懐かしい写真が見つかった。
3年前のゴールデンウィーク、また行きたい。
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2021/12/25 12:19
春が待ち遠しい (2018/05/02 訪問)
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2021/12/25 11:08
今まさに光が差し込もうとしている (2021/09/18 訪問)
洲本に脇坂安治がいた頃、すぐ近くの志知には加藤嘉明がいた。ともに水軍の将となりともに伊予の大名となる七本槍の二人はここでも隣り合わせで切磋琢磨していたのだろう。竹藪も払われたこの城は今まさに光が差し込もうとしている。
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2021/12/25 10:15
紅葉と新名所 (2021/12/03 訪問)
この日のお目当てはふたつ。ひとつは西之丸庭園の紅葉、もうひとつは和歌山城前にオープンした新名所です。
まずは西之丸庭園へ。浅野期に上田宗箇、または徳川期に小堀遠州が作庭したとされる池泉回遊式庭園で、国名勝に指定され、紅葉渓庭園とも呼ばれる紅葉の名所です。この日はまさに見ごろで、多くの人が訪れていました。西之丸庭園をひとめぐりしたら御橋廊下を渡って二の丸に向かいます。御橋廊下は二の丸大奥と西の丸を結ぶ藩主のための屋根・壁付きの廊下橋で、両岸の高低差のため斜めに架かっており、滑り止めとして床板は鋸歯状に組まれています。二の丸から西之丸庭園を見渡し、鶴の渓の高石垣を眺めながら砂の丸に向かい、新裏坂から天守曲輪へ。天守二の門脇のイチョウが色付いています。南の丸の動物園脇のイチョウも綺麗に黄葉していました。
続いては、もうひとつのお目当て、和歌山城ホールへ。二の丸の北側、けやき大通り沿いに10月29日にオープンしたばかりの施設で、四層吹き抜けのエントランスホール右手のエレベーターで5階に上がると、屋上の展望テラスからは和歌山城が一望できます。これまでも市役所の展望レストランやダイワロイネットホテルからの眺望は見られましたが、無料開放されているので気兼ねなく来られますし、芝生広場やガーデンテーブルもあって、城めぐり後にお城を眺めながら休憩するのも良いかもしれません。和歌山城めぐりの新名所になりそうです。
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2021/12/25 08:42
2021/12/25 06:14
ふなげ (2021/11/13 訪問)
「ふなげじょう」と読むのですね。駐車場所には難儀しました。公共交通機関でのアプローチが正解のようです。
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2021/12/25 00:21
36見附めぐり⑪~芝口御門~
銀座8丁目交差点そばの高速道路のたもとに古い橋柱があり石垣のようなものが見えたので絶対ここだと思ったらそこは“銀座の柳”の碑で、芝口御門跡はドンキの横の向かい側のビルの角でした。
説明板には『宝永7年(1710)に朝鮮の聘使の来朝に備えて新井白石の建策にもとづき我が国の威光を顕示するため……外桜田門に見られるような城門が建設されて…』とあります。外桜田門(一般に言う桜田門)は外枡形の大きな城門なので、あんなにすごいのがここにあったのか!と思いながら横の絵図を見ると、そんなもんじゃないカッコいい城門が描かれています。真ん中に大きな渡櫓。隅櫓もあります。家でよく眺めている江戸城の絵図で確認してみましたがこの形が描かれている門は他にありません。36見附に入っていないのが不思議でしたが、湊に近い南端であること、「我が国の威光を顕示するため」のもの、それから、わずか14年で焼失し再建されなかったということなので、人々の記憶にもあまり残らなかったのかもしれないと思いました。
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2021/12/24 22:30
凛とした平山城 (2021/09/02 訪問)
伊東氏と島津氏により、約100年にわたって激しくその領有権を争われた城である飫肥城を訪問。あまりに遠いので行けないだろうと諦めていましたが、九州出張の帰りの飛行機までの時間があったので、意を決して車で向かい登城することができました。ずっと想像していた通り凛とした静けさが広がる城跡で、激しい戦いがあったとはとても想像できませんでした。大手門を抜け中の丸(本丸跡)に登る階段は息をのむ美しさ。中の丸には日南市立飫肥小学校(藩校の振徳堂が前身)が建てられており、こんな静かで美しい城跡で勉強できる小学生がとても羨ましく思えました。旧本丸に上がるとも素晴らしい杉林が広がっており、想像を絶する美しさでした。遠かったけど行って良かった~。
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2021/12/24 20:46
36見附めぐり⑩~幸橋御門~
現在の新橋駅の北側にあったようです。“新幸橋”の交差点や石碑はありますが、新がつかない幸橋は見当たらず。諦めかけていた時にJRガード下に「幸橋架道橋」「幸橋ガード」のプレートを見つけ、心の中でガッツポーズいたしました。御門跡とは関係ないかもしれませんが充分満足です。
何か痕跡がないかとうろうろしていると「土橋」という交差点がありました。道路がカーブしている場所に素通りできないこのネーミング。城びとの習性で写真を撮り、帰宅後、江戸時代の絵図を見てみると幸橋御門から芝口御門にかけて、土橋・中ノ橋・新橋と三本架橋されており、この場所は土橋跡のようでした。(芝口御門は36見附には含まれていませんが、この後投稿します。)
