城びと登録城郭の登城1100城目は本庄城と成りました。 城びと登録以外の城と合わせと1550城目の登城と成ります。
伊勢崎陣屋を終えて本庄市役所を目指し市役所駐車場を利用、本庄市役所が本庄城そのもの2の曲輪に成ります、本曲輪は市役所の東、一部私有地で城山稲荷神社の敷地に成ってます、北側に流れる元小山川が外濠代わりで河岸段丘に城跡が連郭式に成って居ます、東に3の曲輪は住宅地、城山稲荷神社は本郭の北側の凹み地、枡形内に鎮座してる模様で欅の大木が聳えてる。
全体遺構は消滅してるようですが北側の元小山川の段丘の反り上がった北側が城塁らしさを醸してる。
歴史は弘治2年(1556年)本庄実忠によって築かれて、本庄氏は山内上杉氏に属し永禄10年(1567年)北条氏に攻められ落城、北条氏に従属し天正18年(1590年)秀吉の小田原征伐で落城、家康関東移封後信濃松尾城主小笠原信嶺が1万石で入封、慶長17年(1612年)小笠原氏古河城へ移封され、本庄城は廃城となった。
ガイド案内と情報は古城盛衰記さん余湖図コレクションさんに由ります。
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