お城ファンが選んだ「推し城」ランキング ランキング圏外だけどコメントが熱いお城 Castle of the Year 2022番外編

2022年9月中旬〜12月下旬、城びと読者の皆さまに「城びと5周年記念企画」として、城びと的「推し城」アンケートを実施しました。1202人ものお城ファンに投票をいただき、2022年の「Castle of the Year」が決定! 残念ながら20位までに入らなかったお城を推す声もたくさんあり、熱いコメントがたくさん届きました。その中で、城びと編集部がとくに気になったコメントを、お城とともにご紹介します!

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脇本城(秋田県男鹿市)

脇本城、Castle of the Year 2022

雄大な遺構、素晴らしい景色、行き届いた整備が感動する。天気のよい日は心地よい風に吹かれ、何時間でもボーッとしていられる。(沼田乃豆腐屋さん)

脇本城の光景がありありと思い浮かぶコメントですね。脇本城は男鹿半島の付け根にあり、日本海に面した丘陵地に築かれました。築城時の詳細はわかっていませんが、日本海交易を盛んにおこなった安東氏が戦国大名に成長し、安東愛季(ちかすえ)が改修しました。多数の曲輪や土塁、空堀、井戸跡などの遺構が見られ、その規模は東北最大級といわれています。広々とした城跡には心地良い風が吹きつけ、目前に広がる日本海が歴史ロマンをかき立ててくれます。

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新府城(山梨県韮崎市)

新府城、Castle of the Year 2022

未完のまま武田家は滅亡を迎えたが、武田流築城術のすべてを投入した城である。偉大な父を越えようとした武田勝頼の気概を感じつつ、新府城からみえる富士山が美しくも切ない。(コウヘイさん)

武田勝頼がたどった悲運に思いを馳せると、美しいはずの富士山の印象も変わりますね。新府城は、戦国大名・武田勝頼が織田信長の侵攻に備えて築きました。未完の城とされていますが、丸馬出や三日月堀など、武田家の築城技術が随所に施されています。天正10年(1582)、新府城は織田・徳川軍に攻められ、入城からわずか68日という短さで、勝頼が自ら火を放つことになりました。

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八王子城(東京都八王子市)

八王子城、Castle of the Year 2022

実際に行くと、本当に天然の要害であって、そんなに簡単に落とせるような城ではなかったはずなのにと思ってしまいます。 氏照自身も小田原に出兵していた事、城内に裏切り者がいた事など、様々な条件が重なった為に短時間での落城となったのかと思うと、残念でなりません。 落城に際しての悲劇など、悲しい逸話と共に心に強く印象の残る山城です。(あられさん)

訪城に基づいた鋭いご意見ですね。八王子城は、戦国大名・北条氏康の3男(次男とも)、北条氏照が築城。数ある北条氏の城の中でも最大級の規模を誇りましたが、天正18年(1590)に豊臣秀吉の小田原攻めによって、わずか1日で落城。八王子城の落城をきっかけとして小田原城(神奈川県小田原市)は開城し、北条氏は滅亡します。この時、氏照は小田原城に籠城しており、開城後に兄の北条氏政とともに切腹しました。

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志布志城(鹿児島県志布志市)

志布志城、Castle of the Year 2022

実際に歩いてみて、上から狙われているような恐怖感を感じたすごい縄張りの城です!(もんたなさん)

シラス台地を利用したお城の怖さが伝わってきます。シラスは火山噴火による火砕流や,空中に舞いあがった軽石や火山灰などが堆積してできた土壌。シラスによって形成されたシラス台地を掘って空堀を築き、独立した4つの中世山城を合わせたものが志布志城です。迷路のように空堀が張りめぐらされ、どこにいても頭上から攻撃されそうな構造です。戦国時代には新納(にいろ)氏や肝付(きもつき)氏などが支配し、南九州における島津氏の支配が安定すると役割を終えました。

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古宮城(愛知県新城市)

古宮城、Castle of the Year 2022

あまりお城は詳しくないですが、色々なお城へ行くたびに、古宮城のことを思い出します。何度か訪れましたが、保存会?の皆様のおかげでとても見やすく探検しやすいお城で、とても好きです。(ばたこさん)

自分の中に基準となるお城があると、ほかのお城を訪ねた際に比較ができて理解しやすいですね。古宮城は整備が行き届いており、土塁や空堀など、土の城の特徴がよくわかります。元亀3年(1572)頃、武田信玄が重臣の馬場信春に築城を命じたと伝わっています。徳川家康を意識した攻撃拠点だったと考えられていますが、信玄の死後に武田氏の衰退とともに、廃城になったと推定されています。

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名護屋城(佐賀県唐津市)

名護屋城、Castle of the Year 2022

隅の石垣が多数崩した、破城の跡がリアルに残り、崩したまま復旧しないで見せている様が遺構として素晴らしい!また、玄界灘を眺めると、ここから朝鮮出兵したんだ思うと同時に、行きたくなかった大名達の愚痴が聞こえて来そうな感覚がありました。(ルークさん)

名護屋城には全国の大名たちが集められました。その中には、不満から愚痴をこぼしていた大名もきっといたと思います。名護屋城は豊臣秀吉が朝鮮半島に兵を送った、文禄・慶長の役の拠点となりました。天正19年(1591)に築城が始まり、九州各地の大名を動員して、約5カ月で完成。しかし、秀吉の死後に戦いが終結すると、名護屋城は役目を終えます。そして、江戸時代初期には広範囲にわたって石垣まで破壊されました。

