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やま

大規模な山城 (2021/09/04 訪問)

コロナ禍であったため100名城スタンプは押せなかったのは残念でしたが、前から一度は見たかった大規模な山城。随所に石積み、土塁址が見られ、丸や曲輪もよく残っていて(整備されていて)良かったです。規模は大きかったのですが、地図や案内がしっかりしているので効率よく見学でき、1.5時間ほどで全て見終わり、次の城郭へ向かいました。

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todo94

参観灯台スタンプラリーコンプリートの前に (2021/11/03 訪問)

10月30日に丘城の麓からの登城路を探して見事に失敗。帰ってきてから調べてみると鶴巻小学校の方へ進んで丘の上に登って搦手から攻めれば良いとのことでした。雷神社には立派な駐車場まで完備されて居るではありませんか。立派な空堀、土塁に城址碑まであって満足です。

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小城小次郎

こんなところに大物がいた (2021/09/04 訪問)

尾張藩家老職の屋敷があったということで建物の基礎石材などが散らばる不思議な空間。後で知ったがその家老職とは徳川十六神将の一人で「槍の半蔵」の異名をとった渡辺半蔵(守綱)だった。なんだよ、大物じゃないかー。

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モト

里見公園になってます (2021/06/28 訪問)

歴史的にも北条氏と里見氏が戦った際にも重要な城跡です。
公園は土塁や井戸が残っています。
特別、はきりとした遺構がガッツリ残っているわけではないですが公園内に入ると城跡の雰囲気がプンプンします。
今は里見公園となっていて昼間は憩いの場になっております。
夜は怖い◯◯スポットにの話題にもあがる公園です。
それも歴史上、激しい戦の舞台になったからではないでしょうか。

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赤い城

正安寺の背後、国境の城 (2021/11/27 訪問)

正安寺から林道を進んで行くと霊園があり、ここに車を駐めさせていただきました。
熊注意の看板に怯えながらも堀切の部分が登城口になるようです。
少し進むと石積があり、曲輪が、出丸のようです。
さらに主郭方面に進んで行きます。
主郭に下にも石積があり、切岸も鋭い。
主郭と二郭の間には二段になった石積がありました。
三郭から下似も道がありましたがここで撤退命令しました。
城主の平賀氏は地元の土豪で大きな勢力を持っていたと考えられます。

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チェブ

地域交流センターだっぺよ。 (2021/11/28 訪問)

法事で早く到着してしまいそうなので「豊田城」に寄りました。
いつもながら、城びと失格です。はい。

垣武平氏一族の豊田氏のお城です。
豊田 政親さんは小田城主の小田 氏治さんと同盟を結び、多賀谷氏に対抗してました。
小田 氏治さんは戦国最弱で有名ですが、いささか不安です。
その後、豊田氏は家臣に毒殺され滅亡してしまいました。
へっ、豊田家中、もめてたのでしょうか。
多賀谷氏の所領になりますが、徳川 家康さんの出陣要請に応じず、会津討伐に向かう家康さんに夜襲をしかける強者です。改易されてしまいました。
なんだか、憎めない方々です。

「豊田城」の場所は、模擬天守風の常総市地域交流センターではなく、小貝川の堤防上に城址碑があるそうです。
行ってませんがヽ(´Д`;)ノ
早朝だったので、地域交流センターも開いてませんでした。
外で地元野菜を販売している、おばちゃんたちと歓談。
茨城県の方言は語尾のイントネーションが高くなり明るい気持ちになります。
いや、どーも。なんちゃって模擬天守、見だらよかっぺよ(*´∀`)♪

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朝田 辰兵衛

土橋は消滅危機のような気がします… (2021/12/04 訪問)

土橋を撮影したハズなのに,画像を見返しても何もわからないです…<泣>。撮影している時も,ビミョーにわかる程度でした。消滅危機じゃないかと思います。物見郭に鎮座している日枝山王神社周辺だけ,手入れをしている感じがしました。少しヤブ入りすると,ドラム缶などの不法投棄も見受けられました。とても残念です。

