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todo94

福岡県立美術館 (2020/03/29 訪問)

この日の城めぐりの締めは須崎台場。高知県の須崎台場に比べると大分、レベルが落ちますが、石垣が残っているだけでも御の字です。埋め立てによって海はずっと遠のいてしまっています。この後、キャナルシティまで歩いて昼食をとり、献血ルームにて無事、献血を遂行することができました。

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かとりのうみ

最前線の城・山中城 (2020/02/23 訪問)

訪問3回目にして山中城から富士山を眺める事ができました。
ただ去年の台風による被害が残っていて痛々しい様子。
でも崩れたのは遺構を保護する為に盛られた盛り土であり、遺構その物は無事との事。

山中城は、戦国大名北条氏の居城小田原城の外壁とも言える箱根峠に築かれた城で、当時の東海道私城内に取り込んでいた。
小田原征伐において、籠城する北条軍約4000に対して豊臣軍約7万もの軍勢に攻められ武運及ばず落城してしまうのですが、その後手をつけられる事がなかった為、戦国時代の最前線の城がよく残されています。

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カズサン

鯰江城認識から9年経て初登城 (2020/04/04 訪問)

 桜満開春爛漫の中清水山城初登城して琵琶湖東岸方面のお鍋の方屋敷跡を訪ね山城サミット浜松で初認知した滋賀県の鯰江城を初登城。

 お鍋の方屋敷跡高野館から愛知川の右手道東側の道を約6、7km北西方向手前1km程で工事道路封鎖ナビを頼りに北に曲がりこみ2,3キロのロス、前情報で車は鯰江町自治会館に駐車可のと有りそこを利用。

 駐車した自治会館に鯰江城の案内解説板有り、スマホ地図を頼りに写真投稿でよく出てる石碑、案内板の有る段丘下がった県道の通り角に到着、段丘周辺を探訪、直ぐ上の神社、そこが本丸との案内も?、発掘現場後、同土塁、同案内板は発見出来ず、周辺案内が無く知識不十分の小生では情けない。段丘周辺の段差、村内の石垣の一部で雰囲気を感じ取る。

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カズサン

信長側室お鍋の方屋敷跡石垣がしっかり残ってます (2020/04/04 訪問)

 桜満開の中清水山城、船木城を終えて滋賀県まで来たので9年前の山城サミット浜松大会で紹介を受けてた東近江市辺りの鯰江城に登城しよと琵琶湖西岸を南下し琵琶湖大橋を渡りましたが鯰江城の近くトーダイさんの投稿で初めて認識した高野館(高野城)に目当てを変えて国道421号線を桑名方向に進行、近くに在る小倉山上城跡(安養寺)、山上陣屋に寄って愛知川紅葉橋を渡り高野神社鳥居を潜り村中で分からなくなり地元の方に聞き直ぐお鍋の方の屋敷と教えて戴き現グラウンドゴルフ場に到着、路肩駐車。
 
 案内板に信長京都本能寺に出向く時最後まで見送ったお鍋の方と有り秀吉妻ねねと安土城を避難して信長亡き後秀吉に高野の領地を与えられいた、お鍋の方屋敷跡に該当する遺構と考えられると。愛知川の右岸河岸段丘に造られている、平成18、19年の発掘調査結果で石垣、スロープ、枡形状虎口検出され中世の城館と確認される。
 現在は埋め戻され地元の方のグラウンドゴルフ場、探訪日もグラウンドゴルフプレーをされてました。

 グラウンドゴルフに案内板二つ、西下部に石垣が残って居り現地表示、西下に愛知川、要害の地を選定してます。

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城好きのメガネ

「鳥羽の浮き城」 (2020/03/21 訪問)

<オススメ>★★★★☆
1594年に、九鬼嘉隆が築城した。以後九鬼水軍の本拠地となった。大手門が海側に突出して作られるという全国でも珍しい形をしており、この大手波戸水門が出入り口となっていた。関ヶ原の戦いで九鬼嘉隆が西軍に与したため切腹する。その後、九鬼家3代、内藤家3代、天領、土井家1代、大給(松平)家1代、板倉家1代、戸田(松平)1代と目まぐるしく城主が代わり、1725年に稲垣家8代で廃藩置県を迎える。現在、石垣等が遺されている。

<アクセス>
JR鳥羽駅 徒歩10分

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長野のゆうさん

桜と松本城 (2020/04/05 訪問)

桜満開らしいのでカゼうつさない
よう気をつけ、お花見に行きました
🅿️200円 歩数3000歩

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小城小次郎

朽木陣屋

陣屋跡に建つ朽木資料館は常時開設ではないせいもあって人が訪れた気配も少なく、鄙びているというより寂れていると言った方がよいだろう。大河効果を期待したいところなのだが。

