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カズサン

城びと1100城目は本庄城 (2021/10/11 訪問)

 城びと登録城郭の登城1100城目は本庄城と成りました。 城びと登録以外の城と合わせと1550城目の登城と成ります。
 伊勢崎陣屋を終えて本庄市役所を目指し市役所駐車場を利用、本庄市役所が本庄城そのもの2の曲輪に成ります、本曲輪は市役所の東、一部私有地で城山稲荷神社の敷地に成ってます、北側に流れる元小山川が外濠代わりで河岸段丘に城跡が連郭式に成って居ます、東に3の曲輪は住宅地、城山稲荷神社は本郭の北側の凹み地、枡形内に鎮座してる模様で欅の大木が聳えてる。
 全体遺構は消滅してるようですが北側の元小山川の段丘の反り上がった北側が城塁らしさを醸してる。

 歴史は弘治2年(1556年)本庄実忠によって築かれて、本庄氏は山内上杉氏に属し永禄10年(1567年)北条氏に攻められ落城、北条氏に従属し天正18年(1590年)秀吉の小田原征伐で落城、家康関東移封後信濃松尾城主小笠原信嶺が1万石で入封、慶長17年(1612年)小笠原氏古河城へ移封され、本庄城は廃城となった。
 ガイド案内と情報は古城盛衰記さん余湖図コレクションさんに由ります。

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チェブ

528点の宝物。 (2021/05/04 訪問)

先日、投稿した「根木内城」から「小金城」に転戦しました。
築城主の高城 胤吉さんも「根木内城」から拠点を「小金城」に移します。

小弓公方 足利 義明さんに対抗します。
享徳の乱で上杉氏と対立しました。
関東進攻してきた、上杉 謙信さんに対し備えます。
秀吉さんの北条征伐時、小田原城で籠っていた高城氏の命で、「小金城」は戦わずに、明け渡しました。
と、ざっくり60年位を簡単に書きました。

「小金城」は『大谷口歴史公園』です。
入口から階段を上りました。
「小金城」、小高い所から睨みます。
虎口には、復元された木製の門があります。
畝掘や障子掘も説明板の解説があり、見逃しません。
北条家傘下の時に強化したのでしょうか?

「小金城」をネット検索していたら、
『令和2年3月に、小金城主 高城氏に関する古文書が松戸市立博物館に528点、寄贈されました。』
と、、、、!!!。
1点が戦国時代の古文書で、残りが江戸時代の古文書なんだそうです。

私は千葉県の歴史は、正直あまり分かりません。
高城氏の生活の営みを知れば「小金城」の見方が変わるかもしれません。

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ぎりょう

秋田三城巡り 戦国屈指の山城 脇本城 (2021/10/08 訪問)

秋田三城巡り二ヵ所目は脇本城。男鹿半島の南側に位地し、城の有る丘陵地は約150haにも及びかなりの規模である。国道101号線の右側にある菅原神社の鳥居と脇本城跡の看板が登城口の目印。その場所にも乗用車数台分の駐車スペースがあるが、鳥居横の道を数百mで城址(内館)下の案内所まで車で登ることができる。
城址は最高所の主曲輪と空堀で隔てられた大小の曲輪で構成された戦国の土の城。国指定史跡と云うこともあるのだろうが、当時の縄張りをありありと目にすることができることに感動した。中世、男鹿は安東氏が支配しており安東愛季(あんどうちかすえ)が城主の時期もあったようだ。慶長七年(1602)、佐竹氏の秋田減転封にともない、替わって安東(秋田)氏が常陸宍戸に転封するが、おそらく脇本城の廃城はこの時期だと思われる。
案内所には詳細なパンフレットや資料が展示されている。また、このコロナ禍で休止されていたが無料の「史跡脇本城跡案内人」もお願いできるようだ。再訪の機会があれば是非案内していただきたい。

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マダム卑弥呼 

氏郷さまに感謝

蒲生氏郷ファン(葉室さんの小説で)になって以来二度目の松坂城。

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マダム卑弥呼 

この写真がお気に入り

麒麟がくるが放映する1年前に行きました。

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マダム卑弥呼 

11月なのに蚊に食われました

大満足の山城。説明もあるし、歩きやすいし。

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マダム卑弥呼 

明智の気分になって

春日局の生まれた場所も確認できました。360度木もなくいい風景でした。

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マダム卑弥呼 

街並み最高

道の駅に車を置いて歩きました。 帰りに宇陀のブルーベリージャム買いました。おいしかった。

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マダム卑弥呼 

桜の時期は必ず

桜祭りが延期され、今年のさくらの時期に郡山城の城下をまわるイベントに参加した。秀長最高。

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TMN97

白河小峰城 (2021/10/22 訪問)

