えびがしまじょう

海老ヶ島城

茨城県筑西市


旧国名 : 常陸

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新善光寺参道東門柱辺り
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カズサン

海老ヶ島城探訪未消化でした (2024/06/07 訪問)

 小原城を終えて南西に約30km程、常陸未踏の城探訪6城目海老ヶ島城を初登城。

 駐車場:西松原コミュニティセンター(西松原自治会)駐車場利用(36°15'28"N 140°01'53"E h=30m)
 参考資料:城郭放浪記さん余湖図コレクションさんグーグルマップに依る。

 駐車場から先ず史跡マークの新善光寺を目指す、城跡の案内板など無し指示看板も無し、史跡マークが示す山門前にも特にない、東の参道門柱前に新善光寺由緒が有り、その中に「1595年に宍戸氏14代安芸守義長公が海老ケ島の郷(現在地)に移城するのに伴い、道場を当地に移す」の記載が唯一「海老ケ島城」の名称。
 その後余湖図コレクションさんの俯瞰図を頼りに歩い見るが、東の大川が東外堀かな?龍泉寺辺りに遺構があるとの情報も有り訪ねるが案内板も無し、あまり深く踏み込んで居ませんので堀跡、土塁は良く分からず、グーグルマップの史跡マークで南県道14号線との合流点に「海老ヶ島城二郭土塁跡」が有り龍泉寺より集落中心の交差点に戻り、南へ約300m程歩くと14号線に接して塚の様な土盛りが有り史跡マークの二郭土塁跡か?案内板は無い、上に祠が有りっ祀られている南西面に鳥居。
 史跡マーク二郭土塁跡に来る前の途中に堀跡、土塁跡と思われる個所も有る。
 グーグルマップの航空写真を見ると西松原、東松原集落全体が昔の海老ケ島城域に当たる様に見受けられます、周囲の樹木の周りが土塁の囲み、東の大川が外堀りの代用?外は水田が取り囲んでいる、昔の沼と湿田なのでしょうか?
 それにしても集落内の住宅は入母屋大屋根でお寺の建物より立派な住宅が多く散見されます、龍泉寺を訪ねるのに迷うほどでした。
 
 案内図、解説板、指示板などの設置が有れば遺構の散策も楽しいのですが?
    

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チェブ

大川に海老。 (2024/04/13 訪問)

1461年、結城氏が築いた「海老ヶ島城」。
結城氏と小田氏の奪い合いのお城だったようです。

県道14号をドライブしていると、海老ヶ島の地名が出てきました。
海老ヶ島を過ぎた所で『目的地は右側です。』と、ナビ。お隣の松原に「海老ヶ島城」はありました。
『新善光寺』は「海老ヶ島城」の1部のようです。
遺構は所々にあるようです。因みに土塁は、今 通って来た県道を作る為、埋め立てに使われたんだとか。

写真③の道沿いに『新善光寺』があります。
路駐をして写真を写しました。
近くに細い川があり、堀だったのかもしれません。

茨城県の内陸に位置するのに『海老ヶ島』。川にエビがいたのかな?
堀かもしれないと思った細い川の名は『大川』。
、、、いたのかも。
いろんな所で、名字を与えた 源 頼朝さんが名付けても なさそうです。
赤茶けた色を『えび色』と言ったそうです。

どうしてここが、海老の付く地名になったのか、気になってしょうがない「海老ヶ島城」攻めでした。

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新善光寺 (2024/05/04 訪問)

 戦国時代には結城氏、小田氏が争った境目の城です。最終的には佐竹氏の支配となりました。当時の城域はかなり広かったようですが、面影はあまりありません。新善光寺へ行って来ました。墓地横の堀跡と思われる地形がありました。他にも土塁等が所々残っているようですが確認していません。

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赤い城

新善光寺と龍泉院 (2022/07/30 訪問)

城跡はほとんどが畑や住宅地になっています。
新善光寺に説明板が立っています。
お寺の前に小川が流れています。
堀だったのでしょうか。
奥の墓地の外側には堀も残ります。
場所を移動し龍泉院。
この辺りが主郭だったのでしょうか。
ここの墓地横にも堀と土塁が残ります。
時期的に藪でしたが。
小貝川と観音川に挟まれた常陸名物湿地帯の城。
結城成朝が築きましたが戦国時代には結城氏と小田氏が争いました。
周辺を歩くと他にも遺構があるかもしれませんね。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 結城成朝
築城年 寛正2年(1461)
主な城主 海老原(結城)氏、海老ヶ島氏
廃城年 慶長7年(1602)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
住所 茨城県筑西市松原字城ノ内