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ぎりょう

桑折城(宮城県大崎市三本木桑折) (2021/11/06 訪問)

友人からの情報で私の生家のあった宮城県大崎市三本木(旧志田郡三本木町)にある桑折城跡の樹木が伐採されたことを知り数年ぶりに訪れてみた。残念ながら「城びと」には未登録の城。この城は、中世この地を治めた奥州探題大崎氏の内紛にからみ天正16年(1588)二月に伊達政宗軍が大崎氏の居城中新田城を攻撃した際、大崎勢の激しい抵抗と天候の急変により、政宗軍が唯一敗北を喫した「中新田合戦」に関わる歴史を持つ。
城は麓を流れる鳴瀬川に沿って、東西に大小の曲輪を並べた連郭式の縄張り。比高は35mほどだが最高所の主曲輪からは東に遠田郡箟岳山、西に加美郡の山々、北には大崎耕土が拡がりその先には遠く栗駒山を望むことができる。主曲輪に立ち北を見れば、大崎合戦時に城に詰めた澁谷相模以下大崎方の将兵が眺めたであろう、鳴瀬川の向うを西に進軍する伊達の大軍の光景を彷彿とさせられる。
主曲輪は東に帯曲輪を備え、西には二段の帯曲輪を備える曲輪、また一段下がって北側に、かつては鳴瀬川岸までの広がりをもつ曲輪、東側にも先端が三段に落ち込む細長い曲輪を持つ。また西側の曲輪の先端部と南に続く尾根には、現在は埋めたてられているが大規模な堀切の跡が確認できる。さらに南の堀切を渡り尾根道を南東方向に行くと細長い二段の出曲輪がある。
延宝年中(1673~81)に書上げられた仙台領古城書上には「城主八野木相模。又澁谷トモ云。黒川安藝守晴氏入道月舟叔父。」とあり大崎氏家臣で中世鳴瀬川沿岸地域に勢力のあった渋谷一族の拠った城である。

城址は地元で館山(たてやま)と呼ばれる桜の名所で、春になると山全体が花に覆われ賑わいをみせたものだが、樹齢がかさみ伐採に至ったものか。遺構は非常に観やすい状態になったのだが、子供の頃に家族と楽しんだ花見の思い出も消え去るような寂しさも。

東北自動車道古川ICからは12km(12分)たてやまホール(三本木公民館)に駐車可能。

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橋吉

上杉景虎終焉の地 (2021/10/24 訪問)

福島城祉から、クルマで30分、妙高市へやってきました。

鮫ヶ尾城は、永正から天正年間に上杉氏(長尾氏)による北国街道の防御を兼ねた街道整備の一環として、春日山城直近の最前線要塞の意味合いで築城ないし大規模改修がなされたと伝わっています。

1578(天正6)年、上杉謙信が急死すると、家督の後継をめぐって、ともに養子である景勝と景虎との間で御館の乱が勃発します。
このとき、鮫ヶ尾城主である堀江宗親は景虎側に付き、御館落城後に関東への唯一の逃げ道となったこの城を経由して逃がすべく、景虎を城に引き入れます。
しかしながら宗親は安田顕元の寝返り工作に応じ、二の丸に火を放ち当人は退去。
その後、総攻撃を受けた鮫ヶ尾城は落城、景虎は妻子共々自刃して果てました。

妙高市宮内にある斐太神社裏に無料駐車場があります。

まずは、駐車場から歩いて3分の「斐太歴史の里総合案内所」に寄りました。
ここで、続日本100名城のスタンプを押すことができます。
さらに、散策コースやまわりの自然について詳しい説明をしていただきました。

アドバイスにしたがって、時計回りに進みました。
ハイキングにちょうど良いくらいの散策路ですが、足回りはしっかりしたものを用意しましょう。
さらに、熊よけの鈴も着用しました。

まずは、宮内池の西端を渡ります。
二本杉をめざして山道を登ります。
斐太遺跡を通過し、何本もの堀切を渡り、登り始めてから約30分で本丸に到着

本丸からは、妙高市・上越市を見渡すことができます。

前日、雨天だったため道が滑りやすくなっています。
よって、総合案内所のおばちゃんのアドバイスに従い、急な本丸からの下り道を避け、なだらかな米倉からの降り道を選択しました。

