JR飯田線/身延線沿線城巡り4日目の1城目は飯田城です。
朝食前に宿泊先のホテルから徒歩2~3分くらいで、庁舎駐車場(35.513778、137.828865)に着き、赤門撮影後、長姫神社(35.511876、137.832695)方向へ進みました。
飯田城は鎌倉時代に坂西氏が飯田に入部し、はじめ松原宿(飯田市上飯田)のあたりに住居をおき、のちに飯坂(飯田市愛宕)に愛宕城(飯坂城)を構えたとされています。
坂西氏の出自ははっきりせず、地頭として飯田に来たとも言われるが、南北朝時代まで飯田郷の地頭は阿曽沼氏であり、坂西氏は庄官ですらなかった可能性もあるそうです。
室町時代に坂西氏はより広い用地をもち展望のきく要害の地を求めて、飯田城を築いて移った。このときその地は山伏(修験者)の修行場となっていたので、愛宕城の土地と交換したといわれています。
1554年(天文23年)武田信玄が下伊奈に侵入し、以後30年間武田氏の領となります。武田氏は南三河国に侵攻するため高遠・大島・飯田を拡張して重要な本拠地としたので、飯田城には武田氏式築城様式が残っているようです。
1582年(天正10年)織田信長が武田氏を滅ぼし、伊奈郡を手に入れました。
「関ケ原の戦い」後は、小笠原秀政、脇坂氏、堀氏と城主が代わりますが、このうち小笠原氏は松本に転封となっており、現在の松本城の天守は飯田城の天守を移したものであるという説もあります。
現在、本丸跡は長姫神社境内となり、石塁、空堀と土塁の一部が残っているそうですが、自分は見つけられませんでした。
二の丸には飯田市美術博物館が建ち、藩主の居館のあった桜丸は県合同庁舎として利用されています。
攻城時間は20分くらいでした。
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