先人たちの情報を受けて訪問、建物は撤去されていました。
残された柵の痛みを見て、さもありなんと思いました。
西条城(西尾城)と同じく、こちらも復元を期待します。
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2021/12/09 01:12
この一枚しか撮れなかった… (2021/12/07 訪問)
城内に入ってすぐに大雨!お堀の外からのアングルでも撮りたかった。傘を貸して頂き駐車場まで一緒に来てくれた、お城のお姉さんありがとうございました。
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2021/12/09 00:58
楽しめるお城 (2021/12/07 訪問)
閉館ギリギリだったので、急いで城内へ。子どもから大人まで楽しめる!ピンバッジを集めていたので、ガチャが故障中だったのには、残念でした。
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2021/12/08 21:41
田口城 長野県佐久市 (2021/11/27 訪問)
龍岡城の展望台がある田口城。
龍岡城からは徒歩で30分くらい登ります。
車でも行けますが結構な悪路とのこと。
迷わず徒歩を選びました。
登る途中にもところどころに石積がありました。
林道に到達すると展望台への案内板があり、まずは龍岡城を見下ろすことにしました。
やはり五稜郭、龍岡城に来たらここまで来た方が良いと思います。
展望台からすぐのところに竪堀群、さらに登ると主郭に到達します。
堀切や石積があり、展望台以上に楽しめました。
土豪の田口氏の居城で、後には武田信玄の家臣である依田氏が入った城です。
季節によっては熊もいるそうです。
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2021/12/08 20:57
☆☽ (2021/11/07 訪問)
続100名城スタンプラリー開始直後に出かけて以来です。
最初にセッテイに突入を試みたのですがなかなかの倒木ぶり。前回訪問のあと大きな台風があったのでそのせいかもしれません。途中で予想外のアクシデントがあるかもしれないと思い一旦諦め、東光寺ビョウから東山虎口のビューポイントへ。かつての印旛沼を想像しながら京成線を眺められるとても気持ちのいい場所です。Ⅳ郭・倉跡・奥の山・城山は、虎口・通路・門跡・木戸跡、堀切がとにかく楽しくて、行ったり来たりしました。すべて現地にある説明板のおかげ。ありがたいです。
東山に新しく案内所ができていました。ボランティアで詰めていた方にセッテイは諦めたと言ったら「ぜひ行きましょう」と仰ってくださったので速攻で2巡目行きました。東光寺ビョウからセッテイ曲輪の際を通る道を案内していただいたのですが、すくすくと元気に育った草と大胆な倒木で笑いが止まりません!道なき道を草をかき分けたりリンボーダンスしたりしながら進みました。(というか必死でついていきました。)そしてセッテイ曲輪の虎口を経て無事に大空堀にたどり着けました!
本佐倉城は佐倉市と酒々井町に跨っていて(ほぼ酒々井町)、整備もそれぞれの自治体なのだそうです。
“400年の眠りから覚めたお城”は訪れる者にとっては楽しくてたまらないのですが、旅行者がお金を落としていく観光地でもないので管理は決して楽ではなさそうです。そんな中でも立派なパンフレットや冊子を無償で配布くださってありがたいです。ここ数年爆発的ブームの御城印収入が城址の維持整備に少しでも役に立つのならと購入しました。厚紙で普通サイズ、折れずに持ち帰れて御城印帳にすっきり収まるタイプです。
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2021/12/08 18:34
2021/12/08 14:02
三田山中の九鬼海賊陣屋 (2011/10/25 訪問)
寛永10年(1633年)志摩の国鳥羽、九鬼氏のお家騒動で減封され三田に転封、九鬼久隆は三田古城跡に陣屋を構える、三田小学校が本丸九鬼氏屋敷跡、有馬高校が二の丸役所跡、小学校と高校の間が水堀跡、南に三田御池(大池)海賊船操練の池と言われ海賊の心意気を伝承したのでしょう。北、東に武庫川が流れ自然の外堀を構えてる。
九鬼氏は以後明治維新までこの地を治める。
10年前の平成23年10月宝塚の兄と訪ねる、三田小学校に在る城名石碑と城下図案内板を見学し高校との間の空堀、水堀を確認、三田御池も堤防に上がり観察、大きな池です、ここで操練をやったのかと思いを巡らす、降って九鬼家住宅資料館を訪ねる、ここは明治8年擬洋風建築として建てられた。
