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ほーり

日本で唯一の穴城 (2021/09/19 訪問)

小諸城はその城郭が城下町よりも低い場所に位置する「穴城(あなじろ)」であり、これは小諸城が日本で唯一といわれています。
戦国時代、武田信玄の東信州経営のために現在の縄張りとされた。現在残っている城跡の元になったものは信玄の軍師であった山本勘助の縄張りだと言い伝えられているが、根拠となる史料はないようです。
安土桃山時代から江戸時代にかけて、石垣を構築した近世城郭に改修された。現在のような構えとなったのは仙石秀久の改修によるもので、三重天守があったそうだが、寛永3年(1626年)に落雷によって焼失しており、今は無く、懐古神社になっています。
当時の建造物は石垣と現在の懐古園の入り口の三之門、市街地に存在する大手門のみが現存している。大手門と三之門の2棟は共に国の重要文化財に指定されている。その他、天守台、石垣などが現存します。一部は動物園・遊園地になってます。
大手門公園と懐古園は別経営なので開始時間が違うので注意が必要です。(懐古園は9時~・大手門は10時~ )
駐車場は大手門公園の駐車場を使用すると2時間無料ですその後100円/時間・懐古園の駐車場は1回500円です。
大手門の2階は資料館です。懐古園は入口横に徴古館があり、資料があります。

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久々の登城 (2021/09/21 訪問)

 久しぶりに二俣城へ行って来ました。公園として整備されていて車で本丸近くまで行くことができます。天竜浜名湖鉄道二俣本町駅から徒歩で15分くらいです。武田と徳川の激戦地で、家康の長男信康の終焉の地としても知られています。武田が攻めたときに水の手である井戸櫓を発見し天竜川上流から大量の筏を流して井戸櫓を破壊したとされていますが、近くの青龍寺には信康廟と復元された井戸櫓があります。

新型コロナウィルス感染症の影響で行動制限があり近場の城ということで行きました。以前に来たのは2013年で、もうそんなに年月が経ったのかという思いです。「カズサン」さんが以前投稿されていた西曲輪の石垣を見るのを忘れてしまいました。

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guchi24

一筆啓上

丸岡のお城は非常に急な階段、登るのにロープを伝った覚えが

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guchi24

さすがです (2017/11/12 訪問)

姫路の駅を降りたら姫路のお城が見える。非常に大きなお城です。

広い敷地に白いお城は非常に雄大さを感じました。

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ダイエティシャン

若桜城周辺 (2021/06/01 訪問)

若桜城周辺

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ダイエティシャン

亀山城跡Ⅰ (2021/06/01 訪問)

亀山城跡Ⅰ
江津市リゾートホテル【風の国】

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カズサン

えさし藤原の郷を見学 (2013/05/11 訪問)

 えさし藤原の郷(岩手県奥州市江刺区岩谷堂)は岩谷堂城本丸入口駐車場から人首川渓谷を越えて約600~700m南東に平成5年開業の歴史公園です。
 平成25年5月兄弟夫婦フルムーンパス利用東北旅行三日目で一関城を終えてえさし藤原の郷を夫婦だけで観光旅行。
 
 よく大河ドラマ、中世歴史ドラマに藤原の郷がロケとして使われ一度行って見たいと思って居た歴史公園です、岩谷堂城はこの後平成28年4月に初登城でした。
 今回の投稿はここに関係が有り一番近い岩谷堂城を使わせて頂きました、近いので岩谷堂城、藤原の郷セットで城と周辺観光で如何でしょうか?

 一関でレンタカーを借り東北道を一関IC→水沢IC、地道をナビで藤原の郷駐車場に合わせ到着天候は曇り小雨含み、その当時入場料は800円、広くて少し端折りましたが、ロケ史料館、政庁エリア建物、加羅御所エリア建物内部、池庭園、大路、西行庵、金色堂、城柵エリア、厨川柵、伊治城門構え、義経屋敷エリアと廻りました、前日平泉を廻っており金色堂以外は建物が在りませんので往時はこれ以上の豪華さ規模感が有ったのだな~と感嘆したりドラマで出た場所はここかな?と詮索したりまた願いが叶いしっかり楽しい時間を過ごしました。
 昼食を藤原の郷で済ませ次の近くですがまた行きたかった胆沢城へ。

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スティクラ

久しぶりの名古屋城 (2021/09/19 訪問)

