中との事でした。
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