北畠氏が築城し織田信長伊勢に侵攻し次男信雄を北畠家の養子とし家督を継がせ伊勢を支配、石垣造りに大改修し天守台には三重天守が築かれたとか、天正8年(1580年)火災で焼失し松ヶ島城へ新城を築く、天正12年(1584年)蒲生氏郷が伊勢に入り与力大名の田丸直昌を再度田丸城主とした、蒲生氏会津移封後に稲葉氏が入り関ヶ原の戦功で加増を受け城の大改修をしたようです、元和5年(1619年)紀伊徳川家領となり、田丸城は付家老元遠江久野城主久野氏の治める所となった、以後明治まで続く。
城跡は田丸山西丘陵部に南から二の丸、本丸、本丸上北側に天守台、北の丸を構えた連郭式、東下に三の丸御殿屋敷、内濠で囲み更に外郭を外濠で囲って居る。
現在三の丸跡に玉城中学校、外郭部に玉城町役場、保育園、体育館、広場、村山龍平記念館、旧三の丸御殿奥書院が在ります。
17年前の平成17年1月中旬三重県伊勢出張の帰り、車を玉城町役場駐車場に駐めて探訪見学しました。
探訪は玉城中学校を北に回り込むように車道が有り歩いて行くと富士見門、本丸下辺りに着き、重層の石垣群を眺める、本丸に入り天守台、同穴蔵、東下は本丸への虎口枡形か?石垣が囲ってる、西方面は数段の腰曲輪が在り土塁土仕上げ、田園が見渡せる、南に堀を切られ二の丸、北に堀を挟んで北の丸、下りて内堀と三の丸への枡形虎口、外郭大手門跡、枡形虎口と土橋の左右には外濠が良く残っている。その後元三の丸御殿奥書院も見学しましたが写真は有りません。
主要部の天守台、本丸、二の丸、北の丸と三の丸虎口枡形内濠沿い、大手門跡桝形外濠沿いには石垣がよく残って居ます、三の丸、本丸下からの重層石垣群の眺めは素晴らしい。
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