みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

tshimojima

会津のお隣さんは堀部安兵衛生誕の地 (2021/08/02 訪問)

観光ガイドの方から熱心に説明していただきました。こうやって地元愛の強い方にであえるとうれしくなります。

私が「これから会津若松城にいきます。」というとガイドの方が「新発田藩は会津にはだいぶイジメられましてね・・・外様ですから・・・」とのこと。お隣さん同士はどこもいろいろありますね。ちなみにお城のすぐ隣は自衛隊の基地になっています。

また新発田は忠臣蔵の四十七士の中でも指折りの剣の達人、堀部安兵衛の生誕の地でもあります。来て初めて知ったので一気にアドレナリンが出てきました!

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

tshimojima

子供と英霊とお城 (2021/07/31 訪問)

大垣公園の中にあるお城です。すぐとなりに濃飛護国神社さんがあります。お城や護国神社というとどうしても戦いで命を落としていった方たちが偲ばれます。公園では子供たちが楽しそうに遊んでいましたが、こういう光景を大切にすると同時に、世の中が乱れたときのことにも思いをはせようとおもいます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

古和田城(和歌山県紀の川市古和田) (2021/07/30 訪問)

古和田城(城びと未登録)は、南北朝期に和田氏が居城としていましたが、後に和田氏が和泉国・岸和田に岸和田城を築いて移ったことによって廃城となり、和田氏の故地として「古和田」と呼ばれるようになったと伝わります。しかし、近年ではこの伝承は疑問視されているようです。

小字「古城跡」の台地が城跡で、現在は光円寺の境内になっていて目立った遺構はありませんが、光円寺の東側は2メートルほどの高低差があり、道路との間の低地は堀跡とされます。その南側、城跡の南東隅には細長い池が見られ、西側の道路脇の水路も堀の名残と思われます。

仕事で近くに来たついでの登城でしたが、周囲をぶらぶら歩いてみると、地形や池、水路などから思いのほか城の痕跡を感じることができました。
 

+ 続きを読む

まにまに

意外と遺構が残ってた (2021/08/07 訪問)

今は市役所があったり、公園として整備されているのであっさりしてるのかと思ったら、堀や土塁、しっかり石垣が残っているところもあった。再建された鉄櫓は無料で入れるわりに展示された資料もしっかりしてた。
鉄櫓の最上階から見た豊川の景色はこの城が要所だった事がよくわかる。

あと、城域内には美術館もあるのだけど、ここでの企画展は結構面白いものが多いのでお勧め。今回は城跡として見に行ったから行かなかったけども。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

にのまる

模型展示あります。

 城びと登録城名、以前は【城山】だったと記憶しているのですが、変更されたのですね!わかりやすくなってよかったです。
 城址ポイントの谷戸運動公園で遺構を確認することはできませんが、中野区歴史民俗史料館に模型が展示されています。(入館無料・常設展示コーナー)
 模型のバックの壁面にも館跡が大きく描かれており、同時代の史料展示もあるので、ここに来れば現地での物足りなさを補ってくれると思います。
 但し、それほど近くではありません。しかも電車で移動するとなるとすごく大回りになるので、歩くか走るかバスかヒッチハイクか…。

【お城川柳119】
城模型3キロ走れば見られるよ!

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

赤い城

石垣が残る続100名城、整備はこれから。 (2021/08/01 訪問)

笠間市街地にある歴史交流館にスタンプがあります。
パンフレットもここでもらい、「草ボーボーで虫も多いので覚悟して下さいね」と送り出されました。
千人溜の駐車場に車を駐めて登城。
ここでも地元の方に「整備はこれからだから」と。
登城口からすぐに大手門跡。
右手に二の丸を見ながら(後で来るけど)本丸ヘ。
八幡台櫓を見ながらさらに進むと天守曲輪ヘ。
途中、堀切と土橋も見られます。
天守台跡には石垣、裏手に廻ると石倉となっている巨石群がが。
かなり急峻、降りるのも大変でした。
竪堀や横堀を見ながら本丸に戻り、二の丸を見下ろすと土塁が。
藪の中を進むと二の丸の堀と土塁がありました。
ただし藪なので藪蚊の居城であることは言うまでもありません。
この時季には強力な虫除けが必要です。
笠間氏の築城ですが小田原評定で北条氏に味方したため滅亡。
その後蒲生氏が入城しました。
今後整備も進むと思いますがやりすぎには注意して欲しいです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

tshimojima

霞がかった霞城 (2021/08/03 訪問)

木曽川沿いに建つ美しい姿が見たくて来てみました。早朝の登城だったので、霧がかかっていましたがそれも幽玄な光景で印象的です。

自動販売機で「御城印」を販売していましたが、残念ながら売り切れ!

