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赤い城

深い堀で囲まれている (2021/09/12 訪問)

石神城址公園になっていて広い駐車場もあります。
駐車場から登って行くとすぐに深い堀底道に出ます。
草が伸びているところもありますが、この時季でも歩くことができました。
先端部の遠見城と御城と呼ばれる広い曲輪が主郭で、御城と二郭との間には土橋がかかっています。
佐竹氏家臣の小野崎氏が築いた城で、郭の周りを深く掘っているのは常陸の城の特徴と言えます。
以前はこの辺りも放射性物質の影響があったようですがもちろん現在は大丈夫。
素敵な城なのでお勧めです。

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ぎりょう

旧仙台藩の要害を訪ねて 上口内要害 (2021/09/12 訪問)

旧仙台藩に於いては元和の一国一城令の後も、城とそれに付随する城下町の機能を持った「要害」と呼ばれる地域の拠点となる施設が21ヶ所あった。中世城郭を再利用したものがほとんどであり、その配置は他藩と接する南北の境と、奥羽仕置き後に一揆の起きた葛西氏・大崎氏の旧領を押さえる意図があったと思われる。
これまで旧仙台藩内にある城跡(要害として使用された場所を含め)を数々訪問して投稿してきた。長引くコロナ禍で遠出のできない今、改めて21要害を訪れてみようと考えた。その第一回目として旧仙台藩最北の藩境に配置された上口内(かみくちない)要害を訪れた。
上口内要害は仙台藩と南部藩を結ぶ脇街道を押さえる役割を担っていたと考えられ、藩政時代の口内領主は瀬上氏、小梁川氏、藤田氏、田手氏、古内氏と変わり、最後は中島氏(一族1880石)で明治維新を迎えた。
築城者は安倍貞任との伝もあるようだが、戦国時代は葛西氏家臣の口内氏が居住したが奥州仕置き後に仙台藩領となり要害に格付けされた。
城址は口内の街並みの北側に位置し、口内川に架かる橋を渡った先が大手門跡となり、その先を左に登れば本丸・腰曲輪方面、正面に向うと二曲輪跡となる。明治五年の調査をまとめた富原文庫蔵「陸軍省城絵図」によれば、本丸は南北三十一間、東西四十四間、二曲輪は南北五十三間、東西八十五間と記載され、本丸の切岸とそれを取り巻く腰曲輪、城の南側から東側を囲む水堀、北側から西側を囲む空堀、門、当時存在した屋敷・土蔵・小屋などの建物群も描かれている。
現況は二曲輪は農地や民家となり、水掘も埋立られてかつての面影は失われているものの、本丸と腰曲輪は良く保存されている。また空堀は北西部は残っているらしいが雑草が生い茂っており確認できなかった。
東北自動車道北上・金成ICから県道14号・国道107号経由19分(16.2km)
城址専用駐車場は無く、口内郵便局向いの集会場か、あぐり夢くちない駐車場に停めさせていただくと便利。

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【お城川柳】

お城川柳のアンバサダー特別賞の賞品の缶バッジが届きました。
ありがとうございました。大切にします。

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カズサン

表御門切込接ぎ石垣と水堀/土塁が美しい (2013/05/09 訪問)

 平成25年5月連休明け上山城を終えて山形新幹線で新庄駅へ新幹線は早くて便利です、タクシーで最上公園と成ってる新庄城へ初登城。
 城跡ハンドブック等で新庄城は表御門の左右の切込接ぎ石垣写真がトップに掲載さて代名詞に成ってますので本丸の水堀を渡り石垣を見学綺麗に石垣が残ってます、時間的に表から撮ると逆光で左右に石垣を揃えての構図では暗く映って写真見栄えが悪し、本丸をぐるっと回り二の丸側の虎口、裏御門虎口側、土塁と水堀を観察、水堀、土塁が綺麗に整備されてる、二の丸大手側には役所跡に市の施設が建ち、車で訪問された方には駐車場が各所に在ります。
 終わってタクシー帰ろうとするがタクシー見つからずぶらぶら歩いて城下町を散策し新庄駅へ駅には新庄まつりの飾り付けがされてました。

 兄弟夫婦でコアーの宿泊先、銀山温泉に山形新幹線大石田駅経由銀山温泉迎えバスで移動、宿は銀山温泉で有名な能登谷旅館木造3階建て素晴らしい露天風呂と内湯でした、イワナの骨酒が美味、酒量が増しました。

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カズサン

模擬天守閣見応えが有ります (2013/05/09 訪問)

