カルビンさんの問題
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2020/05/11 22:01
武将居館×城•10択クイズ④
カルビンさんの問題
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2020/05/11 21:57
【縄張×城】隆景の狙い (2020/01/11 訪問)
釣井の壇を家臣団屋敷だとすれば、ここから見える大手門とその先にある小早川隆景の御座所(本丸)との歴然たる格差に家臣団は慄然としたことだろう。それこそが隆景がこの城に移った狙いなのではなかろうか。
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2020/05/11 20:23
【家×お城】籠城中にオススメの小説
GW終わって仕事に学業に再開された方々いらっしゃると思いますが、まだまだ自宅待機を余儀なくされている方も多いと思います。
そんな中ですので、籠城期間に限らず、公共交通機関での遠征等で持ち歩く、個人的オススメの武将達が主人公の小説を10作(シリーズも)ご紹介させて頂きます。
①水の城(風野真知雄氏)_成田長親が主人公の忍城水攻めの物語り。
②影武者徳川家康(隆慶一郎氏)_徳川家康が関ヶ原合戦で討たれ、以降身代わりとして影武者だった世良田二郎三郎が家康を演じていく物語り。上・中・下巻
③楠木正成(北方謙三氏)_楠木正成の南北朝時代の一生を書いた物語り。上・下巻
④蝮の孫(天野純希氏)_斎藤龍興の一生を書いた物語り。斎藤龍興の評価一変する事間違い無し。
⑤鬼の義(高妻秀樹氏)_佐竹家与力・真壁氏幹の一生を書いた物語り。
⑥絶海にあらず(北方謙三氏)_平安時代の執権・藤原氏のはぐれ者・藤原純友の物語り。上・下巻
⑦早雲の軍配者(富樫倫太郎氏)_風間小太郎が北条氏の軍師として活躍するまでの物語り。上・下巻
以降、信玄の軍配者(上下巻)、謙信の軍配者(上下巻)と続く。
⑧風魔(宮本昌孝氏)_風魔小太郎の戦いの軌跡を書く。上・中・下巻 + 外伝
⑨野望(信濃戦雲録シリーズ_井沢元彦氏)_武田晴信と山本勘助の国盗りと2人の敵・望月誠之助の物語り。上・下巻
以降、覇者(上下巻)、驕奢の宴(上下巻)と続く
⑩うつろ屋軍師(箕輪諒氏)_丹羽長秀・長重の家臣、江口正吉が主人公の物語り。
※10冊の表紙並べた写真添付しておきます。
他にも紹介したい小説数あれど、個人的に何度読んでも飽きない10作を厳選しました。
表記の武将に興味のある方、是非読んでみて下さいな(^ω^)
大手を振ってお城見学が出来る様になる為に、まだまだ油断すべきでない今の時期、可能な限りSTAY HOME守りきりで過ごしましょう。
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2020/05/11 19:52
2020/05/11 18:13
地元領民に愛された明智光秀が30年過ごした後、斎藤義龍により攻められ落城した城 (2020/02/04 訪問)
14世紀中頃に明智と名を改めた土岐氏の一族が、後に明智荘と呼ばれた一帯の長山に城を築いたが、長良川の戦いの後に1556年斎藤義龍に攻められ落城した。その際に再興を願った光秀は落ち延びてやがて信長に仕える事となる。
恵那市明智町にある明智城と区別するため、明智長山城または単に長山城とも言います。2つの間は車で約1時間なので間違えないよう注意が必要です。
本来の駐車場は来場客の混雑を予測して閉鎖されているため、花フェスタ会場駐車場から約15分徒歩で向かいます。
本来の駐車場脇の大手口登山道から石畳の桔梗坂を登るとすぐに復元された冠木門の大手門があります。切岸を見上げながら10分程で本丸跡に到着です。頂上部は広く本丸跡、二ノ丸跡や馬場跡、曲輪・土塁などは比較的綺麗に残っています。
落城の際の戦没者を葬ったと言われ7基の盛土が残されている七ッ塚や復元された馬防柵も見所です。
明智荘を見渡す展望デッキからの見晴らしはよく、美濃金山城や御嶽山、白山なども見られます。
展望デッキから急坂を降りて、竪堀を眺めて行くと切岸の上の見張り台跡の上に、地元住民が逆臣とされた明智一族の霊を慰めるために、監視の目を逃れて埋めたとされる「六親眷属霊魂塔」があります。
明智家が領民に深く慕われていたことが分かります。
山麓にある明智一族の菩提寺である天龍寺には、明智一族のお墓があり本堂正面では日本一大きな光秀の位牌と木像がお迎えしていて光秀ファンは必見です。