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カズサン

清水山城の帰り初登城しました (2020/04/04 訪問)

 清水山城を初登城後トーダイさんの投稿に触発されて近くの船木城初登城。
 ナビに願船寺を合わせて走行安曇川町船木村中で指示された道が徒歩道で車進入不可狭い道を離合出来る所に停めて地元の方に聞き車道を通って願船寺到着門前の駐車出来るエリアに路駐。
 安曇川と安曇川北の支流に挟まれた中洲東直ぐ琵琶湖湖岸、中洲の微高地に城跡跡現願船寺、北にちょっと高い微高地に諏訪神社、寺院と村中が有り船木城は村中に埋没してるのか? 湖岸に近く水運の要に成って居りそれなりの拠点で有ったのかと思われる。
 船木城出城?願船寺の周辺は田圃、往時は沼湖等泥田か?田圃に囲まれた願船寺が可愛くおさまってる。

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宗春

会津若松城 (2018/05/04 訪問)

福島シリーズ2つ目のお城です。
ここも天守しか見ていません。若気の至り。

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宗春

白河小峰城 (2018/05/04 訪問)

記念すべき、日本百名城スタンプ1つ目のお城です。

この頃はまだ、天守にしか目が行かなかったですね。

あ、これ櫓か。

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宗春

小牧山城 (2018/01/03 訪問)

最初の訪問時の写真です。

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宗春

岩村城 (2015/08/13 訪問)

最初の訪問時の写真です。写った人物を消すため一部リタッチソフトを使用しています。
岩村歴史資料館に駐車して歩いて登城したのですが、夏で雨上がりだったので、鬱蒼とした山道を登りました。

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ダイエティシャン

甲府城 甲府開府500年  (2019/11/25 訪問)

 甲府開府500年ということで、攻城しました。

 台風の為、中央本線が一時運休になり、毎日復旧を願っていました。復旧した時はとても嬉しかったのを思い出します。関係者のご尽力に感謝です。静岡方面から、身延線経由で甲府に行こうかと色々な経路を検索していました。

 現在の状況も必ず終わりがあります。今は、ウィルスの終息にご尽力されている方々に感謝します。今後の攻城を軍議する時間を与えられたと思い、色々調べたいと思います。
 終息を心から祈っています。

 

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赤い城

筑波山を望む巨城 (2020/04/04 訪問)

県道41号線沿い、真壁体育館の駐車場を利用します。
体育館が本丸で二ノ丸、中城、外郭に遺構が残ります。
本丸への虎口に石碑が建っています。
中城には発掘調査中の部分があり、土塁や堀は復元工事中でした。
外郭の一番端にある鹿島神社の裏側にある土塁は戦国期のもののようです。
南北朝時代には関東六城に数えられた巨城です。

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todo94

生の松原は初めて (2020/03/29 訪問)

西新は2004年、今津は2005年に訪れておりましたが、生の松原の元寇防塁は今回が初めてです。波の音が聞こえるロケーションは最高でした。

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城好きのメガネ

「白鷹城」 (2020/03/20 訪問)

<オススメ>★★★★★
明知城は、明知遠山氏累代の居城であり遠山十八城のひとつである。標高530mの山に築かれた天険の地形を巧みに利用した山城である。源頼朝の重臣の加藤景廉が明知を含む遠山荘の地頭に任ぜられたのが始まりである。戦国時代には、交通の要衝であったため武田家や織田家に翻弄された。武田家の秋山虎繁(信友)、織田信忠(織田信長の嫡男)、森長可など目まぐるしく城主が変わった。秀吉の死後、田丸直昌が城主となるが、関ヶ原の戦いで西軍につき改易されると、遠山利景が先祖代々の土地を奪還する。一国一城令による廃城以降は山麓の陣屋にて、明治維新による廃藩置県に至るまで遠山氏がこの地を治めた。現在、土塁や堀切など遺構が遺されている。

<アクセス>
明知鉄道・明知駅 徒歩約20分

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カルビン

再訪の予行演習 (2014/07/21 訪問)

某肺炎ウィルスの蔓延防止の為にみんなで協力して我慢をしなければいけないこの時期。。。
趣味での外出は不要不急の外出となる為、お城巡り出来ておらずに悶々とされる方も多いと思います。