門跡の遺構らしきものは見つけられませんでしたが、前回投稿の虎ノ門とこの幸橋門の間にある日比谷セントラルビルには、かつて外堀を固めていた石積みが展示されています。説明板には普請に携わった九州の諸大名の名前が見られます。折敷に三文字の刻印は臼杵の稲葉一通のようです。(←今、検索しました)
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2021/12/24 20:02
遺構なし (2021/11/13 訪問)
この城は遺構無しでいいんですよね。このところ遺構の見のがしが相次いでいるのでかなり不安になってしまっています。公園の一角に見つけた説明板だけしかありませんでした。
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2021/12/24 14:20
2021/12/24 06:44
教信寺未訪 (2021/11/13 訪問)
三木城合戦の故地である野口城。野口神社のほど近くにある説明板のみで満足してしまっていました。教信寺に立派な説明板があるとはつゆ知らず。赴く前に城びとの投稿をチェックすべきだと海より深く反省しています。
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2021/12/23 23:33
お城EXPO 2021(前夜祭) (2021/12/17 訪問)
初めての前夜祭参加。一度,その雰囲気を味わってみたいと思ってました。全体的にゆるい感触だったので,リラックスできました。お堅いインテリビジュアルの平山優先生が,実は面白い方だった…というのが最大の収穫でした。
その平山優先生ですが,「どうする家康」の時代考証を担当されるとの発表がありましたので,ご紹介します。
前夜祭プログラムの中でも,平山優先生の自論による考察が一番面白かったです。信玄が三方ヶ原の合戦に持ち込むきっかけづくりと,家康への詰め方はゾクゾクしました。オチは,信玄の究極ともいえる一手に対して「どうする家康」と。場内の笑いを誘いました。
そうそう,抽選で御城印が当たりました。けっこう当選者がいましたので,あまりレアではないかも…。
なお,平山優先生の直筆サイン入り書籍が販売されていたので,衝動買いしてしまいました。
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2021/12/23 22:01
よくよく探せば (2021/09/11 訪問)
学校の許可を得て校内に立ち入った際の写真が散逸してしまい長らく「写真なし」の状態だったが、漸く再訪叶い七曲口からの風景をカメラに収めてきた。よくよく探せばあちこちに城の面影を残していることに気付けると思う。
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2021/12/23 19:25
2021/12/23 18:36
2021/12/23 18:11
玉縄城に行ってきました (2021/12/12 訪問)
玉縄城に行ってきました
この城は北条早雲が三浦半島に領地がある三浦道寸を攻めるための、
足掛かり、そして抑えとして築城した平山城です。
そして初代城主として北条氏時が入りました。
三浦氏が滅亡してからは鎌倉一帯の防衛と北条水軍の拠点として存続しました。
歴代城主の玉縄北条氏は北条最強軍隊を率いて最前線で戦いました。
そして豊臣氏の北条攻めのため落城し、徳川の支配へと変わると本多正信、
松平氏といった徳川の重臣が城主となり、元和の一国一城令まで続きました。
そして現在は、城址として大きな塁壁(20m)のある諏訪壇や城主や家臣たちが蹴鞠を楽しんだ
蹴鞠場の曲輪や当時のままの堀切、七曲りを守るための三角広場、
火薬が保管されていた焔硝蔵とその小曲輪群があり、多くの痕跡があります。
(諏訪壇などは、現在立ち入り禁止のため清泉女学院中高等学校に事前に連絡が必要です。)
玉縄城については、玉縄城周辺にある龍寶寺の横にある、
玉縄ふるさと館に行けばわかりやすいと思います。
〔城情報〕
・分類 ❘平山城
・築城者 ❘北条早雲(伊勢宗端)
・歴代城主 ❘北条氏、本多氏、松平氏
・築城年 ❘1516年
・廃城年 ❘1615年
・主な遺構 ❘曲輪、堀切、土塁
・再建造物 ❘石碑、看板
・関係施設、場所 ❘龍寶寺、玉縄首塚など
・天守 ❘無
・駐車場 ❘玉縄ふるさと館裏にあり
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2021/12/23 13:49
落ち着いた雰囲気 (2018/04/15 訪問)
竹林になってて、深い堀など見応えあり。
散策がてら行ったので次回はしっかり見たい。
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2021/12/23 13:41
赤穂浪士の赤穂ですね。 (2018/03/24 訪問)
現在進行形で復元されているみたい。
見事な大手枡形や天守台など石垣も立派。
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2021/12/23 13:35
圧巻の白城 (2018/03/23 訪問)
平成の大修理のあと、3年経ってましたが白かったです。
この時は桜の一歩手前だったのが残念でしたが、それでも圧巻の城でした。
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2021/12/23 13:25
明石大橋が! (2018/03/22 訪問)
下から見上げるアングルがイイねー
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