萩原さちこの城さんぽ 〜日本100名城・続日本100名城編〜 第27回 志布志城 シラス台地が生み出した、圧巻の「空堀天国」

城郭ライターの萩原さちこさんが、日本100名城と続日本100名城から毎回1城を取り上げ、散策を楽しくするワンポイントをお届けする「萩原さちこの城さんぽ~日本100名城と続日本100名城編~」。27回目の今回は、圧巻の切岸と空堀が見られる志布志城(鹿児島県)をピックアップします。



志布志城、切岸、空堀
本丸上段東側の切岸と空堀

まるで崖!全国トップクラスの強烈な「切岸」

ざっくりと削られた切岸が、圧巻の城です。「南九州型城郭」と称される、鹿児島県や宮崎県にみられる城の特徴で、志布志城はその代表例といえます。

たとえば志布志城の本丸上段東側にある切岸は、崖のようにほぼ垂直。想像を絶する切岸に、誰もが度肝を抜かれるはずです。この斜面をよじ登れる敵などいないでしょう。空堀も規格外で、掘ったというよりは、台地をざっくり切り落としたというほうがしっくりきます。深さに対して幅はさほどないため、かなりの閉塞感があります。堀底はうす暗くて湿っぽく、谷底を歩いているような気分です。

これほどの切岸がつくれるのは、九州南部に分布するシラス台地と浸食谷(開析谷)を利用して築かれているからです。

シラス台地とは、細粒の軽石や火山灰などの火山噴出物が堆積した地層が、別の地層の上に平坦に重なって形成された台地のこと。枝状の浸食谷が急崖をなして複雑に入り組み、それがそのまま空堀になっています。だから、ザクザクと地面をかち割ったような、曲輪の独立性が高い特徴的な縄張になるのです。「曲輪を空堀で仕切る」ではなく、「できてしまった空堀の残った部分を曲輪として使っている」という表現のほうが正しいかもしれません。

シラス台地は削りやすい土壌であることに加えて、地下水位が低いため垂直に掘削しておかないと雨水などにより浸食され崩れてしまいます。切岸をよじ登ろうとする敵にとっては、厄介な性質です。

志布志城、空堀
中尾久尾から大野久尾へと続く長大な空堀

常に大規模な空堀が視界に入る「空堀天国」

志布志城は、4つの山城(内城・松尾城・高城・新城)で構成されます。全体規模は東西約1,000メートル、南北約900メートルと、戦国時代の山城としては巨大。この地域では曲輪ではなく「城」と呼ぶ傾向がありますが、それも納得できる独立性の高さです。一般的な見学スポットは内城のみですが、内城だけでも走りまわれるほどの広さ。最低でも1時間は予定しておくといいでしょう。

この城をひと言で表現するなら「空堀天国」です。三方を絶壁とし、背後にあたる北東側は大規模な堀切で尾根を断絶。この大堀切から尾根の先端までに6つの曲輪を直線的に置き、5つの曲輪を一列に並べて、その間は大規模な空堀でザクザクザクと大胆に分断しています。西側には600メートルほど延々と横堀をめぐらせ、矢倉場の東面には巨大な竪堀もあります。城内のどこにいても、視界から空堀が消えることはありません。

これらを取り囲む長大な横堀も相当なスケール。横堀の西南から東南にかけても多数の曲輪があり、外郭の曲輪群にも堀切が掘り込まれています。

志布志城、空堀、本丸
本丸に至る空堀。正面が本丸

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執筆・写真/萩原さちこ
城郭ライター、編集者。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演など行う。著書に「わくわく城めぐり」(山と渓谷社)、「お城へ行こう!」(岩波書店)、「日本100名城めぐりの旅」(学研プラス)、「戦う城の科学」(SBクリエイティブ)、「江戸城の全貌」(さくら舎)、「城の科学〜個性豊かな天守の「超」技術〜」(講談社)、「地形と立地から読み解く戦国の城」(マイナビ出版)、「続日本100名城めぐりの旅」(学研プラス)など。ほか、新聞や雑誌、WEBサイトでの連載多数。公益財団法人日本城郭協会理事兼学術委員会学術委員。

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