「渋谷で見つけた『SEVENTEEN'S MAP』 50の夜」
渋谷城だけだとショボって思っている方は,ぜひクロスタワーのテラスへ。尾崎豊世代なら説明不要だと思います。と言っても,その世代はすでに50代になっております。なので,『50の夜』と表現。
コロナにより,支配からの『卒業』も一歩進んだかも…。
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2021/06/27 02:49
【お城川柳】『15の夜』じゃないんかい! (2021/06/25 訪問)
「渋谷で見つけた『SEVENTEEN'S MAP』 50の夜」
渋谷城だけだとショボって思っている方は,ぜひクロスタワーのテラスへ。尾崎豊世代なら説明不要だと思います。と言っても,その世代はすでに50代になっております。なので,『50の夜』と表現。
コロナにより,支配からの『卒業』も一歩進んだかも…。
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2021/06/26 23:29
2021/06/26 23:21
明石駅より (2021/06/26 訪問)
久しぶりに明石城へ行って来ました。12基しか現存していない三重櫓の2基、伏見城から移築されたとされる坤櫓、船上城から移築されたとされる巽櫓が印象的ですが、この城址の魅力は高石垣だと思っています。両櫓下から二ノ丸、東ノ丸にかけての石垣は圧巻です。他にも魅力的な石垣があるのですが、季節も悪く葉っぱなどでよく見えません。東ノ丸東側の箱掘は藪になっていました。
できれば次は冬季に来ます。
余談ですが、時間の関係で明石焼きが食べられなかったのが心残りです。
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2021/06/26 23:18
麓の遺産センターで文化財速報展が有りチョイ登城 (2021/06/26 訪問)
井伊谷城の麓に浜松市地域遺産センターが在ります、2021年6月19日~8月29日間に「2021はままつ文化財速報展」が開催されてます、目玉は近年発掘調査で発掘された6世紀末の「金銀装円頭大刀」が復元展示されるとの事で是非見たいと9時の開館に合わせて出掛けました、浜松にもこの種の大刀が出土したのかと感慨物で興奮の見学でした。
その他令和2年浜松文化財の最新情報の展示各種、浜松城の発掘調査報告も有り、大型スクリーンで最近の浜松城調査報告が15分、浜松城徳川家康在城期、堀尾吉晴在城期の復元CG2分を3回上映、復元CGはYouTubeでも流れてましたが、大画面で家康の土の城、吉晴の石垣の城がリアルに表現され大変興味深く観察鑑賞しました、お薦めの浜松城復元CGです。
1時間鑑賞見学の後、車は地域遺跡センター前の駐車場に駐めて、遺跡センター、協働センター、図書館前を通り登城口より、結構急な坂で疲れますがゆっくりと小幅の徒歩で登城、登城路は大河ドラマ直虎放映頃より両サイドに手摺が完備、モルタル舗装で歩き易くなってますが階段以外は急です。
大河より4、5年経ち直虎の幟も風化激しくボロボロ、案内看板、解説板は新しい感じは残って居ます、主郭には南に展望台、浜松のアクトタワーも見えますが曇りで霞みハッキリしません、登城路両サイドのカヤは刈られ保全されてる、主郭は二段、奥に御所の丸、奥から詰めの城に成る三岳城が遠望できる。
下城して麓の井伊氏居館跡を探査、井殿の塚井伊直満、直義兄弟の供養塔、四区公民館に居館跡の解説板、居館堀の跡の水路を見学探査し車で井伊谷宮参拝、後醍醐天皇第4皇子宗良親王を祀ってる、車で井伊氏の菩提寺龍潭寺を参拝、車を同駐車場に置き、近くの井伊氏初代共保が生まれたと伝わる井戸を見学、田圃の中に浮かんでる様。
と廻り朝8時半から12時半まで4時間の探訪旅でした、やはり山城はやぶ蚊など虫よけ対策、熱中症対策、水に塩飴が必要です、蛇も出て来ます。汗だくだくの城旅で2年振り、麓の引佐名物味噌まんの名店紅屋は約2年前に閉店に成って居り残念です、すぎやさんは健在営業中でした。
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2021/06/26 22:55
天守は明石城へ (2021/06/26 訪問)
山陽電鉄「西新町駅」より、徒歩10分くらいで案内板のある公園へ行くことができます。
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2021/06/26 22:50
三木城攻防戦 (2021/06/26 訪問)
山陽電鉄西江井ヶ島駅より徒歩10分くらいで公園に立っている案内板へ行くことができます。遺構はありません。
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2021/06/26 22:43
神本神社より (2021/06/26 訪問)
高台に城址碑があり神本神社の裏手より登城して、吉田郷土館の裏手に下りて来ました。吉田郷土館裏手には案内板があります。神本神社から登城口は見つけにくく建物の裏に回り込まなければなりません。
西明石駅から神姫バスに乗り10分くらいの距離にある王塚大1丁目で降ります。バス停から徒歩5分くらいで城址に行くことができます。
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2021/06/26 22:24
【お城川柳】
草陰にかくも愛しき四角柱
一か八か、当たって砕けろで行った日在城。
城址碑を見つけた瞬間は嬉しかったなぁ(≧∀≦)
