江戸時代の身分制度は複雑であり、なかには例外的なものや特殊なものもいろいろ存在していました。
殿様の世界も同様で、ピンからキリまであったようです。
美濃国石津郡・多良郡を治めていた西高木家(2,300石),東高木家(1,000石),北高木家(1,000石)の三家は「美濃衆」とよばれ、旗本であったが大名的に扱われ、公儀の役務を負い参勤交代も行っていたので、交代寄合と呼ばれていました。
三家とも少禄のため城は持てず、陣屋が置かれていました。
このあたりは、鈴鹿山脈と養老山地に挟まれた山間の小さな盆地で、北は関ヶ原に続きます。
【西高木家陣屋】
西高木家陣屋跡には、上石津郷土資料館が置かれています。
入館料100円の郷土資料館となると、高校の郷土研究部の発表程度の展示に農家の納屋で埃をかぶっていた農機具や調度品が置いてあるぐらいで、あまり期待はできないものですが、ここは違いました。
郷土の歴史や自然に対しかなり詳しく展示されておりましたし、企画展も興味深いものでした。
関ヶ原の合戦の際に島津隊はこの地を通って退却したそうで、これもウリにしているようでした。
1852(嘉永5)年、建造の下屋敷御門を移築しています。
この奥には明治年間建造の主屋がありましたが、公開されていませんでした。
陣屋入口は石垣に囲まれています。
高さはたいしたことないものの、曲線を帯びて積まれています。
【東高木家陣屋】
西高木家陣屋の東に、東高木家の陣屋がありましたが、現在は、土蔵が残されているのみです。
【北高木家陣屋】
陣屋跡地の中央に伊勢街道の新道が通っており、遺構は何も見当たりませんでした。
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