正百名城4城目。
鹿児島県鹿児島市城山にあります。
市街地からは少し距離があります。
公共交通機関を使う場合は市バスを使うのが良いでしょう。
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2020/07/18 22:55
鹿児島城 (2017/11/26 訪問)
正百名城4城目。
鹿児島県鹿児島市城山にあります。
市街地からは少し距離があります。
公共交通機関を使う場合は市バスを使うのが良いでしょう。
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2020/07/18 22:38
2020/07/18 22:30
2020/07/18 22:08
2020/07/18 21:53
2020/07/18 21:38
小田原城 (2018/10/13 訪問)
東海道の要衝に建つ堅城
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2020/07/18 21:29
2020/07/18 21:17
怒田城 [神奈川県横須賀市吉井1丁目-1-23] (2014/05/19 訪問)
JR久里浜駅から北に5、600m行った山上に吉井貝塚がありますが、この一帯が平安時代末期に存在していた怒田(ぬた)城跡とされております。
現在は史跡公園になっておりますが、史跡発掘の際の工事の為か、はたまた公園化による整備の為か、明確な遺構がほとんど残っておりません。(土塁?と思われる土盛くらいかと)
現地にあるのは吉井貝塚の解説・看板とその発掘にて解った場所の小さな案内が確認できる程度。。。お城だった事を示すにはあまりにも情報不足だった為に、最初お城の場所ここで合ってる?と疑ってしまいました(地形的には山上にあったので山城っぽい雰囲気はあった)
・・・が、貝塚の解説を良く見ると、その中に一帯が怒田城であった事が書かれており、更に発掘現場の案内版の中にさりげなく「空堀」という所もありましてw
(空堀自体は完全に真っ平に整地されて埋まっており、解説無ければ解らないです(ーДー;)
車止められそうな場所は無かったので公共交通機関での訪問を強く推します。
(一応google mapにも怒田城(沼田城)と書かれて掲載されているので、場所はそれをご参考下さい。)
三浦半島は三浦導寸の本拠地だった事もありお城が数多く転在しておりますが、そのほとんどは開発が進んでしまった影響か、はたまた戦国時代前のお城ばかりだった為か、遺構が然程残っていない場所が多いです。。。ここ怒田城もその1つでしたorz
単独でここだけ見に行くのは勿体ない為、近場のお城(浦賀城、衣笠城、神金城、佐原城等、出来ればも少し足を延ばして三崎城や新井城も)をまとめて訪問されるのが宜しいかと。
・・・なんか高いギャラのベテラン芸人1人呼ぶより、ギャラの安価な若手芸人多く読んだ方が番組的には面白くてお得・・・的な感じがしますな。。。以前も同じような事書いたような。。。(デジャブ?!w)
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2020/07/18 21:14
2020/07/18 20:54
2020/07/18 19:48
2020/07/18 19:19
2020/07/18 19:09
2020/07/18 11:49
南部氏城廻りⅢ 中世城館立派に復元整備❕ (2015/05/25 訪問)
平成27年5月南部氏城廻り第三弾、九戸城を終えて高速八戸道を利用九戸ICから乗るナビ指示が上手くいかず途中のICより入り八戸ICより出る、途中の道中は新緑とアカシアの花が満開で素晴らしい景観でした。
八戸ICから地道に出るとすぐ根城、西面崖上の段丘が目に入りそこが城とすぐ分かります、車は隣接の八戸博物館前の駐車場に停める。
当日は生憎の月曜日で博物館は休館、博物館前の甲斐源氏南部師行公騎馬像が出迎え、移築されて八戸城東門を潜っていざ入城、芝生が刈られ良く手入れされ流石国史保存管理が素晴らしい、門より真っ直ぐ西へ堀を二本越え中館前の大きな堀を見て、中館に在る根城の立体模型で実感を深め、本丸を囲ってる堀を渡るが本丸エリアは休館日で入れず、うろうろしてると警備の方が来られ「浜松から来た旨を伝え入って外観だけでも撮影できないか」と頼みましたが駄目でしたがパンフレットを持って来て呉れました、警備員の方有難うございました感謝です。
柵列の外より見える範囲の主殿、東門、納屋、柵列を撮影、さすが百名城素晴らしく復元保存整備された城跡です。
