市役所の上にある食堂からお城を眺めることができるのでおススメです。
+ 続きを読む
検索結果・・・「」を含む投稿
2022/02/13 19:27
青味がかった石垣が美しい (2021/12/05 訪問)
市役所の上にある食堂からお城を眺めることができるのでおススメです。
+ 続きを読む
♥ いいね
7人が「いいね」しています。
2022/02/13 18:28
静神社の背後 (2022/02/05 訪問)
静神社の駐車場に駐めてまずは神社への石段を登ります。
拝殿脇に登城口があり、登るとすぐに二郭の空堀と土橋があります。
さらに行くと小さな鳥居があり、その先が主郭。
土塁も残っています。
北側の虎口から降りると堀切がありました。
深さもあります。
北側の尾根を進んで行ったところにも堀切があります。
引き返し主郭下の堀底道を歩きました。
長い堀底道、なかなかです。
静神社左手の竪堀を見学して乾徳寺へ。
その背後が武茂東城となります。
墓地を抜けたところを直登して堀切を見学、遺構も残されているそうですがこれだけ見て撤退しました。
宇都宮氏の分家、武茂氏が築いた城。
乾徳寺は武茂氏の菩提寺でもあります。
+ 続きを読む
♥ いいね
18人が「いいね」しています。
2022/02/13 17:25
世界遺産 姫路城 (2014/10/26 訪問)
姫路城は、姫路市中央部の標高約46mの姫山を中心とした、梯郭式平山城です。かつては外堀・中堀・内堀が3重にとりまき、総延長11.5Kmにも及んでいました。最初の築城は、1346年赤松円心の次男赤松貞範とされています。その後、戦国期に入り、御着城主小寺氏の家老であった黒田氏が御着城の支城として御着城の西の守りを固めています。
黒田官兵衛孝高公が家督を継いでからは、西から毛利氏が、東から織田氏の勢力が伸びてきており、黒田氏は主君小寺氏が態度をはっきりとしていない中、織田方につき、羽柴秀吉公に姫路城を差し出しています。
1600年の関ヶ原の合戦の後、徳川家康公より関ヶ原の合戦の戦功で池田輝政公が姫路城に入城し、約8年がかりで現在の姿である姫路城築城に取り掛かっています。
姫路城は、大天守1棟の他、小天守を含む7棟は国宝、城内の現存建築物74棟は国の重要文化財、内曲輪一体と中曲輪の一部が国の特別史跡に指定されており、1993年ユネスコの世界文化遺産に登録されています。
この城の見所は、大阪城と同じで全てが見所といえると思います(私見)、山城・石垣好きの私ですが、姫路城クラスの城に行くと、やはり圧倒されてしまいます。2014年10月の登城と少々、古いものものとなりますが、投稿させて頂きます。
チェブさん励ましのお言葉ありがとうございます。私もチェブさんをはじめ皆さんの投稿を楽しみに拝見させて頂いています。
+ 続きを読む
♥ いいね
19人が「いいね」しています。
2022/02/13 14:46
松江歴史館が開府400年記念祭で建築(2010年) (2011/04/13 訪問)
松江開府400年祭の一大イベントととして松江城東隣堀川端の旧家老屋敷群敷地に武家屋敷風の「松江歴史館」博物館が平成22年2010年に新しく建築竣工され開館されました。
今回の探訪は是非新しく開館した松江歴史館を是非見学したいとの願いも有りました。
漆喰塗り黒下板張り、瓦は島根県の名品石州瓦で無くいぶし銀瓦葺、松江城の黒とマッチして景観になじむ造りと成って居ます、北西角には二階物見櫓風で長屋門、続土塀、長屋と西面を固めてます、全て黒下板張りです。
展示は松江城、城下立体模型、城下町松江の形成の実写とCGで紹介、喫茶コーナーも有り外縁でも喫茶可能、日本庭園越しに松江城天守閣も遠望出来ます。 真新しい建物で楽しく閲覧見学させて頂きました。
