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ふうちゃん

名護屋城の陣屋の数

名護屋城の陣屋の数は約130以上と言われてきましたが、今、名護屋城博物館のHPには「現在150あまりが確認されています。」と表記されています。11月14日行われた城郭検定2級の解答を見ますと約150が正解となっています。
この間、130から150になった経緯をご存じの方はご教示ください。

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POYO58

イオさん正解です、回答ありがとうございます!

滋賀県の十兵衛屋敷は明智光秀の生誕地とされています。
大垣市の多羅城はどこかわかっていませんが、一般には西高木家陣屋跡の場所とされています。僕が行った時は近くにたぬきがいました。ぜひ行ってみてください。フォローしておきます。今そちらの投稿を見ましたが、明智光秀のゆかりの地に寄っているようですね。僕も明智光秀大好きなので、投稿楽しみにしてます。
また、もしよかったら下記のURLから僕の作った問題に挑戦してもらえると嬉しいです😊
https://kentei.cc/k/1572626

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イオ

明智光秀生誕地

明智光秀の岐阜県内の生誕地、大河ドラマにあわせて麒麟がくる紀行をしようとあれこれ下調べしましたので…

1 可児市の明智荘(明智長山城)
2 恵那市の落合砦
3 瑞浪市の一日市場八幡神社
4 山県市の中洞地区(白山神社)
5 大垣市の多羅城

…の5か所ですよね。滋賀県の多賀町にも生誕(伝承)地はありますが(十兵衛屋敷)。大垣市の多羅城は未訪ながら、この冬のうちには訪れたいと思っています(その他は訪問・投稿済み)。
 

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小城小次郎

松平元康(徳川家康)が駿府から妻子を取り戻すきっかけをこしらえたお城 (2021/09/02 訪問)

熊野別当の一族で旧三重県鵜殿村を苗字の地とする鵜殿氏の居城。鵜殿長照は今川義元の甥っ子で桶狭間後に松平元康と死闘を演じている。長照の子を生け捕ったことで元康は駿府から妻子を取り戻すことができたわけだ。

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todo94

県内の城めぐり・その15 (2021/10/09 訪問)

福与城と同じ箕輪町の町内に所在する箕輪城。Googleマップでみると住宅街の中にある城のようでさほど期待をしていなかったのですが、墓地を土塁と空堀が取り巻いていてかなり見応えがあり、十分に満足できました。

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いんげん丸虫

高松薬師城 長野県生坂村 (2021/11/07 訪問)

岩州公園地帯の標高870mの岩山の上にあります。
きのこ山で荷造りテープが張ってますが、ハイキングコースでもあり、
要所に看板があります。
登城コースはいくつかあるようですが、南からだと登り口まで林道があるようですね。
自分は北西尾根から向かいましたが、ほぼ廃道の状態で車は途中で諦めかなりの距離を
歩きました。
城跡は3方の尾根の中心に主郭があり土塁も残ります。高所であり、岩の多い要害なので
極端な縄張りではないですね。馬やくぼがあります。

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higekam

小早川隆景ゆかりの城めぐり Part 3 (2021/11/16 訪問)

晩年典型的な山城、新高山城を棄てて築いた海城だ。天守台石垣がなんとも美しく大きい。
天守台は駅北にあるが駅南の広場に案内図があり、舟入櫓跡、中門跡、通路下に残された石垣の表示がある。いずれも徒歩10分もかからない。

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higekam

小早川隆景ゆかりの城めぐり Part 2 (2021/11/17 訪問)

三原市HPを参照して計画。
登城口から少し登ったところが崩落していたものの、う回路が獣道のように出来ていたため登城を継続。
番所、匡真寺、中の丸、本丸周辺、そして西の丸まで見学したが支障はなかった。

前日登城の高山城も同様だが、急峻な山頂部に平削地を確保した縄張に驚嘆。のちに海城、三原城まで築く隆景の柔軟性も凄い。

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POYO58

チェブさん回答ありがとうございます!

