学生時代、友人と行った記憶があります。当時は確かエレベーターにのって鯱見たかなぁ?何かの折にまた行けたら、ひつまぶしを食べるのと天守閣のシャチホコは見に行きたいですね❗️
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2021/11/08 21:34
人生二度目の城、だっけ? (2012/09/09 訪問)
学生時代、友人と行った記憶があります。当時は確かエレベーターにのって鯱見たかなぁ?何かの折にまた行けたら、ひつまぶしを食べるのと天守閣のシャチホコは見に行きたいですね❗️
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2021/11/08 21:29
月曜日は資料館系は休みが多いのか😅 (2021/10/23 訪問)
人生二度目のローカル城跡。町中に急に出てきてビックリといったカンジ?
資料館や売店もあるようですが、お休みの日もあるので、調べてからいらっしゃることをお勧めします。
敷地内には忍城のある行田市から分けてもらった蓮があります。また、非常に綺麗な公園でした。
個人的には休憩所の「ゴミを持ち帰ってください 」という意を示す札が面白かったです😁
また、「曲輪」についての解説を見て「こうやって少しずつ知識が増えていくと、お城も楽しくなってくるのかなぁ」と思った秋なのでした🌰
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2021/11/08 21:10
人生4つ目、初めての観光地でないお城 (2021/10/25 訪問)
ある意味、忍城より思い出深いかも🤣
公園+お城跡というセットを初めて体験した公園でした。城山神社側から行くか、滝の城跡公園側から行くかの二択になります。私は公園から行きました。
公園内のマンホールに説明が書いてあり、そこで初めて太田道灌の名前を検索しました。
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2021/11/08 20:53
のぼうの城 (2021/10/15 訪問)
人生最初の自転車旅行には、原作と映画で見た此方に来ようと思っていました。ノープランでここに来たので、展示を見ながら行田について知り、折角だからと回ることにしました。
水城公園→忍城→古代蓮の里→古墳群→石田堤というコースでした
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2021/11/08 20:46
紅葉見物がてら (2021/11/08 訪問)
季節の樹木が楽しめる公園ですね。
他の方の投稿やサイトの説明を見ながら回りました🤣
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2021/11/08 20:38
石田堤史跡公園 (2021/10/15 訪問)
忍城に行った帰りに寄りました。公園にはおトイレもあります。また、大河ドラマの俳優さんの声を聞けるモニュメントがあったのですが、私は聞き方が分からず、ウロウロして諦めました🤣
忍城を見に行くなら、やはり欠かせませんよね❗️
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2021/11/08 18:35
王城山城(天王山城)に行ってきました (2021/11/07 訪問)
謎の山城ともいわれる王城山城(天王山城)に行ってきました
ここは神奈川県中郡大磯町大磯の釜口古墳の近くにある城です。
(詳しい住所がなくてすいません。なのでGoogleマップで釜口古墳と検索すると出てきます。)
この城は最初言った通り謎の山城で、
築城者、築城年代などのほぼすべての情報が、わかっていない城です。
さらに、行ったのが秋のため、前の衣笠城 (2021/10/24 訪問)の蜂事件いらい、
(詳しくは、ろくべえのサイトの衣笠城の投稿をご覧ください。)
奥には進みにくく、城の入口でギブアップし行きませんでした。
聞いたのですが、主郭には明治天皇観漁記念碑があり、
遺構は堀や土塁らしいです。次回また行き、詳しく調べたいと思います。
〔城情報〕
・築城年代 |室町~戦国?
・種類 |山城
・築城者 |?
・主な城主 |?
・主な遺構 |堀、土塁
・看板、石碑 |?
