みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

入山神

見所の多い土の城 (2022/04/24 訪問)

周辺一帯は整備保存がされていて、散策もしやすく案内板も多いので気軽に楽しめます。土塁、空堀、横矢掛り、枡形虎口など土の城の基本を味わえます。
空堀は比高が大きく取られていて、周辺を内海に囲まれていたことと合わせると防御に強い城だったのではないかと想像できます。
ちなみに内海は、縄文海進で生まれた香取海の一部で、守谷城周辺は「古鬼怒湾」と呼ばれていたそうです(写真3枚目)。近くを走る関東鉄道常総線の小絹駅の地名・駅名はここから来ているのかな?と思いましたが、小貝川と鬼怒川(絹川)の1文字ずつをとった名前だそうです。

+ 続きを読む

ryu

岩石山登山と岩石城(2015年) (2015/06/13 訪問)

岩石山登山を兼ねて訪城。

JR福北ゆたか線、後藤寺線、日田彦山線を乗り継いで添田駅へ。
ここからスタートする。
登りは奥の院を経由して山頂へ向かう。湿度も高く、汗びっしょりになりながら歩く。
山頂から国見岩、八畳岩方面に足を延ばす。山頂周辺で馬場跡から南側急斜面を下って石垣跡、さらに下って古井戸、本丸の虎口跡など山城の遺構を探し、山頂展望台で昼食をとって下山。
下山後、岩石城(天守風建物の添田町美術館)に立ち寄り駅まで戻る。

岩石城は添田町の岩石山(454m)山頂を主郭とした山城。
1158年(保元3年)に平清盛が大庭景親に命じて築かせたと伝わる。
築城以降、菊池氏、大友氏、大内氏、秋月氏などに攻められ幾度となく城主を変えながらも豊前一の堅城として重要な戦略拠点として存続。 秀吉の九州征伐により天正15(1587)年4月1日、蒲生氏郷、前田利長、羽柴秀勝合わせて1万人の秀吉軍から攻められ、1日で落城。その後、小倉城の付城として存続し、1615年(元和元年)の元和の一国一城令により廃城となる。

山麓に模擬天守が建築されているが、もちろん本来の岩石城とは無関係である。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ryu

水戸城と偕楽園(2)(2015年) (2015/05/12 訪問)

続き。
水戸城見学後、水戸駅に戻り,駅前7番乗り場から茨城交通のバスで偕楽園へ。歴史館・偕楽園入り口で下車。陰から陽へという表門ルートとなる好文亭表門から入園。帰りは,偕楽園東門から出て,常盤神社にお詣りして偕楽園前というバス停から水戸駅へ戻る。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ryu

水戸城と偕楽園(2015年) (2015/05/12 訪問)

東京での用件にあわせて訪城。
品川から特急ひたちで約1時間20分で水戸駅着。

水戸駅をスタートし、義公生誕の地~棚町坂下門~本丸堀~薬医門~杉山門~御三階櫓の説明文~彰考館跡(二の丸展示館)~大手門跡~大手橋~弘道館~水戸駅と見て回る。

台風の影響で時折雨が降り、風が強かった。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ryu

「黒田家の歴史探訪ツアー」~田丸城(2015年) (2015/05/09 訪問)

西日本新聞旅行主催の「黒田家の歴史探訪ツアー」に参加した際の訪城。

現在の長久寺境内が福島田丸城跡で、文明9年(1477年)福島但馬守祐斉によって築かれたと云われる。
豊前の国人一揆に際し、宇都宮鎮房に呼応した賀来氏(大畑城)、福島氏は黒田孝高指揮の吉川広家、黒田長政の軍に攻められ降伏、城を寺となしたといわれている。
南を除く三方に土塁が残り、外側に水路や池となった堀が残っている。

+ 続きを読む

カズサン

【山城・西本願寺】京都府京都市 飛雲閣鑑賞素晴らしい (2009/07/07 訪問)

 13年前の平成21年7月上旬、故郷因幡の浄土真宗本願寺派檀家寺の門徒衆と西本願寺の念仏奉仕団に参加、この年の1月末に母が亡くなり兄弟で母の納骨と念仏奉仕に参加、京都の集合、2日間で母の納骨、各寺門徒宗分かれて御影堂、阿弥陀堂、庭園の清掃、念仏講話、念仏功労者表彰、門主との集合写真と行事を終えて、書院での茶菓子の接待後、本願寺南東面に在る、飛雲閣の見学、登閣は出来ませんが庭園周囲からの見学です。

 飛雲閣は京都三大楼閣の一つで金閣寺、銀閣寺と並び立って居ます、また西本願寺に移築された飛雲閣は元、秀吉の築城した聚楽第からの移築と伝えられ居ます。
 丁度修復整備が済んだ直後で36歌仙の板戸絵画が煌びやかで良く見る事も出来ましたが時間が日が沈む処で南の建物が逆光で採光が良くありませんでした。
 何回か念仏奉仕に参加して居ますので飛雲閣鑑賞は数度に参加し、美しさに感嘆し何時か登閣出来たらと思って居りますが何時になるやら?

