なんと立派な明智光秀の石垣。黒井城は明智光秀を凌いだ丹波の赤鬼とも呼ばれた荻野直正(赤井直正)が当時城主でした。
明智光秀は丹波攻めをするため、丹波亀山城を拠点にして黒井城攻めを開始。しかし、直正の強さと波多野秀治の裏切りによって、光秀ははじめて戦に大敗します。その後、光秀は石山本願寺や有岡城攻めを務め、疲れが取れなかったのか病にかかります。その時妻の煕子が看病しました。その後、光秀から病がうつったのか煕子が病にかかり、病死してしまいます。光秀は15日ほど涙を流したそうです。かわいそう。しかし、泣いている暇はなく丹波攻めを再び開始します。光秀はまず波多野秀治の城、八上城を攻め波多野と和睦します。その後秀治と共に黒井城を攻め、落城させました。その後、証に福知山城を築きました。また黒井城をこれからも引き続き守るため、頂上に石垣を作り、鉄壁の城に変えました。
評価(1〜5)
遺構:5
建物の美:-
行きやすさ:1
攻城時間
だいたい往復60分 休憩所まで20分くらい、結構きついです。その後本丸まで10分くらいです。今年の2月に熊の事件が起きてますので、熊には十分気をつけてください。特に朝。雲海を見に来る人がいると思いますが、朝は熊が出やすいので注意してください。
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