佐和山城と間違えそうな城名だが歴史は古く14世紀半ばには畠山氏が大軍とともに着陣している。城址碑などがないので「城ヶ峰→」を示す看板が落っこちてるのを頼りに進むしかないが非常に心細い。城域は薮ってるし・・
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2024/05/21 22:05
2023/06/07 07:04
和歌山の城めぐり⑤ (2023/04/29 訪問)
午後には献血の予約を入れてあり、天気予報も雨になっていたので、和歌山市へと向かい、和佐山城をこの日最後の攻城としました。高積神社下ノ宮についた時にはついに小雨が落ちてきていました。とりあえず、傘なしでもなんとかなりそうだったので攻城に踏み切ります。登城路の中央にバーンと現れた板碑の左手は高積神社上ノ宮になります。途中登城路が分かりにくい右手に折れていく箇所がありましたが、ピクミンブルームの地図のおかげで迷わずに山頂にたどり着くことができました。
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2021/11/20 15:21
南北朝時代の太平記の舞台となり、戦国時代の遺構が残る城 (2021/11/13 訪問)
南北朝時代の太平記の舞台ともなり、1356年に紀伊守護で北朝方の畠山義深によって築かれたと伝わります。
戦国時代には秀吉の紀州攻めの際、抵抗する為に使用されたのではともされます。
西側麓の高積神社下宮から、高積山にある高積神社上宮へは結構上まで舗装された道がありますが、細く急坂で小型車の4WDでないと厳しそうです。
高積神社上宮から南へ尾根続きにある城ヶ峯山頂が城跡です。
尾根の真ん中に城跡の南北に低い土塁が長く繋がっていますが、城の遺構ではなく江戸時代の村の境界土塁とされます。
城跡は主郭がある曲輪群と南側の曲輪群があり、一城別郭のようでもあります。
主郭は藪ですが周辺は堀切、石積、横矢掛り、竪堀、土塁など戦国時代を思わせる城でした。
特に北東側の土塁が出っ張った横矢掛りがテクニカルで石積も伴いカッコよかったです。
南側の曲輪群へ繋がる尾根には3本の堀切があります。
南側の曲輪群は藪が酷かったです。
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分類・構造 | 山城 |
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築城主 | 畠山義深 |
築城年 | 正平11年〔北朝〕/延文元年〔南朝〕(1356) |
主な改修者 | 畠山氏 |
主な城主 | 畠山氏 |
遺構 | 曲輪、石垣、土塁、堀切、横堀(空堀)、竪堀、井戸 |
住所 | 和歌山県和歌山市禰宜 |