城下町としても整備され現在JR福知山線三田駅、神戸電鉄三田線三田駅が合流し阪神間のベッドタウンとも成って居る。
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2021/12/08 12:34
愛知県の城郭散策 (2021/10/07 訪問)
何度も登城した犬山城を俯瞰で眺めてみたいと思い、犬山橋へ移動。犬山駅から徒歩で移動したが、電車(名鉄)で1駅先の「犬山遊園駅」で下車すると便利でした。やはりこの橋から見た犬山城は美しいかったです。
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2021/12/08 12:24
愛知県の城郭散策 (2021/10/13 訪問)
空き時間を利用して以前から気になっていた上ノ郷城を見学。JR蒲郡駅からは少し距離がありますが、駅の案内所で電動自転車が無料でレンタルできるので、比較的簡単に見学できる城跡です。畑の真ん中にあり、本当に小規模な史跡ですが一部石積なども見られ満足でした。
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2021/12/08 08:24
続・一日まるごと小谷城(福寿丸) (2021/11/21 訪問)
(続き)
福寿丸は小谷山頂から南西にのびる尾根に位置し、織田信長の小谷城攻めに際して朝倉義景が布陣した大嶽の出丸として築かれました。木村福寿庵が守将となったことから福寿丸と呼ばれています。
大嶽から30分ほど下って福寿丸に到着。福寿丸は南北二段の曲輪の全周を分厚い土塁で囲み、北部と東部に虎口を設けています。西側には浅井・朝倉軍が拠った中島城と丁野山城、山本山城を結ぶ浅井・朝倉連合の防衛ラインが見渡せます。北辺は横堀と竪堀で大嶽に続く尾根を遮断し、東部の虎口は南側に(北側も?)横堀を設け、土塁を喰い違わせた枡形虎口です。南辺はなかなかの切岸になっていました。
じっくり見ても15分程度の小さな出丸ながら、土塁に横堀(堀切)に竪堀、枡形虎口まで備えた縄張は大いに見応えがありました。続いてはいよいよまるごと小谷城の締めくくり、山崎丸です(続く)。
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2021/12/08 07:29
滋賀の山城 (2021/10/17 訪問)
源右衛門カフェでパンフを入手するのがお勧め。無料駐車場も近くにあります。名神高速のガードをくぐり大手口から登城。この日はヒル、熊は出没しませんでしたが、源右衛門カフェでは「通常は出るが今日は大丈夫だろう」と言われた時には、少々ビビりました。道中の切岸は見事で、攻め手はさぞ大変だろうと感じました。南郭→主郭→北郭と進み西郭から下山するルートを取りました。見どころは南郭からの眺望、主郭虎口の石垣、北郭奥の大堀切や大石垣。西の曲輪群は「登りは無理です」と言われていたことがよくわかる急峻ですが、一見する価値ありです。険しい尾根を下山し、滝谷林道から帰りました。トレッキングシューズは必須アイテムです。
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2021/12/08 07:00
滋賀の山城 (2021/10/26 訪問)
出張帰りにちょっと寄り道。お城がある日向山の登城口は少しわかりにくかったですが何とか到着。721段?ある石段は綺麗に整備され、また竹林も美しくしんどいですが和みます。山頂の城跡エリアはそんなに広くないですが、食い違い虎口や、土塁址、櫓址などが確認できます。主郭入口脇にある石垣は草木に埋もれており、一目で確認できませんでした。お城は東海道、中山道を見下ろす要衝にあり、山頂からはなぜここに城郭が築かれたかが一目瞭然でわかります。
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2021/12/08 06:52
2021/12/07 22:48
文化財ウィーク (2021/11/02 訪問)
年に一度主郭に入ることができる「東京文化財ウィーク」。早帰りできる日の夕方、ダッシュ💨で行ってきました。
いつもは閉まっている柵が全開で、『石神井城跡発掘パネル展』開催中。
堀と土塁に囲まれた内郭(主郭)。写真や説明のおかげで「ここから見た感じがこうなっていて……」というのがよくわかりました。小屋がいくつか建っていたので何気なく近づいてみたらカラスが捕らえられていた、というドッキリもありましたが、いい経験ができました。
柵の中に入れなくても、東側の柵越しに土塁を確認することができます。周辺は住宅地ですが、説明板にあった地図を見ながら「だいたいこの辺りまで城域だったんじゃないかな」と確かめながら歩いてみました。