 緊急事態宣言下の静岡県で県境越えての往来自粛中、暫く過去の登城投稿ですがお付き合いください。

 平成25年5月の連休明けに兄弟夫婦3組フルムーンパスを使い山形、宮城、岩手、秋田の3泊4日の度で銀山温泉、乳頭温泉、平泉がメインでコアーを除く所は各夫婦別行動、私達夫婦は私の思いで城旅を充実したコースと致しました。

 先ずは山形新幹線でかみのやま温泉駅到着、徒歩で上山城月岡公園を目指す約10分程歓迎やぐらが出迎え上山城天守が丘陵上に構えている殿として見応えが有ります、過去何十年と仕事で山形を訪れていましたが訪れる事が無く今回初めての登城です。
 5月9日でしたが枝垂れ桜、八重桜は花を付け目を楽しませて呉れました、天守閣の郷土史料館見学、周辺の曲輪と土塁、堀を観察でさらっと終えました、飛騨高山の金森氏が入封したと知りましたが数年で転封、昭和57年に元二の丸跡に城郭風模擬天守閣郷土史料館として建築されました、どっしりと見応えが有ります、資料館には上山城資料展示がされて居ます。

 駅には行き帰り徒歩で城下町をぶらぶら時間が有ったらかみのやま温泉泊りも良いですね、天守閣展望階より城下を眺め、高層マンションが気に成りましたので訪ねると冬場高齢者が各種移動に不便なので山手の家を引き払い高層マンションに移ってるとの事でした、地方の山間地の高齢者の一つの考え方かなと思ったりして、当地浜松も高層マンションが数棟建ち山手の家屋敷を引き払い医療、買い物、生活に便利の良い街中に移って居ます。

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ひろ

粟住城~築城者不明?の山城 (2021/09/12 訪問)

先日、蒜山のグリーナブルを観に行った時に現地で山城検索して攻城した山城。
結構大きな堀切や切岸がはっきりと残っています。
また本廓からの眺望は良く、蒜山三座が目の前に見えます。

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カズサン

【伊勢・専修寺】三重県津市 三層太鼓門/櫓が有名 (2013/05/02 訪問)

 平成25年5月赤木城を終えて大河ドラマ江姫浅井三姉妹で脚光を浴びた伊勢上野城初探訪後、やや南西に約5km程の津市一身田町に在る名刹真宗高田派本山専修寺を初めて訪ね寺院太鼓櫓で唯一の三層太鼓門/櫓を探訪観察する、往年より何時かはと思って居り願いが叶いました、勿論参拝もしっかりと務めました。

 浄土真宗の寺院には見張りと合図の太鼓櫓が二層で備わった所が多いのですが専修寺の太鼓櫓は三層で国内唯一の建物です、専修寺は真宗十派の一つで西本願寺、東本願寺に次ぐ大寺院です、一向宗の戦い防御の施設として城廻りの合間に同様施設も廻り、城郭構造物の一つとして城びとに投稿させて頂きます。

 車で三重県津市一身田町の専修寺唐門南駐車場をナビで目指し同駐車場を利用、唐門から入り国宝如来堂参拝、国宝御影堂を参拝彫刻等を観察、山門を表裏を通り、目的の東側の三層太鼓門/櫓を観察撮影、最上階に太鼓が有り専修寺行事法要祭事には打たれ寺内町衆、参拝者に報せるとの事です。
 一身田寺内町にも堀跡、往年の家並み町屋寺内町の風情が漂って居りゆったりした気持ちに成れるところです。

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小城小次郎

誓いの場、としてのチャシを考える (2021/07/03 訪問)

別名チャランケチャシの「チャランケ」とは重要事項を話し合うという意味があるらしい。防御施設や祭祀施設としての側面とは別にチャシには「誓いの場」という役割があったようだ。つまり神社に近いということかも。

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肉球

土塁空堀が残ってます (2021/09/11 訪問)

現在、館跡には高済寺が建っています。
辺りは住宅街になっていますが
高済寺の西側に土塁と空堀が残り
土塁の上には江戸時代ここに居館を構えた加賀爪氏の墓があります。
北側は都幾川に守られ東側は6〜7メートルくらいの崖に守られていたようです。
現在東側は開発が進み住宅街となっていますが崖下は公園になっていて
当時の雰囲気をわずかながら感じ取ることができます。

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退会済み
ユーザー

荒砥城からの三水城遠景(未登城) (2021/09/15 訪問)

狐落城を登城した後、尾根伝いの三水城に向かう予定でしたが、狐落城で力尽き、引き返してしまいました。

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退会済み
ユーザー

狐落城(狐楽城) (2021/09/15 訪問)

