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東京城跡巡り 貴船神社 (2021/11/20 訪問)

JR大崎駅より徒歩約10分、貴船神社周辺が跡地とのことです。

東京23区内の城址は江戸城など一部を除いて神社もしくは学校などを巡っているような気がします。

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東京城跡巡り 御殿山公園 (2021/11/19 訪問)

 京浜急行北品川駅より徒歩10分弱、御殿山公園、東京マリオットホテル周辺が跡地とのことです。遺構はありません。

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にのまる

その4・鶴丸倉庫~本丸園地 (2021/10/31 訪問)

 鶴丸倉庫は1848年築造の現存建物で国の重要文化財。外壁面の石貼りのデザインや窓の意匠がとても素敵で、大事な蔵だということが外観からも伝わってきます。
 金沢御堂があったと伝えられる本丸や東の丸のある本丸園地は特に好きなエリアです。薄暗い林の中で静かに水を湛える池や木漏れ日、堪りません。この場所に建っていた天守(落雷で焼失)、三階櫓、御殿などを思い描くのは少し難しかったですが、3箇所の櫓台が過去へと誘ってくれました。兼六園側にある丑寅櫓の櫓台石垣は城内最古の野面積み。長屋を備えていた辰巳櫓跡からはいもり堀が見下ろせ、二重櫓があった戌亥櫓跡からは二の丸広場の五十間櫓が見渡せました。
 本丸への入り口になる鉄門は切石積みの洗練されたデザインの石垣です。“すだれ”を途中でやめてしまっている最下段の石も要チェックです。

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カズサン

宇都宮城の南北に在る未踏3城廻ー3 (2021/11/13 訪問)

 宇都宮市江曽島に在る江曽島城を終えて北に約4km程の宇都宮城の南北に在る城びと登録未踏の城3城目の戸祭城を攻略。

 所在地:栃木県宇都宮市戸祭元町7(36°34'06.0"N 139°52'50.4"E) 十九夜堂が戸祭城史跡マーク地
 車は戸祭城史跡マークから南西に直線約50~60mの所に駐車場マークが三つありますが一番東の有料駐車場(36°34'05"N 139°52'47"E)を利用、他は月極駐車場でした。
 
 駐車場からグーグルマップに従い徒歩で十九夜堂を目指す約150m程、栃木県庁、県警本部のタワー、八幡山公園の西側の高級住宅地、大谷石の石塀、大谷石の石蔵が在る屋敷地の在る細い道沿いに城名石碑が石仏と並んで在ります。城名石碑には戸祭中城跡と彫られて居ました。
 近くには赤い城さんの投稿に有る様に長屋門が2棟有りましたが由来は分かりません。
 
 城名石碑の横に由来等が記されてる様ですが、白御影石にそのまま文字が彫って有りますが白と白で読みずらい。
 城名石碑の由来では宇都宮氏の流れ戸祭氏、多気城の出城八幡山の1郭を居城としたようですと荒い抜粋です。

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TMN97

鶴ヶ岡城址 (2021/11/21 訪問)

鶴ヶ岡城址

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TMN97

左沢楯山城址 (2021/11/21 訪問)

左沢楯山城址

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TMN97

舘山城址 (2021/11/21 訪問)

舘山城址

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TMN97

米沢城 (2021/11/21 訪問)

米沢城

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TMN97

白石城 (2021/11/21 訪問)

白石城

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カズサン

宇都宮城の南北に在る未踏3城廻ー2 (2021/11/13 訪問)

 宇都宮市兵庫塚3丁目に在る横田城を終えて北へ約4kmの宇都宮城の南北に在る城びと登録未踏の城2城目の江曽島城を攻略。

 所在地:栃木県宇都宮市江曽島3丁目 (36°31'46.1"N 139°52'06.1E) 雷電神社
 車は雷電神社の周囲に在る広いアピタ従業員駐車場を一時利用、女性従業員の方に聞き駐車場が満杯に成ると事は無いと聞き隅に駐車。
 
 雷電神社が城跡のポイント、神社を撮影し周辺を見渡すが城跡らしきものが無い、皆さんの書き込みに城石碑らしきものが在るらしいと有り古城盛衰記さんに由ると民家に城名石碑が在るとの情報で該当民家を探そうと金網フェンスをぐるっと西側に大回りして住宅街を西から南に廻り、通り掛かった地元の方にお伺いしたら探してる該当の人と分かり事情を話し見学の了解を取り付ける。
 
