JR飯田線/身延線沿線城巡り3日目の23城目は駒場城(3日目のラスト)です。
久米ヶ城から転戦。案内標識分岐点(35.441051、137.743560)に路駐して徒歩で攻城しました。
駒場城の築城年代は定かではないが、応永年間(1394~1428年)頃に林氏によって築かれたとされます。
天文年間(1532~55年)に武田氏によって修築され、1573年(元亀4)上洛の途についた武田信玄が病のため信濃へと撤退する途中、この駒場にて死去したといわれています(浪合や根羽とする説もあります)。
1582(天正10)年、織田信長が武田勝頼の領国信濃へと攻め入った際、信長は川尻秀隆に命じて駒場城を修築させています。
1676(延宝4)年の絵地図には「城山,御公儀林,松立」と書かれていて幕府の天領「御林」として存在していたようです。
現在城址は「阿智公園」として整備されており、土塁や空堀などの遺構を確認することができます。
長岳寺には信玄を火葬したときの遺灰を弔った供養塔信玄供養塔があるようですが、自分は行っていません。
公園駐車場はあるが、悪路との事前情報より案内標識分岐点より徒歩で17~18分くらいで着きました。
車で上がれなくもないが、途中全面通行止めになっていました。
攻城時間は10分くらいでした。
3日目の攻城徒歩数=21531歩、攻城徒歩距離=16.79Kmでした。
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