天慶3年(940)藤原秀郷が平将門を追悼する際に築いた上館・中館・下館の三つの館のうちの中館を伊佐氏が改修したものが伊佐城であるとする説があるようです。南北朝の時代には伊達行朝が伊佐城に入り、北畠親房に呼応し北朝の高師冬の軍と戦ったとのことです。伊佐城は興国4年(1343)に落城しますが、行朝と同族の中村経長は囲いを突破して奥羽に帰って行ったようです。
伊佐城跡は現在観音寺になっていますが、境内になぜか伊達行朝の供養塔らしき塔が残っています。
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2024/07/05 19:50
伊達行朝 (2023/05/04 訪問)
天慶3年(940)藤原秀郷が平将門を追悼する際に築いた上館・中館・下館の三つの館のうちの中館を伊佐氏が改修したものが伊佐城であるとする説があるようです。南北朝の時代には伊達行朝が伊佐城に入り、北畠親房に呼応し北朝の高師冬の軍と戦ったとのことです。伊佐城は興国4年(1343)に落城しますが、行朝と同族の中村経長は囲いを突破して奥羽に帰って行ったようです。
伊佐城跡は現在観音寺になっていますが、境内になぜか伊達行朝の供養塔らしき塔が残っています。
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2024/05/05 14:32
2024/01/22 07:09
2023/06/17 17:21
政宗 ダテニクル? (2023/05/13 訪問)
以前に投稿した「下館城」と同じく、平将門さんが挙兵した時に藤原 秀郷さんが築いたとされる、上館・中館・下館。その中の、中館=「伊佐城」です。
でも、もう少し前から「伊佐城」はあったようです。
写真②、五行川の橋を渡った左手に駐車場がありました。駐車場から観音堂に向かうと、写真①の堀切。くぐって、ぐるっ。堀切にかかる橋に行けます。ここから、連郭式も納得。段々と少しづつ高さを変え細く続きます。広く郭だったと思われる所は土塁がありました。でも、「伊佐城」の頃のかは分かりません。
伊達 行朝さんのお墓がありました。
うむむ?この辺の歴史が分かりにくい。
源 頼朝さんの奥州征伐に、伊佐氏の5代目が従いました。功を立て福島県伊達郡を与えられました。伊達家の祖の誕生です。
因みに、行朝さんは7代目。ややこしい。
私は「伊佐城」の石碑を見つけられず、かなり歩いてしまいました。
帰って、伊達 行朝さんを調べようと検索すると、『政宗ダテニクル』のご当地アニメが、、、。
伊達 政宗さんが、16人のご先祖の力を借りて戦うようです。
ちょっと、面白そうです。
実は、大河ドラマ『どうする家康』で後半に、結城 秀康さんが登場する前に、結城周辺のお城に行っておこうと思い攻めました。
まさかの伊達家に出会うとは、勉強不足。
まずは『政宗 ダテニクル』を見ようっと。
そしたら、「伊佐城」がもっと遠くなる予感がしますが、、、。
*投稿後、『政宗ダテニクル』の4話まで観ました。
「伊佐城」は出てきません (´ε`;)
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分類・構造 | 平城 |
---|---|
築城主 | 伊佐為宗 |
築城年 | 鎌倉時代 |
主な城主 | 伊佐氏 |
廃城年 | 興国4年(1343) |
遺構 | 曲輪跡、堀切跡 |
指定文化財 | 県史跡(伊佐城跡) |
再建造物 | 石碑 |
住所 | 茨城県筑西市中館522 |
問い合わせ先 | 筑西市生涯学習課 |
問い合わせ先電話番号 | 0296-22-0182 |