三代加賀藩主前田利常公の隠居城
(2010/04/30 訪問)
小松城は一向一揆門徒武将若林氏築城に始まり柴田勝家の攻撃で落城、織田信長より村上頼勝を城主とし慶長3年(1598年)越後本庄(村上市)に移封、丹羽長重が12万石で入封、丹羽氏関ヶ原で西軍に属し利長と交戦し利長に降伏、以後前田氏の持ち城、元和の一国一城令で廃城したが寛永16年(1639年)加賀前田藩三代目藩主前田利常の隠居城として幕府に許される整備改修された、利常は約20年余生を風流風雅に過ごし万治元年(1658年)に亡くなった、以降は城番を置いて明治を迎える。
城の形態は梯川の低湿地の湖沼に浮かぶ島々を活用して本丸を二重に囲むような形状、現在は本丸西に切込接ぎの天守台が残っている、往時は天守台より一回り小さく二層三階の数奇屋風天守が建っていたとか? 素晴らしい天守台です。
天守台西側に堀の護岸石垣が一部残っている、本丸跡は小松高校のグラウンド、校舎に成って居る、グラウンド南土塁上に本丸跡石碑が有ります。
三の丸は現在芦城公園として整備保全市民の憩いの場です、小松城を改修再建した三代前田利常公の銅像が公園内に立って居ます。
12年前の平成22年4月下旬、金沢城復元成った河北門、いもり堀を観察探訪の後、小松城に寄りました車は本丸土塁本丸跡石碑の有るやや広い道へ路駐し駆け足探訪、三の丸跡芦城公園は公園西の道が一部駐車場に成って居りそこを利用。
前回の2021年10月5日投稿2012年10月15日登城を初登城を記しましたが記憶は何と信頼できません2年前の2010年平成22年の4月30日に登城して居ました、申し訳ございません。
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