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モト

令和6年に創建1300年を迎えるんだそうです (2021/08/10 訪問)

その創建1300年に向けて南門の復元工事中。
政庁までの道にも石垣が復元されていました。

この幾つかの復元工事が終わるのが待ち遠しい感じです。
南門が完成したら改めて訪れたいと思います。

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小城小次郎

一瞬だけ、藩庁になった陣屋 (2021/09/02 訪問)

もともと板倉氏(重昌系、すなわち島原の乱で戦死した板倉重昌の系統)の福島藩領だったのだが幕末のどさくさで福島の領地を失い、重原領だけで立藩したので明治の2年間だけ重原陣屋は重原藩庁となっているのだそうだ。

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カズサン

西館編、立体連続枡形が圧巻 (2021/11/14 訪問)

 中館編の続き
 中館と西舘の間に在る大空堀は見どころ満載、西館側の土塁上を往復し空堀、土塁を実感満喫する、戻って北側土橋からスロープを降りて西館に入る、西館側の土塁内側は崩れてる所も有りますが石積で出来ている、草刈りされてる遊歩道は土塁沿い南北、内部は樹木草木が茂り踏み込めないが何かありそう、石積が2列相対してる所も微かに見える、南から西に進み、西に土塁が構えその横虎口から圧巻の連続枡形が西切岸下に降り込んでる、桝形内部には残石が散らばり石段の残渣ではないか? 連続枡形遺構を傷つけない様に金属製階段が設置され上下を行き来する事が出来見学観察には良好、西側の守りは土塁切岸連続枡形虎口と完璧である、惚れ惚れして見とれて居りました。

 西館、中館共に発掘未調査でまだまだ新しい成果が出て来る事が楽しみです、西館中館とも2/3は樹木草木が茂り踏み込み出来ません、パンフレットにも「草木類が生い茂ってる箇所は立ち入らない様お願いします」と記載されてます。

 長々と5編に分けた投稿を優しくお付き合い頂き有難うございました、探訪は約2時間満喫の桑折西山城でした、桑折町及び同教育委員会の発掘調査、整備保存に感謝申し上げます。

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くっしー

正直、驚いた!凄い戦国末期の土の城!! (2021/11/21 訪問)

岐阜県文化財保護センター国府事務所(高山市国府町名張1425-1)の南隣にある三木(みつき)氏の山城。

そこに城があることは前から知っていたのですが、岐阜県内はもちろん飛騨地域でもそんなに有名なお城ではないので、そんな大した城ではないのだろーなっと勝手に思い込んでいました。

しかし、実際に踏査してみたらビックリ。めっちゃ凄いお城!!

何が凄いかというと、①大きな堀切②畝状竪堀群③切岸
これらが、とても保存状態が良い状態で綺麗に残っているところです。
堀切と切岸の素晴らしさは写真を見てもらうとある程度分かってもらえるかなと思うのですが、
畝状竪堀群はなかなか伝わりませんね。とても素晴らしいですから、是非直接見に行ってください。

それから、この城を手に入れた三木氏は、その後飛騨国を統一します。
ところが、その直後に豊臣支配下の金森氏に滅ぼされてしまいます。
そのため、飛騨各地に三木氏の城がたくさんあるにもかかわらず、
ほとんどが金森氏によって改修されているようなのです。
ところが、この広瀬城に関しては手が付けられていないようです。
戦国末期の土の城を、その縄張を、学ぶ上で欠かすことのできないお城ですよ。

ちなみに、この地域はクマが出ることもありますので城を訪れる際にはクマ鈴などお忘れなく。

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赤い城

主郭背後に深い堀切 (2021/11/21 訪問)

案内板に沿って細い道を登ると登城口がありました。
駐車できるスペースがあり、そこに車を停めて登城しました。
入口に石碑と説明板があり、畑の脇を進んで行きました。
虎口があり、その脇の堀を進んでみたのですが竹藪で退散。
主郭の虎口脇には空堀ががあります。
主郭には羽黒神社が鎮座、土塁も残っています。
見どころは神社の先の深い堀切かと。
宇都宮氏支族の千本氏の居城で、那須高資を誘殺する事件の舞台になった城。
なかなか素敵な城でした。