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

牛若丸

公園として整備されています。 (2021/05/20 訪問)

生田緑地内の公園として整備されています。
駐車場に車を停め、小一時間ほど歩いて遺構を巡りました。一部の土塁や堀、曲輪などは現存かもしれないですが、ほとんどが復元でしょう。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

零汰

長野ツーリング【城郭とバイク】

コロナとオリンピックが世の中を席巻中のさなか8泊9日で長野中心にソロツーリング。若かりし20代の頃、東京で暮らしていた頃から度々訪れていて、30代前半以来約20年振りに長野を満喫しました。やっぱり長野の景色は裏切らないですね。行きは志布志港から大阪までフェリーを使い、帰りは四国経由の陸移動で移動距離は3500km弱の移動距離でした。

今回は長野周辺の絶景を求めて、志賀草津道路やビーナスラインなどの有名・無名道路や碓氷峠や野麦峠などの有名・無名峠の走破、そこでも外せないのは4回目の上高地と毛無峠。不安定な空模様で南アルプスと八ヶ岳は縁がありませんでした。

今回の攻城に関しては、岩村城と苗木城は最低のノルマとし、走破ルート周辺にある楽な城郭に限り休憩を兼ねてじっくりと攻城。移動中はそこに山城があると分かっていながらも度々のスルー。今はまだバイクで走り回る体力の残っているので、体力に不安を感じるようになったり、リタイヤして暇になったら車で攻城できたらと今回は勿体ないながらバイクでの絶景探し優先。

それにしても岩村城・苗木城はレベル高いですね、攻城初期に見てしまったらその他の山城の多くをガッカリ感じるかもしれません。

今回の攻城【城郭とバイク】
1.岩村城
2.上田城
3.小諸城
4.龍岡城
5.高島城
6.苗木城
7.丸亀城
8.高松城
レポートは諸先輩方を参照ください

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぎりょう

出羽最古と伝わる城 (2021/08/07 訪問)

山形県遊佐町を友人と訪問。途上、彼は城好きの私を酒田市の新田目城に誘ってくれて二人で攻城した。
この城は築城年代は不明だが、九世紀代の出羽国府と云われる城輪柵に近く、出羽国留守所や後の国府跡と考えられており、山形県下最古の城館と云われてきた。新田目城は南北朝期から、穀倉地帯である庄内平野をめぐって群雄が割拠した戦国時代まで機能しており、その歴史は長い。
城は酒田市本楯地区の市街地、大物忌神社境内と旧本楯小学校跡地(現本楯コミュニテイセンター)に主曲輪跡が残り、周辺は市街地となっている。
規模は東西600m、南北200mの不整長方形の中心に130m四方の主曲輪、その東にニノ曲輪(現正傳寺、梵照寺)を配し、周りを三ノ曲輪が囲み、それぞれを水堀と土塁で守る縄張であったようだ。
現状は主曲輪の東、大物忌神社境内の北・東・南側に土塁跡、北側に水掘、東・南側に水掘跡が残る。またニノ曲輪、現梵照寺境内の北東部に土塁跡が確認できる。
中世平城は概ね市街地化により遺構が湮滅しているケースが多いが新田目城は土塁・水掘が残り、かつての姿がイメージできる。
JR羽越本線「本楯駅」下車徒歩7分
車の場合は大物忌神社駐車場に駐車可能

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

小城小次郎

築城年は何を語るのだろう (2021/05/23 訪問)

苗場のリゾートマンションの隙間に奇跡的に主郭を残すこの城は一般に謙信越山時の宿舎と捉えられているが、越相同盟が破綻し甲相同盟が復活する元亀2年に築城されており、築城理由にはもう少し複雑な事情があるようだ。

+ 続きを読む

にのまる

「北条五代逸話集」&「マンガでわかる滝山城」

 先日、JR八王子駅前の観光案内所でいただいてきました。
 読んでいると出かけたくなってしまいます。籠城すると決めたのにやばいです。

※両冊子ともweb版もありますので、興味のある方はどうぞ検索してみてください。

【お城川柳118】
城関係ペーパーレスにできなくて

そんな昭和世代。

+ 続きを読む

赤い城

稲荷神社の周りに土塁が (2021/08/01 訪問)

友部駅から徒歩で25分くらいだがこの日は車。
稲荷神社前のスペースに駐車し登城。
ちょうど地元の方が草刈りを終えられたところでした。
堀跡はマレットゴルフ場になっていますが土塁は一部ですが良好に残っています。
里見義俊によって築かれ、戦国末期まで里見氏の居城となっていました。
常陸名物での周辺は沼地、おそらく堀も深かったのではないかと思われます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

