10年前の平成23年5月上旬、櫛崎城、長府城下町探訪を終えて今回の初登城目的の一つである勝山御殿を目指す、長府城下町からは北方約4km程、本丸西側の整備真新しい駐車場を利用。
勝山御殿は外国船打ち払いによる四国艦隊との砲撃戦の対処で長府居館を一時覚苑寺に藩主避難するが三方を山に囲まれた田倉地区に文久3年(1863年)6月28日から築城を開始し翌年元治元年(1864年)2月1日には第13代長府藩主毛利元周が長府から移る。
約7ヶ月の短期決戦築城と成りました、本丸は二段で前段が本丸表、政務の中心、奥段が本丸奥、藩主、家族の住まい、本丸の南側に石垣、虎口階段、西側に南西虎口と北西虎口が構える。
南に二の丸、更に三の丸構えですが二の丸、三の丸には道路が通り遺構が破壊されたか維新までの時間が迫って居り充分な整備が出来なかったのか分かりませんが三の丸の虎口、階段、張出し防塁、南に城塁が残るのみ。
石垣は綺麗に積まれ切込接ぎの様ですが落し積(交互斜め積)が用いられています、整備は訪問時の前年平成22年(2010年)完成の様子、案内板、説明板が2010年と成って居ました。
勝山御殿の周りに山城3城紹介登城口案内板が有りましたが私の体力と興味関心点が少し合いませんので眺めるだけで終了。
長年探訪を願って居た事が叶い大満足でした。
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