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篠山城(兵庫県丹波篠山市)

篠山城、Castle of the Year 2022

石垣作りの城で「馬出」が残る希少な城。 天守はないが必要十分な無駄のない縄張り。(弥七郎さん)

篠山城といえば天守台の石垣が有名ですが、石垣造りの馬出も圧倒的な迫力を誇ります。篠山城は慶長14年(1609)、徳川家康の命令によって築かれました。豊臣氏の大坂城(大阪府大阪市)を包囲する目的で15ヵ国、20の大名を動員した天下普請で、わずか6ヵ月で完成しました。この時、縄張りを担当したのが「築城の名手」藤堂高虎でした。外堀の外側に3つの馬出を築き、そのうちの南馬出と東馬出が今もよく残っています。東馬出(東西約40m、南北約80m)、南馬出(東西約140m、南北約60m)と破格の規模ですので、ぜひ実際に見ていただきたいです。

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赤木城(三重県熊野市)

赤木城、Castle of the Year 2022

藤堂高虎が築いた石垣の城。通る度に横矢掛けになっているため、攻めるのは不可能。(POYOBUCHIさん)

「築城の名手」藤堂高虎が若かりし頃に築いたお城と言えば赤木城ですね。赤木城は中世山城の縄張りでありながら、石垣を活用した出入り口など、近世城郭の要素も見られます。天正14年(1586)、現在の奈良県・和歌山県・三重県の境界付近で発生した「北山一揆」を鎮圧するための拠点として、赤木城は築かれました。当時、豊臣秀吉に仕えていた藤堂高虎は、赤木城を築いた後、約11年間過ごしたとされます。

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中城城(沖縄県中頭郡)

中城城、Castle of the Year 2022

石垣の曲線美、ピッタリとハマった石垣の切り出し方、敬意を表し自分は一段下の階段を歩くように設計された忖度の階段。 勝連城から首里城への攻撃に備えた完璧な立地。 増築された石垣もとても見応えがあり、ペリーのスケッチした絵が残っている所も見どころだと思いました。 中が建設された頃は本州に石垣のある城などはなく技術の高さが伺われます。 攻撃、防御どちらの能力も高く最高のお城だと思います。(Yumiさん)

遺構の特徴から立地や歴史にも視点を広げたコメントで、グスクへの強い愛を感じます。中城(なかぐすく)城は「按司(あじ)」と呼ばれた豪族によって築かれ、15世紀前半に完成したとされています。その後、築城術に定評のあった護佐丸が改修しました。城内には琉球石灰岩を活かした城壁が連なり、大部分は切石による「布積み」や「相方積み」によって積まれています。1853年、アメリカ東インド艦隊を率いるペリー提督の一行が訪れた際には、城壁とアーチ門の建築技術の高さに驚いたようです。

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龍岡城(長野県佐久市)

龍岡城、Castle of the Year 2022

函館の五稜郭と並んで日本で2つしかない五稜郭のお城として知られていますが、城内にある田口小学校が150年の歴史に幕を閉じ今年度で閉校します。それに伴い今後どのように史跡整備が進んで行くのか目が離せません。唯一現存する御台所はかつて校舎として使用された事もあり、教育の場として明治維新後も地域に深く結びついた龍岡城の存在意義を感じて欲しいです。(えどっち@松本君之助さん)

2023年3月11日、龍岡城の城内にあった田口小学校は約150年の歴史に幕を閉じました。歴史は数百年前の過去だけではなく、絶えず積み重ねられていることを伝えてくれるのが龍岡城だと思います。龍岡城は幕末に松平乗謨(のりかた)によって、函館の五稜郭と同様に星形要塞として築かれ、慶応3年(1867)に一部の水堀を除いて完成しました。明治時代に解体されますが、料理をつくったとされる「お台所」が現存し、校舎として使われます。その後、龍岡城の敷地内で校舎の移転を経て、佐久市立田口小学校が建ちました。

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以上、Castle of the Year 2022で20位までに入らなかった城の中から、泣く泣く10城に絞ってコメントをご紹介しました。みなさまの熱いコメントがきっかけになって、来年は一気に順位が上がるかも知れません! たくさんのコメントをいただき、誠にありがとうございました!

【推し城アンケート概要】
●調査期間:2022年9月18日~2022年12月25日
●調査対象:1202名(「城びと」読者の皆さま)
●調査方法:全国の「城びと」読者を対象にインターネット調査を実施。日本100名城、続日本100名城の計202城から、「今、行きたい推しのお城」を2城選び、投票いただいたものを集計。

執筆・写真/藪内成基(やぶうちしげき)
国内・海外で1000超の城を訪ね、「城」をテーマに執筆・ガイド。著書『講談社ポケット百科シリーズ 日本の城200』(講談社、2021年)。『小学館版 学習まんが日本の歴史 6~8巻』(小学館、2022年)、『地図で旅する! 日本の名城』(JTBパブリッシング、2020年)などで執筆。日本お城サロン(まいまい京都主催)を運営する。

※歴史的事実や城郭情報などは、各市町村など、自治体や城郭が発信している情報(パンフレット、自治体のWEBサイト等)を参考にしています

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