【置塩城】
<駐車場他>登城口前駐車スペース
<交通手段>車
<見所>曲輪・土塁・石垣
<感想>赤松氏の山城攻め本拠地攻略。置塩城は文明元年(1469年)に没落して加賀半国の支配から播磨・備前・美作の三国守護に返り咲いた赤松政則によって築城されたとされる。本格的な改修・整備がされたのは16世紀中頃の城主である赤松晴政・義祐の時代であったようです。現在残る遺構もその頃のものです。置塩城は城主則房の時、秀吉の中国攻めの際に降伏して廃城となりました。
麓から城跡までの登山は1~18丁の表示があり城跡入口の南曲輪群上段まで18丁=約2㎞あります。城跡内も広いのでハイキング装備の方が良いでしょう。登城口ゲート前にパンフレットが置いてあります。また月に1度城跡内で御城印の頒布があるようです。
置塩城の中心部は二の丸と呼ばれる曲輪でそこから尾根伝いに段曲輪が多方向に派生しています。本丸は二の丸の北東の位置に山の鞍部を隔てた独立した場所にあります。私が思うに本丸はたしかに最高所で広い曲輪であるけれども、城の鬼門の位置にあるのはおかしいと思うので二の丸と呼ばれる曲輪が主要部であって本丸はかつては違う役割で呼び名であったように感じました。
城跡は二の丸は仕切り石積み・土居を備えた東西に広い、南北に数段ある曲輪群となっています。二の丸の北側に台所跡、二の丸北曲輪群があり、北東側に鞍部を隔てて本丸があります。本丸は帯曲輪を備え南側に段曲輪があり本丸虎口付近と曲輪壁南側に石垣が残っています。鞍部に巨石を利用した石垣が広く残っていたようなのですが最近崩落してしまいシートが掛けられていました。残念。二の丸の北西側に三の丸があり三の丸から北側に大きい北曲輪群、三の丸から西側に小さい三日月状の西曲輪群が十数段あります。最下部付近に枡形状の大手門跡があります。西曲輪群(大手道)は道がロストしているのでストック要です。二の丸の西側に広い馬場があり、二の丸・三の丸の高い切岸が見れていい見応えです。二の丸の南西側に舌状の南西曲輪群があり大石垣が残っています。二の丸の南東側に南曲輪群があり上段に茶室跡と呼ばれる曲輪があり、石垣が多く残っています。城跡の入り口はここからになります。
曲輪だけでも60以上、入り込める曲輪が50くらいはあるので巨大城跡を十分堪能できます。石垣も露出している所と草木で隠れた箇所とあるので石垣や石垣跡を探索するのも楽しいです。竹田城といってもいいですが、置塩城も赤松氏の盛期の城で赤松氏山城の最終形態といってもいいでしょう。百・続百名城に負けていない城跡です。
<満足度>◆◆◆
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