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おうごんたまご

公園化されているけれど、結構メリハリのある城址公園 (2010/03/03 訪問)

比高49mと説明版にありましたが、階段の設置もあり曲輪には登りやすく、上段からは周囲の眺望はとてもよいところです。いくつか東家もあり、休息も取れます。写真の公園案内図は些かクリアさに欠けますが、全体感がつかめて、攻城ルートを定めることが出来ます。紅白梅が丁度さいていました

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まーやん

森蘭丸 (2019/02/16 訪問)

お城エキスポ2018で凄く頑張られていた可児市の方々。私が愛読するセンゴク権兵衛(講談社)とのコラボも夢のようで一度行ってみたかったのが実現した。

戦国山城ミュージアム・観光交流館でお勉強した後現地へ。

森一族の栄枯盛衰を見てきた城は、出丸駐車場に車を置いての登城。
まずは、三の丸~桝形虎口へ。続くは西、南、東各曲輪。本丸まで多くの石垣が見られるが、1601年、小笠原氏により破却され多くが崩れている。
標高は276mと大したことはないが、道もよく整備され見通しもよく、何より地域の方々の熱い思いが伝わってくる場所だ。
背後の木曽川は要害でもあるが水運の要であり、重要な拠点だったのだろう。
ここへ来たことで戦国期の東美濃も勢力が入り乱れぐっちゃぐちゃだったことがよく分かった(笑)

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小城小次郎

大多喜城

中世大多喜城にひとまわり小さな近世大多喜城を乗っけたようなものなので、ついつい野太い横堀や土の虎口なんぞに目が行くが、ずんぐり見える天守も山麓から見上げたら思ったよりかっこよかったり。

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朝田 辰兵衛

今のところ「尾張クラスター」の影響ナシ。 (2020/02/23 訪問)

まだ安心できませんが,約8日を過ぎて発症しておりません。ウズウズしてきましたが,もう少しおとなしくしていたいと思います。

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カズサン

五代将軍綱吉で有名 (2016/03/01 訪問)

 家康関東移封後徳川四天王榊原康政が10万石で入封、後家光第4子綱吉が25万石で館林を与えられ将軍になるまでの20年間に及ぶ治政が館林城では著名な事かと思います。

 車は館林市役所の駐車場に停めて先ず市役所に資料を求めて受付へ文化振興課資料館を紹介され訪ね資料、情報を得る、湖沼を上手く活用した城郭で現在は本丸、二の丸、三の丸、南郭は市役所、館林城ゆめひろば、関連施設に変わって旧跡を留めていないが三の丸発掘調査の後に土橋門構えが復元されている。
 

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ぴーかる

籾井城 (2020/02/11 訪問)

【籾井城】
<駐車場他>駐車場はなし。登城口そばの道路脇に停めれます。
<交通手段>車

<見所>堀切
<感想>日帰り光秀丹波攻城の旅1城目。この城は籾井氏の本城で、波多野氏と婚姻関係があるのでその旗下で足利義昭に従っていたが、義昭追放後波多野氏と共に抵抗して、光秀が丹波攻めの際に落城した。丹波の青鬼である籾井教業の実在が疑わしいが、当時の当主籾井綱利は18日間の必死の抵抗をみせたそうです。京都の亀岡市方面から進撃するとまずぶつかる所です。
 登城口はお寺さんのすぐ西側にあり、登山道はほぼ真北に尾根をまっすぐ登り、主郭の西側切岸下からはいります。

城跡は主郭の南側に2段の曲輪、北側は広い2段の曲輪、さらにその北に堀切を挟んで尾根状の細長い曲輪がある。その細長い曲輪の北端から西にまっすぐ尾根道が続いていたがその先は見ていない。主郭の東側は切岸樹木で遺構は確認出来ず、西側は切岸、堀切を挟んで西に曲輪が伸びていた。
規模が小規模で攻め手であろう南・南西方向の防備が薄い感じがしたのにもかかわらず、よく耐えたものだと感じた城でした。

<満足度>◆◆◇

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刑部

神社参道に土塁 (2020/03/01 訪問)

周りは田畑で住宅の裏山が城址のようです。今は神社になっておりその参道脇に土塁があります。その他は遺構らしいものは見当たりません。

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長野のゆうさん

還暦再訪💙城めぐり松本城 (2020/03/04 訪問)

令和初の訪問
梅 ちらほら 人もちらほら
外国人は4組ほど がまん我慢?
💔昭和は遠くなったな~

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リョウスケ

米子城跡 (2020/03/03 訪問)

素朴で力強い石垣が魅力、想像以上に複雑な構成で戦略性に富んだ城跡は一見の価値あり。 本丸跡からの伯耆富士と宍道湖、美保湾の眺望は圧巻、この日は鳥取に向かい温瀬旅館 丸茂さんへ、源泉かけ流しの味わい深いお宿です。
お昼は鳥取駅から徒歩で行ける蕎麦 田久さん、ミシュラン⭐️のざるは絶品、サービスセットでお得感もありますよ

