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イオ

根来寺の出城 (2021/12/16 訪問)

戦国中期に根来衆が築いた城で、小牧長久手の戦いの際には岸和田城攻めの付城となり、羽柴秀吉の紀州攻めでは出原右京を守将として防衛ラインの中核を担いましたが、根来寺出身で秀吉とも親密な卜半斎了珍の仲介により開城し、破却され廃城となりました。

根来出城配置図によれば、近木川南岸に位置し旧熊野街道沿いの橋本集落を二重、三重の堀で囲み、中央部に観音堂(本丸)、四方に矢倉を配した平城で、安楽寺または明教寺が本丸推定地とされますが(城びとの位置情報は安楽寺)、発掘調査で堀跡が確認されたのみで地表面には遺構は見られず、集落内の細く入り組んだ道と外堀として活用された南東部の寺池、長屋門や土蔵が建ち並ぶ旧熊野街道に往時の雰囲気を感じられるくらいです。また、旧熊野街道沿いに近木川を渡ったところに説明板が建てられています。

なお、積善寺城から西に徒歩12分の丸山古墳は、積善寺城攻めの際に秀吉が本陣を置いたと伝わります。現在では周囲を住宅に囲まれ、積善寺城は見渡せませんが、直線距離では600mほどしか離れておらず、往時の緊迫感を感じます。
 

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todo94

2巡目の続日本100名城のスタンプラリー48城目 (2021/12/11 訪問)

宇和島城の城カードゲットを目的に企図した愛媛ドライブ、前日の夕食後に家を出て淡路SAで車中泊し、朝一番で河後森城に駆けつけるという強行軍でした。早朝の河後森城は淡く朝霧に包まれていて趣のある佇まいでした。西第10郭にてスタンプを捺印し、西郭群から本郭を経て東郭群、古城、新城という定番のルートで楽しんできました。

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京都新城発掘調査講演会を聴いて見て

聚楽第の破却によって、豊臣秀吉は洛中における新たな居城を築く必要があった。
豊臣秀吉は、慶長2年9月26日に豊臣秀頼と徳川家康を伴って入城しています。
慶長4年には、豊臣秀吉の正室北政所の居所となるが、慶長5年の関ヶ原合戦直前の8月28日から9月13日にかけて、城内の矢倉、塀、石垣等が破却されております。
しかしながら、その後も北政所が亡くなる寛永元年まで使用されたと
見られます。
調査では、仙洞御所の造成土の下層から石垣と堀の一部が出できた。
石垣は、南西方向に約8mを検出し、南北共に調査区外へと続く。堀の西肩を成す石垣です。
石垣は、自然石を積み上げた野面積みでありました。
3〜4段の石が残り、高さは1.0〜1.6mである。
但し、石垣の上半部は崩されていることから、本来の高さは約2.4m、石垣は5〜6段積まれていたと考えられます。
石垣は、大きな自然石を用いながらも面や並びのラインがよく整えられており、丁寧に構築されています。
石垣の年代は、安土桃山時代のもとと分かった。
堀は、南北方向に8mを検出した。堀の幅は3m以上で、西端が石垣で東端が調査区外になる。
堀の深さは約2.4mである。堀の底には厚さ40cm以上の粘土が貼られています。
また、堀の中からは桐文と菊文の金箔瓦が出土している。
なお、堀の幅については表面波探査によって幅約20mと推定されています。
京都新城は、東西約400m、南北約800mの320.000㎡の広大な敷地だったことが分かった。
この石垣の発見によって、京都新城の実施解明に向けて定点を得た事になり、豊臣秀吉の晩年の政権構想の再評価にも繋がる可能性があります。
なお、消化設備は建設場所を変更し、石垣と堀は保存される事が決定しています。

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小城小次郎

地図で見るとなるほど、と思う (2021/09/20 訪問)

石山本願寺が信長襲来に備えて設けた50か所を超える出城の中のひとつなのだが正確な場所はわからないしもちろん痕跡も何もない。ただ地図で見ると大坂城への補給路(大川)をしっかり押さえる場所にあって「なるほど」とは思う。

