二日町城からの転戦です。古今伝授の里フィールドミュージアム駐車場入口(35.811258、136.924262)から進入して駐車しました。
『大和村史』によれば初代・東胤行の晩年に築城が始まり、14世紀前半の四代・東氏村のとき本格的に城が完成して移住したとされます。
1468年(応仁2年)には斎藤妙椿に攻められて落城したが、関東に在陣していた東常縁がこれを伝え聞いて詠んだ歌が妙椿に伝わり、贈歌10首と引換えに城を返還した、と『鎌倉大草紙』にはあるそうです。
1471年(文明3年)から1477年(文明9年)にかけて、宗祇が篠脇城に常縁を訪ねて古今伝授を受けています。
1540年(天文9年)に越前国から朝倉氏が来攻したが、城主・東常慶の指揮の下、放射状竪堀から巨石を投下し、撃退したといわれています。
しかし、これによって[要出典]城自体の破損が著しく、翌1541年に朝倉氏の再来攻の際は、油坂峠で迎撃しています。
常慶は篠脇城を修復せず、同年に八幡(現・八幡町)の赤谷山に築城して移転し、篠脇城は廃城となりました。
後に遠藤氏が東氏の後を継ぎ、郡上八幡城を本拠としています。
篠脇城は栗巣川南岸の標高480m程の山に築かれています。北麓に東氏の館跡があり、そこから遊歩道が主郭まで通じているようです。
東氏館庭園は栗栖川の南岸、篠脇城の北麓にあり、発掘調査によって庭園が確認され、東氏館跡庭園として名勝になっています。
東氏館庭園は駐車場から篠脇城登り口(35.810443、136.925684)へ向かう通り道になります。
篠脇城の攻城は強雨と霧の為、登城口を確認して撤退しました。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=高富陣屋に向かいます。
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