赤穂城の顔として昭和30年復元整備よりドンと構えてる三の丸大手門と東北隅櫓周辺を10年前の平成23年7月中旬探訪写真投稿致します。
赤穂城は忠臣蔵で有名で正保2年(1645年)常陸国笠間から入封した浅野長直が甲州流軍学、山鹿流軍学により縄張し、千種川扇状地海岸に本丸、二の丸は輪郭式、二の丸と三の丸は悌郭式として出隅櫓台、枡形、横矢屛風折れ石垣を多用して築城に13年余を費やす。
浅野家は3代で終り、永井家、森家と続き明治を迎える。
明治以降民間に払い下げられ赤穂中学(赤穂高校)が城内に竣工、昭和27年に都市公園の計画決定し昭和30年の大手門、隅櫓の復元から発掘調査復元整備と進められ勘九郎が大石内蔵助を演じた大河ドラマ放映の前には本丸整備、本丸櫓門が完成し大河ドラマに使われ、二の丸庭園復元整備と現在も続いて居ります。
赤穂城は城内に高校が在る頃、昭和40年代が初登城で時々寄って約40年経ちました平成23年7月中旬、三の丸大手門周辺を探訪観察、新しく大手内桝形石垣が出来上がり櫓門跡の前には番所小屋が休憩室代わりに新しく建って居ました、大手門、大手橋、東北隅櫓、内側と外側の石垣、外濠北面、東面、三の丸東隅櫓台を探訪。
続きは二の丸庭園周り。
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