松江城関連資料も沢山ゲットしました、時間が有れば松江城城郭と松江歴史館、船で内濠堀川廻り、塩見縄手武家屋敷群、昼食は出雲そばと、ゆうに一日楽しめます。
今回の探訪時間は約4時間で城郭と歴史館、昼食は出雲そばを船着場の食事処で頂きました。
+ 続きを読む
♥ いいね
17人が「いいね」しています。
2022/02/13 14:32
長宗我部氏の居城、岡豊城を訪問 (2021/11/26 訪問)
昨年11月の旅行で寄った城の2つ目。
岡豊城と書いて「おこうじょう」と読むのですね。
高知平野の北の端に突き出た標高97mの岡豊山を城郭とした城。
南は国分川が天然の堀。
直ぐ東には土佐国分寺があり、古来から土佐の国府が置かれたエリア。
築城時期は不明ですが長宗我部氏代々の居城で、兼序の代に一旦落城するものの、孫の元親がここを拠点に一土豪から四国をほぼ統一。
秀吉に敗れ土佐以外を手放した後の、1588年頃の大高坂城(高知城)移転まで岡豊城は使用されていたようです。
現在は詰(本丸)を中心とした本城と伝厩跡曲輪周辺が岡豊山歴史公園となっており、他に伝家老屋敷曲輪エリアがあるとのこと。
本城は詰を中心に帯曲輪状に詰下段、三ノ段、四ノ段が形成されており、そこには石積みや礎石建物跡が。
また所々で竪堀も薄っすら確認することができました。
伝厩跡曲輪周辺は城を感じにくいですが、植え込みの下に堀がある模様。
見どころは、やはり秘密基地のような西部の三ノ段と四ノ段でしょうか。
土佐の山城公園が私の城巡りの115城目となりました。
+ 続きを読む
♥ いいね
10人が「いいね」しています。
2022/02/13 11:48
桜の時期は初登城 (2011/04/13 訪問)
今回の平成23年4月桜の時期に倉敷市下津井城、京都の用事、故郷鳥取城、鹿野城の桜を満喫して翌日故郷鳥取の実家より西に約70km?の松江城を目指す、前年2010年平成22年に松江開府400年祭の記念行事の一つにて「松枝歴史館」が竣工開館しましたので併せて見学探訪したいと、一部開通の無料山陰道、有料の山陰道で約1時間半?以前に比べ速く成りました。
車は大手門前の有料駐車場を利用。(駐車場が満車に成る前にと8時前に到着)
探訪ルート:内濠越し二ノ丸高石垣上に在る南櫓、中櫓、桜を眺める、大手馬出枡形より太鼓櫓を見上げ、大手門跡から三ノ門より二ノ丸上ノ段の桜と南櫓、中櫓、太鼓櫓を見学し、二ノ門、一ノ門経由本丸へ、満開の桜と天守閣を眺める、今回天守には登閣せず、乾櫓跡、北ノ門跡、北搦手桝形虎口より二ノ丸下ノ段、脇虎口ノ門枡形から北惣門橋へ、新しく出来た「松江歴史館」を入館見学しました。
初めての桜の時期での登城は大変感激で復元された南櫓、中櫓、太鼓櫓、土塀が黒下板張り、高石垣、濠、が桜と青空にマッチして大変綺麗で圧巻の眺めでした、同じく黒下板張りの大天守閣も威厳を備えた造りも桜に映えて素晴らしい眺めです、国宝登録前の登城と成ります。
続きは「松枝歴史館」
+ 続きを読む
♥ いいね
17人が「いいね」しています。
2022/02/13 10:02
舌状台地に建つ天守 (2022/02/12 訪問)
久しぶりに犬山城に行ってきました。
木曽川沿いの舌状台地に建つ国宝犬山城は、1937年に織田信康によって前身の城であった木之下城より城郭を移して築城しました。
これは通説ですが、新説も有ります。
1537年の新築ではなく1585年〜1590年にかけて建築されたと言われておりますね。
さて、今回私は木之下城跡にも行ってきています。
木之下城は、犬山城の前身の城です。
1565年に織田信長が織田信清と対立して、一族の領地争いの中で犬山城を攻略しました。
1581年に、織田信長の四男である織田勝長が城主となりました。
その翌年の1582年に本能寺の変で父の織田信長と運命を共にしました。
