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カズサン

現存建物と復元建物で綺麗に保存整備 (2011/11/12 訪問)

 10年前の平成23年11月、高山城の初登城を終えて三の丸跡の護国神社、水堀が終りの探訪でしたので二の丸公園駐車場に車を置いたまま、歩いて直ぐ近くの高山陣屋を初探訪。
 
 土曜日秋の行楽シーズンと有って人出は多く流石観光の飛騨高山です、その中心高山陣屋、観光客も多く各建物の撮影に出来るだけ人影を写さない様にと苦心する。
 
 入館して建物内部の見学、全国で唯一の天領代官所現存建物と復元建物が有りますがほぼ往時の建物は整備揃った様です、玄関式台、大広間、白洲、奥の居間、座敷、書院、台所、縁側より庭園を鑑賞、三階の建物も有りました、外に廻って大きな米蔵、米蔵は高山城の御蔵を移築した物で約400年の履歴が有る方です、他の現存建物は文化、天保の建物だそうです、復元建物は平成8年までに三次にわたり行ったとの事。
 素晴らしい形で後世の私たちに伝えて頂ける有難さ大変有意義な見学探訪でした。

 歴史は金森氏が羽州上山に元禄5年(1692年)転封の後、天領と成りそれ以来明治維新に至るまでの177年に25代の代官・郡代が江戸から派遣され、幕府直轄地の行政・財政・警察などの政務を行った。(高山陣屋パンフレット抜粋、一部加筆)

 陣屋の見学を終えて久しぶりの高山ですので古い町並みの在る伝統的建造物群保存地区を散策、旧高山町役場、中橋から高山城も眺め、飛騨高山まちの博物館、高山別院、飛騨国分寺三重塔、飛騨牛の美味しい匂いをかぎながら二の丸公園駐車場へ、坂道が辛い。

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イオ

続・一日まるごと小谷城(大嶽) (2021/11/21 訪問)

(続き)

大嶽(おおづく)は小谷山頂に位置し、浅井亮政が小谷城を築いた当初の本丸とされます。後に本丸は南東尾根に拡張した曲輪群に移されましたが、織田信長が小谷城を攻めた際、来援した朝倉義景が大嶽に布陣して現在の姿に改修したと考えられます。

さて、岩尾から尾根道を数分歩いて大嶽に到着。山頂の主郭は全周を幅の広い土塁で囲み、南部と北部に土塁を喰い違わせた枡形虎口を設けていますが、灌木が生い茂っていてよくわかりません。主郭西下の帯曲輪に下りると西辺に分厚い土塁が長くのび、土塁を越えた先は二条の長大な堀切によって北西尾根を断ち切っています。北西尾根からの侵攻により大嶽が陥落したことを思うと、これだけの備えをしていても駄目だったのか…と感じさせられます。主郭に戻って、今度は福寿丸や山崎丸のある南西尾根方向へ登城道を下って行くと、三方を土塁で囲んだ曲輪があり、土塁の内側には石積みが見られます。曲輪の西側と南西下には二条の巨大な竪堀があり、南西尾根から攻め寄せる敵の横移動を封じています。今なお相当な幅と深さがあり、見ただけで横移動を断念してしまうほどの規模です。

大嶽は大嶽城とも呼ばれますが、単なる出曲輪にとどまらない、分厚い土塁と巨大な堀切・竪堀をめぐらせた見事な土の城でした。それでこそ再挑戦した甲斐があるってもんです。満足しつつ南西尾根を福寿丸に向かいます(続く)。
 

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やま

萌える山城 (2021/10/30 訪問)

越中3大山城である「増山城」に行ってきました。安田城から下道で移動したため入口で少々迷いましたが、何とか城門址(復元)に到着。山城ですが、そんなに登りはきつくなく城跡にたどり着くことができました。城跡に関しては凄いの1言。丸、郭、土塁、堀切等がとてもよく残っており、目の前に当時の光景が浮かび上がってくる感じでした。まさに「萌える山城」でした。唯一縦畝堀が確認できなかったのが心残りです。また行きたいです。

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モト

虎口、石垣が見られる魅力的な城跡 (2021/08/10 訪問)

城跡には神社が建っております。
ですがそこには虎口や桝形の入り組んだ城跡だった証を見ることができます。
本丸跡を囲む石垣が見所です。

神社の駐車場に停めて城跡を見学しました。
門は工事中でしたがくぐると魅力的な水掘と入り組んだ虎口が出現します。
虎口を通って本丸跡を下から眺めるとそこのつながる赤橋がテンションを上げてくれます。
訪れた時期はやや草が多く写真も確認しずらいのですが石垣も見れて大満足でした。

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やま

萌える平城 (2021/10/30 訪問)