 びんぐしの里公園から東に丘越えすると、櫓のような水道ポンプ場があり、その手前に登山口があります。駐車場がないので、びんぐしの里公園から歩いてくるといいと思います。
 登山道の最初は村上大國魂社の参道となっており、鳥居の奥に鹿よけの鉄柵があります。出入りの際に忘れず鉄柵を締めてください。村上大國魂社、十六夜観月殿を経て狐落城(標高665m)、更に奥に登って三水城(標高789m)と続きます。途中、石積みや堀切を見ることができます。きつい登山を覚悟しておいてください。

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イオ

外堀めぐり(南半分) (2021/09/05 訪問)

(続き)

外堀は、蛇ヶ池から南の大職冠裏池に続いていましたが、現在では丘陵の断崖に堀跡を感じられるくらいです。西矢田辻番所跡を経て、箕山裏池から外堀は東方向に折れますが、外堀南辺はほとんど埋め立てられていて、このあたりでは駐車場奥の段差に堀の痕跡を見ることができるだけです。

外堀南西隅部に大和大納言と呼ばれた豊臣秀長の墓所・大納言塚があるので、ちょっと寄り道しました。大和郡山城で病死した秀長はこの地に埋葬されましたが、豊臣家の滅亡により墓所も荒れ果てていたのを、江戸中期に菩提寺・春岳院の僧が城下町の人々とともに土塀をめぐらせ五輪塔を建てたとのことで、徳川の天下にあっても城下町を拓いた秀長は人々から慕われていたんでしょうね。しばし手を合わせてきました。

大納言塚から東方向の箕山裏池や高塚池あたりには堀の痕跡すら見当たりませんが、近鉄郡山駅すぐ南の踏切北の線路の下を流れる水路が堀の名残らしいです。踏切を渡って少し行くと、東西に続く外堀と市役所前の大手堀から南にのびる中堀との合流地点に至り、郡山八幡神社に沿って南から東にL字型に続いています(八幡堀池)。八幡神社の裏手には堀沿いの土塁が遺っており、神社側からは見づらいので、西側の民家の間からどうぞ。八幡神社の南東部にはかつて柳町大門と呼ばれる高麗門があり、伏見城惣門の移築と伝わりますが、
現在では石碑と跡地の銭湯にその名を残すくらいです。

柳町大門跡の東の牢屋裏堀や洞泉寺裏池はスーパーの敷地になっていて、県道側に立派な石碑があるだけでした。県道沿いに北に少し行くと東側に高麗門が見えてきます。外堀緑地の南門で、柳町大門をイメージして建てられた模擬門のようです。門をくぐると、細長い公園が北向きに曲がりながら続いています。外堀緑地は外堀を埋め立てて市民憩いの場として整備したもので、水路や橋、築地塀を設けて外堀の雰囲気を残しています。常念寺裏堀のあたりに城下の木戸をイメージした冠木門(模擬門)の北門があり、外堀緑地はここまで。外堀緑地から北に続く宮本上池も高付上池も、道路整備のため近年に埋め立てられてしまい痕跡も見られませんが、現地の完成予想図を見ると、外堀緑地と同様に外堀の面影を残したミニ公園が設けられるようです。

…と、これで外堀をひとめぐり。約7kmのコースで、自転車でも2時間あまりを要しましたが、北辺は思ったよりも外堀がそのままに近い姿で遺っており、西辺では高低差を利用した様子が見られ、南辺は痕跡すらほとんどなかったものの、東辺では都市整備を進める中で外堀の面影を伝えていこうとする取り組みがあり、それぞれ興味深くめぐることができました。

そのままではいずれ消滅してしまうだろう外堀を、公園整備や道路整備、治水整備に活用しつつ後世に存在を伝えていく大和郡山市の取り組みは、城好きにとっては大変ありがたいものです。おかげさまで半日かけてとことん大和郡山城を堪能することができました。
 

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赤い城

遺構もありそうな感じだが。 (2021/09/05 訪問)

妙見神社まで行くと車を停めることができないため手前の那須神社前の空き地に駐車。
徒歩数分で妙見神社に着きます。
ここから下りの細い道、左手の藪の中が城址のようです。
妙見神社脇の道路は切通のようで反対側が前林館跡のようです。
いずれも遺構はなさそうですが何となく地形はそんな感じがしました。

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カズサン

三重県もう一つの上野城伊勢に在り (2013/05/02 訪問)

