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朝田 辰兵衛

雪虎レスありがとうございます! (2021/12/19 訪問)

にのまるさん,『雪花の虎』レス,ありがとうございます。甲斐の虎も美しく描かれてますネ!山本勘助はちょっとですが…<笑>。
個人的に違和感が最大値だったのが,鬼小島弥太郎です。「ボンジョビがモチーフか?」と勘ぐってました。醜い顔とゴツイ体,ガニ股で六尺を軽く超えてた大男というのが一般的な伝承です。
そうそう,鬼小島弥太郎の長岡市ゆかりの地が『雪花の虎』で明記されてませんでしたが,城びと登録にもある「乙吉城」になります。また,妙高市にもゆかりの陣屋跡がありますので,いずれ散策してきて報告したいと思います。飯山の墓所も。さらには,春日山城の海岸線防衛の支城群にも足をのばそうと画策していますが,全て年内はムリかな…。

昨年の締めくくりは,稲付城でした。

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じゅんじん

不思議 (2022/01/03 訪問)

4年ぶり。実家から2番目に近いお城です。家系的には1番近いかな。でもここが選ばれた理由がわからんなあ。

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織田晃司

大嶋だよ! (2022/01/10 訪問)

元々は独立した島に築かれた城。
主郭は神社と寺になってます。
曲輪と井戸、大嶋城城主の海老名一族の墓がある。

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トク

改修された平戸城と、鉄道+絶景+温泉+グルメ満喫旅 (2022/01/09 訪問)

平戸城が大規模改修を終え見学できるようになったと聞き、まだ行った事がなかったので行ってきました。
佐世保からローカルな松浦鉄道に乗り、日本最西端の駅「たびら平戸口」で降ります。そこからまたローカルな路線バスに乗り、真っ赤な平戸大橋を渡り平戸島に入ると平戸城が見えてきます。

バスを降りて、大手門跡→亀岡神社→懐柔櫓→見奏櫓を通りいざ天守へ!
1階受付でスタンプを押し天守の中に入ると、まず2階ではシアターに写し出された2人の松浦鎮信よる城の解説がありました。山鹿流と呼ばれる縄張りの解説や、松浦氏が秀吉の九州平定に加わったため、本領を安堵された事。しかし関ケ原では西軍に加わったものの安堵されたが、徳川に忠誠心を見せるため自ら天守を焼いた事、そしてポルトガルとなどとの南蛮貿易を行った事、さらにその後、天守を再建した事などを説明してくれました。次に3階では絵巻で松浦氏や平戸藩の歴史を見て学び、さらに4階ではクイズを解いたりして知識を楽しく深めながら天守最上階(5階)へと上ります。 するとそこには何と、息を飲むような超絶景パノラマが! (しばらくボ~っと見とれてしまいました)。 さらに案内板にあるQRコードをスマホでかざすと、向かいの見奏櫓から天守に立っている自分の姿を自動で撮影し、スマホへ転送してくれるサービスが無料でありました(これはイイ!)

夜は、湾の向かい側のホテルに泊まり、夕食は平戸名物「ひらめの刺身」がついた懐石料理、朝はバイキング、これらをリーズナブルな値段で堪能する事ができました。翌朝、屋上展望露天風呂から見た、朝日に輝く海に浮かぶ平戸城の幻想的な景色はもう最高! 温泉につかりながら(またもボ~っと)のぼせるまで見入ってしまいました。

お城+鉄道+絶景+温泉+グルメ 全てを満喫できた大満足のひとり旅でした~! (ぜひオススメです!)