 その方の話ではお父様が自費で城名「ひさご城」の石碑と雷電神社の由来石碑を建立されたと(西暦2000年を記念)、この遺跡は元、北関東一番の大型前方後円墳だったそうで、蝦夷の首領「武」が日本武尊との攻防で平定され亡くなった方を祀った神社が雷電神社との事、後年宇都宮氏の出城として利用され円墳部が削られて遺跡が消滅したそうです、円墳と方墳の縊れた部分が微かに東西に残っており城塁段丘の様に成ってる。
 江曽島はエゾが由来の名前の様です、またたまに訪ねて来る方が居られますとおっしゃってました、30分出掛けるけどどうぞ見て下さいと言われ屋敷内に入りひさご城の石碑、雷電神社の由来石碑を撮影し直ぐに退散、安野さん有難うございました。
 

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1X

壺笠山城 (2021/11/21 訪問)

自転車にて、平子谷林道を通り、登城道の入り口まで登る。案内板等は無いが、道の途中から人が通った跡に沿って分け入る。上がりきると丁字路に当たり左折。(右折するとドライブウェイに行くらしい。)土橋のような尾根を上がっていくと、山頂(城跡)到着。
登山でした。

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カズサン

宇都宮城の南北に在る未踏3城廻ー1 (2021/11/13 訪問)

 水戸城復元二の丸角櫓に初めて登った翌日、孫の運動会でしたがこの武漢コロナウイルス5波感染拡大規制解除後ですがまだまだ各に個々の規制が有り父兄観戦は2名までと娘と家内が応援観戦なので私は城廻りと繰り出し宇都宮に来て居ましたので以前から気に成って居た宇都宮城の南北に城びと登録未踏の城が在るのでこの際と廻る事にしました。

 最初は孫たちのマンションの近くに在る横田城を攻略。
 所在地:栃木県宇都宮市兵庫塚3丁目32(36°29'44.1"N 139°51'30.8"E) 兵庫塚3丁目中央公園、城石碑のみ。
 車は同公園西側の通りに路駐、住宅街で交通量は少ないですが10分ほどで退散。

 公園西側の入口付近に黒御影石の城石碑、裏に由緒と系図が記されて居る、黒御影石が磨かれて居り撮影場所によって自身が映ったりして撮影角度に苦労します、また読みにくい。

 歴史:嘉禎3年(1237年)に横田越中守頼業が築いた平城、藤原北家流の宇都宮氏の一族で5代掃部助頼綱の次男越中守頼業を祖とし、母は源頼朝の重臣梶原景時の娘、鎌倉御家人に列し父と同じ伊予守護職に任じられた、城域は東西約150間、南北約120間で五稜形の城郭であったと言う。(城名石碑の由緒を抜粋)

 

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小城小次郎

この調子でどんどん進んでほしい (2021/09/02 訪問)

二の丸丑寅櫓と土塀が出来たので喜んで出かけたが雨だった(涙)。本丸・二の丸二つの櫓が共に丑寅櫓というのも面白いし屏風折れの土塀を再現する試みもまた面白い。このお城にはこの調子でどんどん進んでほしい。

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todo94

県内の城めぐり・その16 (2021/10/09 訪問)

県内の城めぐりシリーズ、掉尾を飾るのは上ノ平城。説明板のある見晴らしの良い平原にも空堀がありますが、なんと言っても見所だと思うのは一の曲輪の空堀。ぜひ、お見逃しのなきよう。

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TESTU89

城内はグルグル (2021/11/21 訪問)

まずは砺波市埋蔵文化財センターへ。スタンプを押せるほか、増山城へのアクセス情報も得られます。御城印もここで手に入るようですが、きょうは、閉館のため入手できず。
増山城はとにかく見通せない構造。どこを歩いているのか、さっぱりわからないうちに、前方や側方の土の壁の上から狙われていることに気付くという、なんともイヤな城でした。

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ホリタカ

レンタサイクルで天を衝く (2021/11/20 訪問)

小説「天を衝く」の九戸政実の九戸城。二戸駅からレンタサイクルで15分ほどで着きます。

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いんげん丸虫

猿が城砦 長野県生坂村 (2021/11/07 訪問)

高松薬師城の尾根、北東600mにあります。ほぼ岩尾根なのですが、僅かな平地があり
門跡らしき個所やこの地域独特の「馬やくぼ」があります。

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チェブ

会津の蘆名氏のルーツ。 (2021/11/07 訪問)

