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赤い城

石碑の所はゴミ置き場に (2022/05/15 訪問)

別に行かなくても良いのに再訪。
難台山城で消耗した体力をスタミナラーメンで回復しましたが全く体力を使うことはありません。
竹隈市民センター周辺が城跡ですが遺構は全くありません。
すぐ近くを流れる桜川が天然の堀だったのでしょうか。
当時は水戸城の周辺から台地で繋がっていたそうです。

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ぴーかる

寺岡砦 (2022/04/30 訪問)

【寺岡砦】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>JR長居から徒歩

<感想>2022年春のJR列車大阪ちょこ城巡りの旅ラスト6城目。寺岡砦は現地説明板によると、当地付近は南北朝~戦国時代に合戦の舞台となった場所であり戦国時代には畠山・三好・細川・桃井の各氏間の合戦がこの付近で繰り広げれられ当地も度々陣所となり砦が築かれたといわれる。とあります。神須牟地神社あたりに砦があったらしいが石碑・説明書きは無い。説明板は眞光寺の山門横にあります。

<満足度>◆◇◇
<周辺観光>長居公園
行ったことが無く、陸上競技場の外観と博物館が見たかったので初めて行ってみました。博物館は植物園の中にあり、植物園のバラとシャクヤクがとても綺麗でした。

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おっちゃん

静原城縄張り図 (2017/11/24 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

清水山城跡測量図 (2016/12/30 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

勝龍寺城の縄張り図 (2016/02/21 訪問)

現地案内板より抜粋。

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中池見湿地方面に遺構 (2022/05/26 訪問)

 金ヶ崎城より尾根道を歩いて登城しました。以前、金ヶ崎城には行ったことはあったのですが、手筒山には来ないで引き返してしまいました。直接手筒山に登るより楽かなと思って金ヶ崎城経由のコースを選択しました。帰りは山の神社方面へ下りましたので、比較すると楽だとは思いますが、ただ階段が多く閉口しました。
 中池見方面に郭、切岸、堀切が残っているとの案内板があり見てきました。堀切は言われるとそうかなと思うくらいで、ほとんど埋まっていました。うっかりして切岸②を見逃してしまいました。

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袋の小豆 (2022/05/26 訪問)

 2回目の登城です。新田義貞が足利軍と戦った場所であり、戦国時代には浅井長政の裏切りにより織田軍が撤退した金ヶ崎の退き口で知られる城址です。歩きやすく整備されています。

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愛発関 (2022/05/26 訪問)

JR新疋田駅より徒歩約10分で城址に行くことができます。
主郭と周辺に石垣や堀を見ることができますが、どこまで当時のものかは判断できません。

 この付近は昔から交通の要衝で、古代には三関(他は鈴鹿関、不破関)のひとつ愛発関(あらちのせき)があったといわれています。(
正確な場所はわかっていなようです) 恵美押勝の乱では越前に逃げようとした押勝でしたが、愛発関が閉じられていたため引き返し討たれています。

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テンちゃん

墨俣城 訪問 (2022/05/15 訪問)

大垣城を訪問した後、さい川さくら公園 駐車場に車を止めて墨俣城に向かいました。
木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)が一夜で築城したといわれる墨俣城。史実かどうかは裏付け資料がないのでわからないそうです。
今ある模擬天守は観光地になっているようでバスツアーの方も来ておりました。

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mrkm880144

美しさ

今でも美しさが溢れてます

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テンちゃん

大垣城 訪問 (2022/05/15 訪問)

順番は逆になりますが、関ケ原古戦場跡を訪問した後に大垣城を訪問しました。
史実通りの復元ではないとどこかでサイトで見ていたので、さっと見学のみして
続100名城のスタンプと御城印をゲットして次に向かいました。
それにしても、映画 関ケ原で大垣城が平山城として描かれていたのは納得できません。

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テンちゃん

清州城 訪問 (2022/05/14 訪問)

末森城を訪問後、車で清州城に向かいました。
最初に駐車場のある清州古城跡を見学、そのあと、川向こうの模擬天守を見学しました。
御城印は、模擬天守ではなく橋を渡った駐車場側のお土産店で売っていました。

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テンちゃん

末森城 訪問 (2022/05/14 訪問)

ふもとのコインパーキングに車を止めて末森城跡(城山八幡宮)を訪問しました。
織田信秀ゆかりの城ということで一度行きたかった所です。
市街地なのに空堀など思った以上に遺構が残っており驚きました。
城山八幡宮では、御城印、武将印など様々な種類のものが置いてあり、なんと6000円分も購入してしまいました。

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やま

村上水軍の城跡 (2022/05/11 訪問)

何度も訪れている因島で長崎城址に建てられているホテルで初めて食事をしました。ホテルはお城があったことを想像できる小高い丘の上に建っていますが、案内板がなければ普通気づかないと思います。ホテル内には長崎城の復元模型があり、また中庭に案内板がありました。ホテルからの眺望は素晴らしく、ここが海賊の城であったことを感じさせてくれるものでした。

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にのまる

城と城下町 (2022/05/03 訪問)

江戸時代の真壁陣屋跡に建つ真壁伝承館に寄って資料や出土品などを見学、パンフレットをいただいてから城址へ向かいました。国の重要伝統的建造物群保存地区である城下町を散策しながら10分くらいです。