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いんげん丸虫

布上城 長野県松川村 (2021/11/07 訪問)

布上城(ぬのかみ)
標高994m比高350mの険しい山城です。城主は諸説あるようです。
大幅の堀切、3重の楯掘、2重堀切等遺構は良く残ってます。
特徴的なのは主郭の西にある三の曲輪で、土塁に囲まれたほぼ3角形の窪地に
なってます。大規模な天水溜めのようで、かなり珍しいですね。
看板等一切ありません。大きな公園墓地の裏から直登します。
墓地に駐車可能ですし近くに民家は無いので、そういう心配は無いのですが
キツイ斜面を登ります。まずは浅い堀切のある尾根に到達し、そこから主郭まで
また心臓破りの斜面を登ります。

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びーこ

あんな石垣、こんな石垣 (2021/11/21 訪問)

「曇 、時々雨」という天気予報に不安になりながら登城を開始。前日の雨で地面はぬれていたが、ウッドチップが敷き詰められていて思っていたより歩きやすい。良く整備されている。
登り口は緩やかな坂道、途中から幅の広い階段状になっている。七曲り道と書いてあるということは、これを七回くねくねして登るのか〜結構大変かも。テレワークで貧弱になった体を鼓舞しながら、なんとか最初の門まで辿り着くことができた。
村上城の見所は何と言っても石垣。「野面乱積」「打ち込みはぎ布積」の両方が一度に見れるのは嬉しい。修復中ではあるが、元々は4、5段の階段状になっていたのかも?また、本丸入り口の鏡石は見落としがちなので要注意である。
今回はあいにくの曇天で、天守台から佐渡島を見ることはできなかったが、それでも海と山々を見ることができて爽快な気分になった。数組のカップルが本丸でお弁当を広げていた。なるほど、そういう手があったか!みんな良く分かっているなぁ。
本丸に辿り着くまでに、何度も同じ人とすれ違った。もしかして、あの七曲り道を何度も昇り降りしているのか?地元の方のトレーニングコースになっているようだ。凄いなぁ〜
登城の後はお楽しみのグルメ。村上は鮭が有名ということなので、ちょっと豪華に鮭親子丼のランチ。キラキラの鮭とイクラで疲労もあっという間に消え去った。

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todo94

野島埼灯台に向かう前に (2021/10/30 訪問)

参観灯台のスタンプラリーのため野島埼灯台に向かう前にサクッと攻城するつもりで立ち寄りましたが、南側の南房理想郷から攻めて大失敗。大回りをして八幡山遊歩道を見つけて登城しました。山頂に鎮座する八幡神社の石段が南側に続いていましたからかつては南側からも登城できたのではないかと思われます。山頂からの眺望は抜群。港の向かい側には城郭建築風の展望台を持つ大黒山展望台があって目立っていますのでお間違えの無きよう。

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ぴーかる

高見城 (2021/10/30 訪問)

【高見城】
<駐車場他>丹波悠遊の森駐車場無料
<交通手段>車

<見所>眺望・曲輪
<感想>北はりま攻城の旅2城目。高見城は1327年丹波守護の仁木頼章によって築城されました。戦国時代には豪族赤井家清が城主となったが、1579年赤井忠家が城主の時、明智光秀の丹波攻めによって落城しました。
 丹波悠遊の森キャンプ場を抜けて、登山口から山頂までは約1.2㎞程あります。ストックは不要かと思います。登山口の川跡、山の地肌剥き出しを登って中腹辺りから右に折れ林道に入ります。しばらく歩いて城跡と展望台方向の2又を左に入って、あとは林道をたどって行けば城跡にたどり着きます。中腹に段曲輪が2段程あり、その後岩肌の切岸のような場所もあります。主要部手前に亀井戸という井戸跡看板がありますが落葉で埋もれ全く分かりません。横矢がかりの折れを数回曲がると石祠のある曲輪に入ります。下山後地元の方がここで年1回神事を行うと仰っていました。凄いです、こんな山頂まで登って。この曲輪の上段が主郭になります。主郭を超えて南郭の曲輪群や石垣遺構があるのですが私が行った時には鬱蒼として行けませんでした。とにかく天気のいい日は眺望がものすごく見応えありです。