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2021/11/08 18:10
2021/11/08 17:39
ご隠居の政務のための城 (2021/09/08 訪問)
静岡駅から徒歩約15分。静岡県庁が城内にある駿府城を訪問しました。
城内には、今川氏が主であった駿府館の跡があり、この地が長らく駿河(現在は静岡)の中心であったことが偲ばれます。
事前学習が不十分であり、駿府城が二条城に比肩するような政務のための城であることを知りませんでしたが、平城であることから、要害の地というよりも、城下町の発展に適した場所に位置し、大規模な天守閣、堅牢な石垣、格式ありそうな櫓門が、この城の性格を表しているように思いました。
現在実施中の天守台跡の発掘作業の様子も見ましたが、豊臣時代と徳川時代では明らかに石垣の積み方が異なり(和歌山城みたいです)、両者の比較ができる点に興味深さを感じます。
見所の一つは復元された東御門とこれに連結する巽櫓ではないかと思います。この巽櫓の内部に入るにはチケットを購入しなければなりませんが、このチケット売り場では御城印を販売しています。
この巽櫓内部の展示で面白かったのが、江戸時代初期の大御所政務の時代とその後の時代の本丸御殿の推移です。大御所がこの地を去ってから、大御所を支援するスタッフが駿府を去り、この城が幕府における政権の中枢の一つではなく、駿河地域の地方を統治するためのローカルな政庁と性格が変わったため、政務を執る場所であった御殿が徐々に縮小していった経緯が良くわかりました。
明治時代に水戸からこの地にやってきた徳川慶喜は、祖父伝来のこの地・この城でどのようなことを考えたのかと思うと、貴人情を知らずと一概に言い切ることはできないようにも思います。
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2021/11/08 12:59
一乗谷朝倉氏遺跡 (2021/10/24 訪問)
庭園が美しいです。一乗谷はほかの町にはない独特の雰囲気があります。なんというか、ちょっと寂しい感じがするけどそれで完成しているって感じです。
そして、電車にて訪問しました。バスも電車も本数が少なく、車のない方は念入りに調べておくと当日報われます。自分は時間がなくて城の方には行くことができませんでした。
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2021/11/08 12:36
まさかの閉館日(T . T)
久しぶりのお城巡り
リハビリ的に近場の川越城へやってかたら、なななんと閉館日〜(涙)
ちゃんと調べてから出かけましょう(・_・;
でも、お天気も良くて気持ちよくウォーキング出来ました
喜多院入口のお蕎麦屋さんで美味しいお蕎麦とさつまいもの天ぷらを食べてパワーチャージ(即食べてしまったので写真なし😅)
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2021/11/08 08:35
平清盛ゆかりの地 (2021/10/17 訪問)
兵庫城が築かれた兵庫津は奈良期に行基が整備した港で、当時は大輪田泊と呼ばれていましたが、平安末期、日宋貿易の拠点とするべく平清盛が大修築し、今日まで続く国際貿易港の基礎となったことから、周辺には平清盛ゆかりの史跡が数多く見られますので、兵庫城とあわせて訪れてみました。
清盛塚
清盛塚の花崗岩製の十三重石塔は鎌倉中期に執権・北条貞時が建立したと伝わり、平清盛の墓所と考えられてきましたが、大正の道路拡幅時の調査では石塔の下に墳墓は確認されませんでした。石塔の隣には清盛の銅像や、清盛の甥で琵琶の名手の平経正の墓所とされる琵琶塚の石碑が建てられています。
能福寺
清盛塚が清盛の墓所でなかったとしても、遺骨を大輪田や経ヶ島、能福寺に収めたとする文献が複数あることから、能福寺には清盛の八百回忌にあわせて平相国廟が再建されています。また、能福寺は兵庫大仏の寺としても知られています。
来迎寺(築島寺)
清盛が大輪田泊の修築に際して風浪避けとして築いた経ヶ島の位置は特定されていませんが、一説には築島寺とも呼ばれる来迎寺周辺と言われています。経ヶ島築造は難工事だったため、清盛の従者の松王丸が人柱となって工事を完成させ、来迎寺はその菩提を弔うために清盛が建立したと伝わり、松王丸の供養塔が建てられています。また、その隣には清盛の寵妾の妓王と妓女の供養塔も並んでいます。
