戦国中期に根来衆が築いた城で、小牧長久手の戦いの際には岸和田城攻めの付城となり、羽柴秀吉の紀州攻めでは出原右京を守将として防衛ラインの中核を担いましたが、根来寺出身で秀吉とも親密な卜半斎了珍の仲介により開城し、破却され廃城となりました。
根来出城配置図によれば、近木川南岸に位置し旧熊野街道沿いの橋本集落を二重、三重の堀で囲み、中央部に観音堂(本丸)、四方に矢倉を配した平城で、安楽寺または明教寺が本丸推定地とされますが(城びとの位置情報は安楽寺)、発掘調査で堀跡が確認されたのみで地表面には遺構は見られず、集落内の細く入り組んだ道と外堀として活用された南東部の寺池、長屋門や土蔵が建ち並ぶ旧熊野街道に往時の雰囲気を感じられるくらいです。また、旧熊野街道沿いに近木川を渡ったところに説明板が建てられています。
なお、積善寺城から西に徒歩12分の丸山古墳は、積善寺城攻めの際に秀吉が本陣を置いたと伝わります。現在では周囲を住宅に囲まれ、積善寺城は見渡せませんが、直線距離では600mほどしか離れておらず、往時の緊迫感を感じます。
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