コロナの新規感染者数も落ち着きを見せてきた祝日、地元鳴子峡の紅葉が見頃との情報でドライブに。例年この時期は道路の渋滞などで大変混み合うため早朝に出発し午前8時には到着できたが駐車場は既にほぼ満車の状態だった。きれいな景色にしばし見とれた後はもちろん城址探訪となるわけだが、山形県側に足を延ばして新庄城を目指した。
新庄市は戸沢家6万石の旧城下町。元和8年(1622)に山形の最上家改易により戸沢政盛がこの地に入封し、当初は真室城(鮭延城)に入るが手狭であったため、最上家家臣日野将監の居館を拡張整備して築城したという。
残された絵図によれば縄張は本丸を中心に南側に二の丸を設け、それを三の丸が囲む近世の平城。本丸には三重の天守と三つの隅櫓を、東側と北側には桝形の櫓門を構えていた。天守は寛永13年(1636)に火災により焼失し、その後は再建されなかったらしい。
慶応4年(1868)の戊辰戦争において新庄藩は、総督府軍(新政府軍)および秋田藩と奥羽越列藩同盟の庄内藩の間に在って御家存続のための活動を続けるが庄内藩軍の攻撃を受け7月14日に落城。城は新庄の街と共に戦火により消失したという。
現在、城址は最上公園となり本丸の堀、土塁、櫓跡、石垣などが残る。旧三の丸にある「新庄ふるさと歴史センター」の観覧もおすすめしたい。
+ 続きを読む