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2020/05/11 13:27
【独自視点×城】移築城門 (2017/06/13 訪問)
増島城の城門が近隣のお寺に移築して残っております、林昌寺に裏城門、圓光寺に表城門、少し離れた浄徳寺に二階城門と大切にされ残って居り城好きにはたまりません。
増島城は金森長近の築城平城です、飛騨には長近の築城、改修の城郭が飛騨には多く残って居り各視点を絞って廻るのも一興です。
また飛騨古川は観光地風光明媚で最近はアニメファン「君の名は」で聖地古川に成ってるようで、高山にない良さが有ります。
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2020/05/11 11:36
犬山城大好き❤
日本のお城、全部大好きですが、1番好きのは犬山城です。今は遠く出かけ出来ないので、おうちで登城気分にしています😃
落ち着いたら、絶対にまた行きます。
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2020/05/11 07:41
【独自視点(真田関連)×城】その3 矢沢城 (2016/11/06 訪問)
(場所:長野県上田市殿城817−6)
先日に引き続き真田関連独自視点シリーズ記事となります。
城びと未登録のお城ですが、真田郷南端に矢沢城があります。
主な城主は矢沢頼綱。
真田幸隆の弟(幸隆の正室の弟や養子で義理の弟になった説も)で、後に真田昌幸の重臣となり沼田城の城主になった人物です。
北条氏からの大軍を小人数で何度も退けた実績だけでも有能な将だった事が良くわかりますな(@Д@)
その息子・頼康も有能な人物だった様で。。。知れば知る程武田系、真田系の武将には優秀な人材多かったんですね(驚)
肝心の矢沢城ですが、入口がとても判り辛く(案内等は無し。矢沢公園を目指す事に)、お城を示すものは唯一城山の碑石くらい。。。遺構と思われる地形はあるのですが、現存なのかはたまたお城のものなのか断言出来ないものばかり(遺構だと信じたい)
そして矢沢公園近くには居館跡とされている場所があり、矢沢陣屋跡として仙石氏の御子孫の方々が現在も住まわれているそうです。
コチラは私有地ですので、訪問される際にはむやみに入る事はしない様にお願い致します(外観で櫓っぽい建造物が見れましたが、道中の道が激狭だった)
矢沢頼綱って小説でも名脇役として出てくる程度でスポットライト当たる事の少ない人物なので、新型肺炎ウィルス終息後、何かの機会にでもロマンを感じに矢沢城にも立ち寄られる事オススメ致します。
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2020/05/11 06:36
【独自視点・井戸×お城】覗かずにはいられない。
籠城企画前半戦で出題もさせていただいたのですが、井戸も好きです。
井戸にも『現存・復元・復興・模擬』があり、中を覗く時のドキドキ感は何度体験してもいいものです。
何百年経てなお水を湛えている井戸、木枠だけかと覗いたら石組みがしっかりと守られていた井戸、網が張られてバーベキューができそうな井戸、一面茶色い中でそこだけ緑の羊歯が茂っている山城の井戸など。
徳丹城(律令国家最後の城柵)の発掘調査中に井戸の中から見つかった木製兜は使われなくなった兜を鍋に転用(リサイクル)したものだと考えられているそうです。井戸跡の標柱の傍に立つと古代にタイムワープして当時の人に出会えたような気がして、日々紡がれる暮らしの積み重ねが歴史をつくっているのだと実感しました。
①有岡城②野田城③小沢城④荻野山中陣屋⑤河越館⑥徳丹城⑦平泉館⑧久留米城⑨大内氏館⑩滝山城
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2020/05/10 23:51
2020/05/10 23:28
2017.7.16登城 (2017/07/16 訪問)
前日の山形城めぐり後に秋田の大曲で宿泊し、早朝に秋田道で能代東ICを通って、檜山城址へ。
檜山城は檜山安東氏城館跡として、国の史跡に指定されており、良く整備されています。
同じく史跡指定されている茶臼館、大舘が近くにありますが、当日の秋田は大雨ということもあり、
檜山城のみ散策しました。
城址はかなり広く、遺構も良く残っており、郭や虎口、堀切などが確認できます。
雨が降っている状態でも散策が楽しめる城址ですが、改めてコンディションが良い日に茶臼館、大館と合わせて再度、訪れたい城址です。