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赤い城

正木氏初期の拠点 (2022/01/09 訪問)

白滝不動尊から登城。
不動尊裏手に浅間方面の案内板があり、そこから登りました。
結構急な細い道を登ると途中小さな鳥居があります。
さらに七曲状の道を登ると祠があり、この辺りから城域になる感じ。
この少し先に土橋状の尾根道があり、門のように石が両脇に置いてありました。
その背後に物見のような櫓台があり、土塁が続いていました。
土塁沿いの道を進んで案内板がある所の右手を直登。
曲輪や土塁が見られますが倒木が多くあるきにくい。
正木氏初期の城であまり手の込んだ城ではなさそうです。
正月で鈍った体にはちと堪えました。

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カズサン

【能登・軍艦島】能登半島見所探訪 (2011/06/04 訪問)

 富山城、越中安田城、七尾城、小丸山城登城を終えて以前から是非とも訪ねたいと思って居た軍艦島/見附島を目指し恋路海岸と繋がりの見附島を散策撮影しました、軍艦が波を切って動いているかの如く素晴らしい景観です、海岸側には恋人と鳴らす鐘も備わって恋人達のメッカに成ってます。
 
 夏の日は長く能登半島先の千枚田を目指し、車は道の駅を利用、道の駅の展望所、少し歩いて近くに撮影場所を探してウロウロ、日本海に近い海岸まで耕され先人の苦労がこの素晴らしい千枚田、景観を残してくれた事に感謝です、今後の保存整備も関心事。
 
 泊りは輪島、郷土料理と地酒でほろ酔い、店の方、お客さんと話してる内に当日は輪島の花火大会、港で20分間に2万発の花火を打ち上げるとの事、短時間での打上数が日本一との事、偶然にも花火大会に遇い素晴らしい体験をしました、度肝を抜く素晴らしさ大満足でした。(平成23年6月4日)(写真は居酒屋から花火大会でカメラ携帯せず取れませんでした)
 翌朝の朝市は朝市通りを一通り散策しましただけで終了。

 翌日(平成23年6月5日)、能登有料道を通って大国主命を祀ってる気多大社を初の参拝と探訪しました、ここも何時か参拝したいと思って居た神社です。

 能登観光探訪を終えて陽も有り高速道、東海北陸道経由郡上八幡城を目指す。
 

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イチ

沼城 (2022/01/16 訪問)

対織田戦の境目七城の中心的城郭で、城主は清水宗治。
ハス池の下に城跡と思っていたが、住宅側にあると知ったごく最近。

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イチ

藤堂高虎のお城 (2022/01/16 訪問)

築城の名手、藤堂高虎のお城。日本三大水城の1つ。鉄御門に多聞櫓が枡形で迎えてくれ、鏡石も魅力的です。

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todo94

長い林道 (2021/12/04 訪問)

ちょっと不安を覚えるほど長い林道を進まなくてはなりませんが、1kmおきに表示があるのは嬉しい限りです。駐車スペースも潤沢でした。それなりに遺構が残っていて説明板にも縄張図が載っていて素晴らしいのですが、できれば郭を示す表示板なんかも欲しいかなと。この後、天気予報通りに雨が落ちてきたので、この日の攻城は此処までとしました。

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ぴーかる

三草山城 (2021/12/25 訪問)