<満足度>◆◆◇
<グルメ>黒豆畑<35.134202, 135.051881>の場所で黒豆を直売りしています。黒豆の収穫時期が10月中旬~末くらいまでです。3株1000円でその場でセルフで株から実をもいで袋詰めします。2㎏くらいはありました。安い道の駅よりもさらに半値くらいで買えます。丹波の黒豆是非ご賞味ください。
⇒修正:2024/10/12 に黒豆購入&城攻め旅にて買いに行くと黒豆は栽培してなく、田んぼに変わっていました。2023年に買いに行くと酷暑で以前より出来栄えが悪くなっているそうであまり多くは収穫できないと言っておりましたので、転作したようです。残念です。

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織田晃司

複雑に入り組んだ片上湾に (2021/11/23 訪問)

海上の守りを任せてそびえる山城。
本丸をぐるりと土塁が囲んでます。

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織田晃司

一粒で二度おいしい (2021/11/23 訪問)

模擬天守が目立つ茶臼山城ですがしっかり遺構も残ってます。

しかも茶臼山城と同じ山の尾根にある大仙山城にも歩いて行けるので、両方見る事をおすすめします。

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越前町への道すがら (2021/11/23 訪問)

城びと未投稿であったのを見つけ、訪問してみました。福井平野の西、越前海岸との間の山地の始まる手前にあります。日野川沿いの微高地で、現在の日野川堤防との間に堀跡があります。2017年の古城盛衰記さんレポートでは、郭の大半は毘沙門堂裏手の杉林にあるとされてましたが、現在は、杉は伐採されて、空地になっていました。
清水山城から越前海岸に向かう途中に織田(おた)地区があり、尾張織田家がここから出たとのこと。立ち寄りませんでしたが、信長像もあります。今の季節、越前海岸は、カニ一色。

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カズサン

中館編、西舘間の大空堀、大土塁は圧巻です (2021/11/14 訪問)

 二の丸編の続き
 二の丸唐沢間の堀切を抜けると西側上部に中館の東城塁が聳えてます、間に平坦な唐沢が構え、東側城塁には帯曲輪を構え二段の切岸が防御してる、軽トラが通れる道を登り中館の内部へ、中館の南側1/3程が草刈り整備されてますが北側奥は樹木草木が茂り立入困難区、南側下に枡形虎口、二の丸方向へ開いてる。
 遊歩道が北側の中館、西舘の大空堀土橋に繋がって居り土橋からの大空堀の眺めは圧巻の一言、中館西端一杯に伸びている、中館側の堀が深く土塁は西舘より高い。なお北側にも土塁が走ってるようですが樹木が茂り近づけず遠目で視認するのみ。
 今回の整備で杉など樹木を伐採、草刈りし素晴らしい大堀切、両サイドの土塁を実感出来景観整備の大成果です、桑折町の整備保全に感謝しありがたい事です。

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ばばよ

天下普請の土塁の平城 (2021/10/31 訪問)

鮫ヶ尾城に行く前に車で訪問。
無料駐車場が複数あります。
周囲は運動公園になっており、近世城郭っぽい建物は三重櫓くらいですが、昔の縄張りを活かした構造になっています。
あまり見ない小洒落たデザインの三重櫓が史実にどれだけ忠実な外観かは不明です。
政変の舞台になったこともあり、三重櫓内および上越市立博物館内の展示内容は豊富ですので、ぜひ両方とも入館されることをお勧めします。
平城なので、雨の日の翌日くらいなら問題なく訪問できそうです。

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くっしー

小さい城だけど桝形虎口あり (2021/11/21 訪問)

なかなか入口が難しいのですが、宮川沿いの県道471号を行くと「吉城コンポ」という看板があるので、そこを進んでいくと屋根だけになった廃屋があります。その脇に城へと続く道があります。徒歩15分ぐらいで主郭までたどり着くことができますよ。

