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オチョ

鹿だらけの海城 (2015/09/26 訪問)

鹿島は北条港の目と鼻の先にあり、渡船であっという間に渡ることができます。
島の大部分を占める小山に主郭があり所々に僅かながら石垣が残り、公園化されて分かりづらい部分はありますがいくつかの曲輪も残っております。
四国勢で唯一明治維新まで大名として生き残った来島村上氏の四国征伐後の居城ですが、今は鹿島の名前の通り鹿の居城と化しています(笑)

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カルビン

そこへ至る道も、山登りも大変 (2015/05/30 訪問)

先日upしました勝間田城以上に登城口が茶畑パーティな花倉城
こういうシチュエーションを味わうと、バイクで登城される方がとても羨ましく思えます(道が狭くても大丈夫だし、駐車スペースに困らなさそうですし・・・でもバイクはバイクで苦労する事多いんだろうなぁ)

さて、花倉城は今川義元兄弟の家長争いの場な訳ですが・・・公家のような成りをしていたとされるひ弱なイメージの義元さんには登城するのに体力持つのか?ってくらいなかなかの登山が待ってまして・・・(汗)

メタボで高所恐怖症な自分に至っては体力もメンタルも疲弊する事にorz


遺構は入口の土橋の先は主郭附近に集中していると思われますが、主郭から先に続く道には遺構は見受けられませんでしたので、それほど大きな規模では無いのかもしれません
(道中の登りの大変さと高所でそわそわしていた為に気が付かなかったのかもしれませんが・・・)


麓の新東名高速沿いにある長慶寺に太原雪斎と今川泰範(義元の先祖)のお墓があるので、セット訪問推奨です

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todo94

続日本100名城スタンプ59個目 (2018/10/20 訪問)

9年前、阿波おどりを見た翌日に訪れた時は、見性寺周りの濠と矢竹や説明板をチェックしただけだった。グーグルマップにもここが勝瑞城跡として表示されているから。今回は発掘調査されている館跡がメイン。枯山水庭園跡はかなりしょぼいけど濠跡の規模はなかなかのものである。発掘・調査・整備が更に進んでいくことが期待される。なお、土日のスタンプ置き場のガソリンスタンドは最寄りのエネオスでは無くちょっと離れた昭和シェル石油なので、ご注意を。

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チェブ

続100名城効果?真田丸効果? (2018/05/05 訪問)

群馬県の続100名城を沼田城→名胡桃城→岩櫃城の順番で回りました。
スタンプ帳を持っている方が同じように回っているらしく同じ方に何回もお見掛けして笑ってしまいました。
見学して思ったのですが整備が新しいので、なんか違和感…。
5~8年位前に行った時は草ボーボーで入れなかったりしたお城も名城に選ばれて整備させているようですね。
私は草刈り程度していただいて、あとは そのままにしてくれた方が いいな。想像力は無限大ですからね。
でも、愚痴ったわりに、いただいたクリアファイルは大切に使ってまーす!

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オチョ

予想外の遺構の良さでした (2015/09/26 訪問)

松山市野外活動センターから横山城へのハイキングコースがあります。
ハイキングコースに入るとすぐに人一人分の土橋のついた堀切が現れ、その後も何重にも連続して堀切が造られておりこれだけでもかなり圧巻です。
数条の堀切を抜けると曲輪下の斜面沿いの道や急な尾根道を越えると主郭部に到達でき、主郭部は天然の巨石が多く聳えています。
この城のもう一つの見所がこの巨石で、上に登ると多数の柱穴が残っており、貯水用の穴が空いた巨石も二箇所確認できます。
僅かながら石積みの名残のようなものや礎石遺構も確認できるなど非常に見所が多く、規模の差はありますが苗木城にも似た雰囲気を感じることができます。
何故かあまり有名な城ではありませんがかなり独特な造りで特に堀切好きな方、柱穴好きな方にはとてもオススメの城です。

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朝田 辰兵衛

現在の白山神社&白山公園一帯。 (2018/10/24 訪問)

新潟城の存在そのものを証明する資料は,岡山大学の「池田家文庫」に絵図が現存しているが,新潟城の所在は不明とのこと。現在の白山神社&白山公園一帯が推定地とされています(←Wikipediaより)。
1872年(明治5年)に白山神社境内を新潟遊園として,第2代新潟県令楠本正隆が整備工事を開始。
現存する白山神社も1873年(明治6年)ごろの創建とされています。
その沿革資料が白山公園南部に位置する,新潟県政記念館(旧新潟県会議事堂)に展示されています。
入館は無料なので,まずここをチェックしてから散策することをドススメします。
現在の状況を城郭に当てはめれば,以下のようになると思います(あくまでも個人的所感)。
・大手門…白山神社鳥居(←古町通の起点となっているため)
・本丸…美由岐賀岡(←楠本正隆像&新潟遊園碑が建立されているため)
・本丸庭園&茶処…蓮池&燕喜館(←燕喜館は斎藤喜十郎家の邸宅の一部を移築再建し,現在も茶を振る舞っているため)
・本丸御殿…白山神社(←これは異論ないでしょう)
・城主居館…新潟県政記念館(←これも異論ないでしょう)
・二の丸…信濃川側空中庭園(←再建土塁に見えちゃう)
以上が散策レポートです。
遺構消滅,推定地,再建造物ナシって,最難関の城といえます。