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ぴーかる

貝野城 (2021/11/21 訪問)

【貝野城】兵庫県多可郡多可町
<駐車場他>那珂ふれあいセンター
<交通手段>車

<見所>曲輪・石積
<感想>北はりま攻城の旅6城目は城びと未登録の貝野城です。貝野城の詳細は不明で、有田氏(在田氏)の城とも別の説では山名系山内氏の居城ともいわれています。登城口は那珂ふれあいセンターの奥にあり、ゲートを開けて山に入ります。那珂ふれあいセンター横に東山古墳群があるので石室の残る古墳群も楽しめます。
 城山はふれあいセンターの背後の小高い山で、城山の更に奥の倍ほど高い山が妙見山になります。ゲートを開けて轍の道を暫く進むと左手に妙見山の登山道に入ります。城山も同じく進みます。3合目の看板のある鞍部から右に折れると妙見山、左に折れると城山があります。ここから城跡へは道がほぼ無いので直登します。ちょいキツですが、登り切った所が城跡北腰曲輪になります。城跡は大きく北主郭と南主郭があり、中曲輪で繋いでいる。虎口と虎口付近の石積みが比較的残っていて見応えがあります。お城のサイトの方の写真では綺麗に整備してありましたが、10年ほど前の方が多く現在はそれぞれの主郭は木々が生え伸びて結構鬱蒼として見づらいところがあります。面積の多い石垣遺構もあるようですが見落としてしまいました。

<満足度>◆◆◇

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いんげん丸虫

11年ぶり訪城。 (2021/11/21 訪問)

この地方の城、砦を見るための駐車位置として久しぶりに来ました。
11年前はもう少し藪でしたね。
当時は有名な所ばかり巡ってました。どんどん深みにはまり、5年前は
上ノ平城に近い城ケ峰城の巨大2重堀切を見るために訪れ、今回はもっと
渋い城跡に。。

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やま

アットホームな町岸和田 (2021/09/23 訪問)

随分後回しにしていた岸和田城に登城。想像を超えて素晴らしい石垣群、水堀、復元天守、八陣の庭など見どころ満載。特に石垣は補強した跡や、刻印、作った年代が様々なところ、堀に巡らされた犬走など、全て見て回ると2時間以上は必要でした。また昼食はお城の傍らにある五風荘で頂きましたが、建物、庭園、待合室、個室全て美しく、食事も全て美味である上、コストパフォーマンス最高。ぜひセットで散策頂ければと思います。お城の駐車場は有料ですが、五風荘とセット(五風荘横にあります)で行けば無料となります(でもお城の維持管理や、今後の発展を応援する意味では、たくさんお金を落とす必要があると常に感じています)。地元の方々はお会いした方全て親切で、また行きたくなる歴史を感じる街でした。

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カズサン

清和源氏流能勢氏陣屋石垣が良く残ってます (2011/10/25 訪問)

 清和源氏頼光流能勢氏の陣屋、室町幕府では中枢で勢力を誇って居ましたが光秀に加担した事で秀吉勢力に本城丸山城、城下町焼討にあい、能勢氏離散、関ヶ原での能勢頼次軍功により旧領復帰し新たに石垣造りの陣屋を築城し明治維新まで治政を行う。

 平成23年10月兄と三田陣屋初登城、城下町散策し地黄陣屋の手前で史跡マークの有る野間の大けやきを参拝見学、この欅は大阪府内一の大きさ、国内で四番目の大木でゆうに千年以上の樹齢を誇ってる。
 車は能勢町立東中学校目指し、駐車場が無く分からず大手食違い石垣門の前のスペースに路駐。
 
