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とら38

城址情報のお礼

疎開している時に、本家(父親の実家)の墓に名和城座頭と刻された先祖の数代分の石碑があり、家には少々の文書の写もあって、城に関する物は上野の博物館に供出してあると聞いていた。名和城は近所にあるものと思い、いずれゆっくり調べるつもりでいたが70年も経ってしまい、最近になって当時の友人に聞いても知らないとのこと、石碑の年号を全く記憶していないのと故老の話では江戸時代ではなさそうな気がしていた。
ということで偶々「城びと」を開いたら那波城祉探訪寄稿(本家の墓は名和城名)が目に留まりました。場所も本家とは遠くはなく、現在では母方の従兄弟住居の近所でした。写真の背景の山は赤城山ということも一目でわかりました。
先ずは探訪、寄稿された方に御礼申し上げたく寄稿いたしました。

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小城小次郎

こつこつ、こつこつ (2021/05/29 訪問)

羽城の守備についた永井直勝はここからこつこつ功を重ねて大名になった。大名から旗本に転落した松本藩水野家の水野忠広もこつこつ功を重ねて大浜陣屋で大名に返り咲き、更に沼津藩3万石までこつこつ昇った。

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higekam

標高1,500m以上の御坂峠に巨大な山城 (2020/11/22 訪問)

北条氏が武田の南下をはばむために大がかりな横堀、竪堀、土塁を駆使した圧巻の城。
実際に足を運んでみると、北条氏がいかに武田氏を恐れていたか理解できる。
新御坂トンネルの河口湖側入口すぐ横をはしる鎌倉古道ぞいに登城した。登城日、および翌日と好天に恵まれ富士山も堪能。

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AJ

スタイル抜群 (2018/08/30 訪問)

尾張・犬山城。現存十二天守および国宝五天守のひとつにして、国内最古の天守建築。現在見られる一、二階部分は1602年に築かれたとする説が有力だそうです。

名鉄犬山駅から徒歩15分程度。華奢ながら秀麗の一言に尽きます。それでいて北側に木曽川を備えた後ろ堅固な平山城。全国の復興・模擬天守が犬山をモデルにするのもわかる気がします。

創建は信長の叔父、織田信康。三英傑の時代はまだまだ黎明期。廻縁からは斎藤道三の稲葉山が伺えます(直線距離にして20kほどでしょうか)。時代の焦点はこの後、西へとシフトします。さらに徳川の治世でも、その位置付けは御三家の支城ということで安泰。地政学から微妙に外れるというのは最古級の現存天守にとって必須条件のように思われます(越前丸岡もそんな感じですね)。当然ながら、昭和の戦災も免れました。運も兼ね備えた城のようです。

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todo94

鹿 (2021/07/23 訪問)

前日に立ち寄った時は、駐車場が満車で断念。結構人気のスポットのようですね。朝一でなんとか駐車することが出来ました。往復の渡船料金と駐車場代、あわせて520円でした。渡船の屋根には鹿が載っていましたが、島で鹿に会うことは出来ませんでした。説明板の近くに石積が残っています。山頂の石積が古いもののようですが、よくわかりませんでした。

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織田晃司

夏草や (2021/08/29 訪問)

藪化と化して
蜂も居り
二の成先は
前に進めず

雪が気になりますが冬のほうが散策しやすいかと…

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城好きのメガネ

「星崎城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
星崎城は築城時期は不明だが、織田氏の岡田重善・重孝が城主を務めたとされる。岡田重善は織田信秀の家臣として今川氏との小豆坂の戦いで功をあげ信秀より「七本槍」の一人として賞賛された。織田信長にも仕え、本能寺の変後は織田信雄に属した。子の重孝は、1583年に豊臣秀吉に通じた容疑で織田信雄から誅殺される。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
名鉄名古屋本線 本星崎駅 徒歩15分

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城好きのメガネ

「大高城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
大高城は、織田信秀の死後、織田信長が家督を継いだが鳴海城主・山口教継は今川氏に城と共に寝返る。大高城は沓掛城とともに今川氏の支配下に入る。織田信長は鳴海城を包囲するために丹下砦、善照寺砦、中島砦を築き、大高城との連絡を絶つために、大高城側に丸根砦、鷲津砦を築いた。桶狭間の戦いでは、今川氏の鵜殿長照が守備を任される。大高城に松平元康(徳川家康)が兵糧を届け、長照に代わり元康が城の守備についたとされる。その後、今川義元が戦死したため、大高城は再び織田氏の支配下に入るが廃城となる。現在、土塁等が遺されている。

<アクセス>
Jr大高駅 徒歩15分

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三浦の晃ちゃん

出世城 (2021/08/29 訪問)

石垣が好きです。
ショックだったのが、続100名城のスタンプが、押せなかったことです。コロナで、閉館中なので、休止でした。
どこか、近くに場所を変更して、置いて欲しかったです。
遠出してきたので、次は、いつ来られるのか、分かりません。(涙)

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三浦の晃ちゃん

カッコいい (2021/08/29 訪問)

緊急事態宣言が、出ていることは、100も承知なのですが、ガマンの限界にきてしまいました。遠出しました。
豊川が天然の要害であることが、良く分かりました。
石垣が、崩れていましたが、400年の歴史を感じました。
受付の方、換気と消毒の作業をされながら、お城のことを、いろいろ教えてくれて、感激しました。地元の誇りなのだと、いうことを、知りました。

