富雄川西岸の尾根の先端に位置する丘城で、詳細は不明ながら、室町期に筒井氏の傘下にあった小和田氏が築いたとされます。
北麓の大和田集落のため池近くの道幅が広くなったあたりに路駐して登城開始。先人の投稿を参考に北西側からアプローチするも防獣柵の扉を見つけられなかったので、縄張図であたりをつけて倉庫の背後の藪に突入。藪を抜けると北西部の池が広がっていました。
池の東側には主郭北辺の横堀が東西にのび、東端で折れて南(東辺)に続いています。横堀は幅も深さもあり、なかなかのものです。主郭北辺の土塁はかなりの厚みがあって、土塁上の北辺をさらに低い土塁がめぐり、中央部は櫓台状になっています。主郭西辺にも土塁がのび、土塁の外は西尾根を遮断する堀切になっていて、土塁が途切れたあたりに土橋が見られます。ここが虎口だったようです。
土橋を越えて西尾根を進むと廃屋があり、その先の防獣柵の扉から出ようとしましたが、内側から探してもやはり扉は見つけられず、やむなく主郭まで戻って藪を抜けて城を出ました。全く整備されていませんが、その分遺構は状態良く遺っていて、諦めずに藪を突破した甲斐がありました。
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