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todo94

掘り出し物 (2011/02/20 訪問)

静岡からの帰りがけに立ち寄ってみました。全く予備知識がなく偶然だったのですが、国史跡に値する素晴らしい石垣に触れることができてとても吃驚した覚えがあります。今から9年前のこと。中部横断道が新東名につながって、帰りがけに立ち寄るということが困難になってしまいましたが、久しぶりに再訪したい気持ちが高まっています。

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にのまる

小田原に近い。 (2020/02/05 訪問)

 東名高速の上を渡って登ったところの山で、くねくねの車道のほかに、ショートカットできる歩行者用の道がありました。古道の名残なのではないかと思います。この道は一度車道に出る形で上下2段に分かれており、上の段の道からは上段腰曲輪跡をのぞき見できました。下段腰曲輪は高速道路建設で消滅したようです。(でも道路建設がなかったら遺構が発掘されることはなかったのかも。)
 登りきったところにある解説板の城跡想定図は90度左に回転させて(もしくは首を右に90度傾げて)見るとわかりやすいです。みかん畑の間の道を進むと正面に土橋。土橋手前左側に城址標柱。連郭式の曲輪跡はそのまま段々畑のようになっている感じのところもあり、さらに進むと搦手ですが行き止まり。行けたとしてもどんどん山の中に入っていくことになってしまいます。
 富士山、きれいでした。ここまで来るとさすがに大きく見えます。
 松田城の松田氏は北条氏の重臣だったそうです。城址からは酒匂川を下った先の小田原まで見渡せ、城主気分を味わえました。こちら側もよい眺めでした。

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小城小次郎

品川台場

続々作られた「ナンバー台場」はいろいろあって第三と第六の二つが残り、第三だけが陸続きの公園となって、恐らくものすごく大勢の人が何らかの思い出をこしらえている。

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カルビン

朝早すぎて (2015/06/08 訪問)

名古屋駅前泊し、名鉄常滑線の始発電車で大野町駅下車、そこから徒歩10分くらいで大草城に到着。

城址公園になっており、櫓風展望台がまず目に入ります。
が、朝早すぎて門が閉じて(開閉と駐車場の開放時間が8:30~17:00と扉に貼ってあった)まして・・・と思ったら、、逆サイドの扉が開いているという謎設定ww
ま、この日も予定立てこんでいたのでここはスルーして、森林エリアの方のリアル遺構を確認。

木々に囲まれた場所には土塁や水堀等、多少整備で手が加わっておりましたが、それっぽい見た目の物が見られます。

その他、南側の入口右手には芦で埋まってましたが水堀跡や、城址公園の南西を除いて囲う様にやはり水堀が存在しております。


大野町南東には大野城もあるので、セット訪問推奨で御座います(どちらもレベル同じくらいなのでバーターではありません(笑))


ちなみに織田有楽斎にゆかりのあるお城とは当時知らなかったです(大野城の佐治氏ゆかりのお城かと思ってました)
・・・今は幟があるんですね。。。お城の認知が進んでいるのが有りがたい事です。

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カズサン

思川東岸段丘活用連郭式大城郭 (2016/02/29 訪問)

 平成28年2月下旬茨城県城廻り、結城城を終えて栃木県南端小山市の小山城(祇園城)を夕刻に初登城、小山市役所の駐車場が満車で小山城北側の天翁院駐車場を利用させて頂き、寺院裏の北端の10曲輪から探訪開始し南に1曲輪を目指す、実城跡、小山御殿、市役所の小山評定跡の碑を最終点とした。
 各曲輪が西の思川へ掘り切られ深く広く大きい、西は思川断崖、東は長い横堀が南北に連なり要害の構え、実城、小山御殿跡は工事中で御殿跡広場に改造修復中でした花見の頃には完成予定なのでしょうもう少しで終わりそうな工事でした。
 
 小山評定は関ヶ原の決戦前の大きな歴史分岐点徳川の世が決まったポイントだったのでしょう、ここに居た豊臣の家臣は関ヶ原後太守に昇る。

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カズサン

名門結城の城 (2016/02/29 訪問)

 平成28年2月下旬茨城県城廻り、桜川市真壁の真壁城を終えて茨城県の西端結城市の結城城を初登城、市内道が細くナビで迷いましたが城址公園入口に路駐し駆け足探訪。
 結城と言えば結城合戦に結城秀康(家康の次男)が有名です関ヶ原後福井に67万石で転封、結城城400年の歴史は幕を下ろす。

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カズサン

頑張れ真壁城、土塁濠復元整備中 (2016/02/29 訪問)