【三草山城】
<駐車場他>三草山畑登山口駐車場数十台分あり。
<交通手段>車

<見所>曲輪・石垣跡
<感想>赤松氏関連の山城攻め、この日の3城目。三草の地は源平合戦の方が有名でこの三草山の麓で合戦が行われ敗れた平氏が屋島に退去することになります。三草山城の築城年は定かではなく建武年間(1334~1338年)頃に赤松出羽守則友が城主だったようです。その後の城がどうなったのか不明のようです。
 三草山はハイキングコースとして憩いの場となっていて登山コースは三草・鹿野・畑の3つのコースがあります。鹿野コースは訪城時は閉鎖されていたので三草・畑コースが通れます。三草コースは2.5㎞ありますので畑コース1.3㎞がベターかと思います。長い登山道ですが見れる遺構があるのは山頂部一帯のみで頑張って登ってそろそろ山頂近いかと感じられた所に、表示はないですが明らかに木戸か虎口跡のような礎石があり石垣跡の土塁・曲輪がある削平地に出ます。登山時は気づきにくので下山時にその虎口手前の曲輪斜面に石垣が数個わずかに残っていますのでご確認を。登山道の石が転落石を踏んで登ってきたことに妙味。ここから段曲輪が数段、曲輪の法面に石垣跡がありますがほとんど崩落してしまっているようです。山頂の主郭部は狭く物見程度だったかなと思われます。ちょうど山頂部到着と同時に雨に見舞われ木陰で雨宿り。眺望は抜群だが写真的には遠く木漏れ日が写るいい感じのものが撮れました。
 この日はこれにて終了。1城目に善防山城を予定していましたが整備通行止めとなっていました。1/30頃まで吊り橋を渡っていくルートへは行けません。赤松攻略にはもう少しかかりそうです。

<満足度>◆◆◇

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にのまる

雪だるまのこたえです。

お城遊びにおつきあいくださりありがとうございました😊
答えようのないクイズだというところまで頭がまわっていませんでした🙇‍♀️

小諸城の投稿はまた改めて。

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2020年の夏の小諸城 (2020/08/09 訪問)

仙石秀久が築いた小諸城の大手門ですね。
実践的な城門で華美な装飾を省いた質実剛健な建築物は、東日本を代表する大手門と言えよう。
重要文化財で、平成の修理を終えて創建当時の姿が蘇った。
にのまるさん、
雪だるまくんなのですが、おぼろげながら分かったのですが指摘出来ません。

一乗谷クイズは、全問正解ですね。
少しだけ補足しておきます。
上城戸と下城戸の内側に朝倉家にお仕えしていた家臣である武士や職人や商人など身分を問わず一緒に住んでいたのですね。
一乗谷が繁栄した100年間に約1万人の人達が住んでいたのです。
これは、すごいことですね。
一乗谷の山城には千畳敷が有りますが、約100平方メートルの礎石建物があったとされております。
山城の方は、まだ発掘調査が一度も成されておりませんので、当然出土品もないのです。
だから、これは山上の御殿ではないかと推測しております。
これからでも発掘調査して欲しいですね。
一乗谷という山麓の城下町は、上城戸には朝倉街道がありこれが北国街道に繋がり京の都に行くことが出来ます。
下城戸には美濃街道があり北に行けば三国湊に、南に行けば尾張まで行くことが出来たのです。
谷あいなので雨も多く、水が潤沢に確保出来たのもその要素です。
殆どの家に井戸やトイレがあったんです。
また、100年に渡って繁栄が続いたのは余り争いがなかったことと水路を利用して大量に物資が行き交う交易が盛んだったことが挙げられますね。
最後に、京の都を模して戦国の庭が造られていたのです。
朝倉館は、将軍の館と全くそっくりであった。
朝倉義景は、京の都の都を意識して京の都以上のものを一乗谷に造ろうとしたと思います。
経済的にも文化的にも素晴らしい城下町が出来上がったのですね。
ただ、惜しまれるのは織田信長との戦いに勝てるチャンスが有りながら取り逃がしたことが致命傷になりました。
また、一乗谷の山城を放棄したのも軍事面から残念です。

また、夜には昨日の京都新城の講演会の報告を致します。


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城好きのメガネ

「山口城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★★★☆☆
山口城は武蔵七党の村山氏の流れをくむ山口氏の居城とされる。南北朝時代には、上杉憲顕に攻められ落城する。山口高忠は、武蔵国守護代の大石氏に従う。上杉氏が没落すると後北条氏の傘下に入る。小田原征伐で落城し廃城となる。現在、土塁等が遺されている。