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2020/05/10 22:57
2020/05/10 22:00
【独自視点(武将居館)×城】カルビンさん 10択クイズ解答
武将居館(フェイクを当てろ!)クイズ,2つ(4つ?)解答させていただきます。
A.徳川忠輝⇒フェイク(晩年の幽閉先が高島城。墓所は貞松院)
B.蜂須賀家政⇒フェイク(宮後城なので)
E.丹羽長秀⇒⑨白山神社の南側
J.豊臣秀次⇒③八幡山城
フェイクを当てると,とてつもなく気持ちイイんですよ…<笑>。
これで一気に埋まることになるかもしれませんね…(2択×2)。
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2020/05/10 21:01
2020/05/10 20:26
また行きたいお城です (2015/05/03 訪問)
2015年5月3日に携帯で撮った写真です。
100名城の表紙並みに撮れてる自慢の一枚です。
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2020/05/10 18:46
【独自視点(天守台)×城】
【独自視点(天守台)×城】城びと編
石垣の残っている天守台の3編目。百・続百名城では沢山残っている天守台、それ以外の城跡で残っていたのは私が行った中では7城ありました。なるべく遺構のある城跡を行ってますが、登城7/134城でその率約5%とさらにぐぐっと減ります。
戦国時代以前の城跡には主郭の隅櫓土塁跡は沢山ありました。また主郭部分が石垣で取巻いていていたであろう遺構も沢山ありましたが、天守+石垣天守台というのが信長やごく一部の大名が始まりだったことがよくわかった。
五十音順
①大溝城(滋賀県高島市)・・・織田信澄の居城。隅角部の算木積みが未発達ではあるが独立天守だったのだろうか、存在感と趣があっていい。
②小浜城(福井県小浜市)・・・近世城郭、京極高次の築城。本丸石垣の北西隅にあり天守は層塔型複合連結式であった。
③加納城(岐阜県岐阜市)・・・天下普請によって築城。もうひとつの岐阜城と呼ばれた。北西隅部が天守だったよう。
④鹿野城(鳥取県鳥取市)・・・築城年は不明、天守は亀井茲矩が築城。城の背後の山を鷲峰山(じゅぶせん)と呼び、山頂に天守台が残る。オランダ櫓等の風変わりな名付けをするので、きっと天守も風変わりだったろうか。
⑤周山城(京都府京都市)・・・1579年明智光秀の築城。主郭南端中心部にわずかに天守台石垣遺構が残る。
⑥八木城(兵庫県養父市)・・・築城は1585年以降秀吉に但馬八木城1万5千石をあたえられた別所重宗か。天守台は東西に伸びた主郭部の西隅にある。主郭南東部の櫓台石垣には算木積みが見られる。
⑦淀城(京都府京都市)・・・・1628年築城、約8間?×7間半の巨大天守台。本丸跡の南東隅にあり。伏見城天守を設置する予定が、急遽変更し小ぶりの二条城天守が設置されることに。四隅に2重櫓を設置して多聞櫓で繋げたそう。天守1階部分は日当たりなしだろうなあ。
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2020/05/10 17:10
2020/05/10 17:02
2020/05/10 16:52
2020/05/10 15:44
【独自視点(真田関連)×城】その2 真田幸隆の長男・次男菩提及びお城 (2015/04/30 訪問)
犬伏別れの地に続き、真田家関連の独自視点記事となります。
長野県の真田郷の北側に信綱寺という真田幸隆の長男・信綱と次男・昌輝の菩提寺があります。
二名ともに設楽ヶ原合戦にて討たれてしまい、その心労で父幸隆も程なく体を患ってしまった感があります。。。
真田信綱・昌輝両名共にかなり有能な武将だった様ですが、後に武藤家から戻って家督を継いだ三男昌幸のインパクトが強すぎてやや歴史から忘れられがちな所、戦国時代の哀愁を感じざるを得ません(涙)
その信綱寺の敷地内で小川を挟んで南側にある山門(黒門)の所には高土塁があります。
お城を示す解説や碑石等は無く、城びとにも登録されておりませんが、信綱寺を含む一帯は「内小屋城」という城址になっております。
同じ真田郷内で信綱寺(内小屋城)の東には両名の両親・真田幸隆の夫婦の菩提寺もあります。
新型肺炎ウィルスに打ち勝ったら真田郷のお城と合わせて訪問されると良いでしょう。
(次回真田郷にあるもう1つのお城の記事もup予定です)
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