正解は大桑城主の土岐頼芸大桑城に斎藤道三が攻めてくると考え、朝倉家と同盟を結んだからです。土岐氏は明智光秀の先祖なので、朝倉義景を頼るのは気軽だったと考えられています。
チェブさん、フォローしておきます。ありがとうございました。

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higekam

小早川隆景ゆかりの城めぐり Part 1 (2021/11/16 訪問)

三原市のHPから資料を入手してJR本郷駅から徒歩で北上して登城するルートを選ぶ。
①南側山頂東西に広がる南の丸、犬の丸、巌丸、高の丸と見学、②巌丸の西側を谷へと下る道をとり北側東西へ横たわる尾根を目指す、③扇の丸、本丸、二の丸、北の丸を見学し、ほぼ同様のルートで戻る。

この日藪の手入れもされていたので上記範囲は支障なく回れた。感謝!随所に小規模ながら石垣跡、石組みが残っており時間が許せばもう少し足を延ばしたい箇所も多々あった。

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朝田 辰兵衛

矢田城(新潟県柏崎市) (2021/11/13 訪問)

【やた じょう】新潟県道73号線沿いに城址碑と案内標識があり,ここより東の方向に曲がります。案内標識から登城口までは,比較的距離がありますのでご注意ください。赤田城と安田城を直線で結んで,ちょうど中間点に位置します。この矢田城が城びと登録されていれば,小木ノ城~二田城~赤田城~矢田城~安田城が等間隔(ほぼ一里)で一直線になります。北国街道の防衛ラインかな…?
標高:74m,比高:70m。
見どころは,本丸背後の堀切だと思います。眺望は,再稼働の目途が立たない東電柏崎刈羽原子力発電所です。
築城年代,築城者は不明。北条城主毛利氏の城代家老であった石口広宗の居城。石口は,あの「魚津城の戦い」で玉砕の運命をたどった越後十三将の一人です。

明智光秀buchiさんへ。
先日出題された案件ですが,自己完結して感想を入れるパターンのほうがカッコイイと思います。
自己完結は,自問自答パターンでもいいかと思いますが,単調にならないようにオリジナリティを効かせるのも手。
小城小次郎さんの投稿が,手本・参考になるのでは…と思います。

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ゆき

金山城 (2021/11/18 訪問)

関東では珍しい石垣が素敵⭐︎
月の池、日の池も珍しい。

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ぴーかる

柳生陣屋<柳生城跡編> (2021/10/23 訪問)

【柳生城】
<駐車場他>芳徳寺に無料駐車場あり。芳徳寺拝観は有料なので、芳徳寺を拝観する方は市立駐車場に駐車せず、ここに駐車すると良い。
<交通手段>車

<見所>堀切
<感想>柳生城の築城年は不明です。城びと情報にも城山として載っているのでここで投稿致します。城跡の一部に柳生氏菩提寺の芳徳寺が建立されています。私は芳徳寺には拝観しませんでした。山頂の主郭部分は芳徳寺の南東側にあり、主郭への道案内板がなかったので私は主郭の南側、剣道場の向かい側の写真の位置からアタックしました。後で調べて芳徳寺の正面辺りか?、主郭北側のルートもあるようです。私の行った南側からのルートはまず大堀切が1条あり、主郭下段に現在は貯水地となっている副郭のような曲輪、主郭西下段に腰曲輪、主郭虎口には石列が確認できました。主郭内は添付写真のように身長以上ある雑草に覆われて侵入不可能となっていました。北側からのルートに堀切・土橋等の遺構が多数あるようで攻城不十分な結果となっていまいましたので満足度は未記入と致します。
 柳生城でこの日の旅は終了しました。柳生の里は摩崖仏や他にも見れていない名所がまだまだあったので、もっとゆっくり時間を取るべきでした。

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ふゆづき

エリート大名の居城 (2021/09/16 訪問)

江戸城の東南に位置する下総にあり、下総のみならず上総、安房に睨みをきかせた佐倉城に行ってきました。
この城は江戸城に近いため、江戸幕府開幕以来譜代大名が配され、房総半島の押さえ役目を持たされたものと思います。
興味深いのは、老中堀田正睦が城主だった関係で、ハリスの銅像が城内に置かれていること。米国人の銅像が郭内にある城はあまり例が無いのではないでしょうか。

石が取れづらい千葉にある城のため、元々石垣が大々的に用いられておらず、大多喜城と同様に土塁と空堀(一部水掘)を中心に防御施設が固められていたようであり、本丸も土塁で固められています。
見所の一つは、大型の角馬出。
以前にも、丹波篠山城の角馬出を見ましたが、それと比べても遙かに規模の大きい馬出で、もはや出丸といって良いのではないかというほど規模であるように思いました。
また、西出丸や南出丸の周囲には水堀が張られており、本丸を直接狙われないように防備を固めています。