この後時間もまだ有り八戸城へ。
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2020/07/18 10:10
僕のチャンネル見てください。
https://www.youtube.com/channel/UC9un03FGrK3eyb0kbpHonvw?view_as=subscriber
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2020/07/18 10:08
2020/07/18 10:02
2020/07/17 23:29
特異なエリアにあって極端に発達した城が生まれたということか (2020/03/17 訪問)
極端に発達した城がぎっしり詰まった鹿沼エリアの中にあってもひときわ際立つメリハリの効いた堅城なのだが、有力国衆がひしめく下野だけに、こうした城が育った背景にはきっと壮絶な軍事的緊張感があったのだろう。
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2020/07/17 22:22
跡地には小さな石碑がひっそりと (2020/07/12 訪問)
北鴻巣駅から徒歩で7分。
館跡には小さな石碑がひっそりと佇んでいますが遺構はありません。
近くには古墳がありますが関係はどうかと。
氷川八幡社に箕田氏の説明板が立っています。
海無し県だけど鴻巣市は川幅が日本一、川幅うどんなるひもかわよりも幅広なうどんがあります。
訪れた際にはどうぞ。
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2020/07/17 19:43
大久保長安陣屋 [東京都八王子市小門町] (2014/07/19 訪問)
徳川家康に使え江戸を発展させた三代官の一人、
その能力で徳川家だけでなく己にも多大な蓄財をし、亡くなった際には黄金の棺に入れられたとされる(徳川幕府に見つかり、長安が家老を務めていた主君の松平忠輝にまで影響を及ぼしてしまったらしい・・・)日本一のおごり者と呼ばれる様になる大久保長安。
元々は釜無川や笛吹川等の河川の氾濫に手を焼いていた武田晴信により治水の技術を買われて召還された人物で、その際に手柄を認められて土屋姓を賜って土屋十兵衛と呼ばれていました。(山本勘助が推挙したと書かれた小説もありますね)
元々は猿楽師で山師の技術も持っていた事から甲州の金山を一手に任されていたものの、武田勝頼の代に冷遇された事により徳川家からの触手に乗ったとの事。。。(穴山信君の裏切りは土屋十兵衛の手によるものともされています)
そしてその手腕を家康に買われて大抜擢に答えたって事です。
大久保忠隣の推薦で徳川家に仕える事になった経緯で大久保姓を名乗るようになった・・・らしいw
その後各地の金山奉行を兼任する事になるのですが、欧米の技術(アマルガム法・水銀流し)を取り入れた事により枯渇したと思われていたものを含めて各金山の産出量が爆発的に増えたのも長安の功績の1つとされております。
(徳川埋蔵金の話はここから出ているらしい・・・が、三代将軍家光が日光東照宮建造等で蓄財されていた多大な金銀のほとんどを消費してしまったらしい。。。)
といろいろエピソードのある大久保長安ですが、武田家滅亡後に晴信次女・見性院(穴山信君正室)や4女・松姫の面倒をみたり、千人同心設立を家康に進言して取り入れられ、その人物に旧武田家の下級武士を充てたりと、心酔していた武田晴信への恩返しのつもりで徳川家に仕えつつ武田家の旧臣や関係者達の面倒を見る為に八王子に拠点を構えていたとされております。
(八王子市は隠れ長安推ししてます・・・所々に大久保長安のアピール看板ありますのでw)
肝心の大久保長安陣屋は松姫の菩提寺・信松院からJR中央線を挟んで直線距離で北東400m程の所にあります。
現在は産千代稲荷神社となっており、碑石と解説と陣屋井戸(見る限りは現存ではなく復元井戸)があります。
信松院とのセット訪問推奨で御座います。(信松院経由なら西八王子駅からの方が近いかと)
※ちょっと距離ありますが、徒歩圏内に城びとに登録されている横山党館や、先程書きました千人同心関連の史跡等、西八王子~八王子駅間に転在してますので、興味のある方は1日かけて散策されるのも良いかも。
しりとりで使用濃厚の場所なのですが、大久保長安に関してはう ん ち く(←NGワードにされたw)書きたい内容多くて先出させて頂きましたwww
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