1584年に豊臣秀吉と徳川家康と織田信雄連合軍との間で小牧長久手の戦いが始まりました。
当時の犬山城主は、織田信雄の家臣の中川定成でしたが不在だったので、豊臣秀吉軍の池田恒興が木曽川を渡り城内に侵入して落城となりました。
その後、豊臣秀吉が入城しました。
豊臣秀吉が没すると、1600年に関ヶ原の戦いがはじまります。
犬山城は、関ヶ原の戦いの前哨戦で西軍側の武将たちが退去した為に、東軍によって占拠されました。
1617年に、犬山城は徳川家康の重臣成瀬正成が拝領しました。
このときに、天守に改良が加えられて現在の姿になったと言われております。
以後、成瀬氏が幕末まで城主を務めることになります。
明治維新後に廃城令によって、一旦愛知県の所有となります。
1873年に天守以外の一部の建物が取り壊されたり、払い下げされたりしました。
1891年の濃尾地震によって犬山城は半壊してしまいます。
その時、愛知県全体の被害も重なり犬山城の修復が出来ないでおりました。
そこで、1895年に幕末まで犬山城の城主だった成瀬氏に、犬山城天守の修繕、維持を条件に譲渡することになりました。
そして、1899年に犬山城の天守の修復が完了されました。
それ以後、成瀬氏が犬山城天守を個人所有することになりました。
1935年に、天守は国宝に指定されました。
国宝天守の中で一番古いとされております。
1961年から4年に渡り、天守の解体修理が行われました。
2004年に第27代犬山城主だった成瀬正俊さんがお亡くなりになり、公益財団法人犬山城白帝文庫が設立されました。
今も公益財団法人犬山城白帝文庫が所有者となり管理は犬山市が行っています。
私は、2003年に犬山城に行って当時の個人所有者だった成瀬正俊さんとお会いしております。
なんと、実に1903年から2003年までの101年間も個人所有だったのです。
今は、犬山城天守だけでなく城山一帯を含む犬山城跡の総合調査を経て、2018年には犬山城跡が国指定になりました。
今回は、5連続外枡形の確認と前身の城の木之下城跡の確認でした。
+ 続きを読む
♥ いいね
8人が「いいね」しています。
2022/02/13 09:27
加古川城 (2022/01/15 訪問)
【加古川城】
<駐車場他>称名寺専用駐車場あり。
<交通手段>車
<感想>加古川城は承久の乱後の1221年後に糟屋有教によって築城されたとされる。鎌倉時代には糟谷氏は播磨守護代となり、加古川城は守護所となった。時代が下って1577年、羽柴秀吉が毛利討伐の為の軍議がここで行われ(加古川評定)、別所氏の離反がここで決定的となる。この時の12代加古城主の糟屋武則は秀吉の小姓頭となり、賤ヶ岳の戦いで七本槍の1人となり最盛期には12000石の大名となるが糟谷氏は関ヶ原合戦で西軍に付き改易される。糟屋武則の晩年は諸説あり不明瞭で加古川城は1615年廃城となる。
現在の城跡地は称名寺となっていて遺構はほぼ残っていないようで周囲にある水路が何らかの跡かと思われるものがある。平地にあり、当時は五十間(約90m)四方の方形平城であったようです。
<満足度>◆◇◇
<グルメ>加古川グルメと言えばかつめし。「本家かつめし亭」にて特選かつめしのご飯大盛を食しました。ご飯にビーフかつ、デミグラスソースをかけたものです。ソース多め無料です。
+ 続きを読む
♥ いいね
19人が「いいね」しています。
2022/02/13 07:11
2022/02/12 22:18
2022/02/12 21:58
2022/02/12 15:18
鹿野城も桜の名所です (2011/04/12 訪問)
鳥取城の桜と城跡を十二分に堪能して西の鹿野城へ、城山の山麓に檀家寺が有りますので前日まで京都の親鸞聖人750年遠忌法要をご引率頂いたご院家と坊守さんにお礼と参拝、寺院内にある両親祖父母の墓所にも参拝し、桜満開の鹿野城を堪能しました、中々桜の時期に訪ねる事が出来ませんでしたので桜は数十年年振りかと思います。
