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小城小次郎

尼子詮久がここにいたかもしれないのだそうだ (2022/01/09 訪問)

以前は迷いやすいお城だったようだが近年登城路が整備され格段に行きやすくなっている。赤松氏一族の広岡氏の城だが尼子詮久が播磨侵攻時にここに入った可能性もあるとか。白い土塁はもしかしたら土塀だったのではなかろうか。

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todo94

県内の城めぐり2022㉔ (2022/04/07 訪問)

山家城同様、9年ぶり2度目の攻城だというのにこれまた山家城と同様、獣よけフェンスのすぐ右手に伸びる登城路に気付かず、舗装された林道を延々と進んでしまいました。体力と時間を無駄に消耗してしまいましたが、林間に石積や大量の石を見つけることが出来て改めてこの城のすごさを実感することが出来ました。9年前、同時に初攻城したときは林小城、山家城より下の評価でしたが、今回は桐原城に最も魅力を感じました。ただ、同じゴールデンウイークの時期の攻城なのに葉がずいぶん茂ってしまっていて石垣の写真は前回のほうが撮影しやすかったかな。降雪を避けつつ冬枯れの時期の攻城をお勧めします。この城も山家城同様、小笠原氏城跡として長野県史跡に指定されていますが、国史跡に指定されるだけの価値はあると感じます。

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トク

明智光秀「最期の30日」を辿る 【第3回】丹波亀山城  (2022/05/08 訪問)

(第2回「坂本城」からの続きです)

天正10年(1582年)5月29日、亀山城にいる光秀の元に信長が安土から本能寺へ入ったとの知らせが密かに届きます。そして3日後の6月1日昼頃、光秀は亀山城数寄屋にて重臣4人(明智秀満(左馬助)、斎藤利三、藤田行政(伝吾)、明智光忠(次右衛門))を密かに集め謀反を打ち明けます。すると4人から返ってきた答えは「皆思いは同じでございます」。これにより光秀の意は決しました!

そして同日午後5時、ついに13,000の軍勢が亀山城を出立しました。しかし、軍勢は毛利のいる西の方角には向かいません。そして、光秀は軍配を東の方角に指しこう叫びます 「我が敵は本能寺にあり!」

しかし、この名台詞(セリフ)は、だいぶ後の江戸幕末の詩人である頼山陽(私と同じ空想が好きなおじさん)が1826年に書いた「日本外史」という本の中の一節にあるもので、実際は極秘の行動なのでそんな事は叫んでないようです。それどころか、途中でたまたま軍勢を見た農民20~30人を(密告されないよう)すべてその場で撫で切りにしたというのですから、もう光秀は残虐者の顔になっていた事がうかがえます(😱~)。

丹波亀山城は、もともとは光秀が丹波攻めのための軍事拠点として築城したもので、兵の収容能力は安土城より大きかったようです。また三重の堀に囲まれ、さらに有事の際には保津川を堰き止めれば巨大な水堀ができる強固な作りになっていました。

現在は宗教法人の敷地になっていますが、受付で申し込めば条件付きですが中を見学させてもらう事ができます。天守は、江戸初期に藤堂高虎が伊予から伊勢へ移封になった際、今治城の天守を解体して伊勢に持って行こうとした所、家康より天下普請に差し出すよう命じられ、この丹波亀山城に差し出した話は有名です。その時の城の再現図がありました(写真④)。明治までその天守は残っていたようです。また下段の石垣(打込接)には刻印があり天下普請で築かれた事を物語っています(写真⑤)。しかし、上段の天守台の石垣は野面積のため、これは光秀時代のものが今でも残っていると思われます(写真⑥⑦)。ということはもしかして🤔?・・・江戸時代には光秀が築いた天守台の上に高虎の天守が建っていたという事になるのでしょうか?😲


うっそうとした木立と苔蒸した石垣に囲まれ、異様な静寂さの中で、かすかに聞こえる(宗教法人の人々が唱える)経の声・・・。この独特な雰囲気の中で私は天守台の脇に立ち、この眼下にこれから本能寺へ向かう13,000の軍勢が整然と隊列を成してここに並んでいる姿がたぶんあったであろうと想像してみました(写真⑧の場所は、かつては広大な曲輪)。 すると何とも言えない急に足が震えてくるような緊張感が襲ってきました(😱~)。

(第4回「本能寺」へ続きます)
 

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カズサン

2009年桜の掛川城 (2009/04/05 訪問)

 平成21年(2009年)桜の時期に掛川城をコンパクトカメラで撮影して居ましたので投稿致します、定年退職月で定年まで1ヶ月を切った時期でした。
 木造復元の天守閣、四脚門、続き板屋根土塀、場所を変えて木造復元大手門、現存の太鼓櫓と建物構造物が増えました。
 掛川駅からの動線景観も整備綺麗に成って来ました。

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朝田 辰兵衛

みなさんと同様に… (2022/05/22 訪問)

みなさんと同様に,田幡公園,金城小学校をぐるりと廻って終了。
ここを訪れるということは,次の散策場所をほぼほぼ予告しているようなものですね…。
はい,金シャチ横丁経由で行きましたョ。

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赤い城

石碑の所はゴミ置き場に (2022/05/15 訪問)

別に行かなくても良いのに再訪。
難台山城で消耗した体力をスタミナラーメンで回復しましたが全く体力を使うことはありません。
竹隈市民センター周辺が城跡ですが遺構は全くありません。
すぐ近くを流れる桜川が天然の堀だったのでしょうか。
当時は水戸城の周辺から台地で繋がっていたそうです。

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ぴーかる

寺岡砦 (2022/04/30 訪問)