北登城道は緩やかです。
坂道も階段状になって歩きやすいでが、見所はなく単調です。
行きは東登城道、帰りは北登城道と時計回りにまわって正解でした。

2.9km、1時間30分のウォーキングでした。

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T-Shionoya

三枚橋城&沼津城の跡地散策 (2021/10/23 訪問)

武田勝頼が対北条用に築いたとされ、1590年の小田原征伐では秀吉が滞在した三枚橋城。
東海道の駿河と伊豆の国境で、伊豆から流れる狩野川の河口に位置し、東から見ると1段高くなった場所。

武田氏滅亡後は城主が家康の子松平忠吉、豊臣方で一氏の弟の中村一栄、家康家臣の大久保忠佐と移り変わり、江戸の初期に一旦廃城。最盛期は東西約400m、南北約500mの大きさだったとか。
それから150年以上後に、規模を縮小しつつも水野氏により沼津城としてリニューアルされ、明治を迎えた城でした。

現在は本丸半分が中央公園となっているものの、城の面影は希薄。
周辺に建設工事で出土した石垣のモニュメントがいくつか点在する程度。

先月はそれらを始め、沼津城の城郭跡を歩いてきました。
城郭東側は高低差があり、曲輪と堀の境かなと感じつつ。

そして写真の井戸は、ほさかビルの中庭にあるもの。
洋風のつくりをしてますが、たまたまビルから出てきた方の情報では、江戸末期には存在したとされ、中は伊豆石が六角形に組まれているとのこと。
静岡県沼津市の三枚橋城&沼津城が、お城巡りの111城目となりました。

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(有)ヨシノリ

遺構がない? (2021/10/16 訪問)

後北条氏に仕えた小幡伊賀守泰久の城とのこと

菊名駅を降りてからすぐにある急勾配の上にある住宅街を伝い、新横浜駅側へ向かうとマップ上に大豆戸城と出てくる。
マップ上で大豆戸城とピンが打っている場所から左右を見回すと車では通れない程の急勾配になっている。
篠原城側へ歩いて行くと所々に曲輪があったであろうと感じる狭い平坦な箇所が曲輪であった事を感じる箇所でもある。
尾根伝いに篠原城へ抜けれる事から篠原城の出城的な存在であったのではないだろうか?と考えられた。

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宗春

三木氏城館 (2021/11/04 訪問)

アプリの「赤母衣衆」イベントのため訪問しました。
本丸からの眺めは最高でした (^^)

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宗春

高山城 (2021/11/04 訪問)

アプリの「赤母衣衆」イベントのため訪れました。本丸まで登るつもりはなかったのですが、同行の友人の主張で登る事にしました。数日前に笠間城を登っているので、少々疲れました。

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宗春

増島城 (2021/11/04 訪問)

御城印を頂きに訪れました。

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赤い城

急峻な岩山の要害 (2021/10/30 訪問)

城址公園になっていて駐車場も完備。
駐車場や忠霊塔周辺にも堀や石垣、土塁がありました。
忠霊塔から西側をフェンス沿いに登りました。
すぐに堀、その後は本丸までやや藪化した細い道を登ります。
本丸は三日月形でさらにその背後に物見台などが位置しています。
物見台には防空監視硝、近世の遺構も共存してました。
狼煙台から女二城へ降りる間にも堀切が見られました。
佐野市家臣の平野氏が築いた城。
ハイキングコースとなっていて歩きやすい城でした。

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TMN97

猪鼻城址 (2021/11/06 訪問)

猪鼻城址

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弘前城菊と紅葉まつり (2021/11/05 訪問)

「弘前城菊と紅葉まつり」が開催されていて天守閣等への入場料は無料となっていた。紅葉は美しく、平日でしたが人出は多く感じました。この城の魅力の一つは石垣だと思っていますが修復中です。本丸東側の石垣の修理はかなり進んでいるようです。2024年度に石垣の積直し工事を終え、2025年度に天守を元の位置に曳戻し、2026年度から2028年度にかけて、天守の耐震補強と保存修理を行う予定と書いてありました。3つの櫓、5つの門が重要文化財に指定されていています。これらの門は迫力もあり気に入っています。
のんびり歩いていたら夕立ちがあり、北門の下に避難しました。昔来た時も雨に降られたことを想い出しました。