主郭の手前には枡形虎口とそれに伴う石垣の残骸が残っています。
枡形虎口の先に進むと「蛤石」と呼ばれるご利益のある石が祀ってあり、その横に飛騨市が説明看板を設置しています。
主郭はその奥にあり、さらにその奥が一番高くなっていて櫓台だったと考えられています。

姉小路氏、三木氏という飛騨に勢力のあった城ですが、金森氏が改修しているのではないかと考えられています。
その根拠が「枡形虎口」だそうですよ。
それまでこの地域になかった織豊系城郭の要素が金森氏によって持ち込まれたのではないかということです。
それから、めちゃくちゃ大きな竪堀があるのですが、これは破城して石垣を転用するために作られたのではないかと考えられています。
こういった説を見聞きすると、改めて現状の城跡というのは上書きを重ねた最後の姿なんだなぁ~と感じますね。

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小城小次郎

徳川家康を輩出する安城松平氏の城 (2021/09/02 訪問)

三河松平三代目の信光の三男・親忠が安城城に入って安城松平氏となり、今川氏との戦いで没落した岩津松平氏に代わって松平宗家となった。この家系が岡崎に移り、やがて徳川家康を輩出することとなったわけだ。

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赤い城

公園として整備されている。 (2021/11/21 訪問)

桔梗山に位置し、主郭や千人溜は公園として整備されていて駐車場もあります。
駐車場横は千人溜と呼ばれる広い曲輪で公園になっています。
主郭もすぐで土塁も残っていました。
主郭と笹曲輪の間には麓からも確認できる深い堀切があり、見どころでもあります。
その堀切に降り、二の丸との間の堀切に進んで行きました。
草刈りもされていたので。
二の丸は杉林で藪、公園になっている部分以外はなかなか攻略できそうにありません。
出丸に周ると銀杏の黄色に染まった堀跡も見ることができました。
茂木氏の居城でしたが北条氏により二度も落城しています。
ちょうど紅葉も綺麗でした。

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くっしー

幕領飛騨のおもてなし (2021/11/22 訪問)

現在、高山陣屋では企画展やってます。
「幕領飛騨のおもてなし ─代官・郡代が!巡見使が !! やって来る!!! ─」
https://jinya.gifu.jp/news/event/p520/
高山陣屋に赴任してくる代官・郡代を迎える飛騨の人々がいかに大変だったかを知ることができる展示になっています。
展示は令和3年12月19日(日)までですよ!!

企画展はもちろん面白いのですが、常設展も幕府の飛騨支配や明治維新後の陣屋について知ることのできる大変興味深い内容になっています。
それから、建物内には展示解説を読み取ることができるQRコードがあちこちにあるので便利です!!
雪の降る季節になってきたので車で行かれる場合は、スタットレスタイヤに替えるのをお忘れなく。

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カズサン

二の丸編、二の丸畝掘が実感出来ます (2021/11/14 訪問)

 本丸編の続き
 本丸の整備の行き届いた所を観察探訪し、以前のままの城名石碑とその周りの桜は紅葉で美しく5年前に訪れた春桜の時期とはまた趣の違う風情を楽しむことが出来ました。
 本丸と二の丸の間には土塁と畝掘りで防御されてます、後北条氏より前に畝掘りの構えが在ったのですね! 整備され畝掘りの南端には見学通路土橋が架かり畝掘り土塁を見やすく成ってます、北の端には微かに土橋のように見える箇所も有ります、以前訪ねた時は現在畝掘り中仕切土塁と言われてる所を土橋と思って本丸、二の丸の行き来に通ったものです。
 二の丸内部は5年前のまま変わっていません、草は刈られ歩き易い、南側の段曲輪、西端には土塁が南北に構えてる、土塁にスロープで繋がってる所は石積が見られます、土塁の北端は虎口と成って居り手前に馬出の様な曲輪が見られる、南は大手門への切岸、西の土塁下は唐沢間の堀切と成って居り二の丸土塁側は高土塁で見応えが有る。

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じゅんじん

公園 (2021/11/07 訪問)

史跡が残されつつ子供も遊べる公園でした。空堀が残ってます。

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