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小城小次郎

岩屋城の石材は (2021/09/19 訪問)

池田輝政が忠雄のために作ったのだが忠雄は淡路に赴任すると岩屋城を解体して由良城を新たに築いた。由良城の石材は高崎台場に用いられているので高崎台場の石材は岩屋城のものだったということになるのだろうか。
(写真の石材は岩屋城の場所にはありません)

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todo94

朝駆け (2021/12/04 訪問)

日帰りドライブで滋賀県を攻めてみました。午前3時過ぎに家を出てまず向かったのが、荒神山城。荒神山神社が建っています。どうせ神社を建てた時の石垣だろうとよく調べもしていなかったのですが、参道脇に城の遺構の石垣も残っているようですね。完全にスルーしてしまいました。立派な前方後円墳は見応えありました。城の郭の一部だと感じられたので展望台にも脚を伸ばしてみました。

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備中の覇者 三村氏所縁の城を巡る (2021/01/09 訪問)

2019年9月にトーダイさんが登城しようとされ、城域近くまで車で行くものの、車1台がやっとの細い山道で駐車場所なし、夕暮れが迫り藪蚊に襲われ断念したとの由。
この道は、矢倉城から伸びる尾根が鞍部になったところを越え、南からの登城口と北からの登城口を繋ぎます。矢倉城には、峠の最高部から尾根をたどって行きます。トーダイさんのレポートを参考に山道の初めのほうの少し道幅があるところに駐車して、歩いていきました。
本郭には、切岸、土塁がしっかり残ります。一段下の郭には、井戸跡も。ただし、夏場は藪と化すと思われます。
この地域の最大の城であり、三村氏の本拠にもなった、備中松山城は、高梁川東側の山地に築かれていますが、その山地の東側には開けた谷があり、さらにその谷の東の山に矢倉城があります。備中松山城には山中を行き、裏手の東側からたどり着けるでしょう。三村氏が毛利氏に亡ぼされた備中兵乱では、矢倉城の守備兵は、落城後、備中松山城に引いたとあります。
岡山県HPには、「矢倉城は、車で頂上近くまで行ける」と紹介されています。間違いではないものの、いかがなものか。

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todo94

城カード現存12天守シリーズ (2021/11/23 訪問)

この日のトリは国宝天守を持つ人気の犬山城。人気がありすぎて天守は50分待ちでしたので城カードだけゲットして天守はスルーしてしまいました。3年前に登閣しているから別にいいですけれどもカードゲットのためにだけ550円払うのもなんだかなあ。如庵との国宝セット券1200円に手を出した時は全く不満はなかったのですけれども。姫路城でも朝一ならスムーズなので、犬山城から巡って名古屋城をトリにする行程にすれば良かったのかもしれません。小牧長久手の舞台にもなっている歴史の地ですが、この城の縄張には魅力を感じることが出来ずにいます。

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城山八幡宮が末盛城です。 (2022/01/10 訪問)

名古屋城に行く前にこの城にお邪魔致しました。
名古屋城は、またの機会にします。
末森城ではなく、末盛城が正式です。
織田信秀が築城した後、織田信勝に譲り渡されました。
実弟の信勝は、信長に謀反を行い二度目には末盛城は廃城となる。
現在、本丸には城山八幡宮があり遺構としては空堀が見事な姿で残っています。
高低差もあり見ごころ充分です。

にのまるさん、彦根城クイズにお答え頂きありがとうございました。
一問目の答えは、大津城が正解ですね。
天秤櫓や門などの資材は、長浜城や佐和山城から持って来ているのですが、天守は大津城を解体して移築したのです。
2問目の答えは、大津城の5重天守をそのまま移築するのは、将軍家に遠慮があったからなのです。
徳川将軍家の家臣である井伊直政としは出来なかったのですね。
3問目は、無念にも3重天守として移築したので小さくなってしまった。
そこで、3種類の破風と高欄付きの回り縁とさらに花頭窓を施して井伊家の存在を見せつけたのです。
美と力を表現することで威厳を保つことが出来ました。
にのまるさん、3問中2問正解で素晴らしいです。

さて、にのまるさん 1/15㈯の午後1時半にNHKBSプレミアムで「絶対に行きたくなる日本不滅の名城一乗谷」が再放送されます。
その放送の中からいくつかクイズを出します。
戦国時代がそのまま蘇った一乗谷は、戦国を語る上で素晴らしい遺構ばかりです。





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にのまる

源為朝館 (2021/12/29 訪問)