 年に何回か一般公開が有る様ですから西本願寺のホームページを見て頂くと時期が分かります。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ryu

「黒田家の歴史探訪ツアー」~中津城(2015年) (2015/05/09 訪問)

西日本新聞旅行が主催する「黒田家の歴史探訪ツアー」に参加した際の訪城。
中津の名物鱧料理をいただいた後、訪城。ボランティアガイドの方の説明で城内を見て回る。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ryu

「黒田家の歴史探訪ツアー」~一ツ戸城(2015年) (2015/05/09 訪問)

一ツ戸の領主中間氏の居城跡で城主中間統胤は官兵衛の傘下に加わる。豊後・筑後との国境に近かった一ツ戸城は重要視され、中間氏はそのまま城番として置かれた。

西日本新聞旅行が主催する「黒田家の歴史探訪ツアー」に参加した際の訪城。
この時は城址入り口のみの見学で登城はできなかった。

+ 続きを読む

ほりーないと

【城と生き物】 (2021/10/01 訪問)

松本城の赤い橋を渡るの? 猫さん
「これより先 立入禁止」と書いてあるよ~

この後、猫さんは埋橋から松本城を眺めていました。羨ましいなぁ

+ 続きを読む

ぴーかる

【城と生き物】

白鳥A:スイー
白鳥B:スイスイー
私、後出しですみませんm(__)m

+ 続きを読む

ぴーかる

【城と生き物】

ここどこだよ・・・

+ 続きを読む

ぴーかる

大桑城 (2022/04/03 訪問)

【大桑城】
<駐車場他>大桑城新登山口駐車場を利用
<交通手段>車

<見所>曲輪・石垣・竪堀
<感想>1泊2日郡上の旅6城目。大桑城は鎌倉時代の13世紀中頃に大桑又三郎が築いたとされます。室町時代には美濃国守護土岐氏のものとなり改修がされたようである。戦国時代には土岐頼純・頼芸の兄弟が居城とした。斎藤氏の台頭により土岐氏は拠点を転々と変えますが、越前朝倉氏の後ろ盾もあって土岐頼純は大桑城を拠点とします。しかし斎藤氏に1542年に落城させられ、1547年の2度目に落城させられた際に土岐頼純は討死、土岐頼芸は逃亡したため城は落城し廃城となった。
 結果を先に言うと、主要部にたどり着く前に大雨が降ってきてしまい、番所跡・馬場の北西側の曲輪群・主郭部北側の場所は行けずに下山しました。見所の1つである石垣は随所に残っていますが、猿馬場から主郭へ行った主郭南東側の切岸、切井戸周辺とそこまで降りるルート沿い、曲輪群の曲輪壁に多く残っており見応えがあります。岩盤を削った大竪堀や岩尾根の庭園跡等すべて巡れなかったが見所多い城跡です。いつか再訪して完全攻略します。

<満足度>◆◆◆

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

コダーマ

【究極の1枚】

覗きませんか?
狭間からの1枚です。
寄せ手を狙う視線を体感し、ゾクゾクしました。

+ 続きを読む

コダーマ

【究極の1枚】

姫路城天守からの1枚です。
屋根伝いにどこまでも駆けていけそうな。そして、城と町の境目が分からない。
さすが姫路城!スケールの大きさなお城だなぁと感嘆しました。
漆喰をこんなに近くで見られて感激。

+ 続きを読む

コダーマ

【究極の1枚】

「ひこにゃん」=「究極のかわいさ!」
大好きなひこにゃんのご登場にカメラ構えてハッスルするのですが、興奮のあまり手が震えます。
帰宅してから、ブレてない1枚を印字して彦根城の思い出を振り返るのです。
おお、まさに究極のかわいさ!

+ 続きを読む

コダーマ

【城と標柱】

大好きな彦根城に行ったんだ~~!というワクワクを思い出す1枚です。
周囲のみんな写真を撮って、大混雑でした。
彦根城とひこにゃんの組み合わせといったら、もう最高!

