寒い日で雪空でちた
昔の人は足腰が丈夫なんでしゅねー
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2024/05/05 19:52
2024/05/05 18:32
2024/05/05 18:19
僕らのカープ♪ (2024/04/29 訪問)
ご存知、広島カープの球団名由来の鯉城、広島城です。
マツダスタジアムでのナイターが雨天中止となりとりあえず陽気でラーメン食べて宿泊先に。
翌日から九州遠征なので気を取り直します。
翌朝、相方睡眠中に久しぶりに広島城を散策しました。
近世城郭ではまずは内堀を一周するのが常ですが、この日もまずは内堀沿いに歩きました
GWとは言え平日、人もまだまばらです。
横矢がかかる石垣も素敵、裁判所敷地内の土塁も見学しました。
北側に行くと天守も望めます。
復元ですがやっぱり見応えありの天守です。
内堀を一周して大手門から二の丸へ。
もちろん堀には鯉が泳いでいます。
この二の丸、馬出を兼ねる珍しい造りです。
中御門から本丸に入りますが、石垣が所々赤く焼けています。
そう、原爆によるもの、違う意味でも歴史を感じます。
本丸には日清戦争時の大本営跡も。
広島が軍事の重要拠点であったことが伺えます。
北西の隅に復元天守、朝早かったので中には入れませんでしたが内部は博物館になっています。
福島正則時代の石垣や土塁も残り石垣には刻印のある石も積まれています。
原爆で天守含めて破壊されましたが様々な時代の歴史を感じることができる城なのではないかと。
帰りは大手門前の地下道を通りましたがここに暗渠の跡も残っています。
鯉城を訪れる際には見逃し無きよう。
しかし今日もカープ負け、打てない・・・。
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2024/05/05 16:40
2024/05/05 16:20
新善光寺 (2024/05/04 訪問)
戦国時代には結城氏、小田氏が争った境目の城です。最終的には佐竹氏の支配となりました。当時の城域はかなり広かったようですが、面影はあまりありません。新善光寺へ行って来ました。墓地横の堀跡と思われる地形がありました。他にも土塁等が所々残っているようですが確認していません。
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2024/05/05 16:18
田圃の中の微高地が城跡 (2024/04/20 訪問)
切山城を終えて加賀の国から越中の国へ北陸路13番目北東に約18km程の木舟城を初登城。当初は切山城から近い松根城沿い安養寺城、蓮沼城、木舟城と廻る予定でしたが、切山城へ進行中国道304号線途中に国道359号線(富山方向へ抜ける)が今回の能登沖地震災害で通行止の表記を確認し、駐車してる道すがらの車の運転手に聞きますがはっきりしなく、高速北陸道、能登道(金沢森本IC~福岡IC)を利用してまず間違いない木舟城を先に登城する次第と致しました。
駐車場:木舟城址公園専用駐車場、バスもOK、トイレ有。
参考資料:余湖図コレクションさんグーグルマップに依る。
能登道福岡ICを降りたらすぐに木舟城に着きます500~600m程西、専用駐車場利用、田圃の中に微高地として残ってる本丸跡、解説板を見ると南北に湿田沼状の微高地に本丸、北曲輪、南曲輪、東に東曲輪貴布祢神社鎮座の構、周辺の民家も微高地に夫々建ち周りは水田に成っている、湿田沼地に囲まれた要害だった様子が窺えます。
歴史は、平安末期石黒氏が築城と伝わり約400年国人領主として栄えたが上杉氏に服属、越中一向一揆勢力との抗争、織田氏に服属の中、上杉氏に木船城を追われた。その後織田氏の信頼を失い織田氏に滅ぼされた。
その後越中は前田領となり天正13年(1585年)8月前田利家の弟前田秀継が城主として入るが同年11月の天正大地震で木舟城は倒壊し秀継夫婦は落命した。
天正大地震の災害では飛騨帰雲城の山塊崩落地すべり山津波崩壊が有名で埋蔵金黄金伝説でも有名、此処木舟城も液状化現象、地滑りが発掘調査で確認されています、長浜城山内一豊城主の時代に災害を受け娘が亡くなって居ましたが?中部圏大きな被害だった様で、戦い中の小牧長久手の戦いもこの地震で終焉を迎えた様でした。
今年の元旦に能登半島沖地震が発生して大きな被害を受け現在も復旧活動が続いており、お見舞い申し上げます。
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2024/05/05 16:16
模擬櫓 (2024/02/02 訪問)
明智光秀の娘・玉
細川ガラシャ
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2024/05/05 15:55
幻の一夜城 (2023/10/28 訪問)
夕日とひょうたん
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2024/05/05 15:54
巨大三重天守 (2024/05/04 訪問)
小田原城天守が最初に築かれた時期は分っていないそうですが、前期大久保氏が城主を務めた1596年~1615年頃には存在した可能性が高いそうです。小田原城天守は4度建て替えられ、現在の天守は1960年に鉄筋コンクリートで外観復元されており、江戸時代の天守雛型や明治期の解体中状況を撮影した古写真を参考に復元されたもので、外観はほぼ正しいとされています。
外壁は白漆喰の総塗籠で、二重目の屋根面を千鳥破風を二つ並べた比翼千鳥破風、二階建ての出窓が設けられている点は、小田原城天守独自のデザインです。
5月4日小田原城を訪れた日は、第60回小田原北條五代祭り(祭り期間、5月3日~5月5日)が行われており、二の丸広場でイベントが行われており、大勢の方がお祭りに参加されていました。
人出が多く天守に入るにも行列が出来ており、時間の都合上諦めました。(何度か天守内に入っているため、さほど気になりませんでしが)
しかし、この天守は、何度見てもデッカイし、恰好が良い(*^▽^*) 石垣好きではありますが、やはり近世城郭には天守があった方が絵になります。
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2024/05/05 15:52
2024/05/05 15:48
二の丸東南隅櫓 (2023/11/25 訪問)
地元です。
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2024/05/05 15:44
天守閣と水掘 (2023/10/14 訪問)
何度みてもデカい⁉️
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2024/05/05 15:31
天守と天秤櫓 (2023/09/24 訪問)
徳川四天王の一人・井伊直政
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2024/05/05 15:16
一直線の大手道 (2024/01/14 訪問)
180mの石段💦
かくごしーやー
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2024/05/05 15:09
山頂に建つ天守 (2024/03/09 訪問)
ロープウェイ🚡な乗って山頂しましたが
急な斜面階段でも結構なとこに
素晴らしー
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2024/05/05 14:55
乾小天守 (2024/05/01 訪問)
雨でしたが
アリですね
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2024/05/05 14:50
2024/05/05 14:43
2024/05/05 14:32
2024/05/05 14:24
水谷蟠龍斎政村 (2024/05/03 訪問)
藤原秀郷が平将門追討の目的で築いた上館、中館、下館の中で上館にあたると伝わっています。戦国時代には下館城主水谷蟠龍斎政村が宇都宮氏に対抗するために築城しました。当時はかなり大規模な城であったようです。
一部ですが、土塁と空堀が残っています。主郭周囲しか散策していませんが、他にも遺構が残っているようです。
真岡鐡道久下田駅から徒歩15分くらいで行くことができます。
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