建屋などの遺構が無く、石垣も無いので、ともすれば中世の城ではないかとの感を持ちますが、突き出した出丸や、大手門から続く武家屋敷群(一部は見学が可能です)など、よくよく見ると近世の城であることが良く判るように思います。

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イオ

千手寺城(京都府亀岡市稗田野町、宮前町) (2021/11/06 訪問)

千手寺城(城びと未登録)は、明智光秀の丹波攻めにおける八木城攻略の拠点となったとされる城ですが、築城年代や築城者等、詳細は不明です。八木城から千々川を挟んだ南側の山上に位置し、千手寺の後背の尾根沿いに曲輪を連ねています。
なお、千手寺は弘法大師空海の開創とされ、空海が唐から帰国する際に真言密教布教の拠点を求めて投げた独鈷杵がこの地の松にかかっていたことから、獨鈷抛山(とこなげさん)と呼ばれるようになったんだとか。ちなみに同様の伝承は高野山にもあります(三鈷の松)。

山麓から対向困難な細い山道をひたすら上って千手寺へ。千手寺の駐車場に車を駐めて石段を上り、愛宕大権現 白雲寺から移築された鐘楼門をくぐると、境内の東側奥に展望台に続く登山道があり、貸出用の杖も用意されています。ここから登城開始です。

稲荷社の脇を抜けて3分ほど登ると展望台に到着。鐘楼門を眼下に開ける眺望はなかなかのものです。展望台の先は道なき道かと思いきや、尾根筋にごろごろと散乱する巨石には道案内の矢印が描かれ、一応整備されているようです。ストックを頼りに急斜面をよじ登りつつ、ほとんど自然地形の曲輪群を抜けて山頂へ。山頂の主郭には櫓台状の土壇があり、巨石が鎮座しています。主郭から北に続く尾根を今度は下って行くと、堀切が尾根筋を断ち切っています。ようやく明瞭な遺構に出会えました。その先の出曲輪には土塁と思しき高まりも見られます。北尾根は八木城の方向なので、特に手を加えられているのかもしれません。

展望台から出曲輪まで南北にのびる尾根のほか、西側を並行して南北にのびる尾根筋にも城郭遺構があるらしいので、いったん千手寺まで戻り、ハイキングコースを南西に進んで、西尾根に取りついてみました。西尾根の堀切を切通道としてハイキングコースが横断しているので、そこから南側に上ってみると灌木が生い茂り巨石がごろごろ転がっています。さすがにこちらは未整備だろうと思いきや、巨石には道案内の矢印が! こんなところに足を踏み入れる物好きがそう滅多にいるとも思えないんですが…(笑) 灌木や倒木でわかりづらい点はあるものの、櫓台状の土壇があったり南に進んだ先には浅い堀切もあったりで、西尾根も千手寺城に含まれるかどうかはともかく、やはり何らかの城郭遺構ではありそうです。

…ということで、千手寺城は中腹まで車で行けるし、明瞭な遺構は限られるので1時間もあれば充分かな、と思っていましたが、調子に乗って西尾根まで探索するうちに2時間近くを要してしまい、この後に訪れるつもりだった亀山城に行く時間がなくなってしまいました…。とはいえ、近世城郭は一年中いつでも行けるので、これからのシーズンはやはり山城最優先! ですね。
 

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にのまる

その2・大手門~河北門~石川門 (2021/10/31 訪問)

大手堀沿いを歩いて大手門から入りました。これでもかというほど、鏡石が嵌め込まれています。大手門を入った広場は新丸跡で、下台所・作事所・越後屋敷があったのだそう。
緩やかな河北坂を上がると河北門一の門。右側のニラミ櫓台に睨まれます。背後の菱櫓にも威圧感が。二の門の櫓はまだ開いていなかったので他を見てから戻って内部を見学しました。
石川門は枡形を囲むすべての建物が現存の重要文化財。兼六園に通じる搦手門です。刻印石もたくさん見られました。復元された南門跡・辰巳用水の石管を見学。この辺りから見る長塀と五十間長屋の眺めがイイ感じでした!

