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カズサン

櫛崎城城下長府散歩 (2011/05/06 訪問)

 車を元長府藩家老格西運長邸/現長府庭園の駐車場に止めぶらぶらと散策し城下町に風情を楽しみ、七卿落ちの地、奇兵隊旗揚げの地で有り高杉晋作の挙兵、坂本龍馬の活躍など幕末維新の香りを確かめながら巡りました。
 
 神功皇后の伝承も伝わる具川沿いの長府藩侍屋敷長屋、古江小路の菅家長屋門、土造りの練塀通り、横枕小路の練塀、土のたたき道と武家屋敷の景観風情が良く残って居り整備されています。
 
 奇兵隊挙兵の寺、功山寺、高杉晋作騎馬像、七卿落ち公卿の居住地、長府毛利家墓所、長府博物館休館で入館できず、四国艦隊占領され長府藩主が一時避難した覚苑寺、覚苑寺には勝山御殿の御殿玄関部が移築されてます、乃木神社には乃木大将夫妻の像と愛馬の像が設置され、育った家も復元されて居ました、隣は長門二宮の忌宮神社で車を駐める長府庭園に戻る。
 中々有意義な散策で楽しく堪能しましたが全ては見切れませんので本の少々で奥行きはまだまだ有ります。

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ぴーかる

大野城 (2022/01/08 訪問)

【百名城59城目】
<駐車場他>各所無料あり。
<交通手段>車

<見所>門跡・石塁・土塁・礎石建物群
<感想>1泊2日国土防衛筑前国の旅3城目。1日目のメイン、太宰府天満宮付近の渋滞により到着時間が計画より遅れての訪城となってしまった。巡順番は焼米ヶ原駐車場に駐車し→増長天礎石群→坂本口城門跡→水城口城門跡→けいさしの井戸→大石垣→大宰府口城門跡→尾花礎石群→移動し県民の森センターにてスタンプ押印→八ッ波礎石群→また移動して野外音楽堂の道路脇に駐車し徒歩にて→クロガネ岩城門跡→百間石垣(宇美口城門跡)→北石垣城門跡→小石垣城門跡→主城原礎石群→帰り道に船石を見て終了。百間石垣~北石垣までのルートは急斜面で険しいのでストック要です。やはり午後からの攻城では城門跡2つと礎石群をいくつか攻め落とせず終いとなり、しかし最後の主城原礎石群は城の主要部は必ず見るという信念のもと、山道を必死ダッシュに駆け登って到着は17:00となったがなんとか日が残り見ることができた。古代朝鮮式山城の圧倒的なスケールのでかさと沢山の遺構、堪能しました。まだまだ埋もれた遺構がありそう。

<満足度>★★★★★

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小城小次郎

信ずべき貴き山 (2021/09/20 訪問)

「信ずべき貴き山」に建つ「朝廷に安穏を与え国土を守護し子孫を長久せしむ」朝護孫子寺を見下ろすお城は、その立地からも木沢直政と松永久秀の個性や意図が透けて見えるようだ。なお決して爆破により消滅してはいない。

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ばばよ

登山のようなものです (2021/06/05 訪問)

JR高尾駅からバスで訪問。
先にガイダンス施設に行くとイメージ湧きやすいです。
よく写真に出ている曳橋は復元ではなく、当時はもっと簡素な橋が架けられていたと考えられると説明板にありました。
御主殿付近の石垣は立派です。あまり北条らしからぬ。
本丸跡方面は普通に登山です。
管理棟から本丸までは60分もかからないため本格的に登山する方から見れば大したことないかもしれませんが、素人からすると立派な登山です。
しっかりした靴、飲み物や食べ物の準備をして向かいましょう。
自分はサクサク登った分、帰り道に足がガクガクになりました。。。

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刑部

山林の中に見事な空堀 (2022/01/03 訪問)

お寺の駐車場をお借りして案内板を確認したら山林へ。土塁、空堀、虎口、土橋の遺構に感動しました。
ちなみにこの辺に来られたらおすすめの城址があります、久米城です。ここは、素晴らしい遺構があり見応え充分です!山城ならではの城址です、駐車場がありそこには縄張り図も用意されてます。最後の写真は久米城の登り口になります。

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刑部

学校の中の城址の碑 (2022/01/03 訪問)

門からお邪魔させていただき石碑を撮影出来ました、ありがとうございます。いつもなら遺構を探してウロウロするのですが今回は控えました。

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刑部

久米城を遠望できる城址 (2022/01/03 訪問)

かなり細いですが車で上まで行けます入口付近に駐車も出来るので不安ながら登っても大丈夫です。ただ余り大きい車は駄目ですね。入口から主郭部には、ゆっくり歩っても10分程。遺構を探しながら登る楽しみかあります。

