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昌官忠

のんびりホリデーSUICAパス八高線&相模線8城巡り②:藤橋城 (2022/04/30 訪問)

6月の九州遠征前の、なまった足腰(コロナ過で10か月攻城していません)のリハビリを兼ねた攻城(PART3)です。
のんびりホリデーSUICAパス八高線&相模線8城巡り2城目は藤橋城です。
今井城より徒歩20分くらいで公園入口(35.803743、139.300622)に着きました。

戦国時代に北条氏の傘下にあった平山越前守虎吉の居城とされます。
平山氏は西党出身で源平合戦で名を馳せた平山武者所季重の後裔で戦国時代には北条氏に仕えていたようです。
平山氏の居城としては峻険な檜原城(まだ、行ってません!)が知られていますが、一族は青梅の丘陵地帯を本拠としているようです。
藤橋城が最初から平山氏の居城だったのかは不明だが、城主については藤橋小三郎の名も伝わっているので藤橋氏の居城を平山氏が再利用したとの説もあります。
現在、城址は藤橋城址公園として整備されており、土塁を確認することができます。

城址公園としてきれいに整備されていて、見学はしやすいです。公園まわりは、土塁で囲まれていて、空堀も各所にありました。
水田が広がる地域の中心にあったようです。小さな公園だが説明板が設置されていました。
攻城時間は10分くらいでした。

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昌官忠

のんびりホリデーSUICAパス八高線&相模線8城巡り①:今井城 (2022/04/30 訪問)

6月の九州遠征前の、なまった足腰(コロナ過で10か月攻城していません)のリハビリを兼ねた攻城(PART3)です。
のんびりホリデーSUICAパス八高線&相模線8城巡り1城目は今井城です。
金子駅より徒歩20分ちょっとで城址入口(35.810523、139.313591)に着きました。

児玉党の今井氏が城主であったと言われています。
1416年(応永23年)の上杉禅秀の乱に際して今井氏は反乱側についたものと見られ、乱の後は附近に三田氏が台頭する中、今井氏は所領を没収されながらも細々と続いたようです。
1482年(文明14年)以降のいずれかの時点で城の墳墓が埋められ、その上に新しい城が築かれた痕跡があり、第三の勢力の進出を示唆しているそうです。
この第三の勢力とは北条氏であり、新城築城は1524年(大永4年)の北条氏綱による江戸城攻略以降のことと考えられているようです。
その後北条氏が上杉氏と対峙する中、今井城は北条氏が攻略線上に等間隔で配置した支城の一つとして機能していたが、1551年(天文20年)の平井城落城でその機能も無用となったようです。
今井氏は天正年間までは続いていたとされるが、その後は城の存在は忘れられ、江戸時代に編まれた『新編武蔵風土記稿』にも「堀ノ内」の地名があること以外は何の言及もないようです。
現在城址は周辺は宅地化されているものの、本丸跡には土塁や二重の空堀などの遺構が良好に保存されています。

住宅街の高台に空堀で区切られたいくつかの郭があり、明確に残っている空堀が良かった。
攻城時間は20分くらいでした。

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高須台第一公園より (2022/04/29 訪問)

 道は整備され歩きやすい城址ですが、削平地の他は明瞭な遺構はないように思われました。主郭の展望台は立入禁止になっていました。もっとも周囲の木が高く展望台に上ってもいい景観は望めないと思います。
旭山神社からと高須台第一公園から登城路があります。旭山神社からはそれなりの坂を上がりますが、高須台第一公園からはすぐに城域に入ることができます。ただ自分は己斐城(平原城)から高須第一公園まで徒歩で来たのでそれなりのアップダウンがありました。

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小茶臼山 (2022/04/29 訪問)

 永正12年(1515年)武田元繁が数か月にわたり攻城したが落ちなかったと伝わる城です。「武田数ヶ月攻むるといえども、銘城なるが故に、遂に落ちず」(『房顕覚書』)と記載されています。城址は本丸と二の丸を中心に東西南北に郭を配置している縄張りで、東郭や北郭を下った尾根には堀切も見られます。本丸の二の丸の間の堀切も含め堀切は浅くなっていました。整備された散策しやすい城址です。
己斐東小学校へ上がる階段と並行して「小茶臼山登山口」と書かれた看板のある階段が登城口です。整備された登城路ですが、最初は意外と階段が続いて閉口しました。
この日は朝から雨でしたが、この城を散策する少し前には上がってくれました。雨に濡れた堆積した落ち葉に注意して散策しました。

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赤い城

住宅地の中に土塁が残る (2022/04/24 訪問)

東葉高速の飯山満駅から徒歩で20分ちょっと。
城跡を示す場所には民家があり、周囲も住宅地となっています。
民家の裏手に高い土塁がある他、周辺を歩くと他にも土塁が見られます。
説明板や標柱はありませんが少しでも遺構があると嬉しいものです。
県道を挟んだ反対側に秋葉神社がありますがここにも土塁。
出丸であったのではないかと言われています。
小金城主の高城氏の城のようです。
家の前に土塁が残っているなんて羨ましいですね。

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桂公園 (2022/04/29 訪問)

厳島合戦のときに桂元澄が守っていた城ですが、現在は桂公園となっています。遺構はありません。雨が激しく降ってきたので早々に退散しました。

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熊谷氏の館 (2022/04/29 訪問)

熊谷氏の平時の居館跡と推定されています。石碑と案内板があり、石垣が残っています。

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雨中の散策 (2022/04/29 訪問)

熊谷氏が安芸に入部して最初に築いた城です。
この日の午前中は気合の入った雨が降っていたため足早に散策しました。雨の中でも整備された城址で歩きやすかった。広島県教育委員会HPには「最高所の郭には井戸跡もある」と記載されていますが、よくわかりませんでした。

