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テンちゃん

韮山城 登城 (2021/11/12 訪問)

江川邸を見学した後登城しました。北条早雲(伊勢宗瑞)ゆかりの城ということで行ってみたかった城の一つでした。
帰りに世界遺産の韮山反射炉を見学し、かねふくめんたいパークで食事買い物をして帰りました。

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テンちゃん

宇都宮城 登城 (2021/11/11 訪問)

105城目の登城です。宇都宮市役所の無料駐車場に駐車させていただき訪問しました。
いきなり現れた土塁が思った以上に大きくで驚きましたが、土塁に人口建造物が多数あったのは少しがかっりです。
見学後、清明館で御城印を購入して帰りました。

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POYO58

フォロワー10人達成!

新たに北風の又三郎さん、赤い城さん、チェブさん、イオさん、AJさんがフォローしてくれました。ありがとうございます。
これからも僕の投稿や問題をご覧になっていただければ幸いです。

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モト

見事な石垣、日本百名城! (2021/08/10 訪問)

残った見事な高い石垣が素晴らしいの一言です。
かつてはあった大手門のあったところから本丸へ登って参ります。
大手門は空襲で焼けたそうですが、現在は道を挟んで左右に櫓が建っていて当時のは大手門がかなり大きく迫力があったことが分かります。
少し登ると中門跡があり、そこにも石垣が左右に残っています。
かつてはここにも立派な門があったのだろうと想像しながら歩を進めます。
程なくして本丸北壁石垣が見えて参ります。
見えてきた石垣を見てもその形、高さ、素晴らしい石垣ですが近くに寄るとさらにその迫力に魅了されます。
そのまま本丸に入ると、本丸御殿の跡の礎石や有名な伊達政宗公の銅像が建ってます。
銅像を眺めて、一旦本丸から降りて本丸の周りも見学して四方から石垣を眺めて帰ります。

今は公園になって市民の憩いの場になっている青葉公園。
本丸から見える景色は仙台の町が一望できます。
ビルの立ち並ぶ現代の景色と城跡の石垣が今昔の融合でなんとも言えない感じでした。

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にのまる

その6・いもり坂~薪の丸 (2021/10/31 訪問)

三十間櫓から曲がりくねった急坂を下ります。かつては櫓や土蔵、役所、番所が建ち並んでいたのだそう。自然石積みから切石積みまで見られ、矢穴も刻印もそこここに。
申酉櫓下の石垣の慶長期と寛永期の境目が見どころで、左側の寛永期の石垣には刻印がたくさんあります。眼福でございました。
この日は金沢マラソンの日で、スタート地点付近の広坂緑地にコーンがたくさん並んでいたので発掘石展示や石積み模型を見に下りることは遠慮しました。いつかまた近くで。

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小城小次郎

桜井松平の歴史は今も桜井とともにある (2021/09/02 訪問)

桜井松平氏の祖にあたる松平信定は松平清康・広忠・家康の宗家三代悉くに反発したというツワモノだった。桜井城そのものは土塁の一部が残るのみだがその脇には信定の墓が今も残る。桜井松平の歴史は、今も桜井とともにある。

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ひで

高尾駅から山頂まで徒歩 30分 (2021/11/23 訪問)

京王高尾駅から南にすぐのロータリーに付近の地図があります。菅原道真公像を目指して歩くと徒歩10分程度で高尾天神社の登り口に到着します。登口を登るとすぐ道真像と高尾天神社に到着。社の奥に案内に沿って進むと初沢城跡への道があり、途中にある初沢山山頂への案内に進むと初沢城跡の碑に到着します。今まで京王線沿の城は館跡が多かったですが、今回は結構本格的な山城で、山頂までは靴は運動靴等にした方が無難な山道でした。

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名張陣屋 (2021/11/19 訪問)

高台に陣屋があります。現存遺構の西側、道路沿いに文化三年の絵図を載せた説明板があります。城びと先達のレポートにこの写真がなかったのでアップします。かつての大手門から御殿(現存遺構)までは道が屈曲してましたが、現在は、大手門から御殿前に直進する通りがつけられてます。御殿内の展示は、数奇な人生となった藤堂高吉への名張の人々の愛が感じられました。
青空に銀杏の黄色が映えてました。

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出張!お城EXPO in 滋賀・びわ湖 (2021/10/09 訪問)