写真⑧の「石神井城址史跡碑」には長尾景春の乱で陥落するまでの石神井城主らの戦いの経緯が記され、最後に郷土の貴い史蹟が長い歴史の中で顧みられなくならないよう石碑を残し後世に伝える、と刻まれていました。遺構や文書などの史料とともに人々の熱い思いが歴史を伝えていくのだと思った秋の夕暮れでございました。
荻窪から路線バスを使われる方は「石神井公園」ではなくて「JA東京あおば」が便利です。
荻窪駅と石神井城の中間にある観泉寺には都の史跡である「今川氏累代の墓」があります。観泉寺は義元から三代目の直房が今川家の菩提寺としたお寺で、氏真以降の一族の墓碑があります。この辺りの今川という地名も今川家とのかかわりに因むのだそうです。お時間がありましたらバーターにぜひ。(写真⑨⑩)
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2021/12/07 22:19
信州の五稜郭 (2021/11/27 訪問)
五稜郭であいの館に駐車場があり、続100名城スタンプもここで押せます。
城跡には田口小学校が建っていますが見学もできます。
水堀や石垣も残っていて堀に沿って歩くのがなかなか良いです。
その他の遺構としては御台所が現存しています。
せっかくなので展望台のある田口城へ登城。
熊も大丈夫そうと聞き徒歩で登りました。
田口城のレポートは後日しますが展望台からは五角形の龍岡城を確認できました。
星形稜堡は函館の五稜郭とここだけ。
貴重な遺跡かと思います。
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2021/12/07 21:11
本丸及び主要部驚愕の高石垣群 (2011/11/12 訪問)
10年前の平成23年11月、高山城、高山陣屋を終えて飛騨の里合掌造り村の横を通り松倉城を目指す、道は曲がりくねった登り道舗装されています、峠の松倉シンボル公園/広場に駐車場が在ります、車は同駐車場を利用。
ルートは駐車場から案内指示板が有り登城路を登って行く、わりと緩い登り坂で楽な登城道でした、登城口に熊注意の看板、その当時熊除けベルは持って無く、冷や冷や登城、途中の尾根筋登城路に堀切が有り看板も有る、ほどなく三の丸高石垣に当たる、高石垣横下を通り搦手門跡から三の丸に上がる、上がると本丸外曲輪高石垣が聳える、横矢掛りにも成ってる、三の丸に南西角櫓跡、東南角櫓跡も有り、三の丸、本丸の東に二の丸が有る、二の丸から本丸外曲輪を登って本丸虎口から本丸に登る、眺望は絶景、本丸は南、西、東に低い石塁が有り北は高石垣の天端、城名石碑が建てる、二の丸に降りて本丸外曲輪と本丸の二重石垣を眺める、二の丸東に大手門跡、井戸跡、旗立岩がります、更に東の尾根筋に曲輪、堀切が有る様ですが足を延ばしていません。
観察、探訪中にガサガサと音がしたのでもしかと身構えるが同好の士で一安心、若干言葉を交わすがすれ違いのみ。
南東角櫓跡から三の丸の南側の高石垣を望むが草に覆われてハッキリとしないが高石垣の存在は認識出来る。
この時点で山城山頂が三の丸本丸二の丸を高石垣で構えた城郭を観察したのは松倉城が初めて、山城は余り登城してませんでしたが認識を新たにした山城でした。驚愕と圧巻の堅固な城郭を十二分に堪能しました眺望も最高、絶景です。
城址本丸に在る案内板による歴史
三木自綱は天正5年(1577年)白川郷を除く一円を支配し松倉城を夏城とした。松倉城は山城ながら山上の本丸に矢倉、城門を置き、標高856m比高360mの松倉山上に巨石を使って、堅固な石垣を築き上げている。戦国末期の山城から一歩前進した雄大な縄張りをもつ城である。天正13年(1585年)金森長近、可重父子に攻められて落城し以後廃城と成った。(案内板、高山市教育委員会の抜粋)
石垣の積みかたは織豊期後期、若干算木積の痕跡も見られるので、安土城築城前後より後かと、その当時に三木氏巨石を使った築城技術が有ったのか? くっしーさん投稿の考察が妥当な様に思えますが?
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2021/12/07 20:38
会津新宮城とネーミングは立派だが… (2021/12/04 訪問)
遺構はイマイチで,陣が峯城や青山城のバーターで訪れることとなるでしょう。
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2021/12/07 18:02
2021/12/07 15:10
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