西の丸庭園の満開の桜の合間から望む天守。自分にしては珍しく狙って撮った一枚です。
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2022/04/20 08:15
【究極の1枚】桜と天守 (2019/04/06 訪問)
西の丸庭園の満開の桜の合間から望む天守。自分にしては珍しく狙って撮った一枚です。
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2022/04/20 06:00
とにかく広い (2022/03/29 訪問)
鞠智城は今から約1300年前に、大和朝廷が築いた山城です。
当時、日本は、友好国である百済を復興するため援軍を送りましたが、663年の白村江の戦いで、唐・新羅の連合軍に敗北してしまいました。
このため、今度は日本が攻め込まれるおそれがあると考え、金田城(長崎県),大野城(福岡県),基肄城(佐賀県)などを設営し防衛に務めました。
鞠智城は、これらの城に食糧や武器、兵士などを補給する支援基地でした。
現在は、国指定史跡になっており、無料の駐車場も用意されています。
温故創生館で、出土品の展示や解説ビデオ上映されています。
続日本100名城スタンプはここの入口で押すことができます。
九州の古代山城はいずれもかなり大規模ですが、この鞠智城もかなり大きなものだったようです。
八角形鼓櫓の他、米倉、兵舎復元建物、板倉復元建物が復元されています。
灰塚展望所まで往復しました。
とにかく広いので、展望台まで往復+施設観覧で、1時間20分かかりました。
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2022/04/19 23:27
チバニアンを知る (2022/03/12 訪問)
18きっぷの3城目は帰りがてらの途中下車。
五井駅周辺、遺構なしとの情報でしたので、乗車したまま駅通過で攻略済みとする策も浮かびましたが、後ろめたさが残りそうだったので(-_-;)下車してみました。
そこで目にした「チバニアン」の文字。ご当地キャラか何かかと思ったら、市原市にある77万年前のすごい地層のことでした。
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2022/04/19 22:52
【城と看板】城ふぉとコンテスト📷 (2021/06/13 訪問)
指導者自身が実践できているのか,甚だ疑問であ~る。
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2022/04/19 22:14
知らないこともあるもんだ (2021/12/05 訪問)
何度となく訪れているが仲間とわいわい訪ねると知らないことをさらっと教えてもらえる。太鼓門脇の塀に大筒狭間がついていることをこの時初めて教えてもらった。まだまだ知らないことが沢山あるもんだ。
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2022/04/19 21:33
2022/04/19 21:24
2022/04/19 21:18
播磨の国の城巡り~御着城(2013年) (2013/12/14 訪問)
姫路城見学の後、姫路駅からひと駅の御着駅で下車し歩いて散策。
当時(2013年)は翌年放映の大河ドラマ「軍師官兵衛」に向けて色々PRがされていた。
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2022/04/19 21:14
2022/04/19 21:13
【城と看板】
案内板がくるっとまわって矢印が崖下の方を指していました。
道標が壊れていたことや、違うんじゃないかな?と看板を見て思ったことは何度かあります。
ご好意で立ててくださっている案内板に、間違っているよ!と言いたいのではなくて、
こういうこともあると思っておくことが大切だという自戒を込めてのエントリーです。
遺構にも他者にも迷惑をかけずに行って戻ってくるために、自信のないところは下調べ必須。
縄張り図とWi-Fiと予備バッテリー必携。
あとは、野生の勘を磨くことも大事!!
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2022/04/19 21:10
2022/04/19 21:04
姫路城(天空の白鷺)見学(2013年)(1)天守への道 (2013/12/14 訪問)
姫路城は1976年の訪城以来で、その当時は夜行列車で朝、姫路につき9時の開城の太鼓のドンという音と同時に入城した記憶がある。
今回(2013年)は姫路城大天守修理期間中の「天空の白鷺」公開を事前予約して見学。予約がないと約1時間待ちという大人気だった。
大手門~菱の門~いの門~ぬの門~リの一渡櫓内部見学~りの門~備前門~天空の白鷺~水三の門~水二の門~水一の門~ロの渡櫓~ほの門~にの門~はの門~ろの門~三国掘~るの門~菱の門~西の丸渡り櫓、化粧櫓内部見学
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2022/04/19 20:17
城城&古屋城&高品城巡り③:高品城 (2022/04/19 訪問)
6月に九州を遠征する前に、なまった足腰(コロナ過で10か月攻城していません)のリハビリを兼ねた攻城です。
城城&古屋城&高品城巡り3城目は高品城です。
東千葉駅より徒歩25分ちょっとで春日神社参詣用駐車場(35.624879、140.135029)に着きました。
築城時期は不明ですが、高品城の城主もしくは一族と考えられる安藤豊前守が居住したようです。
1571年(元亀2年)には安藤勘解由 が「高品等覚寺薬師如来像」を造立しており、この頃は高品城はまだ千葉氏の勢力圏にあったようです。
その後の合戦や廃城時期等は不詳だが、1590年(天正18年)の小田原の役までは、下総南西部は里見氏勢力と北条氏・千葉氏らの両勢力は拮抗し、その間で安藤氏は綱渡りの時期であったと思われるようです。