数年ぶりに名古屋城へ。
以前行った時は、2011年の2月頃の大雪の時で雪をかぶった天守がきれいだったが、写真が見つからず。

14時半に到着したが、開城時間が15時半だったため、駆け足で散策。
入り口を過ぎると、金の鯱の写真撮影。
通常は無料だがコロナの影響もあり、無料でカード形式にしてもらえるものもあるらしい。私は、鯱の写真のみ。

名古屋城の天守閣はやはり圧巻。独特の色もいい。
石垣の優美や曲線はどの角度から見てもいいので、ゆっくり1週したかったが、時間がなかった。

名古屋城は、ところどころに加藤清正の像がたっているので、加藤清正が好きな人が楽しいところだと思う。


名古屋城公式ウェブサイト
https://www.nagoyajo.city.nagoya.jp/

名古屋城Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E5%9F%8E

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スティクラ

石垣が素晴らしい松坂城跡 (2021/09/19 訪問)

はじめて松坂城跡へ。城跡の松坂という字は、つちへん。駅名や市の名前は、こざとへん。
緊急事態宣言の影響で駅から城跡へ向かうお店や城跡の資料館関係はほとんど閉鎖。城も数人がすれ違う程度。
天守閣や櫓は残っていないが、石垣だけでも十分に見る価値がある城。
天守周辺の眺めは、雲がほとんどない晴天のおかげもあるが素晴らしかった。眺めのいい場所で日光浴をしている人がいて、もう少し涼しくなってきたら最高だと思う。じっくり見てもいいが、城跡をぶらぶらしながらのんびりと過ごすには最適。

城跡から駅へ向かう途中に三井家発祥地があったので、寄り道。

周辺で松阪牛のグルメを食べたかったが、店が少なく値段もしたので断念。
松阪駅近くの松阪駅観光情報センターで登城記念印と100名城スタンプをゲット。

松坂城跡の概要(松阪市観光プロモーションサイトより)
https://www.city.matsusaka.mie.jp/site/kanko/matusakajogaiyou.html

松坂城Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%9D%82%E5%9F%8E

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guchi24

上るのが大変 (2018/04/18 訪問)

天守閣に登るのが大変なところでした。

お濠が近くって本当にきれいなお城でした。

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guchi24

三重県のお城

近くですのでちょくちょくお邪魔しています。

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guchi24

天守閣が怖かった

風が強く天守の周りを歩くのが怖かった思い出があります。 大した風ではなかったのですが、元来臆病な私にはそのように感じられたという思い出のお城でした。
名鉄に乗ること自体滅多にないことでしたし、付近も珍しいことばかりでした

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guchi24

唐津のお城から眺める景色 (2019/11/03 訪問)

虹の松原は素晴らしいです。桜の時のお城のあたりの絶景・秋の唐津くんち、いい街です。

唐津くんちを見に行く事が念願でやっと果たすことができました。その後コロナで中止・・・残念です。

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guchi24

よく行くお城

彦根は近いこともあり何度も訪問しました。桜もよし、グルメよしです。

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ぎりょう

仙台藩21要害を訪ねて 人首要害 (2021/09/12 訪問)

旧仙台藩21要害訪問二ヶ所目は人首要害。ここも上口内要害と同様、南部藩に対する藩境警備を担っていた。盛街道/県道8号線の人首の街並みは昭和の面影が色濃く残り、懐かしい雰囲気。その中ほどから東側に入る小路があり、進むと「人首城跡入口」の看板があり、程なく大手門跡の標柱と曲輪跡に至る。
この城の築城年、築城者はともにはっきりしない。葛西氏統治の時代には岩谷堂城主江刺氏の家臣人首氏の居城であったと云う。「仙台領古城書上」には江刺郡人首村の項に「一 人首城 東西十一間 南北十二間 城主阿蘇修理」との記載もある。仙台藩領となって慶長十一年(1606)に沼部氏(一族1000石)が配され、明治維新まで10代263年間続いたと云う。
縄張は比高50m程の丘陵先端部に三つの曲輪が並ぶ。一番西端の曲輪が本丸と云われ、北・西・南側は高い切岸となり幅15m程の腰曲輪が取付く。南西側に枡形虎口の大手門跡が残る。本丸東側に一段下がって、現在水道施設がある曲輪が続き、更にその東側に空堀で隔てた東西35m南北50m程の曲輪がある。この曲輪は城内の最高所であり切岸・土塁が残り、古い時代の本丸と考えられる。
富原文庫蔵陸軍省城絵図では「江刺郡人首村旧舘絵図面 長サ七拾八間 横 四拾四間」、本丸に三基の建物と門、腰曲輪の南西側にも門が描かれている。現在本丸跡には「招魂社」が、東の最高所の曲輪には石碑四基と四阿が建てられている。東北自動車道水沢ICから24キロ(30分)本丸東の曲輪跡に2~3台駐車可能。

