篠脇城の麓に東氏居館跡があり庭園が再現されています。郡上東氏九代目の東常縁は武将であり、名の通った歌人であったことから、館跡の近くに古今伝授の里フィールドミュージアムが設置されており、館跡もふくめて周辺一帯が一つの博物館になっています。「和歌文学館」や「交流館」など和歌に関わる建造物が複数あり、フレンチのレストランも有ることから和歌好きであれば、一日楽しめると思います。この日は城攻めはお休みの予定でしたが、短歌をやっている母へのサービスで結局、城の近くまで来ています。
わざわざ連れてきたものの、当人はあまり感慨がわいてこない様子。早々にへばってしまって、文学館と庭園を少し歩いただけでグロッキー状態です。しょうがないので、しばらく休んで、メインの郡上八幡城へ向かいました。
応仁の乱のころ、東常縁は旧知の斎藤妙椿とは敵味方にわかれることになってしまいました。ちなみに東氏は東軍・・解りやすいですね。有るとき、常縁が関東に下向している隙に妙椿に篠脇城を奪われてしまいます。
これを嘆いた常縁の詠んだ歌「あるが内に かかる世をしも見たりけり 人の昔の猶も恋しき」という歌が妙椿の耳に届くと、さすがに後ろめたかったのか、自分に歌を詠んで送れば所領を返すと常縁に伝えてきました。
常縁が十首の和歌を送ると、妙椿は本当に所領を返してくれました。ギラギラしたエピソードの多い戦国時代と比べると信じられないくらい牧歌的な話です。常頼の十首の歌の詳細は省きますが、「嘆く」「憂き」「思いやる」「頼む」などの泣き落とし的なワードが多いです。ほんとに全部こんな感じで、良い歌だとは思いますが、妙椿さんも少し、心が疲れたのかなと思います(根負け?)。常縁さんはどちらかというと、せちがらい武士稼業より、歌を詠んでいる方が幸せだった気がします。
城めぐりの人の詠んだ俳句からインスパイアを受け、私も一句作って見ました。
「春の日に 白バイ潜む ハイウェイ 旅に浮かれる 心沈みし」 私は捕まっていませんが、先に行った車が捕まっているのを見ました。私も昔、GWに福島で捕まりましたね・・絶対やると思っていました。なんのこっちゃですわ。
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