遺構らしきもの(土塁?/空堀?)はあった。
攻城時間は10分くらいでした。
城城&古屋城&高品城巡りは、攻城歩数=21565歩、攻城歩行距離=16.82Kmで攻城完了です。
久々の攻城で、足腰に少し痛みが残っています。6月の九州遠征までにもう少しリハビリが必要のようです。
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2022/04/19 20:09
城城&古屋城&高品城巡り②:古屋城 (2022/04/19 訪問)
6月に九州を遠征する前に、なまった足腰(コロナ過で10か月攻城していません)のリハビリを兼ねた攻城です。
城城&古屋城&高品城巡り2城目は古屋城です。
物井駅より徒歩17~18分位で城址入口付近(35.692653、140.197211)に着きました。
物井古屋城の詳しい歴史は伝わっておらず、物井氏または臼井氏の勢力下に属した城と考えられています。
1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原攻めで後北条氏が滅亡すると、古屋城も廃城となったようです。
要所要所での案内表示があるとよかったかな。
物井駅から古屋城に行く途中に物井弁財天がありました。
攻城時間は15分くらいでした。
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2022/04/19 19:56
城城&古屋城&高品城巡り①:城城 (2022/04/19 訪問)
6月に九州を遠征する前に、なまった足腰(コロナ過で10か月攻城していません)のリハビリを兼ねた攻城です。
城城&古屋城&高品城巡り1城目は城城です。
佐倉駅より徒歩25分くらいで東側登り口(35.700540、140.238078)に着き、その後、鉄塔北側フェンス登り口(35.701098、140.236049)に回りました。
鎌倉時代に千葉氏の庶家である六崎氏が築城し、応永年間(1394年-1427年)まで居城したようです。
中に入れず、廻りをウロウロするだけでした。
攻城時間は15分くらいでした。
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2022/04/19 19:44
2022/04/19 19:43
2022/04/19 19:38
篠脇城 (2022/04/02 訪問)
【篠脇城】
<駐車場他>古今伝授の里フィールドミュージアム
<交通手段>車
<見所>竪堀群・堀切・居館跡
<感想>1泊2日郡上の旅1城目。下総国千葉氏の庶流、東氏が承久の乱の戦功により郡上郡山田庄を加領される。4代目の東氏村の鎌倉時代末期に篠脇城を築き約230年にわたって居城とします。東氏は古今伝授の家として有名で、1468年斎藤妙椿に攻められて落城しましたが贈歌10首と引換えに城を返還したそうです。1540年には朝倉氏の来攻を受け防ぎましたが城の損傷が著しく赤谷山に築城して移転し、篠脇城は廃城となった。
麓に東氏の居館庭園跡があります。城跡は本丸から北に二の丸・腰曲輪と3段の連郭一体型で本丸と南にある出丸との間に巨大2重堀切があります。本丸・二の丸・腰曲輪の周りは30数条の畝状竪堀で取り巻いています。この竪堀群は「臼の目堀」といわれるそうです。本丸内部は居館跡の発掘調査中で石垣が露出しています。本丸南の2重堀切はとにかく巨大で昇降するのにストック要です。圧巻の放射状の畝状竪堀群と巨大2重堀切、見ごたえあってお勧めです。放射状畝状竪堀ベスト1かと思います。
<満足度>◆◆◆
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2022/04/19 16:00
【究極の1枚】 (2021/11/13 訪問)
イベントで偶然見つけた、津和野城織部丸東方の【三重横堀】
写真奥に、三重に盛り上がった部分が見えます。これが、【三重横堀】だそうです。
珍しいそうです。
お城のいろはも分からない私でしたが、【城びと】さんのおかげで、堀切等、ガイドさんに教えて貰う前に見つける事が出来るようになりました、感謝。
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2022/04/19 10:37
風光明媚天草・島原一揆に耐えた城・二ノ丸大手虎口側編 (2010/06/13 訪問)
続きです。
富岡半島頂上約70m程を本丸にした富岡城の造りは、総石垣造りで、本丸が東西に構え西辺北辺に二層多聞櫓、平櫓二基と虎口に高麗門、二の丸と出丸が北東に二段の石垣造り、東側に二の丸虎口枡形が構え、西側に搦手虎口と高石垣で平櫓が三基、一段下がって出丸を石垣で囲み平櫓一基、三の丸は二の丸東下中腹に構え多聞櫓一基平櫓二基、山麓に米蔵と大手に出桝形に重層櫓門、袋池を内堀に、浜側に百間土塁を石垣で保護しその上に百閒白土塀、続きの浜側に護岸の石垣見える。(二の丸に掲示されてる富岡城跡案内図古絵図に由る)
現在は本丸は古絵図に由る復元され、二の丸は石垣復元と白土塀復元、出丸は石垣の復元です。(登城時平成22年6月13日による)
写真は二ノ丸東側の大手二の丸虎口枡形復元石垣、東側の城塁、二の丸広場に苓北富岡に貢献した4賢人、代官鈴木重成、兄の鈴木正三和尚、勝海舟、頼山陽の立像、富岡城古絵図を投稿掲載します。
更に復元が進み二の丸に平櫓の苓北町歴史資料館、と一基平櫓、出丸は白土塀で囲まれ、百間土塁上には百間白土塀、出桝形門の石垣整備、百間土塁の南先に大手門の石垣整備が出来上がって居ます。(城郭放浪記さんの写真館、グーグルマップ衛星写真に由る)
復元が進んでおり、時間とチャンスが有れば再訪したいと思って居りゆっくりと天草五橋、天草の海鮮料理を味わい、続々百名城候補?の久玉城、整備されてる富岡城南西4km程の所の志岐城跡、天草の諸城も探訪したいなと投稿しながら思って居りますがはて?
続き二ノ丸搦手西側辺へ
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