総社市北の鬼ノ城と同じ山塊に経山城があります。鬼ノ城の南西1kmくらいの高まりで、総社の平野の北側にそそり立っています。大内氏が立地に目をつけて城を築いたとあります。大手は、南の急坂を登るようですが、搦め手は、砂川公園から鬼ノ城に登って行く車道からアクセスできます。その地点で既にかなり山中です。
尼子勝久の1万あまりの軍が備中を攻めた際に、経山城の中島氏は、千人ほどで守り切りました。鬼ノ城は、経山城の出城として使われていたとのこと。
車道となっている谷の道から、搦め手の尾根に至るまでの登りは200mほどで、小さな渓谷状。さらに花崗岩が風化し、滑りやすい急坂です。尼子の大軍はここを突破できず、包囲戦に変更。その後、中島氏の奇襲成功もあり、尼子軍は、備中北方へ退却したと。
山頂にはけっこう広い平坦部があり、堀や土塁、石垣が見られます。比較的単純な造りで、守りは急峻な自然地形に依っているようです。
経山城探索のあと、道の先の鬼ノ城に行ったところ、コロナ禍により閉鎖中。20kmほど高梁川を遡った、備中松山城も閉鎖中です。
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