地元では近世城郭に仕上げた亀井玆矩公は大変慕われて居ります、城山の郭と麓に本丸、内堀、出丸、外堀と大きく拡張しました、南蛮貿易にも大きく手を染め櫓名に朝鮮櫓、オランダ櫓と名付けた程です。
桜は出丸と言われてる二の丸に多く植栽されて居り中に在る中学校が桜に覆われて仕舞います、内堀と桜、赤い橋本丸への通路、東側の薬研堀辺りも見所です。
車は城山下の神社鳥居の有る所、外堀東側の薬研堀側の観光駐車場が利用できます。
+ 続きを読む
♥ いいね
17人が「いいね」しています。
2022/02/12 13:19
2022/02/12 11:25
2022/02/12 10:33
巻石垣・天球丸下石垣工事中 (2011/04/12 訪問)
最近の鳥取城は巻石垣が日本城郭で唯一の石垣として城仲間では有名ですが、以前は天球丸の出隅横矢掛かりの角下に土砂植栽が埋まってるなぁ~くらいにしか思って居ました、巻石垣復元工事が竣工すると写真が全国的に出回りあっという間に有名に成りました。
11年前の平成23年4月中旬、桜景観の写真と併せて天球丸下の巻石垣、楯蔵跡、同曲輪の石垣復元工事中の写真を掲載投稿致します。
翌年には巻石垣、楯蔵跡石垣群は復元完成しています。
投稿続きます。
+ 続きを読む
♥ いいね
17人が「いいね」しています。
2022/02/12 10:13
津山城 (2022/02/11 訪問)
見事な石垣
青空のもと城址散策を楽しみました
+ 続きを読む
♥ いいね
9人が「いいね」しています。
2022/02/12 09:55
平成23年鳥取城・桜10選 (2011/04/12 訪問)
平成23年4月中旬、前日までに京都での用事を済ませ故郷鳥取へ、時期は桜満開グッドタイミング、鳥取城へ帰省の度の登城です、写真も沢山撮り投稿の写真に迷いますが、私の意のままに写真掲載いたします。
桜は染井吉野桜がほとんどです、特に二ノ丸周辺、内堀周辺に多く植栽されて居ります、今回は特に3月11日東日本大震災発生から1ヶ月過ぎ、津波被害地区に向かって黙禱を捧げてる花見グループが居ましたので1枚アップしました。
写真の掲載順番は自身のトップテンでは無く、自分自身の良いなぁ~で順位では有りません。皆さんの参考に成れば荒神です。
続きあり。
+ 続きを読む
♥ いいね
17人が「いいね」しています。
2022/02/12 00:26
36見附めぐり㉖(番外)~乾門~
乾門は代官町通りから吹上への出入口で、つくられたのは明治時代です。
どっしりとした風格のある門は紅葉山下門の移築とのこと。古地図などで確認してみましたが、その位置、用途、時代を考えてもとても合理的な移築だと感じました。
乾門は皇居関係車両の出入口なので一般人は歩道から眺めるだけで近づくことはできません。「一般参観」ではここまでは来ませんので、近くで見られるのは「一般参賀」「一般公開」が再開されるときになるのではないかと思います。
江戸城現役時代には存在しなかった門ですが、奥にあった山下門が通りまで出てきてくれたと捉えるのもおもしろいですし、36見附の“36”を“たくさん”という意味とすると数に拘る必要もないかなと思い、番外にエントリーしました。
乾門周辺の見どころとしては、北の丸公園にある北白川能久親王像や、旧東京国立近代美術館工芸館の建物などがあります。『千鳥ヶ淵さんぽ道』は内郭では珍しく土の上を歩けます。皇居ランナーさんは反対側を走るので、ゆったりと千鳥ヶ淵を眺めながら半蔵堀方面に向かえます。
+ 続きを読む
♥ いいね
19人が「いいね」しています。
2022/02/11 22:13
✕
人が「いいね」しています。