<アクセス>
西武狭山線 下山口駅 徒歩15分

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城好きのメガネ

「北秋津城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
北秋津城は歴史的な背景が伝わっていないため詳細は不明である。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
西武池袋線 所沢駅 徒歩15分

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higekam

楠木七城のひとつということが登城のきっかけ (2022/01/16 訪問)

しかし、実際は戦国時代に手を加えられた典型的な戦国山城。
東斜面全体に防御態勢を築いた姿を見上げて、思わずすごいの一言。小規模な山城ながら二列の横堀は贅沢だ。

河内長野駅から高野街道沿いに歩いて約10分ほどとアクセスもよくお薦め。
楠木正成がらみで国史かと思いきやそうではなさそう。

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朝田 辰兵衛

小諸城大手門雪だるまクイズ…

全部見つけたけど,表現の仕方がムズくてお手上げ…DEATH。

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イオ

「百姓持タル城」 (2021/12/16 訪問)

詳細は不明ながら戦国期に築かれた城で、羽柴秀吉の紀州攻めに際しては神前是光を守将として根来寺に与しましたが、根来衆の籠る千石堀城が落城したことにより自焼して退去しました。

根来出城配置図によれば、近木川北岸の畠中集落を二重の堀で囲み、中央部に方形の居館を配した平城で、神前氏の子孫であり、江戸期には岸和田藩の七人庄屋に数えられた要氏の庄屋屋敷が比定地とされますが、要氏屋敷の発掘調査では畠中城の存在を示すものは発見されず、その所在地は明らかになっていません。

この日は貝塚市郷土資料展示室で企画展「貝塚八城めぐり」が開催されており、近くに来たついでに企画展を見学し、さらに徒歩圏内の畠中城(比定地の要氏屋敷)を訪れました。要氏屋敷は周囲を土塀で囲み、南東辺に長屋門を設けた広大な庄屋屋敷で、北西辺の損壊した土塀の内側には竹藪と化した土塁が見られ、これがそのまま畠中城の遺構ではないとしても、往時の姿をイメージさせてくれました。また、要氏屋敷から南東に徒歩2分行くと、神前氏と要氏の菩提寺である長楽寺がありました。

ところで、企画展の畠中城の展示によると、要氏に伝わる記録では畠中城は集落から少し離れた位置にあったとされ、発掘調査で土器や瓦が多数発見された寺院跡を城としたとも考えられるようです。一応、その推定地(市役所の北西部)にも行ってみましたが、全くの住宅地で何の痕跡も見られず、事実はどうあれそれらしい雰囲気がある分、要氏屋敷のほうが訪れる価値はありそうです。
 

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todo94

太閤井 (2021/12/04 訪問)

琵琶湖渇水のニュースで太閤井の周辺がすっかり干上がっているとのことで、駆けつけてみました。石碑の近くにまで寄ることが出来ました。天守跡碑と豊臣秀吉像もチェックしてきたので、一応、長浜城攻城と云うことにさせて頂きます。

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にのまる

クイズのこたえともんだい

1) 上城戸と下城戸に囲まれていた土地には基本的に朝倉氏の家臣、武士も職人も商人も一緒に暮らしていた。
2) 千畳敷の礎石建物は100平方メートル超と考えられる。
3) 山の地形を利用して守りやすく、交通の要衝であり、生活用水も潤沢で、戦国の理想都市をつくることができる場所だったから。
4) 一乗谷は日本海交易の要の役割を果たしていたから。
5) 権威のアピールであると同時に、独自の文化の力を持っていた。

ということが番組内で解説されていました。


では、ここでクイズです‼
下の10枚の写真は本日の小諸城の大手門ですが、それぞれ1体ずつ雪だるまくんが隠れています。どこにいるでしょうか⁉

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にのまる

大坂の陣 真田丸コース (2022/01/02 訪問)

真田丸跡
 心眼時と三光神社に行きました。
大河ドラマの真田丸から5年たってやっとです。
ブームで終わらないところがこのドラマのすごさを物語っているなあと思いました。

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