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赤い城

宇龍城 島根県出雲市 (2021/11/11 訪問)

久しぶりに帰省、出雲空港からレンタカーで実家に向う前に立ち寄りました。
日御碕の宇龍港にある岩山が城跡です。
民家脇の登城路を進むとすぐに林神社、さらに登るとまた神社があり、主郭となります。
裏手に回ると溜池や土塁、腰曲輪を見ることができます。
尼子氏が築城、眼下の宇龍港は鉄の積み出しに使われていたそうです。
近くには日御碕灯台や日御碕神社、さらにはちょうど神在月の出雲大社がありますがここはひっそり。
メジャーな観光地とセットでどうぞ。

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POYO58

明智光秀挑戦問題!(1)

今日から明智光秀の問題をたくさん出そうと思います。
では問題!
明智光秀は朝倉義景に仕えるときがありますが、それは大桑城が深く関係しています。さて、何故明智光秀は朝倉義景に仕えるようになったのでしょう?少し難しいですが、調べないで答えられた人はすごい!

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いんげん丸虫

三峰城 長野県安曇野市 (2021/11/07 訪問)

三峰城(さみね)は佐々野城と同じ尾根で北に400mの位置にあります。
中間地点に鋭い横堀、カッコいい土塁等、山城ファンには堪らない地形が見られますが
これは地滑りによる自然地形のようです。
城跡は小さい主郭を中心に3方の尾根を堀切で断ち切るという典型的な縄張りです。
南と東に土橋があり、よく残ってます。

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ちっち

行きと帰りは違う登山道がオススメ! (2021/11/17 訪問)

登山道は山国町側と耶馬溪町側の2つがあります。私が行った際は耶馬溪町側に工事車両がいた為、山国町側から登りました。(日田側から見て、一ツ戸隧道手前の写真①左折、暫く行くと右手に登山道。写真②)
偶然にも地元の親切なお母さんに、車は登山道脇に停めても、近くの公民館に停めてもOKと言って頂き、少しでも楽したかったので登山道脇に停めました。
いざ登り始めると、家臣団屋敷屋敷の様な居館が建てられていたのではないか!と思う様な削平地と石垣が何段にも連なっており、いきなり感激しました。(写真③~⑤)また途中には色紙短冊積を彷彿とさせる様な見応えのある石垣(写真⑥)や、破却によって転がる石垣などもあり、本丸まで飽きません。
しかし、道は険しいです。落葉が多かったせいもあり、足元は不安定でトラロープに頼りきりになりますが、倒木で破損しているところもあり、十分に気を付ける必要があります。
山頂は写真では伝えきれませんが、曲輪群が綺麗な形で残っており、国道212側の曲輪は特に絶景で、とてつもないとこに城が建てられていたことを再認識しました。さらに縄張図などの解説看板があると、面白さが倍増しそうでした。
帰路は耶馬溪町側の登山道から下山。道が広くとても歩きやすかったですが、苔が凄く多いので、体を支える物があった方がいいです。また、最後は獣を防ぐ為のゲートがありますので、自分で開けて確実に閉めましょう!こちらから入る場合は、車で登山口下まで車で行けます。(写真⑨)
【駐車場】
山国町側:登山口付近の道路脇
耶馬溪側:登山口付近の道路脇
共通:国道212 一ツ戸隧道脇に大きめのスペースあり
【トイレ】
なし。道の駅 山国で済ませて来るのがお奨め
【装備】
トレッキングウェア&シューズ、帽子、手袋(必須)、あればトレッキングポール(耶馬溪側のみ、山国町側はむしろ邪魔かも)
【時間】
約2時間(往復耶馬溪側使えばこれより短縮)
【目印】
カーナビ:山紫水明(日本料理のお店)だと山国町側
登山道:山国町側:民家の横 小さな看板あり写真②
耶馬溪側:獣ゲート過ぎて暫く進むと左手に看板あり
【親子】
山国町側:小学校 高学年~
耶馬溪側:小学校 低学年~
【モデル】
山国町側登山道→石垣堪能→本丸→耶馬溪側登山道
【 + α 】
平田城攻略後、山国町の守実温泉『やすらぎの郷』(日帰り入浴)で汗を流し、非日常を満喫!さっぱりした所で、保育園のお迎えという現実の仕事に取りかかりました~。

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