ドライブついでに寄った「芦名城」。
車での攻城、おすすめできません。道も狭く駐車できる所もありません。

源 頼朝さんの挙兵に加わった三浦 義明さん。
義明さんの弟、為清さんが「芦名城」を築きました。
為清さんは芦名を称しました。
んっ?芦名氏?
芦名氏と言って思い当たる会津の蘆名氏。
蘆名氏のルーツをたどると三浦 義明さんの7男が会津の蘆名氏の初代でした。

この日の湘南→鎌倉→葉山→横須賀は、ずっと渋滞。
とはいっても、観光名所が多いので、土日祝日いっつも混んでます。
海岸線から少し山側に入った『横須賀市立大楠小学校』が「芦名城」の跡地です。
車を小学校の正門前に停めて写真を写し移動しました。
斜向かいに、研修センター芦名荘があり高い所に建物があるようです。「芦名城」を検索すると、詰めのお城はこちらなんだそうです。
小学校前の階段を下りると「芦名城」の城址碑があるとの情報があります。
高低差がハンパないです。
「芦名城」は切りだった山と海の中腹にある感じです。
城址碑に続く階段を探しましたが、車でグルグルしても見つかりませんでした。

ちなみに、次の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に登場する、和田 義盛さんは、三浦 義明さんのお孫さんです。芦名城主の芦名 為清さんとも親戚かぁー。
「芦名城」でるかな~?
来年、鎌倉周辺は今以上に盛り上がる事、間違いなさそうですね。

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ヒロケン

足がすくむぅ~(;'∀') (2021/10/30 訪問)

伊賀上野城は上野盆地のほぼ中央に位置している標高184m程の丘に建てられた梯郭式平山城です。大和郡山城から伊賀に移封となった筒井定次が天正伊賀の乱で焼け落ちた二木古館跡に築城したのが始まりとされています。
しかし、筒井定次が島左近などの重臣に出奔され、失策の多いのを理由に領地没収されたのちは、伊予宇和島から築城の名手とされる藤堂高虎が伊賀に入国し、大阪城包囲網の一つの城として改修がなされています。(筒井時代は大阪を守るための城でした。)

現在は、上野公園として伊賀流忍者博物館・芭蕉翁記念館などが建ち、観光地として人気を集めています。遺構としては、日本1、2と称され30mを誇る高石垣(大阪城本丸東面が32mとされる)・堀などが残り、昭和10年に建てられた模擬天守が伊賀市民より親しまれています。

3回目の攻城となる伊賀上野城の見所(私見)は、何と言っても30mを誇る高石垣です。石垣の最上部から堀を眺めると、足が竦んでしまいますが、怖いもの見たさで二度三度みてしまいます。また、三層の天守閣が優美・華麗な姿を誇り見所の一つとなっています。

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朝田 辰兵衛

高所トレ&身体能力の衰えの確認で。 (2021/11/20 訪問)

標高:705m,比高:320m。中級登山者レベルだと思います。
コロナが長引いて,標高:500m超過はホント久しぶりでした。歩いていると空気の薄さも感じるようになりました。ただ,不安要素は,しばらく前から攣るようになった右足のふくらはぎで…。案の定,油断してたら登城終了目前の下山中に,右足を枯葉に滑らせてしりもちをついてしまいました。右足はひざから下が筋力低下しているのかな…と。
さて,水久保城ですが,JR只見駅に推定復元図が掲げられており,駅舎内には「登山&トレッキングBOOK」が置いてあります。ここの中の要害山が水久保城に該当します。登城ルートは三つ。瀧神社から登る宮ノ沢(一服尾根)登山口ルート,三石神社付近から登る南尾根登山口ルート,只見高校北側からの北尾根作業道です。
私は,南尾根登山口から登り,宮ノ沢登山口で下山しました。どちらも,所要時間は約50分。
どちらも尾根をグイグイ登っていくルートで,両脇断崖状態も何回か遭遇します(←そこは写真撮ってる余裕ナシ)。
高所恐怖症の方は避けたほうがいいと思います。
というのも山頂部は、福島テレビ,NHK,電源開発の無線中継局舎が建設されており,機器搬入のためか妙にフラット化されている感じが否めませんので…。
ただ,南尾根沿いには物見台だろうな…というところはありました。

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