2021年10月9日(土)に滋賀県長浜市で開催された「出張!お城EXPO in 滋賀・びわ湖」。ちょっと遅くなりましたが、当日の写真を何点か。当日はすごくお天気に恵まれ、開城前に来城者の皆さまが会場をぐるりと並ばれるという嬉しい幕開け!講演チケットは、なんとソールドアウトでした。
テーマ展示のほか、城郭のブース展示も♪ 御歌頭さんのパフォーマンスやかわいらしいひこにゃんステージも楽しめて、とっても楽しい1日でした。城びとブースに来てくださった皆さま、ありがとうございます!
詳しくは城びとの記事をチェック→ https://shirobito.jp/article/1435

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カズサン

登城路~砲台場編 (2021/11/14 訪問)

 本年度第28回全国山城サミット桑折大会のホスト山城「桑折西山城」、コロナ禍の関係でリモート開催と成りましたが2週間遅れで訪ねました。
 桑折西山城はYouTube、NHKBSプレミアムなどで奈良大学の千田先生の解説案内で最新の情報が配信、放映されてます。

 2~3年前から大会に備えてか整備保全が進み各遺構の場所場所で発掘調査の成果が表に出て居ります、今回の撮影が120枚に及び数編に分けて投稿させて頂きます。
 
 ルート:車は新しく整備された観音寺駐車場を利用、その前に桑折西山城跡ガイダンス施設(大かや園)に寄って発掘物、説明パネル等を見学と勉強しパンフレット、史料を得る、登城路が観音寺横から石階段で出来て居ります、登って害獣除けのゲートを開閉して登ります、ゲートの上に大手道が有りますが通行不可、説明板有り、更に登り砂利道の自動車道に合流し、そのまま大手門跡へ、大手虎口土塁と説明板、右手東側に戊辰戦争時の砲台跡が在る。

 城域:本丸、東の曲輪、二の丸、砲台場、唐沢、中館、西舘などが有り広大な山城です。

 歴史:伊達政宗の曾祖父伊達稙宗の築城で嫡男晴宗との対立「天文の乱」(1542年)と成り拾数年余りで桑折西山城は廃城と成り稙宗は丸森城へ、晴宗は米沢城に移る(1548年)。

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ぴーかる

岩尾城 (2021/10/30 訪問)

【岩尾城】
<登城ルート>3つあります。①南東側の稲荷神社から約2.1㎞ ②親縁寺墓地の左手奥、防獣柵の扉をあけて入山し稲荷大明神・達磨岩を通過し和田小学校ルートと合流する。約1㎞ ③和田小学校内から北へ登城する。休校日以外は入校禁止。未調査
<駐車場>①稲荷神社前の道路脇<35.092413, 134.986685> ②親縁寺の南に防火槽の隣の空き地<35.093502, 134.980013> ③小学校側は未調査(公民館に駐車できるようです)
<交通手段>車

<見所>堀切・石垣・曲輪
<感想>北はりま攻城の旅1城目。この日と週を空けて2日間に渡り北播磨の城々を攻略しました。この岩尾城といくつかは丹波地方になりますがご了承を、まずは行きたかった岩尾城です。
 登城ルートの状態を説明しますと、私は登城路は①、駐車も①で行きました。でも①のルートは行かない方がいいです。100m毎に距離板があり迷うことはないですが、途中道が無くなっていて羊歯ゾーンをかき分けて登り、2つも山を越えて3つ目が岩尾城の北側搦手から登りとにかくキツイです。下山は②の親縁寺から抜けました。大手門跡から少し下って和田小学校ルートと分岐します。休校日は小学校側からがベターかと。平日と敬遠される方は達磨岩の巨岩の見所がある親縁寺からのルートが良いかと。
 岩尾城は1516年和田斉頼によって築城し、1574年明智光秀の丹波攻めにより落城、1586年豊臣時代に佐野栄有が入城し石垣建築に改修した。1596年城壊し令によって廃城となった。
 城跡は主要部の南半分は天守台を含めて総石垣造りになっていて豊臣時代に改修された時に出来たものだと思われます。瓦片が落ちており、石垣の隅角部は算木積み未発達だが崩れることなく綺麗に遺構が残っていて見応えがあります。主要部の中心に土塁の物見台があり北側半分が改修前の遺構となっています。土の広い曲輪、北西部には2重堀切があります。小学校ルートの大手道主要部から少し下ると井戸跡とかなり崩れてはいるが法面に石垣が残っています。ここから下ると改修前の遺構で竪堀、大堀切、尾根上の曲輪群、大手門跡は折れ曲り虎口となっています。
 戦国時代の山城遺構と織豊時代の石垣遺構が混在し、私好みの石垣遺構、見所多い百・続百名城に負けてない城跡でした。大満足vv