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刑部

立派なお寺が城址 (2022/01/03 訪問)

物凄く立派なお寺、敷地内には幼稚園があります。
お寺の周囲はかなり深い空堀があり切岸の角度は相当なものこれでは上がれませんね。よくこれだけ遺構を遺してくれました。

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カズサン

【長門・長府毛利邸】山口県下関市長府 枡形門構え圧巻 (2011/05/06 訪問)

 櫛崎城城下町長府庭園「長府藩家老格西運長屋敷跡」現長府庭園を終えてぶらぶらと城下町散策しながら長府毛利邸を訪ねました。 門前が左右石垣囲みで枡形を造ってる明治期の建物ですが武家屋敷の佇まいが残ってます。
 
 明治31年起工し明治36年に完成、14代当主の毛利元敏氏が東京から帰住しこの地に建てた本邸、明治天皇が行在所として使用し現在展示見学出来ます。
 邸内の日本式庭園も見応え有り楓の新緑、深緑、紅葉が季節により映える事でしょう。当時の入場料は大人200円。

 10年前の平成23年5月上旬、探訪見学時の写真を投稿致します。

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カズサン

【長門・長府藩家老格西運長邸】山口県下関市長府 (2011/05/06 訪問)

 長府藩家老格西運長屋敷跡は現在長府庭園と成って一般公開されています約10万坪の敷地に回遊式庭園、旧屋敷、書院、蔵などが残っています、10年前の平成23年5月上旬、櫛崎城、赤間神宮探訪を終えて櫛崎城の西、国道9号線を越えて約200m程の所に在る長府庭園の駐車場を利用して園内見学しました。

 園内はつつじが盛りで綺麗に咲いていました回遊式庭園、本屋敷、静寂でゆっくりできる庭園です元屋敷を立派に活用して整備抜群です、ここの駐車場に車と置き長府城下を探訪堪能しました。

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カズサン

【長門・赤間神宮】山口県下関市 朱の竜宮造水天門が鮮やか (2011/05/06 訪問)

 10年前の平成23年5月上旬、何度目かの萩城を訪ね長府泊り夜の長府を楽しみ、翌朝櫛崎城を堪能し、以前から参拝見学したかった下関市唐戸エリアに在る赤間神宮を訪ね参拝する。 車は近くの駐車場を利用。

 赤間神宮は関門海峡の眼前に有り門司は海峡を越えて直ぐ傍、関門海峡大橋のすぐ下の名勝です。壇ノ浦の戦いに敗れ入水した安徳天皇を祀っています。隣には安徳天皇陵が有ります。
 朱の水天門が竜宮造りで鮮やかで特に目を引きます、唐戸エリアは唐戸市場が有り直ぐフグを思いつきますが今回は食してませんがゆっくりして味わってみたいものです。直ぐ近くにはフグ料理を世に広めた春帆楼が有り側に日清講和条約を締結した日清講和記念館が有り見学しました。
 
 長府に向かう途中みもすそ川公園に壇ノ浦の戦いモニュメント八艘飛びの源義経像と碇を抱えた平知盛像が相対して設置され古戦場で在る事を知らしめています。 また同場所は幕末四国艦隊を砲撃した壇ノ浦砲台跡、レプリカの大砲長州砲が据え付けて有りお金を入れると砲撃音と煙が出る仕掛けに成っています。この場所は壇ノ浦の戦いで武士の世を開き、幕末四国艦隊砲撃で武士の世を終わらせるきっかけを衝くった所で感慨深いものが有ります。
 
 公園の反対側山手に関門海峡トンネル人道エレベーターも有り門司と行き来が出来ますが体験はしてません。さらに長府櫛崎城側に進むと道上に前田砲台跡も有ります、櫛崎城投稿で書きませんでしたが四国艦隊砲撃の時には櫛崎城にも砲台が有って大砲は戦利品として四国艦隊側に持って行かれたそうです。

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イオ

西峰 ~圧倒的な畝状空堀群! (2022/01/08 訪問)

(続き)

大門の西側斜面に鉄パイプで手すりを組んだ登城道を上って西峰へ。途中で道を東にそれた先の腰曲輪には井戸らしき石組みのくぼみがあり、縁に石礫が積まれていました。大門を見下ろす位置なので投石用でしょうか。井戸から西に一段上の曲輪は東辺から北辺にかけて土塁で囲まれています。

さらに尾根伝いにいくつかの曲輪を通り抜けると西峰最高所の千畳敷に至ります。千畳敷は根福寺城で最大の曲輪で、ここだけは樹木も藪もきれいに刈られて整備されており、北側は泉南平野部への眺望が開けています。千畳敷の北下に続く曲輪の北端には北尾根を遮断する堀切があるようですが、踏み入れた足元も見えないほどのシダの藪に沈んでいてよくわかりませんでした。