一方で、人柱に替えて一切経を書いた石(経石)を埋め立てに用いたことから経ヶ島と呼ばれるようになったとも言われます。この日訪れた松岡城跡の勝福寺が経ヶ島築造に協力したというのは、経石を書いたということなのかもしれません。
清盛くん像
新川運河西岸のキャナルプロムナードから入江橋方向に曲がったところに清盛くん像と説明板があります。かつては平家物語に描かれた悪逆非道のイメージでしたが、大河ドラマにもなりましたし、再評価が進んだことの証ですね。
その他、清盛ゆかりの地では薬仙寺の萱の御所蹟碑を見落とし、兵庫城ではイオンモールでの見落としに加えて、つい先日(11月3日)には初代県庁舎(兵庫城跡の大坂町奉行所勤番所)を復元した初代県庁館が開館したようですので、またいつか(和田岬砲台とあわせて?)訪れることになりそうです。
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2021/11/07 20:49
樺沢城でコンプ(2/2) (2021/11/06 訪問)
樺沢城登城で,新潟県の城びと登録(越後国+佐渡国)をコンプリートとなりました。しばらくの間,登城できない状態となっていました。本丸背後も行けるようになり,だったら,紅葉シーズンに合わせようかなと考えてました。雨上がりだったので少し滑るカンジでしたが,問題はなかったです。
見どころは,本丸背後の畝状竪堀です。
また,胞衣(えな)塚とは,上杉景勝の胞衣を納めたと伝わります。
投稿は,本丸下の帯曲輪までと,本丸および本丸背後に分けたいと思います。
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2021/11/07 20:34
樺沢城でコンプ(1/2) (2021/11/06 訪問)
樺沢城登城で,新潟県の城びと登録(越後国+佐渡国)をコンプリートとなりました。しばらくの間,登城できない状態となっていました。本丸背後も行けるようになり,だったら,紅葉シーズンに合わせようかなと考えてました。雨上がりだったので少し滑るカンジでしたが,問題はなかったです。
見どころは,本丸背後の畝状竪堀です。
また,胞衣(えな)塚とは,上杉景勝の胞衣を納めたと伝わります。
投稿は,本丸下の帯曲輪までと,本丸および本丸背後に分けたいと思います。
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2021/11/07 19:54
2021/11/07 19:40
鹿背山城 (2021/10/23 訪問)
【鹿背山城】
<駐車場他>駐車場はなし。私は分校二百m程西手前の「鹿背山柿出荷組合選果場」の前の道路が少し待避所になっているのでそこに駐車しました。バイクは西念寺山門前(登城口)に駐輪できそうです。トレッキングシューズ・ストックは一応準備しておいたほうが良い。
<交通手段>車
<見所>畝状竪堀群・大竪堀・竪土塁・堀切・切岸・曲輪群
<感想>この日のメイン、ヒロケンさんの投稿を拝見して行きたいチェック済でしたが駐車に困るのとコロナおさまり間は遠征優先していたので少し温めていた城です。後述しますが予習・予想以上の大城郭、見応えたっぷりの城でした。
鹿背山城は1188年木津英清によって築城されました。現地説明版概要によると「十五世紀に南都興福寺の北方防御の拠点として史料上に登場し、古市氏以下興福寺傘下の武将がしばしば入城した。十六世紀後半、大和北半分を支配した松永久秀は多門山・信貴山・龍王山とともに本城を拠点として重視し、改修を加えた。」とあります。
城郭は北面と東側にかけて木津川が流れていて後ろ堅固、山頂主郭を中心に主に東・南・西斜面に大防御設備を施している。西念寺山門に城跡の説明版と縄張り図が頂けるので縄張り図は必須です。山門脇の北側行く狭い通路から城跡に入ります。山頂から南の麓にかけて山の尾根が2本あり、その尾根の間の鞍部から登って行くルートが大手道になっているようです。鞍部大手道は棚田のような段曲輪と水の手になっていて今は池と湿地になっています。またサイドの山からは大竪堀が降りてきています。勿論尾根上は階段状の曲輪群になっています。主郭から東側に二の丸・三の丸がありますが二の丸・三の丸からそれぞれ南側に伸びる連郭群に行くにはサブコース(頂ける縄張り図の点線部分)を行くのですがサブコースは曲者であまりはっきりした道にはなっていないので倒木ありの難コースです。ですがこのサブコースを攻略しないと全般見れない遺構が多いのでストックを持って攻めて下さい。