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小城小次郎

結城秀康双子説は知らなかった・・ (2021/05/29 訪問)

池・鯉・鮒で「ちりゅう」と読ませる東海道の宿場町にはヤマトタケル伝説を持つ知立神社があり、知立城の永見氏はここの神職だった。結城秀康の双子の弟が永見氏に預けられていたかもしれないという話を今回初めて知った。

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higekam

朝倉義景の末路をたどる (2020/09/26 訪問)

越前と若狭を仕切る木ノ芽峠。その東西に延びる山稜に東から西光寺丸城、木ノ芽峠城、木ノ芽峠、観音寺丸城、鉢伏山城と峠を挟んで並ぶ。
 想像以上に高低差が厳しい峠で、整備された部分も限られていて最高位の鉢伏山城は登城を断念。城というより砦というべきで、最新鋭の信長軍団に攻められたら一蹴されたであろう戦国初期の小規模な土塁と堀を活用した様式のように思えた。ほかに一部わずかに石が散乱していた程度。

登城当日は雨にもあい、散々に敗北を喫して帰国を急ぎ峠を越えた朝倉義景の無念さにわずかばかり触れたような気がした。

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城好きのメガネ

「丸根砦」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★★★☆☆
丸根砦は、織田信長が今川氏を牽制するために築いたとされる。鳴海城を包囲するために丹下砦、善照寺砦、中島砦を築き、大高城との連絡を絶つために、大高城側に丸根砦、鷲津砦を築いた。桶狭間の戦いでは佐久間信重が守備を任される。今川側の徳川家康に攻められ討ち死にした。現在、土塁等が遺されている。

<アクセス>
JR大高駅 徒歩15分

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城好きのメガネ

「鷲津砦」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★★★☆☆
鷲津砦は、織田信長が今川氏を牽制するために築いたとされる。鳴海城を包囲するために丹下砦、善照寺砦、中島砦を築き、大高城との連絡を絶つために、大高城側に丸根砦、鷲津砦を築いた。鷲津砦には守将として織田秀敏、飯尾定宗・尚清父子が置かれた。飯尾定宗は織田信秀の叔父で、飯尾氏の養子となる。桶狭間の戦いでは鷲津砦の守備を任される。今川の大軍の前に奮戦するも討ち死にした。現在、土塁等が遺されている。

<アクセス>
JR大高駅 徒歩20分

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城好きのメガネ

「鳴海城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
鳴海城は、織田信秀の支配下にあり、山口教継が城主を務めていた。信秀の死後、織田信長が家督を継いだが山口教継は今川氏に城と共に寝返る。その後、織田信長の策略により自害に追い込まれ、今川家・重臣の岡部元信が城主となる。織田信長は鳴海城を包囲するために丹下砦、善照寺砦、中島砦を築き、大高城との連絡を絶つために、大高城側に丸根砦、鷲津砦を築いた。桶狭間の戦いでは、岡部元信が今川義元の首級と引き換えに城を明け渡し、織田信長の支配下に入った。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
名鉄名古屋本線 鳴海駅 徒歩15分

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城好きのメガネ

「丹下砦」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
丹下砦は、織田信長が今川氏を牽制するために築いたとされる。鳴海城を包囲するために丹下砦、善照寺砦、中島砦を築き、大高城との連絡を絶つために、大高城側に丸根砦、鷲津砦を築いた。丹下砦には水野帯刀らが守備を任された。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
名鉄名古屋本線 鳴海駅 徒歩20分

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城好きのメガネ

「善照寺砦」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
善照寺砦は、織田信長が今川氏を牽制するために築いたとされる。鳴海城を包囲するために丹下砦、善照寺砦、中島砦を築き、大高城との連絡を絶つために、大高城側に丸根砦、鷲津砦を築いた。善照寺砦は、織田家の重臣である佐久間信盛、信辰兄弟が守備した。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
名鉄名古屋本線 鳴海駅 徒歩15分

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城好きのメガネ

「中島砦」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
中島砦は、織田信長が今川氏を牽制するために築いたとされる。桶狭間の戦いでは、中嶋砦の守将として猛将と名高い梶川高秀が置かれた。桶狭間の戦い後に廃城となる。現在、遺構は消滅している。※砦跡は私有地のため見学の際は注意が必要である。

<アクセス>
名鉄名古屋本線 鳴海駅 徒歩10分

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赤い城

近くに大河ドラマ館 (2021/08/22 訪問)

深谷駅から徒歩で15分。
深谷城址公園となっています。
石垣とか塀とかそれっぽいですがいずれも模擬。
遺構はほとんど残っていません。
公園隣の富士浅間神社の水路が外堀跡のようです。
上杉房憲により築城され、北条氏との攻防の舞台になりました。
近くの公民館が大河ドラマ館になっていました。
やっぱり深谷は今年が旬?

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ふゆづき

小田原城の外郭 (2021/07/22 訪問)

小田原城の外郭を形成する小峰御鐘ノ台大堀切になります。
小田原駅から見て北西の方角にあたり、大きな堀切が残されています。
堀切内は散策が可能で、土塁の高さが印象的です。
意外なことに、ここから小田原城天守閣(すなわち本丸)が丸見えであり、攻城軍にここを落とされると、場内の様子が丸見えになるようです。

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