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TESTU89

武田氏諏訪経営の拠点? (2021/11/06 訪問)

県道192から永明寺山公園に登り、ここの駐車場を使用。この公園から「歴史の道」遊歩道が上原城まで下っています。
東側斜面に7本の竪堀群が並び、この城の主は明らかに東側(甲斐)に意識が有ったと思われるのに、現在の姿は武田氏の諏訪経営の拠点として改修されたあとのはず。支配者交代の見える化は、城の改修の第一目的なので、これが武田方の城としての縄張りかな?と思えてしまう。
永明寺山は上原城の搦手の高い位置にあり、ここを敵に取られたら城内を見下ろされるし、尾根続きですし、もう終わりです。悪いことに東側にゆったり張り出す尾根があり、ここから登れます。この要所を抑える支城が鬼場城らしいですが、まだ、行ったことがありません。

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todo94

県内の城めぐり・その9 (2021/10/09 訪問)

枡形城に続いての攻城だったため、獣よけゲートのある搦手口からの登城となりました。尾根にとりついたところでそのまままっすぐ進んでしまい、可成時間をロスしてしまいました。尾根道を戻る方向に登って土塁に囲まれた主郭にたどり着くことが出来ました。大手からのアプローチでしたら迷う心配は無いと思います。三の郭の先の不動郭には公家風の石像がありました。烽火台と伝わる東郭からの眺望はなかなかのものでした。

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和徳稲荷神社 (2021/11/05 訪問)

弘前駅より徒歩15~20分のところにある和徳稲荷神社の周辺が城址といわれています。案内板等はありません。

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津軽為信 (2021/11/05 訪問)

弘南バス「津軽中学校通り」バス停より徒歩1~2分の場所に城址碑と案内板があります。

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大仏公園 (2021/11/05 訪問)

大仏公園として整備されています。遺構らしきところもありますが、よくわかりません。紅葉はきれいでした。

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津軽為信 (2021/11/05 訪問)

津軽為信が大浦城より移り住んだ城です。公園としてよく整備され見学しやすかった。予想以上によかったので、感激しました。

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神明宮 (2021/11/05 訪問)

神明宮の鳥居の横に標柱があります。遺構はわかりません。

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津軽じょんから節の発祥の地 (2021/11/05 訪問)

 千徳氏の城ですが石碑と案内板がありました。遺構はよくわかりません。
千徳氏が津軽為信に滅ぼされた際に、神宗寺の住職常縁は浅瀬石川に身を投げます。身投げした河原が「常縁河原」と呼ばれるようになり、後に「上河原」へと変化しました。この常縁の物語を口説唄にした「上河原節」が、時を経て「津軽じょんから節」となったと伝えられています。「津軽じょんから節の発祥の地」の石碑があるとのことでしたが、今回は行っていません。


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青春の巨匠

こんな所に! (2021/11/06 訪問)

須賀川と言えばウルトラマン。円谷英二ミュージアムを訪れ、ピグモンと記念撮影の後、三春に向かうべくGoogleマップを見たら、須賀川城のピンが。慌てて行って見ると二階堂神社という小社に城址の石碑を発見。ここが須賀川城本丸跡で、大名二階堂氏を祀っておられました。ただ、この周辺には遺構らしきものは見当たらず。三春の向かう途中にチラリと見えた翠ケ丘公園の隅が土塁に見えたのでこちらに遺構があるのかも知れない。

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青春の巨匠

紅葉の時期に行ってしまった桜の名所 (2021/11/06 訪問)

桜の季節には沢山の観光客が訪れる場所。知らずに紅葉の季節に行ってしまう。目的が違うから空いてて良いけど、街中が寂しい。人気のない街を先日の衆議院選挙で勝ったらしい自民党の街宣車が、お礼の言葉を連呼しながら走っているのもより寂しさを喚起していた。城は二の丸まで車で上がれるので楽チンな城だが、歩いて登ると結構な坂だと思う。各曲輪は良く整備されている。

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