 探訪は以前より雑誌、写真集で認知して居ましたが初の登城、西側中央の大手門跡食違い石垣虎口、西から南へぐるっと築かれてる高石垣、南には排水石樋も有る、西側の北方向は高石垣で築かれてるが住宅が有り良く観察出来ない処も有る、北側は地形の関係で低い石垣、内部は校庭等で利用?当時、北奥中学校の下段に水堀が残ってる、奥中央に石垣で囲まれた小区画に能勢氏古城跡の石碑と鳥居、灯籠で祀ってる。
 
 陣屋石垣域は南北約110m超、東西約60mの長方形で南、西、北が石垣、東は水堀と上段の段丘に成ってる、西中央に大手門虎口と石垣が良く残ってる、万石以下の旗本ですが築城時が関ヶ原から大坂の役の前、戦国の気風も有り、清和源氏の流れである能勢氏の意地、一旦離散した苦渋への反発など相まって過分なる石垣の城(陣屋)を築城したのでしょうか?
 
 でも城好きには有り難い城郭遺構で能勢氏に感謝です。整備保存の能勢町にも感謝です。また登城が10年前なので写真は古く、最近投稿の写真は中学校体育館も無くなり石垣周囲の樹木、住宅が撤去整備されてる様です、また機会があったら訪ねたい城です。

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彦根城 (2021/12/08 訪問)

初めて訪れました。
噂通りの攻めるんやったら攻めてみぃお城。
素晴らしい石垣堪能できましたし大満足でした!

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飛騨市

江馬氏館跡公園

「史跡江馬氏館跡公園」は、室町時代から戦国時代にかけて北飛騨を治めていたといわれる武将・江馬(えま)氏の館跡に、中世の武家館(下館跡の庭園、庭園を鑑賞する会所、主門、土塀など)が復元された歴史体験ゾーンです。

公園のある江馬氏の館跡周辺は、近世以降水田として利用されてきましたが、地元では「水田の中にある5つの大きな石は江馬の殿様の庭石だ」と古くから言い伝えられており、昭和51年から行なわれた発掘調査では、この伝承のとおり庭園をもつ中世武家館跡が見つかりました。
昭和55年に国の史跡「江馬氏城館跡」の指定、平成29年10月に国の名勝「江馬氏館跡庭園」を受けています。国の名勝指定は飛騨地方初、史跡と名勝の二重指定は岐阜県内初となります。

※冬期(12月~3月)は休館
 ご城印は、道の駅スカイドーム神岡にて購入可能

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飛騨市

白壁土蔵のまち・飛騨古川の原点となった城

増島城は、金森長近が飛騨国支配における古川盆地の押さえとして築いた平城です。高山藩2代目藩主・金森可重が初代藩主を務めました。
現在は、古川小学校と飛騨市特別支援学校の間に、櫓台の石垣と堀の一部が残っています。櫓台の上には、増島天満神社(気多若宮神社に合祀)の社殿とその横に、御蔵稲荷神社があります。

※飛騨古川まつり会館にて、増島城のご城印(1枚300円)を販売中です。

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飛騨市

戦国武将・金森長近のまちづくりをオンラインで体感しよう!

飛騨の城跡のみどころを学ぶ歴史講座をオンラインで開催します。どなたでもご視聴いただけますので是非ご覧ください。
今回は、歴史地理学の専門家・山村亜希先生と飛騨市の学芸員2名が解説・トークを交えながら、飛騨地方の城下町を楽しくバーチャルツアーします。

開催日時
令和3年12月26日(日曜日)14時00分から16時00分ごろまで

内容
1、飛騨の城下町オンラインツアー(まち歩き動画+ライブ解説)
2、武将・金森長近のまちづくり(まとめ)
3、楽しくトーク

当日はチャット欄で質問を受け付けます。

出演者
京都大学大学院教授 山村亜希先生
飛騨市学芸員 三好清超
飛騨市学芸員 大下永

講師プロフィール
山村亜希氏
1973年広島県三次市生まれ。京都大学大学院地球環境学堂教授、同大学院人間・環境学研究科教授。専門は歴史地理学。文献・考古資料・地図等の分析と、フィールドにおける現地踏査を通じ、過去から現在に至る地域固有の景観の推移を研究している。NHKのテレビ番組「ブラタモリ」に案内役として出演。主な著書に『中世都市の空間構造』(吉川弘文館、2009年)等、多数。