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宗春

桶狭間の戦い三城③ 鷲津砦 (2022/04/30 訪問)

大高城、丸根砦、鷲津砦の3城の御城印を購入したので、イッキに訪問しました。

周囲には駐車場がないので、車で訪問する際は、大高緑地公園の南駐車場を利用するのがオススメです。駐車場からは少し距離がありますが、違法駐車するより確実です。

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ぎりょう

伊達氏発祥の地を巡る①福島県伊達市梁川 (2022/04/29 訪問)

自身が所属する「古文書を読む会」研修旅行の候補地下見で、福島県伊達市梁川と桑折町を訪問した。今回の研修テーマは「伊達氏発祥の地をめぐる旅」。担当者4名で東北自動車道国見IC経由で先ずは梁川城に。仙台藩祖伊達政宗はあまりにも有名だが、伊達氏も文治5年(1189)の奥州合戦に従軍した関東武者でした。常陸入道念西朝宗は阿津賀志山合戦に際し、石那坂で奥州藤原氏の臣佐藤庄司軍を破り鎌倉軍勝利を決定づける手柄をあげる。伊達郡の地頭に任じられて入部し伊達氏を名乗ったと伝わっている。梁川は伊達氏館(梁川城本丸跡)が築かれた時代から多くの寺社が造営された中世都市であったようだ。
本丸跡は現在梁川小学校跡地で、東西100m、南北150m程の規模で、かつての伊達氏館の規模をイメージできる広さ。また心の字池の庭園跡が復元されており、発掘調査の結果で中世伊達氏による造営が明らかになっているらしい。外郭は梁川高等学校の敷地、住宅街となり原状は確認できない。秀吉の奥州仕置きにより、伊達政宗は自力で獲得した会津地方を、大崎・葛西一揆後は本貫地の伊達郡や置賜郡も取り上げられる。かつて伊達氏の本拠地梁川城は、皮肉なことにその後この地を領した蒲生・上杉氏により、北に所領を構える政宗に対する境目の城として改修されることになる。

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宗春

桶狭間の戦い三城② 丸根砦 (2022/04/30 訪問)

大高城、丸根砦、鷲津砦の3城の御城印を購入したので、イッキに訪問しました。

周囲には駐車場がないので、車で訪問する際は、大高緑地公園の駐車場を利用するのがオススメです。

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higekam

浦上氏の主城、三石城の西を守る支城 (2022/04/28 訪問)

本丸と唯一のなだらかな尾根でつながる東出丸を断ち切る堀切とこの地区の特徴的な石垣(石積)をめあてに、今回はJR 備前片上駅から攻城した。

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日野山城の支城 (2022/04/28 訪問)

 主郭と周囲の堀が残っています。いい空堀があると思うのですが藪になっていて見にくくなっています。空堀の中を散策したかったのですが、断念しました。主郭には案内板が設置されていました。ただ主郭に上がる道が崩れていて歩きにくかった。主郭以外の曲輪はよくわかりません。
道路に標識があり城址には迷うことなく行くことができます。

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森脇氏の城 (2022/04/28 訪問)

吉川氏の家臣森脇氏の城と伝わっています。城址は小さな丘陵で案内板があります。

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馬蹄形状の城 (2022/04/28 訪問)

 吉川氏が駿河の国から移住して最初に築いた城と伝わっています。東西に2か所の郭群があり、今回は時間の関係で西郭のみを訪問しました。馬蹄形状に配置された二つの郭があり本丸、二の丸とネットで見た縄張り図には記載がありましたが、ほぼ同じ高さで昔は標識があったらしいのですがそれもなく、どちらが本丸なのかわかりにくいです。いい空堀が残っています。

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小倉山城跡歴史公園 (2022/04/28 訪問)

 吉川氏の居城でよく整備されて歩きやすかった。北側駐車場から登城しました。堀切や土塁が残っています。小倉山城跡歴史公園散策案内の図を見ると東側にピンク色で描かれた登城路と書かれた所があります。行ってみると入口に、二重堀かと思われる構造を見ることができます。ここがそれぞれ通路なのですが、おもしろい遺構だと思いました。

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吉川元春の妻の館 (2022/04/28 訪問)

吉川元春の妻の屋敷跡です。石垣が残っています。

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吉川元春館跡歴史公園 (2022/04/28 訪問)

吉川元春館跡歴史公園として整備されています。吉川元春の隠居所として築いた館跡です。石垣、土塁などを見ることができます。

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赤い城

主郭は削られて消失 (2022/04/24 訪問)

東葉高速の八千代中央駅か村上駅から徒歩で30分ちょっと。
佐倉城から東葉高速を経て帰ることにし、立ち寄りました。
民家の裏手に説明板が立っていてその先が城址です。
左手が四郭、右手が三郭で三郭手前に空堀があります。
三郭には土塁が付いていて途中切れ目のようになっています。
竪堀のように見えますが良く分かりません。
三郭の先には祠があり、この先二郭、主郭と続くはずですが土塁状の尾根を除き土取の為に削られて消失しています。
村上氏の居城とされています。
住宅地に残る貴重な遺構です。

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todo94

県内の城めぐり2022⑯ (2022/04/09 訪問)

2021年のゴールデンウイークに鉄塔の少し先まで進んだところで引き返してしまったので今回は山頂を極めるという強い意志を持って登城いたしました。小岩嶽城に負けず劣らずの急坂登に400mを越える比高で困憊いたしましたが、無事、ステンレスの祠が鎮座する主郭部に到達することが出来ました。ただ、そのステンレスの祠は倒木によりひしゃげてしまっていましたが。この城の見所はやっぱり鉄塔から下っている竪堀かなあと思います。

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