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オダリン

大分駅から徒歩で (2010/09/29 訪問)

大好きな石垣と水堀があって隅櫓が白壁の塀で結ばれているこれが城という雰囲気であるが、ここは宗門櫓と人質櫓が現存しているが他の隅櫓が復元されているがそれに対しての案内表示が少ない。もっとPRをすべきである。

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chacha

見えませんでした (2017/09/17 訪問)

お天気が良くて澄み切ってる時は、天守から富士山が見えます。2013年の春に行った時は霞で見えず。今回は曇って見えませんでした(笑)2年前12月は見えたのですがね。

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dougen

2015.9.3登城 (2015/09/03 訪問)

家族旅行で軽井沢に行った際に立ち寄りました。
前回は雨でゆっくり散策できなかったのですが、改めて城址を歩くと小諸城の要害っぷりを改めて感じることができました。
ただし、家族旅行だと城址の隅々までゆっくりと散策できないのが残念です。

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dougen

2015.3.8登城 (2015/03/08 訪問)

ロワジールホテル那覇のすぐ裏に三重城址があります。
往時のままでは無いと思われますが、石垣があり、主郭は広場と神社があります。
現在も港に面しており、往時も那覇港を守る重要な拠点だったことを伺うことができます。

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へいくろう

石垣山城の後に訪問 (2018/10/21 訪問)

石垣山城の後に午後から訪問。
このお城はこれで2回目です。
早川駅から小田原漁港を回り小田原城へ。
なので反対側の報徳二宮神社→天守閣→常磐木門→銅門→馬出門と逆回り。
天守閣はこども遊園地側から見るのも良い感じ。
そして以前から気になっていた外郎なるものを確認するために、ういろう博物館へお立ち寄り。
ういろうって名古屋も有名かと思いますが、小田原のも美味しいですね (^o^)
この後は小田原城のボランティアガイドさんに聞いた 総構 の遺構を見に行きました。
小峯御鐘ノ台大掘切まで歩いて20分~30分。
圧巻でした。
中を歩くことができて更に嬉しかった。
石垣山城、小田原城、総構、一日で全て回れたことがまた良かったです (*^^*)

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朝田 辰兵衛

6段石垣前のポールが… (2016/08/27 訪問)

6段石垣前のポールが残念でなりません。「以前はなかったハズ」と(他のサイトで)どなたかがおっしゃってました。しかし,イイものはイイですネ!あらゆる角度からいろいろな顔を振りまいてくれます。大勢の方が雨に見舞われたとのことですが,私も約2年前にゲリラ豪雨に見舞われながら岩村駅から徒歩で登城しました。城下町をゆっくり散策している余裕もなかったですが,しっかりと岩村名物“カステーラ”を購入しました。

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お市と三姉妹のゆかりの地 (2018/10/13 訪問)

伊勢上野城は、織田信長の弟の織田信包が津城の仮城として、1570年に分部光嘉に命じて築城しました!
当初は信包の居城であったが1580年に津城が完成すると、信包は津城に移り、分部光嘉が城主となりました!
城の本曲輪は四方を土塁に囲まれた方形の曲輪で、北隅には櫓台や虎口が残されています!
二曲輪は、幅約20mの堀切で防備されています!
また、この城は信長なによって攻められ浅井長政が自害した後、信長の計らいでお市と三姉妹が移り住んだ城なんです!
お江は、0歳から7歳までこの地で過ごしました!
その後に廃城になり、後に津城の藩主となる藤堂高虎により取り壊されました!
現在は、城郭の跡のみが残っています!
標高38mの伊勢街道沿いの台地に造られたこの城からは、伊勢湾や鈴鹿連峰が一望出来、展望台となった今でも当時を偲ぶことが出来るので有ります!


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chacha

関ヶ原の戦いの三成 (2018/10/08 訪問)

三成がここから関ヶ原の戦いに……
関ヶ原の戦いのDVDが楽しめました。30分かかるので時間にゆとりが必要ですね。

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chacha

やっと晴れた日に! (2018/10/07 訪問)