主郭周辺は南手前が十字路分岐になっていて土塁曲輪で防備する虎口があります。主郭南東面が大切岸になっています。主郭北東側と北西側の搦手側にそれぞれ2条の大竪堀があってその竪堀の間に長い竪土塁が良好に残っています。ダイナミックで見応えありです。主郭西南西面は中ほどに横堀のある畝状竪堀群となっていて、ここは広く木が伐採されているので遺構がよく分かります。主郭南西面は大竪堀が2~3条あります。主郭の副郭南にも畝状竪堀があり主郭周辺は竪堀だらけと言ってもいいでしょう。
主郭は東西に長い長方形で南虎口は折れ曲がりの枡形になっています。東側が土塁、南東隅に櫓台跡があります。櫓台から下が前述した大切岸が上から望めます。主郭西端にも櫓台があります。北西隅から北にある井戸へ降りるルートがあります。
サブコースの道以外はかなり整備が行き届いていて、私が登城した時も三の丸から南へ伸びる連郭の最南の曲輪(かなり奥まった所)の雑草刈りをされていました。その南に箱堀があるそうですが整備の邪魔になるので見ませんでした。後半急ぎ足で縄張り図のほぼほぼ見た私で2時間かかったのでじっくり全部巡ると3時間は楽しめる続百名城に負けてない、マイベストに入る城跡でした。
<満足度>◆◆◆
<グルメ>木津川市加茂町駅東にある手打ちそば所「橘」で昼食をいただきました。数は少ないですが十割にできます。選べるミニ丼のセットがお勧めです。ちょうど新そばの時期で良かったです。
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2021/11/07 19:34
電車から見えます。 (2021/07/04 訪問)
JRが横を通っているので、車窓からもよく見えます。
赤い橋が印象的で、中も見応えがありました。
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2021/11/07 19:27
2021/11/07 19:27
2021/11/07 17:02
桑折城(宮城県大崎市三本木桑折) (2021/11/06 訪問)
友人からの情報で私の生家のあった宮城県大崎市三本木(旧志田郡三本木町)にある桑折城跡の樹木が伐採されたことを知り数年ぶりに訪れてみた。残念ながら「城びと」には未登録の城。この城は、中世この地を治めた奥州探題大崎氏の内紛にからみ天正16年(1588)二月に伊達政宗軍が大崎氏の居城中新田城を攻撃した際、大崎勢の激しい抵抗と天候の急変により、政宗軍が唯一敗北を喫した「中新田合戦」に関わる歴史を持つ。
城は麓を流れる鳴瀬川に沿って、東西に大小の曲輪を並べた連郭式の縄張り。比高は35mほどだが最高所の主曲輪からは東に遠田郡箟岳山、西に加美郡の山々、北には大崎耕土が拡がりその先には遠く栗駒山を望むことができる。主曲輪に立ち北を見れば、大崎合戦時に城に詰めた澁谷相模以下大崎方の将兵が眺めたであろう、鳴瀬川の向うを西に進軍する伊達の大軍の光景を彷彿とさせられる。
主曲輪は東に帯曲輪を備え、西には二段の帯曲輪を備える曲輪、また一段下がって北側に、かつては鳴瀬川岸までの広がりをもつ曲輪、東側にも先端が三段に落ち込む細長い曲輪を持つ。また西側の曲輪の先端部と南に続く尾根には、現在は埋めたてられているが大規模な堀切の跡が確認できる。さらに南の堀切を渡り尾根道を南東方向に行くと細長い二段の出曲輪がある。
延宝年中(1673~81)に書上げられた仙台領古城書上には「城主八野木相模。又澁谷トモ云。黒川安藝守晴氏入道月舟叔父。」とあり大崎氏家臣で中世鳴瀬川沿岸地域に勢力のあった渋谷一族の拠った城である。
城址は地元で館山(たてやま)と呼ばれる桜の名所で、春になると山全体が花に覆われ賑わいをみせたものだが、樹齢がかさみ伐採に至ったものか。遺構は非常に観やすい状態になったのだが、子供の頃に家族と楽しんだ花見の思い出も消え去るような寂しさも。
東北自動車道古川ICからは12km(12分)たてやまホール(三本木公民館)に駐車可能。
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