千畳敷に戻って西下の腰曲輪に下り、灌木とストックを頼りに南西側の急斜面を下って行くと、根福寺城で一番の見どころの畝状空堀群が広がっています。東西に走る横堀から幅も深さもある巨大な竪堀が連続して南にのび、竪堀の間の阻塁も分厚く高さがあります。下調べで凄いと知ってはいましたが、まさかこれほどとは! これまでに見た中では間違いなく最大ですし、全国的にもこれほどの規模のものはそう滅多にないんじゃないでしょうか(このレベルがいくらでもあるのだとしたら、それはそれで今後の楽しみが多くて嬉しいことですが)。なお、畝状空堀群の東のほうにも竪堀群があるようなので行ってみましたが、そちらは普通の規模でした。

…ということで、今年の城初めは観音寺城か鎌刃城に行くつもりだったのを、滋賀の山城は年末の大雪が残っていそうでしたし、貝塚市の城めぐりが中途半端になっていたこともあって、雪の無さそうな泉南の城めぐりに変更しましたが、初っ端からもの凄い畝状空堀群を見られて、幸先の良いスタートをきることができました。
 

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todo94

2巡目の続日本100名城のスタンプラリー49城目 (2021/12/18 訪問)

日帰り首都圏の〆は、続100名城の滝山城。八王子駅から徒歩でアプローチしたおかげで、滝山城の近くに創価大学があることを知りました。新春にヤクルトのライアン小川をはじめ創価大OBがここで合同自主トレを行っているんですね。滝山城は、学研の図説・日本名城集に載っていたので2007年に初登城したのですが、この城に対する評価は訪れる度に高まっています。加住市民センターのスタンプは中の丸のものよりは若干状態が良いと云ったところでしょうか。滝山城は500歳の横断幕が張られていました。記念の年に訪れることが出来て感慨無量です。今回は初めて山の神曲輪まで脚を伸ばしてきました。

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朝田 辰兵衛

富士山眺望(2/2) (2022/01/09 訪問)

予告どおり,富士山眺望してきました。大月市観光協会HPに案内されている,畑倉登山口で登り,浅利登山口で下山するというルートです。
事前に「すべる」という情報は入っていたのですが,何がすべるのかわかりませんでした。実際に行ってみて,小砂利が原因なんだというのが身をもってわかった次第です。少し大げさかもしれませんが,パチンコ玉の上を歩いているカンジ。スパイク系のシューズでないと,足元が流されます。油断すると転びます。尻もちはつきませんでしたが,下山時に2度「ズルッ」と行きました。なので,個人的には岩場のほうが安心できました。
写真は,畑倉登山口で登り,浅利登山口で下山するというルートに沿って,2回に分けてアップします。

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朝田 辰兵衛

富士山眺望(1/2)~鬼の岩屋は凍ってた~ (2022/01/09 訪問)

予告どおり,富士山眺望してきました。大月市観光協会HPに案内されている,畑倉登山口で登り,浅利登山口で下山するというルートです。
事前に「すべる」という情報は入っていたのですが,何がすべるのかわかりませんでした。実際に行ってみて,小砂利が原因なんだというのが身をもってわかった次第です。少し大げさかもしれませんが,パチンコ玉の上を歩いているカンジ。スパイク系のシューズでないと,足元が流されます。油断すると転びます。尻もちはつきませんでしたが,下山時に2度「ズルッ」と行きました。なので,個人的には岩場のほうが安心できました。
写真は,畑倉登山口で登り,浅利登山口で下山するというルートに沿って,2回に分けてアップします。

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赤い城

見事な石垣が残る (2022/01/15 訪問)

小島藩の藩政の中心地で石垣が見事に残っています。
龍津寺に車を駐めさせて頂きましたが裏門付近の道路に路駐もできそうです。
正規の入口付近は道も狭いので車の場合は注意が必要。
陣屋には本格的な石垣が残っています。
三段の曲輪になっていてかなり本格的な防御構造が見られます。
登城時は石垣の一部が改修中でした。
小島氏は一万石の小大名であったにも関わらずこんなに凄い石垣。
何がこうさせたのでしょうか。
大手の虎口は枡形になっていてそこから大手門にも向かい素敵な石垣が残っていました。

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カズサン

復元天守台と現存松崎口南方西面長大高石垣が見所 (2011/05/06 訪問)

