篠脇城は東氏の城ですね。東氏は鎌倉幕府の功臣・千葉氏の流れをくみ承久2年(1220)郡上郡山田荘を領したとされます。南北朝の時代に南朝方の拠点、越前からの来襲に備え篠脇城を築いたとされています。応仁の乱の際には城主・東常縁が関東に下向している隙に守護代・斎藤妙椿に城を奪われてしまいます。常縁が詠んだ「あるが内に斯る世をしも見たりけり 人の昔の猶も恋しき」という歌が妙椿の耳に入り、かつての友人で歌仲間である常縁の悲嘆と歌に感じ入った妙椿は自分に歌を10首送ってくれれば、奪った所領をすべて返そうと約束します。常縁が歌を妙椿に送ると本当に城と所領を返してくれたそうです。
応仁の乱で敵味方に分かれていたとはいえ、両者ともに争うのは本意ではなかったようです。戦国時代では考えられない話ですが、何となく人間味が有りますね。
篠脇城主要部は主郭の北側に郭を段々に配したものですが、周囲に竪堀や畝状竪堀を周到に配しています。久々に来たし、じっくり遺構をみていこう、と考えていたのですがお腹の調子が悪くさっきからゴロゴロいってます。なんてこったい‥写真を撮りながら下山にかかります。
+ 続きを読む