3度めでやっと晴れわたった日に行けました。岐阜城が見えました。でもここも、天守に入るまで30分並びました。

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勝野武士

ご存知、忠臣蔵ゆかりの海城。

まずは大石神社に車を止めて参拝…からの大石邸と源八長屋を見学…からの大手門から再入場。
外堀と隅櫓のセットを眺めてから、復元された大手門の枡形石垣の豪壮さにまず目を奪われます。外観復元された番所の内部は休憩所。雰囲気出てます。
そのまま二之丸に至る道を歩く。大石邸や大石神社境内などがあるのは三之丸。家臣達の屋敷が整然と建ち並んでいた。忠臣蔵の登場人物の屋敷跡の石碑もあちらこちらにあります。
二之丸の北半分は庭園整備が一段落し一部公開されています。十分美しいのですが、全面公開されている頃にはどうなっているのか…。二之丸御門の枡形石垣も一部完成してました。門そのものの復元も計画されているようですし、これからも楽しみですね。
南半分は中仕切門が復元されていたり、発掘調査で明らかになった遊水池や米倉風の休憩所(といっても、結構本格的な建て方)、そして何と言っても、当時は海に直接面していた水手門と波止場遺構は超必見!
本丸は、本丸御門や庭園が復元され、御殿の平面表示や配水施設、さらに巨大な天守台があります。
外周の石垣も、さすが実戦を意識した山鹿流兵法に則って幾重にも巧みに折り曲げられた横矢掛や要所要所に設けられた櫓台…城域が広大ですし、本当にこれが最大石高五万石の城なんだろうかと思ってしまいます(笑)。
何度来ても飽きない、とても良いお城です。

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再訪▪城廻りvol.2 大洲城③ (1987/08/01 訪問)



(1987.8.1訪問▪2018.8.31再訪)

37年前の下台所と整備修繕された現在の様子です。

大洲城には、二の丸に下台所という、食糧庫として使われていたた当時の建物が現存しています。

大洲城には、重要文化財の4つの櫓が現存してますが、この下台所は指定されていなかったためか、当時最初訪れた時には写真のようにあれ放題。
屋根は草ボウボウ、外壁に張られた板も方々で外れて隙間だらけ。
よく見ると、右上に高欄櫓の二階の屋根がみえています。

現在では、修繕整備され、保護のためおおっていた下見板も取り外され、綺麗な漆喰の外壁の元の姿に戻っています。


昔と今の写真をよく見てみると、下台所のある二の丸と、本丸の間の中段にあった数件の民家がなくなっています。高欄櫓の右側には復元された天守の4重目が写っています。
城跡整備のため、城内にあった民家が、城外に移転されたのでしょう。赤穂城でも、この様なことを感じました。たぶん、他のお城でもあるんでしょうね。

このような方々の協力のお陰で、現在では自分達が綺麗に整備された城趾公園を訪れることができているんだなと感じた大洲城の訪問でした。

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小城小次郎

上田城

徳川軍を二度に亘って撃退した真田の武勇とともにいつまでも語り継がれること間違いなし

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にのまる

山と川に挟まれた防御に適した地 (2018/10/21 訪問)

戦国期の甲斐国は武田氏が直接支配していた「国中」、一門の穴山武田氏が支配していた「河内」、小山田氏が支配していた「郡内」の三地域に分かれており、谷村は「郡内」の中心地でした。「真田丸」の時代考証のおひとりでもあった丸島和洋氏の『郡内小山田氏』(戎光祥出版)がとても詳しく、お勧めしたい本です。小山田氏というとどうしても小山田信茂が脳裏に浮かび、最初は読むのが辛かったのですが、あと味スッキリです。
谷村城は現在、小学校の片隅に石碑が建っているのみ…という情報はもっていましたが、おそらく行かれた方みなさんがそうであるように、勝山城のついでに寄りました(^_^;) が、なんか石像のようなものも見える!もしかして小山田信有?と思って近づいてみたら、薪を背負ったニノ像でした。今の時代、この格好で歩きスマホしてたらセンセに怒られるぞ…。
小学校の斜向かいには「谷村陣屋跡」の石碑。天領時代の陣屋跡だそうです。
谷村駅近くの「ミュージアム都留」は有料(300円)ですが、見応えのある博物館です。勝山城の模型もあるし、谷村城址の石碑だけでは絶対にものたりないので寄られるといいかと思います。
松尾芭蕉の俳諧の旅のきっかけとなったのもこの地を訪れたことだったそうです。そのあたりも「ミュージアム都留」で。

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カルビン

三国同盟の地とは少し離れてます (2015/05/30 訪問)

実は太原雪斎と山本勘助が互いの利益を考えて、北条を含めた同盟を主君に勧めたとされる三国同盟
善徳寺城はその場所・・・と思われがちですが、実際三国同盟が取り交わされた場所は善徳寺であって善徳寺城では無かった
(実際に善徳寺城と善徳寺は少し離れてます)
確かに今川のお城に武田・北条共に主君含め小人数で入るのはちょっと信用できないでしょうからねw

善徳寺城を見学するには車を停める場所が見つからなかった為(自分は無理やり車の中から周辺撮影した)、ゆっくり見学するなら岳南鉄道線吉原本町駅から行くのが良いでしょう

で、そこから三国同盟が取り交わされた善徳寺跡地は1kmくらい東北東に離れた場所にあり、こちらは公園化していて、車も2、3台止められる駐車場があります

周辺は住宅地になっていて道が狭いので、もし車で訪れる場合はご注意を

(善徳寺城の写真は最初の3枚で、残りは善徳寺跡(公園)のものです)

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