JR飯田線/身延線沿線城巡り4日目の19城目は牛久保城です。
伊奈城から転戦。城址碑前(34.809040、137.3828)の芝生広場に駐車しました。
牛久保城は1529年(享禄2年)に宝飯郡の牧野城主であった牧野成時(古白)の子、成勝が築城したと伝えられています。その後も牧野氏がほとんどの時期を城主を勤めました。
「桶狭間の戦い」で今川義元が討たれると徳川家康が三河平定に乗り出しますが牧野氏は今川方につき、1563年(永禄6年)には今川氏真も自ら一万余騎を率いて出陣し、この城に本陣を置きました。
氏真の三河出陣はこれが最初で最後となります。氏真が駿府に引き上げると、家康の軍勢が攻め寄せ降伏させています。
1590年(天正18年)に牧野康成は徳川家康の関東移封に従って上野国勢多郡大胡に2万石を領して移動しました。
その後は吉田城に入った池田輝政の重臣である荒尾平左衛門成久が城主となりました。
「関ケ原の戦い」後は天領となり、1700年(元禄13年)に廃城となりました。
現在城址に遺構はありませんが、本丸跡付近に城址碑が建てられています。
説明板には、城を取り囲むように武家の屋敷が配置されていたとありましたが、今ではまったく分かりません。
攻城時間は5分くらいでした。
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