<満足度>◆◆◆

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TESTU89

2つの城郭が並ぶ城 (2021/11/23 訪問)

今川時代からあった東側の縄張りに加え、西側には武田時代に加わった堀切や横堀を備えた縄張り。2つの城が並んでいると言っていい、要塞です。

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AJ

龍の巣 (2021/09/30 訪問)

遅ればせながら春日山登頂。言わずと知れた上杉謙信の大要塞。圧倒的なサイズ感で目の前に立ちはだかる一方、どこか大らかな雰囲気も。

標高182m。越後守護居館の詰城として築かれたのは14世紀の南北朝動乱期だといいます。その後大改修が加えられ、守護代となった謙信が入城するのは16世紀中頃になってから。北に直江津、南に高田平野、佐渡には金山、地元には特産品もありました。経済が安定すれば、それに規定される権力も安定します。傾斜が比較的緩やかだったり、土塁や堀切がそれほど多くないと感じるのはそういった地域の安定を反映してのことかもしれません。実際、謙信存命中は武田信玄が後方撹乱でちょっかいを出すふりを見せる程度で、城に攻め寄せる輩はいなかったようです。

さて、「義」に生きたとされる謙信。頼まれれば誰でも支援し、生涯で戦場に赴くこと70回余り。「戦国最強」と言われる所以ですが、本人に「自分は戦国を生きている」という自覚はなかったとよく言われます。彼が重んじた筋目は、どんなに弱体化しようと室町幕府の制度維持が前提。領土拡張や、京に旗を立てるという欲がない点で信玄や織田信長とは質が異なります。彼らの行動はもはや生理的に受け付けなかったのかもしれませんね。見方によっては、謙信はちょっとめんどくさい学級委員タイプ(笑)。過度な正義感は時として敵を増やします。常に体育館裏でタバコを吸ってそうな信玄(失敬!)からすれば、「なんやこいつ、うざいわ〜」となるのも必然でしょうか。こうして当時最高クラスの知性だった2人は世界の総面積の爪の垢ほどもない土地をめぐって消耗線を続けることになります。実に残念な話です。

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TESTU89

馬出を馬出で守る城 (2021/11/23 訪問)

馬出を重ねて、重ねて、ここまでしなければならなかった敵とは、なんだろう?

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赤い城

尼子十旗第三の城 (2021/11/13 訪問)

三刀屋川と古城川の合流点に位置しています。
城址公園にはなっていますがそこまでの道は狭く、車で登るのはお勧めしません。
軽ならよいかな。
それでも登って行くと馬舎郭があり、駐車場にもなっています。
さらに登っても曲輪跡の駐車場があります。
本丸には櫓台があり、積石が転がっています。
本丸と二の丸の間にはL字型になった仕切りの土塁があり、石垣も見られました。
この下には堀切もあるのですがレンタカーの返却時間も気になるので退却。
尼子十旗の三刀屋氏の居城。
三刀屋氏も尼子、大内、毛利の間で揺れ動きました。
城下で高校時代を過ごした時には全く気にならなかったのですけどね。

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TESTU89

伊勢宗瑞立ち上げの地 (2021/11/23 訪問)

圧倒的な本郭の土塁と、背後の堀切。すべて人工物だろうか?

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koyuki

御城印は観光案内所で (2021/11/21 訪問)

遠目にこんもりした小山ですが、地図がないとたどり着けないかも…。曲輪、堀、土橋などわかりやすいです。観光案内所は休日のみのようなので注意。

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TESTU89

早雲の城 (2021/11/23 訪問)

伊勢早雲庵宗瑞の居城。
行ってみるととても質素というか、難攻不落の城には思えない。周りが沼地で、容易に近付けないなどの地の利があったのだろう。

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koyuki

大高城を牽制する砦その二 (2021/11/21 訪問)

鷲津砦からしばらく歩きます。大高城址がよく見えます。

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koyuki

大高城を牽制する砦その一 (2021/11/21 訪問)

JR大高駅から歩いてすぐ。鬱蒼としています。

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