南北朝期に北朝方の畠山義深が城ヶ峯山頂部に築いたとされますが、現在見られる遺構は戦国末期に改修されたものと考えられ、羽柴秀吉の紀州攻めの際に地元国人が籠って抵抗の拠点となったようです。
山麓の高積神社・下の宮脇に駐車して登城開始。高積山頂部の上の宮近くまで舗装された参道が続いていますが、急坂の上に落石や折れた枝が路面に散乱しており、車で行くのはおすすめできません。歩いて登ること20分弱で高積山に到達。上の宮との分岐(案内表示あり)を城ヶ峯方向に進んだ先が和佐山城です。
分岐から南に進むと尾根に沿ってのびる土塁が姿を現しますが、城郭遺構ではなく江戸期の村落の境界を示す土塁なんだとか。境界土塁をたどってさらに南へ進み、分岐から15分ほどで城域に到達。大きな竪堀が北東方向に落ちています。竪堀を横目にスロープ状の登城道を上ったところに主郭の北虎口が開口し、虎口の両側に張出部を設けて横矢が掛かる造りになっています。張出部には石垣が施されている…はずですが、見落としてしまいました。
主郭は北辺から北西辺にかけて土塁をめぐらせ、南東部には井戸と土壇がありますが、藪に沈んでいてよくわかりません。土壇の南側から主郭を出ると、主郭手前で途切れていた境界土塁が復活して南へとのびていました。主郭の東下には帯曲輪が広がり、南端の櫓台の下からは三条の堀切により南尾根を遮断しています。
南尾根の三条の堀切を越えた先が副郭で、主郭と異なり副郭の内部にも境界土塁が続いています。副郭は藪に覆われ自然地形に近い状態ながら、北辺の土塁はかろうじて判別することができました。
縄張図で見る分にはもう少し見応えありそうに思えるんですが、全体的に藪化していて遺構が見づらいのが残念なところ。せっかくこんなところまで来たので、最初の分岐から高積神社上の宮に寄り道して下山しましたが、上の宮には和歌山城と同じ緑泥片岩による石垣が築かれていて、むしろこちらのほうが見応えがありました(笑)
+ 続きを読む