 ホテルの朝食を早々に済ませ本日初登城の櫛崎城を目指す、車は関見台公園駐車場を利用、復元天守台の北下に当たります。

 櫛崎城は関門を見張る海城です、中世大内氏の重臣内藤氏が築いたと言われ、関ヶ原後毛利秀元が長府藩5万石として櫛崎城を改修し今残る大石に由る長大な石垣を残してる、元和の一国一城令で櫛崎城は廃城と成り、麓に居館(現豊浦高校)を設けて長府藩の治政を行う。
 毛利秀元は関ヶ原前は長門17万石の太守で長門宰相とも呼ばれ秀吉にも可愛がられ関ヶ原では西軍毛利方の総大将を務めが吉川、福原氏の家康への内通にて動けず、戦後毛利方は長門、周防二ヶ国36万石に減封、秀元も5万石で支藩長府藩5万石と成りさぞ無念だった事でしょう、でも後年家光の御伽衆と成り江戸で72歳で終焉を迎える。(櫛崎城の案内石板の抜粋と一部追記)

 櫛崎城は現在周囲が埋め立てされてますが当時は半島状に瀬戸内海に突き出し軍船の船着場が三ヶ所在り、南側の岬頂部に本丸と天守台、天守閣が建ってた様にも伝わって居ますが?北に館屋敷群を二の丸と三の丸で分けてる様子、現地では中間地に石垣が残り二段に成ってる、三の丸北西角に松崎口虎口を石垣で囲み櫓門と二重櫓と平櫓で守ってる、本丸と二の丸の間から東の海岸に抜ける三軒屋虎口が有り浜は軍船の船着きが関門海峡が一望、北の半島上の突き出しは現在豊功神社で毛利秀元公を祀っているが当時は出城的活用、櫛崎城の西側には内堀が大きく設けられ軍船の船着場にもなって居た様子。
 情報は藤井尚夫氏の「復元ドキュメント・戦国の城」櫛崎城編、余湖図コレクションさんに依る。

 復元天守台からの眺望は素晴らしく絶景です、遠くに関門海峡大橋、門司側の門司城の山容も確認できます、松崎口の大石を用いた長大な石垣は西側に南方方向約100m以上は有り、途中に折れが横矢掛り樹木に隠れてる二の丸本丸方向にも土塁、石垣が確認され見事な造りが残って居り、見所の一つです。

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イオ

東峰 ~山岳寺院の城郭化 (2022/01/08 訪問)

戦国中期に和泉国守護代の松浦守が築いた城で、当初は野田山城と呼ばれていましたが、根来寺の支配下となった際に根福寺城に改称されました。羽柴秀吉の紀州攻めの史料には根福寺城は登場せず、それ以前に廃城となったものと思われます。

秬谷川と大川に三方を囲まれた山上に位置し、東峰・西峰と呼ばれる東西二つのピークを中心に連郭式に曲輪群を配した一城別郭の城で、南側を通る水間街道を掌握して根来寺の泉南進出の拠点として機能したと考えられます。規模において摂津国の芥川山城や河内国の飯盛山城に匹敵する和泉国最大の山城です。

大川バス停から南に入る道の広くなったあたりに駐車して登城開始。登城口の少し西には説明板が建てられており、駐車場所近くの墓地の入口にある五輪塔を浮き彫りにした墓石は殿の墓と呼ばれ、築城主である松浦守の墓とされます。
さて、登城口から登って行くと、先人の投稿にある通行困難な状態は解消されていますが、道案内の標識などはないため分岐を見落としてしまい、引き返したり山中を直登したりしつつ何とか二重堀切に到着。東峰から東にのびる尾根筋を断ち切る二条の堀切が状態良く遺っていました。二重堀切から段曲輪を三段ほど上ると東峰の最高所に狭い主郭があります。主郭から北にのびる尾根にも階段状に曲輪が連続しており、ところどころに石が散乱していました。また、北尾根の西側斜面の曲輪群には二段の石積みがあったり、古瓦片も多数見つかっていることから、東峰は山岳寺院(根福寺)を城郭化したものと考えられます。東峰は総じて灌木や藪が茂っていて、北尾根の北端には堀切と竪堀、土塁もあるようなんですが、シダに沈んでいて確認できませんでした…。
主郭から西に段曲輪を三段ほど下りて行くと、大門と呼ばれる東峰と西峰の鞍部に至ります。大門には石積みが遺り、根福寺城の大手門だったようです。続いて、大門から西峰に向かいます(続く)。
 

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todo94

滝山城に向かう途中 (2021/12/18 訪問)

八王子駅から徒歩で滝山城に向かうという結構無謀な計画で、その途次に立ち寄りました。八幡八雲神社の中にある横山神社に説明板がありました。

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小城小次郎

神須牟地神社(よめなかった) (2021/09/20 訪問)

南北朝期からちょいちょい登場し、最後は大坂の陣で徳川方の砦として使用されたのだとか。当然何もないが砦跡に建つ神須牟地神社は周囲より若干高いところにある。にわかには読めない神社だが「かみすむじ」と読むそうだ。

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