【加古川城】
<駐車場他>称名寺専用駐車場あり。
<交通手段>車
<感想>加古川城は承久の乱後の1221年後に糟屋有教によって築城されたとされる。鎌倉時代には糟谷氏は播磨守護代となり、加古川城は守護所となった。時代が下って1577年、羽柴秀吉が毛利討伐の為の軍議がここで行われ(加古川評定)、別所氏の離反がここで決定的となる。この時の12代加古城主の糟屋武則は秀吉の小姓頭となり、賤ヶ岳の戦いで七本槍の1人となり最盛期には12000石の大名となるが糟谷氏は関ヶ原合戦で西軍に付き改易される。糟屋武則の晩年は諸説あり不明瞭で加古川城は1615年廃城となる。
現在の城跡地は称名寺となっていて遺構はほぼ残っていないようで周囲にある水路が何らかの跡かと思われるものがある。平地にあり、当時は五十間(約90m)四方の方形平城であったようです。
<満足度>◆◇◇
<グルメ>加古川グルメと言えばかつめし。「本家かつめし亭」にて特選かつめしのご飯大盛を食しました。ご飯にビーフかつ、デミグラスソースをかけたものです。ソース多め無料です。
+ 続きを読む