参加方法
イベントは「オンライン(YouTubeライブ配信)」で開催します。
申込は不要です。
当日下記リンクよりご視聴ください。

https://www.youtube.com/watch?v=YPMlRi1XfIE

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イオ

続・一日まるごと小谷城(山崎丸) (2021/11/21 訪問)

(続き)

山崎丸は小谷山頂から南西にのびる尾根の突端に位置し、織田信長の小谷城攻めに際して朝倉義景が布陣した大嶽の出丸として築かれました。山崎吉家が守将となったことから山崎丸と呼ばれています。

福寿丸から下ること10分で山崎丸に到着。登山道沿いに石碑と説明板が設置されたところが登城口で、その東側斜面には竪堀を設け、登城口から西にのびる横堀(途中に折れを設けた横矢掛り)と併せて尾根を遮断しています。横堀の堀底を西に進んで南西隅の虎口から山崎丸に入ると、南北二段の曲輪の全周を分厚い土塁が囲み、上段(北側)と下段(南側)を枡形虎口で繋いで、動線を何度も屈曲させて横矢を掛ける造りになっています。さすがに南西尾根の最前線となる出丸だけあって厳重な造りですね。登山道を下りてきた時には気付きませんでしたが、北東部にも虎口があり、虎口と平行して竪堀も設けられています。

そして、山崎丸から清水神社に下山して、小谷城戦国歴史資料館で小谷城一周完了! 今回の所要時間は5時間弱。清水谷と大嶽の分岐からは3時間を要していますので、やはり前回は清水谷から下山して正解だったようです。そのおかげで清水谷の遺構を見逃さずに済みましたし、この時季に再挑戦したことで錦秋の小谷城も堪能できましたので。

今回は朝倉氏が改修した部分を中心にめぐりましたが、主郭部の石垣を多用した浅井の城と、分厚い土塁に巨大な堀切と竪堀を駆使した朝倉の城、二つの城を共に楽しめるのが小谷城の魅力(のひとつ)と言えるでしょうか。一日ではめぐり切れませんでしたが、二日でも三日でもかける価値のある素晴らしい城でした!
 

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やま

土の城② (2021/09/27 訪問)

何度もチャンスがありながらなかなか行けなかった興国寺城にやっと登城。後北条の城だけあって土塁、大堀切の迫力満点。北条早雲の旗揚げした城でもあり、今川・北条・武田・徳川が奪いあった城が目の前にある贅沢。感動しました。

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やま

続々100名城 (2021/09/27 訪問)

加藤理文先生の「100名城、続100名城にも負けない名城」の記事を読んでぜひ行ってみたい!と思っていたのですが、清水での仕事がたまたまできたので、見学しに行くことができました。陣屋とは思えない素晴らしい石垣の遺構や、関係者や地元の方々のお力で整備が行き届いていて、縄張りもよくわかりました。アクセス面でなかなか行きにくいのと、静岡県にはこのほかにも素晴らしい城跡が数多くあるので後回しになりつつあるんだと思いましたが、時間を作って一見する価値はあると思います。

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やま

土の城 (2021/10/06 訪問)

小机駅から徒歩10分ほどの非常にアクセスのよい城跡でした。住宅街の中にありますが、関東特有の土の城の遺構が色濃く見ることができます。縄張りもよくわかり、迫力のある土塁や堀、また竹林が美しく癒しのある城跡です。続百名城に選出されるだけの魅力はあると感じました。

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todo94

参観灯台スタンプラリーコンプリートの前に (2021/11/03 訪問)

10月30日(土)、アクアラインの渋滞に巻き込まれ、大幅に予定がずれてしまってこの日に攻城が繰り延べになりました。農村公園に説明板がありますが遺構は消滅とのことです。一応、グーグルマップのポイント付近の写真は載せておきます。

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