外曲輪北虎口から見ていきました。通ってきた道が城外の家臣屋敷へと続く道だったことやⅣの堀が畝堀だったこと、また東虎口周辺の様子などもポイントごとの説明板で理解でき、ありがたかったです。復元土塁の上からも眺められます。
東虎口南の小山は城の守護神である鹿島神社。境内であったために残された現存土塁が一気にかの時代へと連れて行ってくれました。
外枡形の土塁が復元された南虎口で敵兵として突破し討たれるところまで疑似体験し、中城地区へ。発掘調査で出土した庭園には茶室や能舞台などもあったそうです。軍事施設中心部につくられた池泉庭園は肥前名護屋に在陣した真壁氏基が影響を受けた可能性があるとのこと。凸凹を覆うブルーシートに文禄・慶長浪漫を駆り立てられます。
 
 発掘調査の成果に基づき復元された土塁や園路などにより在りし日の姿を学び知ることができ、筑波山を背景に上空を悠然と漂うパラグライダーも取り込んだ春の城址を存分に楽しみました。

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朝田 辰兵衛

朝がけで… (2022/05/22 訪問)

地下鉄東山線の始発で朝がけ。だいたい6:00ごろの空気感です。朝散歩の人気コースなのか,意外に多くの人とすれ違いました。
栄駅周辺では,前夜から遊び明かした若者たちでにぎわっていました。

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まっぴー

【城と標柱】石碑と城🏯 in 松代 (2021/06/12 訪問)

みなさんの中にも多いと思いますが、僕は毎回石碑と城の遺構をセットで撮るようにしています。

今まで何枚か撮ってきた中で一番綺麗に撮れたものを今回の城ふぉとに出したいと思います。



それがこの松代城碑と太鼓門のツーショットです。
石碑のツツジもちょうど綺麗に咲いており、良い色合いのとても良い写真を撮ることが出来たと思います!
石碑の臨場感はもちろん、太鼓門はかなり後ろにあるにも関わらず、物凄い存在感があり圧倒されます。
松代城と表記されているのではなく、海津城と表記されているのも味があって私は好きです。

もちろん実際に見るのも素晴らしいですが、写真は写真で見る角度などが変わり、特にツツジが映えているように感じます。改めて写真の良さを感じる一枚になりました!


他にも松代城には良い写真の撮れるスポットが多くあるので是非行ってみてください!

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ほりーないと

【城と看板】

感謝を込めて看板を掃除してから撮影しました。
地元の方と資料館の方が協力して設置したそうです。
看板を読んで、井戸が大切だと知りました。
看板設置はお城の保全活動の一つだと思います。

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赤い城

妙徳寺 (2022/05/15 訪問)

水戸インターからほど近く。
妙徳寺が館跡になります。
山門脇に石碑が立ち、その前の水路は堀の跡と思われます。
お寺の裏手、第二駐車場の縁に土塁が残り、その先に空堀も残っていました。
妙徳寺には加倉井氏の墓もあります。
江戸氏家臣の波木井実正が築いたとされ、後に加倉井氏を名乗ったそうです。
この前に登った難台山城の疲れもあり、楽して遺構を見ることができる城を選択。
遺構は僅かながらここに残っているのが素敵でした。

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AJ

愛が試されるとき (2022/05/03 訪問)

誇大広告か、言葉の綾かーー。「名城」が乱立する昨今、ややミスリードな推し文句が流布しやすいのも事実。地元愛、大いに結構。と同時に、それに感化されすぎず、現場で見極める「城愛」もまた肝要かと。

葛折を上ること240m超。唐沢山城(栃木県佐野市)は、山頂に本丸を中心とした主郭部を築き、全山に曲輪を配置した堅城。城主・佐野氏は上杉謙信の侵攻を何度も受けながら、最後まで生き残りました。

まれに謙信が「10回攻めても落ちなかった」という記述を見かけますが、これは明らかに誇張で、実際は複数回攻め落とし、残りの数回は積雪で自ら引いたといいます。降伏・開城・裏切りを繰り返す佐野氏側を許し続けた謙信の、当時としては一風変わった人柄が見え隠れするエピソードかもしれません。

遺構の保存状態は良好。過度な宣伝文句に頼らずとも、城好き・歴史好きを十分満足させることができそうです。中でも見所は本丸南西の高石垣。南局の西側に約40m続いており、高さは8mを超えます。

もちろん、この石垣のために謙信が攻めあぐねた、と早合点しないように。実際に佐野氏が築いたのは豊臣秀吉の小田原攻めに協力した後のこと。おもに西日本で導入された技術を用いたため、土造りが主流だった関東では極めて珍しい遺構となっています。時期的な要素を考慮すると、この石垣は実戦に備えたものというよりは、太閤との近しさを領民や近隣大名に見せるための示威行為に近いものではないでしょうか。実に興味深い。

城跡へのアクセスは、路線バスがないため、タクシーやマイカーなどで(駐車場完備)。脚で攻めるなら東武鉄道田沼駅から徒歩約40分(試しに帰りは駆け下りてみましたが、20分程度)。現在、本丸跡には唐沢山神社本殿があり、城跡とは知らずに訪れる家族連れも多いようです。夏場も安心して行ける山城遺構です。

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