昨年末の大島弾丸ツアーの続きです。

元町港至近のホテル赤門がその場所でした。
鮮やかな赤門が目を惹きます。
為朝は源頼朝の叔父にあたる人で、坂の上の方の入り口にある説明板(写真⑥)に武勇伝がたくさん書いてありました。
ちから石や物見台、抜け穴などからもイメージが膨らみます。

時間もあったので、金光寺や赤穂義士遺族のお墓のある霊園にも行きました。
今回5時間の滞在で墓地2か所です。

お土産は缶に惹かれた牛乳煎餅カワ(・∀・)イイ!!
自分用に椿油製品を試してみようかと小さめのをいろいろ♪
(年末休みに入っているので職場用はナシです^^;)

帰りの岡田港から熱海までは45分ほどで料金も竹芝よりお安かったです。
熱海から自宅までが長旅でしたが(;'∀')
ちなみに、大島まで飛行機で30分で行けてしまう調布飛行場が割と近くなのですが、怖い&高いので全然考えませんでした。


雪花の虎は、信玄さんも美しい……“甲斐の虎とは名ばかりの狐のような細面”

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小城小次郎

山上近くまで車で行ける楽々なお城 (2021/09/19 訪問)

安宅氏の一族と思われる安宅冬秀なる人物がここで秀吉と戦い、壮絶な落城劇を演じたとの伝承もある山城。淡路島内ではかなり標高が高い部類だが、山上近くまで車で行けるので実は楽々登城できるという素敵なお城でもある。

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織田晃司

総石垣 (2022/01/10 訪問)

南曲輪群にある石垣がみどころ。

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朝田 辰兵衛

泰巖歴史美術館(東京都町田市) (2022/01/09 訪問)

ずいぶんと前になりますが,にのまるさんが紹介してくださった「泰巖歴史美術館」に行ってきました。復元の安土城天主と松図は撮影可。他の収蔵品も見ごたえがありました。
雪虎ファンの一人としては,見過ごせない展示物がありました。林泉寺にしかないと思っていた,上杉謙信存命中(?)の肖像画がありました。
「ヒゲもなければ,強面でもない」(『雪花の虎』第一話より)

岩殿山城の徒歩4時間超の疲れを癒しに訪れましたが,目がパッチリと冴えわたりました。
江戸東京博物館はたぶん激込みしているだろうと予測し,来月にしようと思います。伊能忠敬記念館とセットで。

町田市内でJR横浜線の線路に転落した乗用車は引き揚げられたのかな…。

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todo94

最後は走った (2021/11/23 訪問)

駅にほど近い城だから15分もあれば十分とタイトな計画を立てましたが、間違って磨墨塚公園にたどり着いてしまったため、時間がものすごく足りなくなってしまいました。それに結構きれいな土塁や空堀があったのも想定外でした。最後は、予定していた電車に乗れるよう走りました。

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カズサン

平城、水濠、土塁、睡蓮美しい城です (2011/06/04 訪問)

 10年前の平成23年6月上旬、富山城を訪ね天守閣博物館の担当の方に紹介頂いた越中安田城を初登城しました、良く晴れた暑い日でしたが平城、水濠、濠の睡蓮と心地よい探訪でしたので暑さも吹っ飛んだ感じでした。
 車は安田城跡史料館の専用駐車場を利用、無料、余裕の駐車場。

 資料館で展示物、資料を閲覧見学し勉強、二階展望台で安田城を俯瞰する、水濠、芝が張られた城域が青々(緑)として美しい。
 資料館から土橋を渡って右郭へ、野外展示で立体模型も有る、土橋を渡って二の丸へ周囲は土塁ですが本丸側は土塁無し、土橋/木橋を渡って本丸へ南側が虎口、周囲は高く幅広の土塁が囲ってる、充分櫓が建ってそうな広さは有る。
 田園、田圃の中に水濠に囲まれた平城を古文書古地図に基づき発掘調査復元整備された模様、整備は平成4年との事。
 富山市郷土博物館の方に紹介を受けて登城しましたが良い物を観察探訪出来ました・・有難うございます。