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ダイエティシャン

松江城 (2021/09/12 訪問)

4 5枚目は、城下にある郵便ポストです。

スマホ片手に城下で立ち止まっていると、地元の方が、道案内の為に声を掛けて下さりました。ありがたかったです。

コロナ禍の為、駐車場は、ほぼ県内車。日曜日にも関わらず、駐車場は、がら空きでした。

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ダイエティシャン

米子城 (2021/09/12 訪問)

米子城退陣の際、敵が前に詰め寄り、行く手を阻まれました。(4〜7枚目)しばらく、相手してました。他の地元の方も、帰れない様子でした。

猫城主【さんじゅうろう】に負けない可愛さでした。

コロナ禍が収束し、【さんじゅうろう】に謁見したいです。

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ぴーかる

下坂氏館 (2021/07/23 訪問)

【下坂氏館】
<駐車場他>専用無料駐車場あり
<交通手段>車

<見所>表門・母屋・土塁
<感想>暑さを避ける湖北城巡り3城目。頂いたパンフレットを要約すると下坂氏は近江国坂田郡下坂庄の村落領主で南北朝時代には武将として活動していたそうです。戦国時代には近江守護の京極氏や浅井氏に仕え信長の小谷城攻めには籠城しました。浅井氏滅亡後は帰農しましたが江戸時代は郷士身分として地域で影響力がありました。
 館跡は90m弱四方の方形居館で主郭部分は北の五井戸川から引き込み、水掘りの2重土塁で囲んでいます。入館料は大人個人300円ですが館内をくまなく案内してもらえますので十分楽しめます。敷地内に下坂氏菩提寺の不断光院というのがあり下坂氏専用のお寺さんがあります。本堂の裏に歴代下坂氏のお墓が並んでいます。

<満足度>◆◆◇

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T-Shionoya

姫路城訪問 (2004/09/25 訪問)

過去のお城巡りの振り返り、第12段は兵庫県姫路市の姫路城。

姫路は奈良時代から播磨の国府が置かれ、山陽道の中継地点である上に、津山・鳥取・豊岡・京都へ放射状に道が伸びる扇の要の地。
また瀬戸内海へは飾磨津の港を擁したエリア。
播磨平野の小さな姫山に建つ城は、室町時代に守護の赤松氏が築いた砦が始まりとされ、戦国期の主な城主は黒田官兵衛、羽柴秀吉。
関ヶ原の後、西国の抑えとして池田輝政が大規模に拡張し、本多忠政が西の丸を整備。その後は越前松平氏、榊原氏、酒井氏などが城主を務めました。

現在は、内堀内側の北半分が江戸期の様子を強く残す有料ゾーン。南半分が広場や公園、動物園。
その周囲の学校や博物館などが建つ中堀までが特別史跡とのこと。

12城目にして、そろそろ日本一の城へと訪問した姫路城。
菱の門から西の丸を経由し、いくつもの門を潜って天守へ。この多数の現存門と、右に左に折れ曲がる登城路が守備力の高さを主張。特に天井が低く狭い上に、出口で右に折れる「にの門」は気に入った防御施設でした。

巨大な天守群は、ここでは何も語る必要がないでしょう。400年前にこれだけの建築ができた技術力に興味が尽きません。
滞在時間は3時間半。それでも時間が足りない名城でした。

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赤い城

有名な心霊スポットだとか (2021/09/12 訪問)

勝田ゴルフ倶楽部に沿った山道を登ったところにあります。
城址公園になっていますが駐車場はありません。
入口のところは少し広くなっているので路駐して攻城。
一の木戸、二の木戸と進み主郭に到着します。
それにしても案内板の下地が赤色なのは微妙。
心霊スポットでなくても怖さを感じる。。。
主郭には土塁が付いていて郭を囲んでいます。
北に向けて二郭、三郭と並び浅いけど堀切も残ります。
さらに北の四郭には狼煙台もありました。
多良崎三郎と呼ばれていた大掾氏一族の吉田里幹の築城とされています。
とりあえず霊の感じはありませんでした。
ほっ。

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