白河小峰城

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TMN97

二本松城 (2021/10/22 訪問)

二本松城

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TMN97

鶴ヶ城 (2021/10/22 訪問)

鶴ヶ城

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赤い城

駅近、国道沿いに素敵な空堀 (2021/10/10 訪問)

上毛高原駅から徒歩で5分。
国道291号線沿いに碑が立っています。
駐車場も上毛高原駅にあり2時間無料。
駅前の月夜野歴史資料館にパンフレットも置いてありました。
お城は碑からすぐに空堀に降りることができます。
深さもあり、折れもありました。
この堀は二の丸と本丸の間のもので本丸には石碑や説明板が立っています。
本丸の先には笹曲輪が設けられ、その先は崖となっていました。
本丸の土塁には石積も一部施されています。
沼田景久が名胡桃城の出城として築いた城。
後に北条氏の攻撃により北条氏のものとなりました。
国道を挟んだ二の丸は蕎麦畑となっていて、ちょうど花が満開でした。

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海城 (2021/10/21 訪問)

赤穂義士で有名な赤穂城。近世城郭と言われている城だ。
平和な時代に築かれた赤穂城は、堅牢というより、秀麗な城だなぁ、というのが私のイメージだ。
近藤正純と山鹿素行の傑作だそうだ。
甲州軍学のもと築城されている。単的な特徴は横矢掛が巧みに配されている事だ。
どうして秀麗だなぁと思ったかと言うと、庭園が見事に美しいからである。
二の丸にある庭園は見事‼️
季節が良く、時間がある折、ゆっくりと巡りたい。
石垣の高さは特別高い!と言うわけでは無いが、土塁と一体となって堅固な守りだ。
戦いから政務重視による意図で、天守台は有るものの、天守は築かれなかったと言う。
かつては海に面しており、舟入を設けた海城だったようだ。
平城ながら広大な城域を歩くと疲れる。
所々にベンチや休憩所があるので、ゆっくり巡りたい。
しかし、自販機がほとんど無い。
予め、水分をとっておく事を勧める。
車は東無料駐輪場、西無料駐輪場に停めておけば良いかと思う。
東無料駐輪場は大手口に近く、大石神社を参拝するのにも好都合だ。

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yoda 1253

なんと駐車場無料です (2021/10/22 訪問)

天守はありませんが高石垣が壮大です。

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テンちゃん

深谷城登城 (2021/10/22 訪問)

大河ドラマ館に到着する直前に車のナビ画面に深谷城址があることを発見。大河ドラマ館のすぐ隣です。急遽見学してきました。
塀がありましたが模擬のようです。遺構は残っていないようですが、近くに堀の遺構があるとのこと。
大河ドラマ館に併設されている物産館に深谷城の御城印があったので思わず購入してしまいました。

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カズサン

陣屋移築門が残り陣屋跡は北小学校 (2021/10/11 訪問)

 彦部屋敷を終えて伊勢崎陣屋へ時報鐘楼辺りにナビを合わせて進行、駐車場は北小学校の東の武家門通り沿いに小学校の駐車場(36°19'20"N 139°11'33"E)が在り利用させ頂く。
 散策は時報鐘楼、北小学校南の通りを西の広瀬川へ西の防御周辺を眺め、地図に本丸跡の史跡マークが有るので訪ねるが個人住宅、その北に伊勢崎市図書館、陣屋敷地は北小学校のグラウンドと校舎に成ってる、校舎南に土塁風らしき土の高まり、瀟洒な小学校です。
 東の通りに武家門通りが有り北に約300m程の同聚院に陣屋門が移築されてるので見学。

 歴史は慶長6年(1601年)譜代大名稲垣氏が伊勢崎藩庁として陣屋を築く、2代で転封と成り代わりに酒井忠世が封じられたが本家前橋藩を継いだため一時期廃藩、その後60年余り後2万石を分地され酒井氏が入り以降明治を迎える。
 ガイド案内と情報は古城盛衰記さん余湖図コレクションさんに由ります。

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マダム卑弥呼 

奈良ホテルの向かいに (2021/10/22 訪問)

このお城の行き方は急な山道を(しかも全く整備されていない)登っていくしか方法がない。
ゆうがじんじゃの境内から入れた時期もあっただろうが、今は鍵がかかっており、無理。 それでも何とか写真に収めました。鍵を開けてくれるように頼んで開けてもらえるかどうかは分かりませんが、神社から入れるならそっちの方が安全かも・・。念のため、奈良ホテルのフロントで聞きましたが、全く山城の話は知らず、とりあえず(駐車場)敷地内に入ることは許してもらいました。

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マダム卑弥呼 

石垣の圧倒的大きさ

夏休みに櫓の公開中でした。

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マダム卑弥呼 

臥牛山

石垣も武家屋敷も良かったです。

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