【寺岡砦】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>JR長居から徒歩

<感想>2022年春のJR列車大阪ちょこ城巡りの旅ラスト6城目。寺岡砦は現地説明板によると、当地付近は南北朝~戦国時代に合戦の舞台となった場所であり戦国時代には畠山・三好・細川・桃井の各氏間の合戦がこの付近で繰り広げれられ当地も度々陣所となり砦が築かれたといわれる。とあります。神須牟地神社あたりに砦があったらしいが石碑・説明書きは無い。説明板は眞光寺の山門横にあります。

<満足度>◆◇◇
<周辺観光>長居公園
行ったことが無く、陸上競技場の外観と博物館が見たかったので初めて行ってみました。博物館は植物園の中にあり、植物園のバラとシャクヤクがとても綺麗でした。

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おっちゃん

静原城縄張り図 (2017/11/24 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

清水山城跡測量図 (2016/12/30 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

勝龍寺城の縄張り図 (2016/02/21 訪問)

現地案内板より抜粋。

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中池見湿地方面に遺構 (2022/05/26 訪問)

 金ヶ崎城より尾根道を歩いて登城しました。以前、金ヶ崎城には行ったことはあったのですが、手筒山には来ないで引き返してしまいました。直接手筒山に登るより楽かなと思って金ヶ崎城経由のコースを選択しました。帰りは山の神社方面へ下りましたので、比較すると楽だとは思いますが、ただ階段が多く閉口しました。
 中池見方面に郭、切岸、堀切が残っているとの案内板があり見てきました。堀切は言われるとそうかなと思うくらいで、ほとんど埋まっていました。うっかりして切岸②を見逃してしまいました。

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袋の小豆 (2022/05/26 訪問)

 2回目の登城です。新田義貞が足利軍と戦った場所であり、戦国時代には浅井長政の裏切りにより織田軍が撤退した金ヶ崎の退き口で知られる城址です。歩きやすく整備されています。

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愛発関 (2022/05/26 訪問)

JR新疋田駅より徒歩約10分で城址に行くことができます。
主郭と周辺に石垣や堀を見ることができますが、どこまで当時のものかは判断できません。

 この付近は昔から交通の要衝で、古代には三関(他は鈴鹿関、不破関)のひとつ愛発関(あらちのせき)があったといわれています。(
正確な場所はわかっていなようです) 恵美押勝の乱では越前に逃げようとした押勝でしたが、愛発関が閉じられていたため引き返し討たれています。

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テンちゃん

墨俣城 訪問 (2022/05/15 訪問)

大垣城を訪問した後、さい川さくら公園 駐車場に車を止めて墨俣城に向かいました。
木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)が一夜で築城したといわれる墨俣城。史実かどうかは裏付け資料がないのでわからないそうです。
今ある模擬天守は観光地になっているようでバスツアーの方も来ておりました。

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mrkm880144

美しさ

今でも美しさが溢れてます

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テンちゃん

大垣城 訪問 (2022/05/15 訪問)

順番は逆になりますが、関ケ原古戦場跡を訪問した後に大垣城を訪問しました。
史実通りの復元ではないとどこかでサイトで見ていたので、さっと見学のみして
続100名城のスタンプと御城印をゲットして次に向かいました。
それにしても、映画 関ケ原で大垣城が平山城として描かれていたのは納得できません。

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テンちゃん

清州城 訪問 (2022/05/14 訪問)

末森城を訪問後、車で清州城に向かいました。
最初に駐車場のある清州古城跡を見学、そのあと、川向こうの模擬天守を見学しました。
御城印は、模擬天守ではなく橋を渡った駐車場側のお土産店で売っていました。

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テンちゃん

末森城 訪問 (2022/05/14 訪問)

ふもとのコインパーキングに車を止めて末森城跡(城山八幡宮)を訪問しました。
織田信秀ゆかりの城ということで一度行きたかった所です。
市街地なのに空堀など思った以上に遺構が残っており驚きました。
城山八幡宮では、御城印、武将印など様々な種類のものが置いてあり、なんと6000円分も購入してしまいました。

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やま

村上水軍の城跡 (2022/05/11 訪問)

何度も訪れている因島で長崎城址に建てられているホテルで初めて食事をしました。ホテルはお城があったことを想像できる小高い丘の上に建っていますが、案内板がなければ普通気づかないと思います。ホテル内には長崎城の復元模型があり、また中庭に案内板がありました。ホテルからの眺望は素晴らしく、ここが海賊の城であったことを感じさせてくれるものでした。

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にのまる

城と城下町 (2022/05/03 訪問)

江戸時代の真壁陣屋跡に建つ真壁伝承館に寄って資料や出土品などを見学、パンフレットをいただいてから城址へ向かいました。国の重要伝統的建造物群保存地区である城下町を散策しながら10分くらいです。

外曲輪北虎口から見ていきました。通ってきた道が城外の家臣屋敷へと続く道だったことやⅣの堀が畝堀だったこと、また東虎口周辺の様子などもポイントごとの説明板で理解でき、ありがたかったです。復元土塁の上からも眺められます。
東虎口南の小山は城の守護神である鹿島神社。境内であったために残された現存土塁が一気にかの時代へと連れて行ってくれました。
外枡形の土塁が復元された南虎口で敵兵として突破し討たれるところまで疑似体験し、中城地区へ。発掘調査で出土した庭園には茶室や能舞台などもあったそうです。軍事施設中心部につくられた池泉庭園は肥前名護屋に在陣した真壁氏基が影響を受けた可能性があるとのこと。凸凹を覆うブルーシートに文禄・慶長浪漫を駆り立てられます。
 
 発掘調査の成果に基づき復元された土塁や園路などにより在りし日の姿を学び知ることができ、筑波山を背景に上空を悠然と漂うパラグライダーも取り込んだ春の城址を存分に楽しみました。

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