 平成28年2月下旬茨城県城廻り、小田城を終えて筑波山西側を通り第4弾桜川市の真壁城を初登城、県道41号線沿いの真壁体育館が本丸で駐車場利用可能。
 本丸は県道より高く成って居り濠、城塁を匂わせる、本丸東に濠を挟んで二の丸、更に東に中城3の郭、その先東山方向に4の郭外曲輪、周囲に堀と土塁の復元造成工事が進められている、一旦城跡を開墾し田畑に成ったが国史指定で買い戻され真壁城跡の発掘調査復元整備工事が進行してます、地道継続の行政側の努力と地元の方々の熱意が有ったらばこその成果だと思います。
 真壁城の真壁氏は平国香の流れ平安期鎌倉期南北朝戦国と約400年この地を治め佐竹氏配下として関ヶ原後佐竹氏秋田移封に伴い秋田角館へ、以後浅野長政隠居領5万石で入封、長重が継ぎ後笠間に転封し浅野赤穂事件と歴史は流れた。

 復元整備工事はまだまだこれからの様子気長に見守って行きたいと思います、城好きには楽しくうれしい事です頑張れ真壁城、真壁町。

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カズサン

継続的な発掘調査復元整備工事に城好きは感謝です (2016/02/29 訪問)

 平成28年2月下旬茨城県城廻り、木原城を終えて国道125号線をまた土浦城を横目に走行しつくば市へ第三弾小田城初登城。
 国道125号線を筑波山見ながら小田の手前を村中道に入り小田城手前のクランク道で離合困難地元の方に譲って貰い復元作業中の北虎口前の若干広い道に路駐。
 北虎口から入り本郭を一望、土塁から周囲を見渡し、一巡後南側の新しく復元整備された南馬出、復元整備の2郭1の木戸側曲輪、南馬出の東側は広大な敷地が発掘調査前か整備前か手付かずの様子で残って居り行政の継続整備工事を大いに期待します。
 小田氏の城で中世城郭城館、戦国期城跡を合わさり山手から下がった所に平城で構え広い堀、高い土塁で守ってる、南北期には北畠親房が寄寓して居り国史指定されてる。
 2月末の登城でしたが3月末には一般公開され、北西方向に小田城跡歴史ひろば案内所が開設される予定、現在既に公開、案内所開設、駐車場整備。

 史跡と復元整備が若干違うとしろ継続的な復元整備には大拍手を贈りたいと思います今後の発掘調査復元整備を大いに期待しております、大変堪能しました。ありがとうございました。

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カズサン

広大な曲輪土塁濠の丘城 (2016/02/29 訪問)

 平成28年2月下旬茨城県城廻り小幡城を終えて地道国道6号線を南下方向土浦城付近を走行して霞ヶ浦の南、国道125号線を東方向へナビは木原城目的地、細い村道を南へ心配しながら走行し濠を渡って北側坂道登城路を木原城1郭へ進入初登城同駐車場に停める。
 広大な1曲輪、(地下には弥生遺跡が眠ってる発掘し埋戻し)周囲は土塁、1曲輪と2曲輪の間は大きな堀切、2曲輪も3曲輪の間に土塁と堀切、3曲輪に木原小学校、4曲輪の間にも堀切、土塁、3曲輪、4曲輪の東に二重の大堀と土塁。(情報とガイドは何時もの城郭放浪記さん、余湖図コレクションさん)
 1、2、3曲輪だけでしたが十二分に土の城の土塁に濠、堀切を堪能させて貰いました。

 道案内は国道125号線より木原小学校を目指して学校の南側の道を進入し2曲輪の駐車場に停めるのが分りやすいかと思います。

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カズサン

興奮の堀底歩き空堀、土塁に圧倒されました (2016/02/29 訪問)

 平成28年2月下旬宇都宮を拠点に茨城県城廻り、まだまだ城の雑誌がふんだんにない頃歴史読本平成21年5月号に特集「日本名城都道府県別ベスト10」、今活躍の中井均氏、加藤理文氏も寄稿されて居ります。
 今回はその茨城県ベスト10の中より小幡城、木原城、小田城、真壁城、選外結城城、栃木県ベスト10の中より小山城(祇園城)を初登城。
 宇都宮上三川ICより北関東道を常磐道越えして茨城町西ICを降り国道6号線小幡の信号を入り、入る道が狭いので入りを躊躇して行ったり来たりしましたが、そのまま畑道狭くて不安、概ね東方向東関東道を橋で越えその辺りからこんもりした森が見えて来ると小幡城を実感する、そのまま道を進み余湖図コレクションさんの俯瞰図2郭と5郭の間大空堀登城口に着く、車はその入り口付近に停めて探訪。
 空堀、土塁が大きく高く迷路の様ですので迷いますが赤文字の案内指示板を頼りに2郭1郭、櫓台を一周で終えました、他の曲輪は案内人の方と一緒で無いと大変不安です。
 兎に角圧倒的なスケールな空堀、土塁に感嘆しました。大事に保全管理して頂きたい名城です。

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ヨッシー

豊臣の城 (2020/01/20 訪問)

掛川城と言えば、山内一豊ですね。
どうやら、縄張り等の工事は秀吉が直接指示している様です。

二の丸御殿と太鼓櫓が現存する貴重な城です。
杉良太郎氏が寄贈した、
旧城主の甲冑を拝見出来ました。

再建天守の石垣は、
オモテ面のみコンクリート台に、
本物の天守石垣を貼り付けて作らているそうです。

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