西面の城塁と水堀で堅固な城
(2009/06/14 訪問)
秋月城は城の本、HPの写真で何時か行きたいと思って居り、秋月城の立体模型写真を見た折、西側の南北に石垣城塁と水堀が控え櫓台には二重櫓が構えてる状態を確認し、益々行きたい感が増しました。
丁度13年前の平成21年6月中旬、大分県宮崎県城廻りの番外編で、前日は西都原古墳群、高鍋城、佐土原城、高岡城(天ヶ城)を探訪し、日豊線で鹿児島入り、天文館で旧友、馴染みの店で天文館を楽しみ、翌日鹿児島線特急で鳥栖駅経由西鉄甘木線、バスを乗り継いで秋月城を今回の城廻りの12城目として初登城探訪しました。
秋月城下へ入口の石造りの眼鏡橋が目を引きます、寅さんロードの野鳥川沿いの白土塀通りも気に成ります、観光案内所から、桜の頃でしたらさぞ綺麗だろうと杉の馬場から秋月城北側の城塁角、水堀、瓦坂の石橋、西面南北の城塁、水堀を眺める、現在内部は秋月中学校、長屋門石段、脇櫓台、構内で南側に一段高い元主殿跡とおもしき跡地を見学観察、移築黒門、北に戻って秋月郷土館に入館、以前からの見学を願って居た秋月城の立体模型とご対面、やっと見学出来たとの達成感感激です、しかしケースに収められており写真撮影が難しい。
秋月城の歴史は秋月氏が此の地を治めこの地の居館を置き奥に古処山城を詰城としていた、豊臣秀吉の九州征伐平定後改易も有りえたようですが、家宝の茶釜を差し出し降伏を願ったのが功を奏したのか、前日訪ねた高鍋城へ3万石で転封、家名存続を果たした。
関ヶ原後筑前は黒田氏52万石の領地と成り長政の三男長興は5万石を分知され秋月藩が立藩した、秋月氏の居館跡を寛永元年(1624年)秋月城として縄張した、以後黒田家12代継承して明治を迎える。
続きます(城下散策編)。
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