四川ダム湖が上流の川と接続するところの分岐を川沿いに登り、北側から尾根伝いに城に向かうのだが、川沿いの道が落石により通行止め。右に折れて台地上に上がり(最後から2番目の写真)、反対側から城の北側を目指してみました。城びと先達の織田晃司さんが書いておられた広瀬中学前を過ぎると、軽自動車がやっと通れるくらいの道になり、しばらく行くも断念。元の分岐まで戻り、車を置いて徒歩で向かいました。
城の三方は崖です。比高もあり、直登不可です。城のあたりは泥岩で黒い岩肌です。泥岩は浸食されやすいため、小さな川がすごく深いV字谷を作っています。
城の北側は大規模な造成工事がなされており、また完全に廃村になっており、以前とだいぶ様子が変わっているようです。最初の道標を見つけると、そこからは、広瀬中学生が設置してくれている手作りの道標が城跡まで導いてくれます。本郭からは、神辺平野越しに瀬戸内海も見えます。
最後の写真は、この後に行った神辺城から志川滝山城方向を撮ったものです。志川滝山城と同じ高さで、右手の台地上に集落や学校などが見えます。この集落からは、広くて比較的浅い谷を挟んで志川滝山城があります。この集落や耕地を守る城であったのでしょう。
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