はかたじんや

伯太陣屋

大阪府和泉市

別名 : 伯太藩陣屋
旧国名 : 和泉

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石碑
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しんちゃん

石碑があるでよ (2024/11/03 訪問)

伯太陣屋は渡辺基綱によって築造されたとされています。伯太藩渡辺氏は「槍の半蔵」の異名を取った渡辺守綱の五男を始祖(オリジン)とするようです。現在は宅地になっていて、石碑や武家屋敷跡を示す石碑などが残るのみです。
残りの写真は旅の途中、各地で食したものたちです。やはり食は旅の友であり糧であります。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)10日目:伯太陣屋 (2024/10/01 訪問)

信太山駅から徒歩15分くらいで、伯太石碑前(34.496051、135.441490)に着き、その後、武家屋敷跡石碑前(34.495220、135.442240)に向かいました。

1727年(享保12年)渡辺基綱によって築かれました。 伯太藩渡辺氏は徳川家康に仕えて「槍の半蔵」の異名をとった渡辺守綱の五男吉綱を初代とします。
宗家は尾張藩家老の渡辺家で守綱没後、四男治綱が家督を継いで尾張国寺部に陣屋を構えています。
伯太藩渡辺氏は五男吉綱が、1624年(寛永元年)早世した兄忠綱の旧領3,000石と新田520石を合わせ、3,520石の旗本として始まりました。
1661年(寛文元年)渡辺吉綱は大坂定番となって10,000石を加増され、13,520石を領して諸侯に列しました。
当初、武蔵国比企郡野本に陣屋を構えていましたが、1698年(元禄11年)三代渡辺基綱の時、領地を近江国へ移されたので、和泉国大鳥郡大庭寺へ、さらに1727年(享保12年)陣屋を和泉国泉郡伯太へ移し伯太藩となりました。

現在は空き地に石碑が建っています。文字は見えません。
武家屋敷跡石碑は確認しました。
小谷城郷土館にある移築門は、小谷城攻城時に確認しました。
攻城時間は移築門確認時間も含めて10分くらいでした。次の攻城先=家原城を目指す為、信太山駅から電車で津久野駅に向かいました。

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渡辺基綱 (2023/07/06 訪問)

 JR信太山駅からだらだらとした坂道を15分くらい歩くと石碑に行くことができます。近くに旧伯太藩武家屋敷の石碑もありました。

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ぴーかる

伯太陣屋 (2022/04/30 訪問)

【伯太陣屋】
<駐車場他>駐車場はなし。新興住宅が建ち並び石碑近くには駐車できなさそうです。
<交通手段>JR信太山駅より徒歩

<感想>2022年春のJR列車大阪ちょこ城巡りの旅4城目。JR信太山駅から先に池上曽根遺跡に行ってからここにきました。池上曽根遺跡も別途投稿しております、ご覧あれ。
 伯太陣屋は伯太藩の藩庁として1727年頃に大庭寺藩から移転してきた。藩主は渡辺氏で渡辺守綱の分家筋にあたります。明治維新まで渡辺氏を藩主として続きますが廃藩置県により藩は大阪府に編入、渡辺氏は華族→子爵となります。
 遺構は僅かしか残っていないようで陣屋跡の地点には石碑しかありませんが、東に位置する小谷城跡の小谷城郷土館に移築門として残されています。私、2021/5/29に訪城しているので繋がりました。

<満足度>◆◇◇

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城郭情報

分類・構造 陣屋
天守構造 なし
築城主 渡辺基綱
築城年 享保12年(1727)
主な城主 渡辺氏
遺構 移築門(小谷城郷土館)
再建造物 石碑
住所 大阪府和泉市伯太町4-3-6