紹介写真が美しく、富山県に行く機会があればぜひ行きたい城跡でした。富山城からも近く、駐車場無料完備、資料館も隣接し充実の1言でした。白鳥城の支城ということで、規模は大きくはありませんが、整備が素晴らしく行き届いており、「萌える城跡」でした。資料館では出土品等の展示や、パンフレットも無料配布されており、また受付の方も親切で最高でした。

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やま

江戸城散策 (2021/11/25 訪問)

城郭検定で良く出題される江戸城。出題される建物、門を直接見る機会がこれまでなかったので、この度仕事のアポの合間に散策。国指定史跡になっている建物が少ないのに現存建造物の宝庫であることに驚きました。また国指定史跡なっていない理由も説明看板で理解できました。次回時間ができたら外郭の遺構の見学に行く予定です。

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ぎりょう

創建1300年に向けて南門の復元工事中 (2021/12/05 訪問)

多賀城市が多賀城創建1,300年にあたる2024年公開に向け、外郭南門などの復元工事を行っていることを知り、数十年ぶりに訪れてみた。
多賀城は奈良時代から平安時代に陸奥国府や鎮守府が置かれ、11世紀半ばまで東北地方の政治、軍事、文化の中心地として栄えた場所。創建は神亀元年(724)に大野東人が築城し、天平宝宇6年(762)に藤原朝狩によって大きく改修されたと云う。(多賀城碑)
多賀城跡のこれまでの私のイメージは、多賀城碑とその覆屋、かつて正殿・東脇殿・西脇殿があった政庁跡の礎石群だけの「静かな場所」であった。しかし現在は外郭南門から政庁までの大路や、石垣が復元整備され、今後さらに高さ14mの二重の南門と築地塀が復元されると云う。古代の景観がわかり易くよみがえることへの期待感も大いにあるのだが、芭蕉がおくのほそ道の行脚で歌枕の地を訪れ、「・・・山崩川流て道あらたまり、石は埋て土にかくれ、木は老て若木にかはれば、時移り、代変じて、其跡たしかならぬ事のみを・・・」と泪を落とした風情は失われてしまうのだろうか。

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小城小次郎

新しい方の拳母城 (2021/09/03 訪問)

拳母藩の藩庁はもともと別の拳母城(桜城)だったが水害やら何やらで拡張工事が難航し、何と18世紀の終わりになって新城築城が認められた結果、新たな拳母城(七州城)が完成したというものなのだそうだ。

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まーく

天空の城 越前大野城 (2021/12/05 訪問)

標高249mの亀山山頂にそびえる平山城
結ステーションの駐車場(無料)から天守閣まで徒歩20分程度
12月~3月は冬期休館のため天守閣には入場できません

御城印は券売所で購入可能
※冬期休館中は武家屋敷旧内山家にて販売(ただし別途入館料@300円が必要との事、、、)
 僕は4月以降に再訪することにし御城印は断念しました

雲海の撮影スポット
越前大野城の西約1キロに位置する戌山城址(標高324m)の南出丸下

雲海の出現条件
10月から4月末頃で最も出現する時期は11月
明け方から午前9時頃まで
・前日の湿度が高いこと
・前日の日中と翌日朝方の気温差が大きいこと
・風が弱いこと

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赤い城

土塁と堀で囲まれた公園 (2021/11/27 訪問)

ぴんころ地蔵の駐車場に車を駐めて登城。
公園になっていて土塁と堀が囲んでいます。
とりあえず土塁には登らないといけないので登ります。
主郭部は公園で地域の人が遊んだりウオーキングしたり。
ゆるく廻れるお城です。

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Tiger

奈良時代初期の役所跡 (2020/12/30 訪問)

ということは、1300年前?信じられないほど昔です。

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Tiger

本丸周辺は紅葉がきれい。 (2017/11/25 訪問)

頂上に近づくと徐々に紅葉が現れ、本丸の周りは、様々に彩られます。目の前の触れるぐらいの高さにあるので、写真映えします。落葉すると地面は美しい緋色の絨毯と化します。

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ぴーかる

黒田城 (2021/11/21 訪問)

【黒田城】
<駐車場他>城跡専用駐車場あり。
<交通手段>車

<感想>北はりま攻城の旅5城目。黒田官兵衛の生誕地は定説では姫路となっていますが、西脇市黒田庄黒田にある荘厳寺の「荘厳寺本黒田家略系図」には黒田氏および黒田官兵衛は黒田庄町黒田の出自となっているようで、官兵衛は黒田庄黒田の出身とする説があります。
 