 内蔵DVDが不具合に成り暫くはお城川柳も有り過去の城写真を掘り起こしを控えてたのですが武漢コロナウイルス禍中緊急事態宣言下出掛ける事も出来ず内蔵DVDを見直して貰い別売の外付けDVDがリーズナブルな対応と分かり本日購入し過去の城写真データーをパソコンに取り込みました。

 平成25年5月2日に熊野山中の赤木城を終えて三重県津市に在る伊勢上野城を初登城しました、平成23年の大河ドラマ「江~姫たちの戦国」で浅井三姉妹が取り上げられ伊勢上野城も一躍脚光を浴びその時点で伊勢上野城を認識し織田信長の弟信包が城主の時浅井三姉妹を庇護したと大河ドラマの影響でしょうかチョット寄りました。

 場所は津市の本城山青少年公園が伊勢上野城に成って居り展望台が天守台跡、北西裏に広い駐車場が有り停める、周囲にグラウンド、日本庭園も有りトイレも完備、展望台に上る、南東面が本丸、周囲に土塁、切岸城塁、その前に二の丸、周囲に曲輪が確認できるが樹木、竹林で覆われており遊歩道越しに眺める、浅井三姉妹江姫の幟、江姫マスコットキャラクターボードも設置され大河の人気、影響が伺えました。

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ぴーかる

ひこにゃん御城印・登り石垣 (2021/07/23 訪問)

【彦根城】
暑さを避ける湖北城巡り2城目。写真撮影をきちんと行いだしてから4度目の訪城です。今回は以下の目的で訪れましたがなかなか全部目的達成とはいかず、見ていない場所もあるので、コンプリートまではまだまだ再訪を誓う見所満載のお城です。

・ひこにゃん御城印購入
 結果→購入できました!15周年記念スタンプ(A6サイズ)も偶然ゲットできました。
・ひこにゃんに会う
 結果→いまだにひこにゃんに会えていません。今回も時間が合わず天守前のボードのみとなってしまった。
・登り石垣を制覇
 結果→彦根城は登り石垣が4本ありまして西側2本は既に攻略してますが東側2本は未攻略、今回は東側2本の攻略に挑みましたが、東南の登り石垣は通路が通行止めになっており攻略できず。登り石垣攻略は諦めます。
・本丸西の丸東側石垣を堪能
 結果→攻略。間近でじっくり見たことがなかったので堪能した。野面の高石垣が圧巻!すごい場所見落としてた。
・新たな気づき→太鼓門前に巨岩と石垣が融合した部分があること知らなかった。鏡石にもなっているのかな。

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イオ

外堀めぐり(北半分) (2021/09/05 訪問)

本丸(極楽橋)、二の丸・三の丸に続いては、自転車で惣構の外堀めぐりです。大和郡山市観光協会公式ウェブサイトでダウンロードできる「郡山城外堀跡コース」のマップを片手に、惣構北東部の広島下池からスタートです。

広島下池・上池は秋篠川を付け替えた元の川筋を堀としたもので、石碑と郡山城外堀案内板が建てられています。時季的にウキクサが水面を埋め尽くしていましたが、L字型に長くのびる堀の内側にはかつては土塁が設けられ、松や竹が植えられていたそうで、堀沿いのお土居公園には往時の名残の松と説明板がありました。

広島浅池は広島下池・上池から小川町裏池に続く堀で、小川町裏池は水をたたえた堀が東西にのびています。小川町裏池から西は埋め立てられていますが、正願地上池では外堀跡を利用した保水池整備事業により、堀跡と土塁上の竹藪を見ることができます。また、その西側の代官池でも保水池整備事業により外堀の存在をはっきりと認識できます。

代官池に隣接する鴫ヶ池は溜池を堀代わりとしたもので、現在は南半分が埋め立てられています。鴫ヶ池から続く番鐘池も溜池を堀としたものですが、現在は住宅地になっていて痕跡もありません。番鐘池から西の尼ヶ池までの間は一面に金魚池が広がっていて、柳沢氏入封以来の金魚の産地らしい景色です。

尼ヶ池とその南西の蛇ヶ池をつなぐ細長い堀は竹藪になってしまっており、蛇ヶ池も埋め立てられて住宅地になっていますが、道路との高低差に痕跡を見ることができます。このあたりで外堀めぐりも約半周。後半に続きます。
 

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todo94

2巡目の続日本100名城のスタンプラリー41城目 (2021/08/08 訪問)

