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もふもふ

《お城川柳》

佐倉城 密になってく 蝉時雨

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もふもふ

《お城川柳》

江戸湾の 風を感じて 千葉城址

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ダイエティシャン

因幡3城スタンプラリー〜若桜城の巻 (2021/06/14 訪問)

1ヶ月前に攻城

破城の跡が、世の儚さを物語っています

また、お土産をいっぱい買いに行きます

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もふもふ

《お城川柳》

関宿城 下総大地 筑波峯

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ダイエティシャン

因幡3城スタンプラリー〜鹿野城の巻 (2021/06/13 訪問)

1ヶ月前に攻城。

お掘りの美しさと、水鳥達の美しさに、目を奪われました。

今回も、バッテリー切れで、写真は残せませんでした。

また、お土産をいっぱい買いに行きます。

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ダイエティシャン

山陰のお城は元気です〜松江城の巻 (2021/07/10 訪問)

豪雨で被災された皆様の、1日も早い復興をお祈り申しあげます。

国宝松江城、豪雨に耐えてくれました。

お掘りの亀も、優雅に佇んでいました。

堀川遊覧船も運行していました。

国内では、豪雨の爪痕がまだ残っています。

隣国のお城も含め、山陰のお城を訪れ、復興支援すると共に、お城の元気な姿を、皆様にお届けしたいと思います。

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Yosihiko

国宝4城目 (2021/07/11 訪問)

姫路城(国宝)攻城🏯7城、攻城址2
世界文化遺産
姫路城は、今まで行ったお城とスケールが違う

お昼は、お城の前のたまごやでたまごかけご飯
おかわり自由の為、3杯食べました。

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もふもふ

《お城川柳》

箱根山 背に守護神の 小田原城

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もふもふ

《お城川柳》

松山城 令和に響く 蝉時雨

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もふもふ

《お城川柳》

鶴ヶ城 飯森山に 夏が来る

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もふもふ

《お城川柳》

アップルパイ 片手に歩く 弘前城

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T-Shionoya

【お城川柳】

城跡で 今日は歴史の 学者気分

お城好きはなぜ城に行くのか?
その答えは・・・

その城でどんな合戦が行われたのか?
石垣の上は、どんな城だったのか?
ここで武将はどんな生活をしていたのか?

人それぞれ異なるでしょうが、想像を膨らませ歴史家気分にさせてくれるところではないかな~。

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小城小次郎

織豊系以前の石垣の城だ (2021/05/02 訪問)

さすがは備前守護代浦上氏が本拠としていたお城だけのことはある。大手の石垣や、土塀だった可能性もある一直線の土塁には今もなお風格が漂っている。織豊系以前の石垣の城であることは疑いなかろう。もっと知られてよい城だ。

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もふもふ

《お城川柳》

百名城 一城ごとに シンデレラ

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肉球

織田陣屋・福井県越前町 (2021/06/23 訪問)

越前大野藩の飛び領を管理するために築かれた陣屋ですが
遺構や跡地を示すものは見つかりませんでした。
陣屋門は禅興寺に移築されています。

町内には剣神社がありここの神官が織田信長の御先祖様のようです。
神社に織田一族発祥の碑と町内に織田信長像が建てられています。

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肉球

陣屋のほうだけです (2021/06/25 訪問)

前回錦城山を登りましたので今回は陣屋跡付近だけの散策にしました。
小学校が藩邸跡、学校前を流れる川に石積みがありましたが当時の物かはわかりません。
江沼神社にある庭園は少し荒れ果てた様子。ちょっと残念。
国道305号線にあったとされる関所跡その門が市内の宗寿寺に移築されてます。

錦城山には猪出没注意の看板があります

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赤い城

ジャイアンツ球場の隣 (2021/06/27 訪問)

京王の稲田堤駅かよみうりランド駅が最寄りですがこの日は寺尾城から徒歩。
南側の登城口から登りました。
主郭には浅間神社の祠があり、東側の二郭との間に堀切。
二郭の下をぐるっと回ると北側の土塁との間に堀状になった部分も見られます。
主郭から西側に伸びる尾根道には井戸、その先に物見台がありました。
物見台西側の堀切は竪堀となって南北に落ちています。
観応の乱では足利直義が籠城、戦国期には北条氏と上杉氏が戦った交通の要衝にある城です。
さらに西側に進むと石碑と説明板があり、天竺坂を下るとジャイアンツ球場への坂道に出ます。
私はアンチGですがたぶん三軍の練習試合?を少しだけ見て行きました。
若武者の一所懸命さは見てても気持ちいいですね。

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り3日目:殿島城 (2021/06/29 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り3日目の6城目は殿島城です。
福与城から転戦。城址公園駐車場(35.805921、137.961970)に駐車しました。

殿島城の創立は南北朝時代にまで遡るといいます。
歴史が明らかになるのは戦国時代になってからのことで、春日城主伊那部重成の次男重国が殿島氏を名乗り殿島城を居城としたということのようです。
武田信玄の伊那侵攻で殿島氏も武田氏に降るが、1554年(天文23年)に伊那衆は武田氏に対して叛旗を翻しています。
伊那衆の反乱はすぐに鎮圧され殿島重国は処刑されています。
その後は武田氏によって接収され武田氏滅亡の混乱の後に廃城となったらしいです。

現在城址は本丸跡が「殿島城址公園」として整備されており、殿島城大手口に模擬城門が建てられています。
土塁、堀が保存されていますが、 そのすぐ外側は住宅地になっています。
攻城時間は15分くらいでした。

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り3日目:福与城 (2021/06/29 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り3日目の5城目は福与城です。
箕輪城から転戦。福与城跡説明板前(35.894389、138.0002)に駐車しました。

福与城の創立は鎌倉時代から南北朝時代にまで遡るらしいが具体的な出来事は伝わっていないようです。
戦国時代は藤沢頼親の居城だったが、高遠城主・高遠頼継とともに「宮川端合戦」で武田信玄と戦いましたが、これに敗れて信玄に降りました。
その後、頼親は反旗を翻し、1545年(天文14年)に信玄に攻められ落城しました。このとき福与城は焼失し廃城となりました。
1582年(天正10年)織田信長の甲州征伐で武田氏が滅亡すると、頼親はこの城を奪還しましたが、高遠城を奪還した保科正直に攻められ落城し、藤沢氏は滅亡しました。

城址は整備されており、土塁や空堀などの遺構を確認することができます。
10台くらいは停められそうな駐車スペース有ります。
空堀(土橋)下のトンネルにビックリしました。
攻城時間は20分くらいでした。

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にのまる

【お城川柳】

遊歩道と侮るなかれここは城

↓ほぼ崖

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