 城跡自体は未調査や不明の部分が多く、稲荷神社のある小山の山頂部が3段程の曲輪になっています。北東側に高い山がありGoogleマップにも黒田城址となっていますが山全体に柵が回らされ中には入ることができませんんでした。内部も未調査らしいです。稲荷神社との間には横堀遺構が見られました。北西側に姥が懐という黒田家屋敷跡と黒田官兵衛生誕碑があります。


<満足度>◆◆◇

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todo94

千葉の城トップ5には入るでしょう (2020/10/31 訪問)

前日、野島埼灯台にて参観灯台スタンプラリーコンプリートで戴ける物品が2021年11月1日より新しくなることを教えて頂きこの日に予定していた犬吠埼灯台を文化の日に日延べしました。早朝から帰路につきつつの城攻めでしたが、見広城は登城口が分からずじまい。桜井城も登城路が分かりませんでした。3つめの大森城はいくつもの郭で構成されていて空堀も見応えがありました。個人的には千葉県の城としては続100名城の本佐倉城の次点くらいの評価をしたいと思います。

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いんげん丸虫

寺山砦 長野県箕輪町 (2021/11/21 訪問)

天竜川の左岸、小式部城山を中心に多くの城砦があります。
尾根に3つの堀切、細長い平場があります。熊笹が生い茂ってます。
麓の無量寺から歴史探索コースのようなハイキングコースが整備されています。

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カズサン

10年前錦秋の高山城初登城 (2011/11/12 訪問)

 平成23年飛騨の国の城を訪ねて無く朝早く高速を飛ばして日帰り城探訪を高山城、高山陣屋、松倉城を目的に出掛けました。

 先ずは高山城へ、車は二の丸公園の駐車場を利用。
 ルートは二の丸公園の金森長近の騎馬像を観察、公園から繫がってる搦手登城路を登って行く、直ぐに着くと思ったのですがこれがなかなか時間が掛りキツイ、私の足では20~30分掛かったのでは無いか?途中に曲輪、平場が有り頂上の本丸へ、紅葉が色鮮やかに本丸を覆いかぶさり、地面は紅葉の絨毯素晴らしい景観でした、本丸に案内板が有り本丸屋形の想像図が目を引きました、これが存在してたらとか?復元出来たらとか?妄想したり。
 下城ルートは大手方向に降り、復元大手門石垣?を抜けて二の丸から三の丸護国神社、唯一残ってる水堀を観察。

 歴史:永正年中(1504~1521年)、高山外記が、この山の頂に築城し、天神山城と称した。これが高山の地名及び城の起源ともいわれている。
 永禄元年(1558年)三木自綱に攻められて落城、天正13年(1585年)8月金森長近が豊臣秀吉の命により飛騨に攻め入り佐々成政と同盟してる三木氏を滅ぼして領主となった。天正16年築城に着手し16年の歳月をかけて完成させた。全国でも平山城として屈指の名城といわれ元禄5年(1692年)出羽の国上山に転封天領となるまで、金森氏6代107年の居城であった。元禄8年幕命により加賀藩の手で徹底して破却され昔日の姿を失った。別名:天神山城、臥牛山城とも。(高山市都市整備課の城山公園のあらましの抜粋と一部加筆による)

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やま

大阪城散策 (2021/11/20 訪問)

今回は櫓内部の一般公開をしていたため、西の丸庭園めがけて登城。櫓内部は初めて見学したので感動ものでした。紅葉も綺麗で色々見て回った結果、大阪城2周するくらい歩き回って癒されましたが、疲れもしました。

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やま

城郭巡り旅1 (2021/10/30 訪問)

富山城の跡地が公園として整備され、東側は本丸跡、西側は西の丸跡となります。天守は再建された模擬天守で、現在当時のまま残っているのは千歳御門のみです。日本庭園も整備され、紅葉もあり秋の雰囲気を満喫できました。地下に駐車場があり便利です。

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野間城は、光竜山城、野間山城、砦いくつかの総称だと (2021/11/28 訪問)

ピーカルさんに遅れること約1ヶ月。狙ってた城びと初投稿を逃しました。
先日投稿した野間山城の後に登城。登城口の説明板に「(光竜山城は)野間城の中心と見られ」と書いてあり、下調べ不足で「???」。
在田氏は、播磨平野が山地に接する辺りの河内から、野間川を遡った、山間のこの地に本拠地を移しました。守り易さを優先したのでしょう。しかし、三木城の別所氏に攻められ落城したと。
ピーカルさんがアップされてない写真を中心にアップしました。

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やま

石垣出没 (2021/12/03 訪問)

坂本城の石垣を見てきました。敗者のもの悲しさを感じる遺構でした。週末は周辺道路が混雑するので、徒歩で行くのがお勧めです。また歴史的遺産なので迷惑にならないよう、また破壊しないないよう遠目に見る程度にしたほうが良いと感じました。

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