赤れんが郷土館にて「あきた羽州街道」なる小冊子を頂きましたので、歩いて土崎のホテルに向けて羽州街道をたどることとしました。その途中で秋田城資料館にも立ち寄ってスタンプをゲットしました。勿論、古代の水洗トイレにも脚を伸ばしましたとも。これがなかったら続100名城に選ばれることはなかったと今でも思っています。かなり暑い日だったので大汗をかいてしまいました。ホテルの部屋飲みのビールのうまかったことと云ったら。

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にのまる

第95次調査中 (2021/07/04 訪問)

 国府多賀城駅から館前遺跡を通り抜けて、5年ぶりに多賀城碑に再会してきました。この碑はほかのところの城碑とはやはり別格。格子にへばりついて見ながら141文字にドキドキ♡してきます。鬱蒼とした木々の中にポツンとあるのもいい雰囲気です。
 南門が復元工事中でした(創建1300年を迎える2024年に完成予定)。正面の門だけあってかなりデカイ!翌月に予定されていた内部公開日を迷わずメモしました。(※コロナのせいで中止になりました。)
 政庁跡へ続く南北大路は現在でも突き抜けた感があって爽快ですが、南門が完成するとまた一層素晴らしい眺めになるのだろうなと今から楽しみです。その一方で、多賀城碑のあるうら寂しい(←好き)雰囲気はどうなってしまうのかな?と少し気になります。
 今回の探索はここで終了にはいたしませんで、外郭西門~奈良時代の外郭東門跡まで見て歩きました。めっちゃ広かったです!でも“こんなところにこんなものが!”の連続で楽しくて仕方がなかったです。多賀城の歴史は難しすぎて全部覚えたり理解したりするのは私には到底無理ですが、それでも目にするものひとつひとつに感動。気づけば3時間近く経過し、帰りによる予定だった仙台城どころか駅近くの東北歴史博物館にも多賀城廃寺跡にも行けませんでした。でもそれもまた次に行く楽しみができたということでOKです。
 以前、お城川柳でもちらっと書いたのですが、作貫地区北側の怪しげな(ゴメンナサイ!)小屋は中世の土塁跡と空堀跡を露出展示した覆屋ですのでお見逃しなく。

【お城川柳124】トラロープ?じゃないよこいつは動いてる!

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カズサン

日本の山城147掲載の歴史道Vol.17を買ってみました。 (2021/09/09 訪問)

 城郭放浪記さんのツイッター(9/8)で紹介が有りましたので近くの本屋さんで購入しました。税込み990円で別冊付録付き日本の山城147城のガイドブックです。
 本冊には日本の山城が50城解説ベスト21城までは縄張図付、小和田先生、千田先生、萩原さんのおすすめベスト10城も有り武漢コロナウイルス禍中緊急事態宣言下では自宅自粛の昨今では有り難い読み物で見ながら山城廻りが出来ます。
 147城の中でまだ登城して無い山城が29城も有りましたが全国城廻り中に比高が高く最初からパスしてるとか認識して無かった、城廻り中優先登城が有り外した、離島の城でした、今後チャレンジしたい山城は3~4城程か? 登城山城選びが体力的に段々難しく成って来ました。
 城びと投稿の皆さんの文章、写真が楽しみです。

 投稿写真は歴史道V17と別冊付録日本の山城147、全国山城MAP東日本編、西日本編を掲載します。
 訪問日は購入日です。

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ふゆづき

関越を扼する堅城 (2021/08/18 訪問)

越後から関東平野に出るための要所である沼田城。
岩櫃城から転進すると、岩櫃という逼塞した城を本拠地にしていた眞田氏としては、関東平野に進出する手がかりとして、どうしてもこの地が欲しかったであろうということが理解できるように思います。
上越線沼田駅から城までは、徒歩約20分といったところですが、駅と城との高低差が50メートル程度あるので、足腰が弱い人は結構大変かもしれません(駅には注意書きが書いてありますが)。

城跡で残されている遺構は、堀、土塁と櫓の土台を形成した石垣の一部程度であり、眞田氏を巡る経緯で有名な城ですが、遺構は少ないと感じます。
城内は公園となっており、御城印を配布している観光協会(沼田城の全景の模型があります)は公園内にあります。
写真に掲載した櫓(時鐘)は、復元ですが、なかなか良い佇まいを持っています。

冒頭に述べたように、小高い丘の上に位置するので、眼下には上越線や国道を納め、名胡桃城を遠望できます。
北条側(城代の猪俣氏)の視点から見ると、この名胡桃城が本丸からの視野に収まるというのは確かに目障りであったろうと思われます。
城内を一回りして、30分程度というところだと思います。

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