亀居城は福島正則が関ヶ原後戦功で安芸、備後50万石の太守として国境の支城を整備しその一つ、長門、周防毛利氏との国境の直近、大竹市小方に総石垣で築城した。
しかし築城完成3年目に幕命で一国一城令前に破城され、幕府の総石垣の壮大城郭、福島正則に対する豊臣恩顧の大名への猜疑心も遇いまった事が重なったのでしょうか? 約400年土に埋もれたままに成ってしまいました。
10年前の平成23年5月上旬、長門、周防、安芸、備後、播磨2泊3日の城廻り3日目、前泊した防府から山陽道経由、大竹ICを降りて亀居城の裏側登城通路の途中に在る専用駐車場を目指し、同駐車場に駐る。
亀居城の認識は歴史読本の県別ベスト10、学研のよみがえる日本の城7(広島城福山城)で紹介が有り、圧巻は学研の戦国の堅城Ⅱの安芸亀居城、樋口隆晴氏解説、イラストは香川元太郎氏の推定復元亀居城俯瞰図、俯瞰図をしばらく眺めて是非訪ねたいと思い込んで約5年目の今回はの企画に入れ初登城が実現しました。
探訪ルートは駐車場から三の丸下登城口から、発掘復元石垣が直ぐに目に入って来ます、登城路も石垣で囲み、三の丸、二の丸、二の丸虎口も小型の枡形、内部には演舞台付きの建物、本丸、本丸虎口は小型桝形4連で凝り切ってる、内部に入って南側に大天守台、左に小天守台、右に石階段付き多聞櫓台、天守台多聞櫓台には登れません、北東角に隅櫓台、北西は連続虎口、本丸石垣をぐるっと回る、東の二の丸下に詰の丸、詰の丸下に破城時の残存石垣が多数散見されました、登城口三の丸下に戻り有の丸、松の丸、名古屋丸、捨の丸方向を散策探訪、石垣は破城時のままか土の剥き出し、切岸、土塁、残存石垣、復元石垣が見られます、イラスト復元図に在る、鐘の丸、妙見丸は探訪してません。
亀居公園としてよく整備されています、所々に詩歌の石碑が多数ありますが趣味違いで素通りさせて頂きました、又桜の時期は過ぎて葉桜でしたが桜の時期は天守閣本丸から眺める景観は亀居城が桜に浮かんだような素晴らしい絶景が見られる事でしょう。
大竹市、教育委員会の約400年過ぎた亀居城の発掘調査、石垣復元、公園整備の御尽力には大感謝です。
続々百名城の制定企画がもし有りましたら是非亀居城の選定をお願いしたい。
素晴らしい城です。
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