そこで景気付けと収束後のお出かけ情報として、封印していた近々で訪問していない元祖・続100名城upします。


お城巡りを始めて、初めて車で宿泊遠征したのが中部地方周遊でした。。。その1日目に訪問した越前大野城。

当時はカーナビ無く地図はロードマップでの訪問だった為に場所が良く解らず、案内に導かれるままに西側の駐車場へ、そこから登城。
途中城門や土井利忠像や野面積みの石垣を見つつ模擬天守に到着し、まず館内を見学。

その後東北方面へ進み金森長近像を見学したあたりで結構な時間経過していたので、残りは再訪を期して見学を終了しました。

山上とその道中至る所に野面積みの石垣があり、特に東側のものは苔生した場所が多く雰囲気が良かったです。
模擬天守の石垣も武者登り等、文句なしで続100名城に選ばれるべき場所でした。


完成された感のある場所なので再訪しても大きな変化はないと思いますが、見ていない場所も多く続100名城選定前の訪問だったので、郡上八幡城・鳥越城と合わせて再訪したいです。

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ぴーかる

妻木城 (2020/03/21 訪問)

【妻木城】
<駐車場他>本城池駐車場(城跡南側)・妻木城士屋敷跡前駐車場
<交通手段>車

<見所>士屋敷跡・巨石・主郭石垣・堀切
<感想>1泊2日東三河・東美濃御城印取得の旅5城目。多治見市内で宿泊した2日目。絶好の攻城日和、少しひんやりとした清々しい空気の中、朝8:00に妻木城士屋敷跡前駐車場に到着した。今回の旅のメイン、期待度MAXでの攻め城です。
 私は士屋敷跡を見たあと20分程登山して山頂にある城跡に行きました。途中巨石群があり私自身は楽しめましたが、駐車を移動すれば登山しなくて済むので楽に見学することができます。

「士屋敷跡」
関ヶ原の後、妻木氏が7500石で本領安堵され山頂の城では不便なのでここ城の北麓建てた。遺構は南から北方向の斜面に階段状にある広い屋敷跡は石垣造り。井戸跡・門跡・蔵屋敷跡がある。屋敷跡の中程には大石段の虎口があり見応えあり。近くにある崇禅寺に移築された屋敷群入口の門がある。関ヶ原ののち妻木氏が3代続いて跡継ぎ無しで断絶、屋敷も放棄されたらしい。しかし石高の割にはかなり広い立派な屋敷があったのだろうと思った。

「城跡」
元々は土岐氏が築城し、その後明智氏の所領になり、さらにその一族である妻木氏の城となった。 城跡は主郭のすぐ下段にⅡ郭があり、その間は1.8m程の仕切り石垣があり虎口も見られる。十字のくさび跡の残念石は東方向に主郭→堀切→曲輪→堀切の底にあります。北東方向に花崗岩の巨石群があり、石垣のようになっているが自然にできたものだそうで面白い。説明板の測量図によると南西部の曲輪群(行き忘れてた(泣))も含めるとかなり大きい城だったことがわかる。Ⅲ郭が物見になっていて、妻木郷が一望できる。

 個人的意見だが、光秀の妻煕子の実家、元々の主君の明智氏とはかなりつながりが深かっただろうと思う。麒麟がくるのように斉藤義龍に攻められて明智氏が没落する前に光秀と婚姻したのだろうと思う。
攻城後、崇禅寺に行って御城印2種とも購入、移築門と妻木氏3代の御墓見るの忘れたー。

<満足度>◆◆◆

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城好きのメガネ

「清洲城」 (2020/03/19 訪問)

<オススメ>★★★☆☆
尾張守護であった斯波義重が築城したとされる。1476年に、戦乱により守護所であった下津城が焼失したため、1478年に清須に移転した。伊勢街道が合流する交通の要衝でもあったことから、尾張の政治・経済の中心として栄えた。桶狭間の戦いに勝利した織田信長が、清須に入り、天下統一への第一歩を踏み出した。その後、清州同盟や清州会議の舞台となる。豊臣政権下では、豊臣秀次や福島正則の居城を経て、関ヶ原の戦いでは、東軍の最前線の城となる。名古屋城へ政治・経済の機能が移転したため廃城となる。現在、石垣が遺されている。

<アクセス>
JR清洲駅 徒歩15分

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カズサン

東館、西館猿との遭遇 (2020/04/04 訪問)

 先に清水山城の投稿の続きです、山桜が奇麗で、西館では突然の猿との遭遇をしました山城で猿に遇うのは初めて、館跡が奇麗に保存されてます。
 この時期濃厚接触も無い山城は換気抜群、遭遇者は山菜取りのご夫婦、遠目に一人、後はニホンザル、一人静かな独占状態で十二分に山城探訪を堪能しました。

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