+ 続きを読む

コダーマ

【城と生き物】 (2018/11/07 訪問)

彦根城には厩があります。
お城の中に厩が残ってるのは珍しいそうで、往時を思いながらウロウロしてたら気付けば数時間。
天守も玄宮園も博物館もまだ行ってないのにと焦った覚えが…。
ほんとうに見どころ満載のお城です!

+ 続きを読む

肉球

その2 本丸〜肱川対岸へ (2022/04/06 訪問)

前回訪れたときに立ち並んでいた大きな欅の木が全て伐採され
見晴らしが良くなっていました。
桜祭り期間内でしたが既に花は散り平日という事もあり人出は少なかったです。
木造復元され20年近く経ちますが中に入り台所櫓や高欄櫓と比べるとまだまだ新参者。
木の匂いは薄れますがツヤツヤしてます。
お城南側と違い肱川側を散策すると複雑に石垣が組まれています。
お城の散策が済んだあとは肱川対岸からの見学をお勧めします。
土手の内側まで車で行けます。


+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

肉球

その1 駐車場から二の丸まで (2022/04/06 訪問)

宇和島城に続きニ度目の訪問でした。
少しでも安く済ませるためとお城に近い市民会館にある有料駐車場を避け
観光第一駐車場を利用しました。
この場所は藩校跡であり敷地内の隅に土蔵が残されています。
前回は見落としてました。
ここから大洲高校方面へ歩き高校グランド脇に外堀跡が僅かに残され石垣も確認できます。
堀跡であるグランド越しの三の丸南隅櫓と天守閣のアングルは定番。
お殿様公園内にある南隅櫓は内部も見学できます。
ここから天守閣を目指し二の丸部分に入ると下台所が現存。
失礼して建物の足元を覗かしてもらいました。
三の丸と二の丸部分は住宅街が広がり住宅裏手に石垣が結構残されています。


+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

富士山遠望と甲府・城旅 (2009/11/08 訪問)

 13年前平成21年11月上旬、富士山と甲府の城旅へ家内と出掛けました、夜明け前の富士山と富士に昇る太陽を見れたらいいなくらいの気持ち早朝浜松自宅を出発し、東名富士ICから国道139号線を甲府方向、精進湖湖畔で黎明の富士山を遠望、薄曇り状態で日の昇る姿は諦め甲府へ、女坂峠トンネルを抜けて国道358号線下って行く甲府盆地に抜ける辺りは私個人では三大桃源郷の一つと思ってる景勝です、桃の咲く頃は素晴らしい。(後は福島県伊達郡、長野県飯田盆地)
 山梨県考古博物館前を通って甲府城へ、車は以前山手渡櫓門が復元して直ぐに探訪した時に駐車した駐車場が穴場かなと思って居りましたので、山手渡櫓門の駐車場を利用。

 甲府城見学、家内と同伴ですのでサラッと稲荷櫓、稲荷曲輪西の高石垣、鍛冶曲輪内堀、遊亀橋辺り、山手渡櫓門桝形土塁に登って甲府城天守台、稲荷曲輪北面の城郭城塁を眺める、丁度中央線の列車入りツーショット写真、昼食は山手渡櫓門近くの中央線沿いに再開発整備されたレストラン、小店が揃い良い町並みを醸してる、イタリアンのレストランで頂く1時間の昼食タイム。
 甲府城をこの後少し訪ねる、日曜日ですが人では少ない。 この後平成25年には本丸鉄門が復元されてる。

 甲府城の後、2~3km程北の躑躅ヶ埼館、武田神社を訪ねる、車はやっとの事で武田神社専用駐車場へ駐める。

 躑躅ヶ埼館、武田神社は観光客、七五三始め参拝者で大勢の人で賑わって居ました、写真ポイントの武田神社神橋の入口石垣、石階段は人が多く次々の訪れ全体は撮れず左右の石垣を人を外して撮る、発掘調査整備された神社東門、躑躅ヶ埼館の大手門跡東に三日月堀跡、石塁の復元整備、更に東に土塁、堀の復元整備され史跡公園と成っている、人の居ない辺りを巡り西門虎口周辺の堀、土塁を見るが草木が茂り葉も茂り思うものが撮れない、天守閣台跡を探すが入れなかったか見つからなかったか確認していない。西門から西側の橋を渡って駐車場へ。

 帰路は来た道を戻り、朝霧高原道の駅で休憩、富士山が大きく見えますが靄っとしてハッキリした富士山写真に成りません、でも雄大に両側の稜線が分かり気持ち的にはままいいか❣
 日帰りのいい旅でした。
 いい写真が少なく、甲府城と躑躅ヶ埼館を纏めて甲府城で投稿させて頂きます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ページ1001