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2021/06/26 22:22
【お城川柳】
白漆喰総塗籠で参城す
日焼けしたら取り返しのつかないお年頃なもので、姫路城並みに真っ白に日焼け止めを塗りたくってお城に参るでござる。
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2021/06/26 21:44
何しろ縄張図で表現し難いお城なのだ (2021/04/18 訪問)
街道を城域に取り込んで城壁で守る手法は北条氏らしさがよく出たお城だと思うが、これほど縄張図に表現し難いお城は珍しいだろう。嘘だと思ったら実際に見てみるとよい。この私が縄張図を片時も手放さずに歩いた城なのだ。
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2021/06/26 20:04
【お城川柳】
疫病の 退散願って 金鯱降り
名古屋城の金の鯱が コロナウイルスの収束と傷ついている経済活性化のために
地上におろされた。
火災よけの鯱 世の中の悪いもの=新型コロナウィルスも水で流してほしいです
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2021/06/26 20:00
2021/06/26 16:59
2021/06/26 16:46
織田伊勢守家の拠点 今は街中に石碑と堀跡がある城 (2021/06/12 訪問)
織田伊勢守家の敏広が築城したと伝わります。
織田伊勢守家は尾張上4郡を支配し、尾張下4郡は清須城の織田大和守家が支配して、 両家は争っていましたが、最後は清須城主の織田信長に攻められ落城したそうです。
主郭に説明板や石碑があります。
復元想像図によるとニ又は三重の堀で囲まれた規模の大きい城だったようです。
現在、周辺は宅地になっていますが、主郭の東側と南西側で堀跡が確認できましたし、高低差は分かり、城の痕跡があって良かったです。
岩倉城の北側近くで山内一豊誕生地の石碑がある神明生田神社にも行きました。
一豊の父の盛豊は、岩倉城の家老で落城時に戦死したそうです。
一豊の誕生地は、もうひとつ同じ愛知県で一宮市にある、盛豊の居城の黒田城との説もあります。
両方ともに主張されてますが、岩倉市のこちらの方が力を入れている感じがしました。
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【お城川柳】
琉球の不死鳥のよう首里の城
何度も火災にあっている首里城。その度に人々によって復活してきました。
なんだか、南国の派手な不死鳥を思わせますね。
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2021/06/26 09:35
多古城 千葉県多古町 (2021/06/13 訪問)
分城から栗山川を渡り徒歩で30分くらい。
スーパーカスミやバスターミナルの辺りも城域だったようです。
台地状になった北側に空堀が残っていて傍らに説明板も立っています。
深さは5m位、幅も20m位で折れのある大規模な堀です。
発掘調査では畝堀も発見されたそうで北条氏の影響が及んでいたとされます。
空堀から下に降りる石段は崩れかけていて危険。
注意が必要です。
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2021/06/26 08:01
【お城川柳】
ついに出た「その城お前と 行ってない」
大学の女友達とです!
川柳を詠むのにダンナにあれこれ聞いていたら言われてしまいました。
友人に歴女がいたから…
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2021/06/26 06:38
2021/06/25 23:11
上杉謙信の攻撃に耐えた城 (2021/06/21 訪問)
6月20日に9都道府県の緊急事態宣言が解除されたことで、仲間たちと共に村上を訪問した。お城好きの方はよくご存じのことと思うが、安西水丸氏の「ちいさな城下町」に描かれた村上を訪れるべく二年前から計画していたものの昨春からのコロナ禍、長い自粛生活のストレス解消にと出かけた次第。村上は「鮭・酒・なさけ」を観光の目玉とした城下町の風情が溢れる町で、城址はもちろん町家、寺社など見どころも多く、久々に楽しい時間を過ごすことができた。
村上城は戦国時代に阿賀北の有力国人本庄氏の築城後、江戸時代には、村上氏・堀氏等が山上に石垣を築き近世城郭として生まれ変わる。その後、松平・榊原・本多氏時代は15万石、松平氏7万2千石、間部氏5万石、内藤氏5万90石と続き版籍奉還を迎える。
城地は独立丘陵の臥牛山の山頂を中心に山腹、山麓に拡がっていたが、本庄氏時代は山上の主曲輪と東斜面に数多くの曲輪や竪堀が展開していたと云う。現在山頂には近世に構築された石垣が残り、松平直矩によって新造された三層天守や多くの櫓・門の跡地からは領地支配のための「見せる城」をイメージすることができる。
一文字門跡から七曲り道を登り四ツ門跡、御鐘門跡桝形、出櫓台を経て20分程で本丸天守台へ。本丸からは村上市街と日本海が一望のもとに見ることができる。また四ツ門跡から東斜面を経由して本丸下の埋門跡へ出る「中世遺構散策コース」も用意されており時間の余裕が有ればそちらも廻りたい。
車で訪問の際は、登城口にほど近いおしゃぎり会館(村上市郷土資料館)で縄張図入りの「村上城跡」パンフレットを手に入れてから村上城跡駐車場に駐車しての攻城をおすすめしたい。
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