キンヤ

二重堀切が見応えある 紀南の有力者 山本氏の本城 (2013/01/13 訪問)

城びとで投稿がお一方のみでしたので、2013年に行った時のものですが、投稿させて頂きます。

南北朝時代からの有力者で、室町幕府の奉公衆もつとめ、紀南の富田川流域とその周辺を支配し勢力をもった山本氏の本城です。
1585年、豊臣秀吉の紀州征伐の際に攻められましたが、当時の城主の山本康忠は徹底抗戦し、翌年に和議に応じたとされます。
しかし、大和郡山城で羽柴秀長と謁見した帰路、紀和国境の真土峠の藤堂高虎の館で謀殺されたといわれます。

主郭・二ノ郭は公園化されています。
主郭の下の周りに広い二ノ郭が取り巻いてます。
主郭は広く土塁で囲まれています。
北側は畑になり、南側は道を通す為に改変されていますが、北東側は遺構がよく残り、二重堀切が見応えがあります。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

小城小次郎

この城が落ちなかったことの意味はあまりにも大きい (2021/05/23 訪問)

この城が落ちなかったことが「御館の乱」の趨勢に大きく響き、その意味で日本の歴史を作ったお城とも言える。麓には堀氏が築いた「御館」もあり、戦国城郭と近世城郭を同時に楽しめるハイブリッド城郭でもある。

+ 続きを読む

新ろくべえ

水戸城に行ってきました (2019/09/04 訪問)

水戸城に行ってきました
ここは1214年頃に馬場氏が築城しました(当時は館でした)
そのご常陸の勇猛武将佐竹義宣が大改修し、
そしてさらに徳川家11男の徳川頼房が入城して
徳川家にふさわしい城に改築しました
別名は馬場城とも言われています
築城年代は先ほど書いたとおり1214年頃(建保2年)
築城者は馬場資幹(ばばすけもと)、
他には佐竹義宣、徳川頼房と書かれている
主要城主は馬場氏 江戸氏 佐竹氏 武田氏 德川氏 
主な遺構は土塁、空堀、復元大手門、藩校弘道館
台地の一番高い所に本丸を置き連郭式
(本丸から横に二の丸、三の丸とならぶ築城法)で築城されている。
石垣は無いが堀と土塁で守りを固めている
御三家なのですが天守を置かず三重五階の天守代用御三階櫓が置かれています。

+ 続きを読む

T-Shionoya

17年ぶりの駿府城訪問 (2021/07/17 訪問)

城びと投稿で過去のお城巡りを振り返った時、三ノ丸堀は回らなかったようで写真も少なかった駿府城。
最近は坤櫓が復元され天守台の発掘も行われたため、先月17年ぶりに行ってきました。

大手御門から一旦東御門前を通り、横内御門から三ノ丸堀を反時計回り。
二ノ丸御門付近から二ノ丸へ入り、いよいよ発掘された天守台へ。

発掘現場そのままの光景は、眠りから覚めた独特な城の姿。
2つの天守台があり、家康のものは一辺が60mを超える日本一の大きさですが、高さがないため少し迫力不足。
しかし本来は19mで名古屋城の天守台に相当。名古屋城天守を重ねて思い浮かべると盛期の駿府城が想像できました。

その後は二ノ丸堀北側を経由し、東御門と巽櫓の展示室へ。
滞在時間3時間。最後はクーラーが欲しかった暑い日でした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

新ろくべえ

駿府城に行きました (2020/02/22 訪問)

(前に出て来たりする退会済みユーザーとぶんしょうがいっしょなのは
退会済みユーザーが私だからです
くわしくは私のサイトを開いてみて下さい)
駿府城に行きました。さいしょ今川氏が城館のようなものをたて
その後武田氏領地にいれ
その後徳川がはいり
その後徳川が豊臣秀吉に従うと豊臣に従う中村氏が、
駿府城を本格的につくり徳川政権が誕生すると
中村氏の駿府城を一つ残らずこわし徳川家康が新しく作り直し完成させ
徳川家康が徳川秀忠に将軍をゆずるとここに住みました。
わたしがいったときには発掘の全貌が見えました。
ぜひ行ってみてください。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

織田晃司

佐渡金山 (2021/07/31 訪問)

佐渡金山を管理する相川陣屋(佐渡奉行所)

+ 続きを読む

織田晃司

ばんざ〜い 無しよ (2021/07/30 訪問)

遺構はありません。
天守風の建物は悠久山公園にある郷土史料館(石垣は長岡城で使われていた石垣を使用)

+ 続きを読む

ページ953