 歴史は佐々成政征伐の為天正13年(1585年)秀吉の本陣白鳥城の支城として前田氏が築いたと有ります。(資料館入手安田城跡パンフレット抜粋)

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todo94

2巡目の続日本100名城のスタンプラリー46城目 (2021/11/23 訪問)

麓に出来た「れきしるこまき」に初めて入館しました。清洲からの移転から小牧長久手の戦いまで、そして石が語る映像など、たっぷりと楽しませて頂きました。続100名城選定が大きくプラスに作用している城だと感じました。

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にのまる

彦根城のヒミツ

猿さんからのクイズのお返事です。
1) 彦根城の国宝天守は大津城天守の解体資材を使用したと言われています。(その大津城は坂本城からの移築⁉︎)
彦根城の櫓や門の中には長浜城や佐和山城からの移築と言われるものもありますが、諸説ありのものもあるようで……。
2)大津城の解体資材は彦根城だけでなく膳所城にもお分けしたのでちっちゃくなっちゃった(^o^)/
3)彦根城天守の装飾は政治的象徴としての美✨と軍事面での強化👊

薄っぺらくてすみませんm(__)m

彦根城クイズということで、世田谷区の豪徳寺にある井伊直弼のお墓と猫たちの写真をどうぞ😸(偶々一昨日お散歩してきたので雪が残っています⛄️)

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カズサン

昭和29年から聳えてる模擬天守 (2011/06/04 訪問)

 10年前の平成23年6月上旬、越中、能登の城廻りに出掛けました、高速道で車中泊し朝7時過ぎに城址公園地下駐車場に到着、利用。
 
 模擬天守の富山市郷土博物館はまだ開館して無いので、地下駐車場出口に近い東側の郭を見学、千歳御門、工事中でバリケード設置、御門横の石垣も工事中、搦手門虎口、現佐藤記念美術館の模擬三層櫓を外より眺める、二の丸側に廻り水濠越しの模擬天守を東側から西側から眺め、元鉄門枡形石垣を南から入り、素晴らしい鏡石を眺める、北側から模擬天守を眺め、本丸南東角の土塁、櫓跡も工事中で遠くより眺めて、北側の水堀松川を眺め通り西の丸へ本丸、西の丸エリアは工事中で歩ける所で探訪、9時過ぎに成ったので模擬天守に登閣、立体模型、富山城の歴史展示を観覧し、係の方に説明を頂く、係の方に近くの城として越中安田城を紹介され富山城の後に登城する。天守展望台から眺めも良好。水濠越しに模擬天守閣を眺めると水に写る天守、水濠の広さ、元鉄門の桝形石垣、同鏡石群も大きく素晴らしい、松川の水堀も春、桜の頃に舟遊びをしてみたい。2時間半ゆっくりと楽しみました。

 歴史:富山城は天文12年(1543年)神保氏によって築かれ、一向一揆勢、上杉氏、佐々成政と続き、天正13年(1585年)豊臣秀吉の征討を受け富山城は破却。
 以後、前田利家領有加賀、能登、越中を領有する、嫡子利長が富山城を整備するが大火で焼失、一国一城令で廃城。寛永16年(1639年)の富山藩分藩に伴い、初代藩主前田利次が入城。その後富山前田家13代が継承し明治を迎え、明治6年に廃城、解体される。
 昭和29年戦災復興の恒久記念物として富山市郷土博物館が開館した、平成18年にはリニューアルオープンした。
 (富山市郷土博物館パンフレット抜粋)
 

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朝田 辰兵衛

みなさんと同様に… (2021/12/19 訪問)

みなさんと同様に,平塚神社です。

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にのまる

観音堂の土塁 (2022/01/02 訪問)

稗田環濠から歩ける距離です。
集落内の行き止まりの看板に此の地に受け継がれ大切にされてきた歴史や伝統を感じました。
観音堂の土塁は外側にまわってみるとよく残っていることがわかりました。

この後大和郡山城まで歩きながら、(お城抜きでもいいから)平城京を感じる旅をしてみたいなあと思いました。

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