臼杵城は大友宗麟が全島岩盤の丹生島に築城したのが始まり、島津氏の侵攻にはポルトガルから入手した大砲フランキ砲の威力と岩盤絶壁に護られ島津氏は撤退するも城下は焼け野原、大友宗麟没後嫡子義統は朝鮮の役での不始末改易され、豊臣期福原氏太田氏と代わり関ヶ原後には稲葉貞通が入封し江戸期は稲葉氏継承して明治を迎える。
13年前の平成21年6月中旬、大分県宮崎県城廻り6城目。
佐伯城を終えて臼杵城へ古橋口前辺りは再開発工事中でしたがその前辺りの駐車エリア利用。
登城ルートは、古橋口より臼杵城紹介の写真そのままの景観がお出迎え、鐙坂、鐙坂の土塀は修復工事中、現存の畳櫓、平成13年に復元した大門櫓(今回是非見たいと狙っていた)、二の丸へ井楼櫓跡、フランキ砲のレプリカ見学、城域は東西に延び西が二の丸、東が本丸、間に南北に空堀が構え、中間に本丸鉄門桝形、北側の空堀北端に今回修復整備された天守台が控えれる、修復天守台見学、本丸南東口に現存卯寅口門脇櫓、南東口を南に回り込んで城域の南端絶壁岩盤城塁を眺めながら古橋口へ。
今回では復元大門櫓、修復整備天守台を是非見たいと言うのが主目的、今は周囲が住宅街に成って居ますが、往時の周囲が海に囲まれてる姿はさぞ難攻不落の要塞城郭としての容姿を誇って居た事でしょう。
この後は陽が傾きかけた頃、臼杵大仏見学に向う。
+ 続きを読む









