戦国末期に岸和田城の後詰に入った三好実休が築いた陣城で、根来衆の支援のもと再起を図った畠山高政との久米田の戦いで三好実休は敗死し、貝吹山城も廃城となりました。
貝吹山古墳と呼ばれる古墳前期の前方後円墳を改修した陣城で、後円部を主郭とし、裾部に横堀と土塁をめぐらせていたことが発掘調査により明らかになっています。前方部も削平されて、後円部との間には堀切が設けられていました。古墳の東側、南側、西側は三つの周濠で囲まれ、周濠の間には土橋が通っていますが、この周濠と土橋は元々のものらしく、少し手を加えるだけで陣城として活用できる好物件です。現状は古墳のある公園になっており陣城の面影は感じられないものの、後円部に登ってみると、ほんの8mほどの高さの墳丘ながら思いのほか眺望が開けており、好立地であることを実感します。
貝吹山古墳は橘諸兄の墓と伝わりますが、東隣には橘諸兄にゆかりの深い久米田寺があります。久米田寺は行基の開創とされ、後詰に入った三好実休の本陣ともなりました。また、貝吹山城から西に徒歩10分ほど行ったあたりには三好実休戦没碑がある……はずですが、見落としてしまいました。
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