はかたじんや

伯太陣屋

大阪府和泉市

別名 : 伯太藩陣屋
旧国名 : 和泉

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todo94

和泉の攻城⑦ (2026/07/11 訪問)

貝吹山城からの転戦です。石碑のある近隣には遺構は残っていない様子。移築門があるという小谷城郷土館は7km以上も離れているので断念せざるを得ませんでした。

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しんちゃん

石碑があるでよ (2024/11/03 訪問)

伯太陣屋は渡辺基綱によって築造されたとされています。伯太藩渡辺氏は「槍の半蔵」の異名を取った渡辺守綱の五男を始祖(オリジン)とするようです。現在は宅地になっていて、石碑や武家屋敷跡を示す石碑などが残るのみです。
残りの写真は旅の途中、各地で食したものたちです。やはり食は旅の友であり糧であります。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)10日目:伯太陣屋 (2024/10/01 訪問)

信太山駅から徒歩15分くらいで、伯太石碑前(34.496051、135.441490)に着き、その後、武家屋敷跡石碑前(34.495220、135.442240)に向かいました。

1727年(享保12年)渡辺基綱によって築かれました。 伯太藩渡辺氏は徳川家康に仕えて「槍の半蔵」の異名をとった渡辺守綱の五男吉綱を初代とします。
宗家は尾張藩家老の渡辺家で守綱没後、四男治綱が家督を継いで尾張国寺部に陣屋を構えています。
伯太藩渡辺氏は五男吉綱が、1624年(寛永元年)早世した兄忠綱の旧領3,000石と新田520石を合わせ、3,520石の旗本として始まりました。
1661年(寛文元年)渡辺吉綱は大坂定番となって10,000石を加増され、13,520石を領して諸侯に列しました。
当初、武蔵国比企郡野本に陣屋を構えていましたが、1698年(元禄11年)三代渡辺基綱の時、領地を近江国へ移されたので、和泉国大鳥郡大庭寺へ、さらに1727年(享保12年)陣屋を和泉国泉郡伯太へ移し伯太藩となりました。

現在は空き地に石碑が建っています。文字は見えません。
武家屋敷跡石碑は確認しました。
小谷城郷土館にある移築門は、小谷城攻城時に確認しました。
攻城時間は移築門確認時間も含めて10分くらいでした。次の攻城先=家原城を目指す為、信太山駅から電車で津久野駅に向かいました。

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渡辺基綱 (2023/07/06 訪問)

 JR信太山駅からだらだらとした坂道を15分くらい歩くと石碑に行くことができます。近くに旧伯太藩武家屋敷の石碑もありました。

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城郭情報

分類・構造 陣屋
天守構造 なし
築城主 渡辺基綱
築城年 享保12年(1727)
主な城主 渡辺氏
遺構 移築門(小谷城郷土館)
再建造物 石碑
住所 大阪府和泉市伯太町4-3-6