石田氏館(城びと未登録)は、戦国期に京極氏や浅井氏に仕えた地侍・石田氏の居館で、石田三成の出生地として知られています。
石田会館から北側の石田バス停にかけてが居館跡とされ、明瞭な遺構はありませんが、石田会館には「石田三成公屋敷跡」「石田治部少輔出生地」をはじめとする多くの石碑、説明板、三成の銅像が建てられ、南西隅の堀端池は治部池とも呼ばれ、堀の一部と言われます。石田会館には三成についての資料が展示されているようですが、コロナ禍のため休館中でした。石田会館の北の石田バス停には「石田治部少輔三成屋敷跡」と「石田三成公邸跡」の石碑、案内板や説明板があり、石田バス停から北東に少し行ったところには、石田三成産湯の井戸があります。
石田会館の東には石田氏の氏神と伝わる八幡神社があり、その裏手の石田神社には、石田三成公一族及家臣供養塔が祀られています。これは八幡神社から多数の墓石が出土し、刻まれた文字から関ケ原の戦いの後、徳川方の追及を避けるべく石田一族や家臣の墓石を埋められたものと考えられ、新たに墓所を整備して供養しているとのことです。
また、石田氏館から東に車で5分、横山城南麓の観音寺には羽柴秀吉と三成の出逢いとされる「三献茶」の際に、三成が水を汲んだと伝わる井戸があります。長浜駅東口には、三献茶にちなんだ秀吉公と石田三成公出逢いの像も建てられています。
下坂氏館を去る際、ガイドさんから次はどこに行くか問われ、石田氏館に行くと答えたところ、「関ケ原で敗れたため、悪く言われることも多いけど、このあたりの人にとって三成は英雄なんですよ」とのことでしたが、こうしてゆかりの地をめぐってみると、本当に慕われてるなぁ、と実感します。
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