しのわきじょう

篠脇城

岐阜県郡上市

別名 : 郡上城
旧国名 : 美濃

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しんちゃん

古今伝授の里 東氏居館 (2025/04/27 訪問)

篠脇城の麓に東氏居館跡があり庭園が再現されています。郡上東氏九代目の東常縁は武将であり、名の通った歌人であったことから、館跡の近くに古今伝授の里フィールドミュージアムが設置されており、館跡もふくめて周辺一帯が一つの博物館になっています。「和歌文学館」や「交流館」など和歌に関わる建造物が複数あり、フレンチのレストランも有ることから和歌好きであれば、一日楽しめると思います。この日は城攻めはお休みの予定でしたが、短歌をやっている母へのサービスで結局、城の近くまで来ています。
わざわざ連れてきたものの、当人はあまり感慨がわいてこない様子。早々にへばってしまって、文学館と庭園を少し歩いただけでグロッキー状態です。しょうがないので、しばらく休んで、メインの郡上八幡城へ向かいました。
応仁の乱のころ、東常縁は旧知の斎藤妙椿とは敵味方にわかれることになってしまいました。ちなみに東氏は東軍・・解りやすいですね。有るとき、常縁が関東に下向している隙に妙椿に篠脇城を奪われてしまいます。
これを嘆いた常縁の詠んだ歌「あるが内に かかる世をしも見たりけり 人の昔の猶も恋しき」という歌が妙椿の耳に届くと、さすがに後ろめたかったのか、自分に歌を詠んで送れば所領を返すと常縁に伝えてきました。
常縁が十首の和歌を送ると、妙椿は本当に所領を返してくれました。ギラギラしたエピソードの多い戦国時代と比べると信じられないくらい牧歌的な話です。常頼の十首の歌の詳細は省きますが、「嘆く」「憂き」「思いやる」「頼む」などの泣き落とし的なワードが多いです。ほんとに全部こんな感じで、良い歌だとは思いますが、妙椿さんも少し、心が疲れたのかなと思います(根負け?)。常縁さんはどちらかというと、せちがらい武士稼業より、歌を詠んでいる方が幸せだった気がします。

城めぐりの人の詠んだ俳句からインスパイアを受け、私も一句作って見ました。
「春の日に 白バイ潜む ハイウェイ 旅に浮かれる 心沈みし」 私は捕まっていませんが、先に行った車が捕まっているのを見ました。私も昔、GWに福島で捕まりましたね・・絶対やると思っていました。なんのこっちゃですわ。

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しんちゃん

主郭の周囲に多様な堀の遺構が残る (2024/10/20 訪問)

篠脇城は東氏の城ですね。東氏は鎌倉幕府の功臣・千葉氏の流れをくみ承久2年(1220)郡上郡山田荘を領したとされます。南北朝の時代に南朝方の拠点、越前からの来襲に備え篠脇城を築いたとされています。応仁の乱の際には城主・東常縁が関東に下向している隙に守護代・斎藤妙椿に城を奪われてしまいます。常縁が詠んだ「あるが内に斯る世をしも見たりけり 人の昔の猶も恋しき」という歌が妙椿の耳に入り、かつての友人で歌仲間である常縁の悲嘆と歌に感じ入った妙椿は自分に歌を10首送ってくれれば、奪った所領をすべて返そうと約束します。常縁が歌を妙椿に送ると本当に城と所領を返してくれたそうです。
応仁の乱で敵味方に分かれていたとはいえ、両者ともに争うのは本意ではなかったようです。戦国時代では考えられない話ですが、何となく人間味が有りますね。
篠脇城主要部は主郭の北側に郭を段々に配したものですが、周囲に竪堀や畝状竪堀を周到に配しています。久々に来たし、じっくり遺構をみていこう、と考えていたのですがお腹の調子が悪くさっきからゴロゴロいってます。なんてこったい‥写真を撮りながら下山にかかります。

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しんちゃん

電気柵またぎ (2024/10/20 訪問)

篠脇城もいずれ国の史跡になると思います。入口に電気柵がありフックを外して欲しいと記載が有りましたが、それはそれでなんとなく不安があるので、またいで通りました。
電気柵はメーカのものだと3000~10000ボルトという、高い電圧がかかっていますが、電流はわずかなのでで大事に至ることはないです。電線は2本か4本が主流で、2本ならたいがい跨いで通れます。電圧が非常に高いので獣の蹄やゴムの靴底でも電流が流れるとメーカの方に説明を受けています。電流が流れる時間は0.1秒ほどでブレーカを設置するなど法で規則が定められているようです。
電線に流れているのはプラス側の電流で、地面にアースが埋まっており、それがマイナス側になるようです。実はメーカから電気柵用のテスタが2000~6000円程度で販売されており、結構真面目に購入を考えてます。
そこまでして城跡に行きたいのか? と聞かれると答えはイエスです。行けるんだったら行きたい。
電気柵用のテスタは家庭用電流の100Vには互換性がありません。いまは法律で規制があるので、ブレーカなしで家庭用電流を柵に流し続けている人はいないとは思いますが‥。山奥だとわからないですね。

篠脇城の投稿でした。主郭の周囲に数段の郭がある単純な縄張ですが、大型の竪堀が複数あり、周囲を畝状竪堀群が囲んでいて、なかなか壮観です。東氏はこういう城が好みなのでしょうか。 

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しんちゃん

和歌は武士(もののふ)のたしなみ‥だそうな  東氏館&庭園 (2024/10/20 訪問)

東氏館は東氏館跡庭園として国の名称に指定されています。今年6月24日に「東氏館跡および篠脇城跡」を国の史跡に指定するように国の文化審議会は文部科学大臣に答申したそうです。篠脇城もいずれ国の史跡になるということですね。
東氏館は篠脇城の麓に位置し、庭園が整備され池もあります。近くにいくと足元が濡れている感じがするので、あまり粘土などで固めているわけではなさそうです。昔のままということですね。
「こきんはし」を渡って県道318号線を越えた先に「古今伝授の里文化財展示館フィールドミュージアム」があり和歌に関する様々な展示施設があり勉強になります。東氏二代目・東胤行は和歌に優れ、藤原定家の孫娘を妻として、和歌の世界で名を知られた人物であったようです。九代・東常縁も古今和歌集の研究者でしたが応仁2年(1468)篠脇城を留守にしている時に、美濃国守護代斎藤妙椿に城を奪われてしまいます。二人は実は文化人として交流があり、常縁に自分に和歌を送れば奪った所領を変換すると伝え、常縁は十首の和歌を妙椿に送ったところ所領の返還が決まったそうです。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 東氏村
築城年 鎌倉時代後期
主な城主 東氏
廃城年 天文10年(1541)
遺構 曲輪、櫓台、堀切、横堀(空堀)、礎石、畝状竪堀
指定文化財 県史跡(篠脇城跡)
再建造物 碑、説明板
住所 岐阜県郡上市大和町牧志の脇
問い合わせ先 郡上市役所大和振興事務所振興課
問い合わせ先電話番号 0575-88-2211