天守台の真上に新幹線を通そうとして石垣をいじった城があるぐらいですから、もはや国道が縄張を分断してる程度では驚かない自分もいます。良いか悪いかはべつにして。
小机城(横浜市)。JR横浜線と第三京浜に挟まれた姿を地図で見たときはガッカリしましたが、いざ現地に来てみると鬱蒼とした木々に囲まれた遺構はかなり整っており、当時の様子を想像するのは難しくありません。
正確な築城時期は不明。一方で1478年、長尾景春の乱の際に太田道灌によって攻め落とされたという記録があるようです。その後は後北条の支城。2代・氏綱は小机を足がかりに当時扇谷上杉の居城だった江戸城を攻略しました。秀吉の小田原攻めでは戦闘の記録はなく、家康の関東入りで廃城となりました。
遠目には堅牢とは言いがたい印象ですが、登城口の登りは急。進むと最大の魅力である大空堀が西曲輪手前で待ち構えています。傾斜角は最大約50度。どう見ても城全体のサイズ感とは不釣り合いですが、逆にそれが軍事施設としての重要性を物語っているのかもしれません。中央西と東にある曲輪の周囲にもそれぞれ空堀があり、難攻不落ぶりを感じさせます。“経済成長とともに破壊された小さな城”という印象は正しくありませんでした。小ささには小ささの意味があるようです。現場に来たことで、それがよくわかりました。
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