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じゅんじん

田原城 (2022/02/28 訪問)

朝のお城巡りはすがすがしい。城門と櫓が復元されています。

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じゅんじん

看板見当たらず (2022/02/23 訪問)

自転車で行きました。手前の橋がしろやまはしでした。

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ほにゃにゃら

春 限定御城印

桜色限定御城印を4月3日発売します
200枚限定となります
勝間田城址で販売します

当日静岡古城研究会の方のお話もきけます

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ぴーかる

三日月陣屋 (2022/02/23 訪問)

【三日月陣屋】
<駐車場他>復元表門北側駐車場あり。
<交通手段>車

<見所>曲輪・石垣・復元門・現存櫓
<感想>三日月陣屋は別名 乃井野陣屋ともいいます。初代三日月藩の藩主森長俊は津山藩主森長継の5男であり津山新田藩15000石を与えられるが1697年津山藩森衆利の代に津山藩が改易されると森長俊は石高そのままで播磨三日月藩15000石で転封され陣屋を築きます。以降9代森家が藩主として明治維新まで続きます。
 陣屋跡正面の表門は現存の物見櫓と復元門2門を含めた見応えある長屋門で石垣・堀もきれいに復元されている。物見櫓は維新後移築され再度元の場所に戻され修復復元され、復元門と一体化させて綺麗に長屋門として復元しています。また中に入ることが出来ます。長屋内には鬼瓦・復元工事の様子の資料が展示されています。表門の北側の御殿跡の曲輪壁にはわずかに石垣が残っています。陣屋跡の西側にある建物は広業館といい、1795年に建てられた藩校の一部を移築改築したもので維新後も学校として利用されていたそうです。広業館の横に陣屋の庭園跡もあります。
 迫力ある長屋門で復元に力を注いだことが窺えます。いい城跡です。

<満足度>◆◆◇

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岩崎城

岩崎城春イベントのご案内

岩崎城春イベント 岩崎城演劇day

岩崎城春イベントを開催します。
子ども劇「ぼくらのまちの岩崎城」、岩崎城刀劇隊による演武を行います。
秦琴愛好会による秦琴と歌のコンサートも開催されます。

4月3日(日)
11:00~ 岩崎城刀劇隊 剣術体験 / 岩崎城歴史記念館前
12:00~12:50 桜海爛漫 秦琴と歌のコンサート / 岩崎城歴史記念館横
14:00~ 子ども劇「ぼくらのまちの岩崎城」 / 岩崎城歴史記念館2階
15:00~ 岩崎城刀劇隊 演武 / 岩崎城歴史記念館前

ぜひ遊びにおこしください!

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カズサン

平成22年復元櫓と桜を満喫 (2010/04/18 訪問)

 平成16年に御三階櫓、辰巳櫓が共に木造で復元された新発田城、復元の翌年には三階櫓、辰巳櫓が見たくて登城しましたが、今回は桜の満開時期に合わせて登城しました。タイミング良く桜満開時に出会う事が出来大変ラッキーでした、前回辰巳櫓には登って居ますので桜と三階櫓、辰巳櫓、二の丸隅櫓を移築した鉄砲櫓周りを桜と共に撮影しました。
 前日は村上城を探訪し宿泊は村上の瀬波温泉ビューホテル、日本海を眺めながらの温泉と料理、地酒を堪能しました。
 大変満足な城探訪でした。

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生太郎

お城EXPOに行ってきました。 (2021/12/19 訪問)

年末にお城EXPOに行ってきました。
安定の面白さでしたが、御城印ばかり売ってました。

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生太郎

小田原市金かけてるなぁ。 (2022/03/16 訪問)

所用のついでに小田原城を写真に撮りました。
駅前からお城まで和風に全振りしていましたね。

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大和高原を行く (2022/03/13 訪問)

畑城主の奥田氏は、大和に進出した松永秀久に仕え、最後は徳川幕府の旗本になったと。
伊賀盆地から大和高原に入り、まだ奈良盆地は遠いが、松永の支配地域なんですね。伊賀は小豪族の集合体であったせいでしょうか。
畑城の北西の高校の脇から上がって行くルートと城の南側を回り込んで行くルートがありますが、城域に登り始める登城口は一つです。登山口と書かれた矢印のところから尾根を登って行きます。説明板にあるように規模は大きいです。
大和高原は、奈良県東北部の高原地帯の総称であり、北から、笠置産地、宇陀山地、室生山地を含みます。笠置城の下を流れる木津川を南に渡ると、標高200〜500mの高低差が少ない丘陵地帯が、奈良盆地と伊賀盆地の間に拡がります。奈良盆地の標高は100m以下、伊賀盆地の標高は200m前後なのでけっこうな比高があります。ここも吉備高原と同じく、一旦平坦になった土地が隆起した準平原と。吉備高原と違い、大きな川が無いので、小さな川が小さな盆地を断続的に作っています。そして、これらの盆地を支配する豪族の城が点在します。

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カズサン

【遠江・宝林寺】静岡県浜松市 金指近藤氏菩提寺 (2010/04/11 訪問)

 住所:静岡県浜松市北区細江町中川65-2
 駐車場:宝林寺の東側、国道362号線に接している。
 公共交通機関:天竜浜名湖鉄道金指駅下車東へ徒歩約15分

 初山宝林寺は井伊谷三人衆と言われた近藤氏の菩提寺、黄檗宗で江戸初期に創建の寺です。
 近藤氏は徳川に与し井伊直政の寄騎として軍功を上げ17000石の大名と成るが子たちに分与し、旗本宗家金指近藤家で5400石で旗本5近藤家に分かれ北遠に領有した、気賀関所も任される。

 12年前の平成22年4月中旬、同じ団地に住み町内会長歴任者の集まりで宝林寺の檀家総代を務める近藤さん(金指近藤家で元お殿様)に春の大祭に誘われ出掛けた時、気のままに撮った写真です。
 近藤家の陣屋跡(チョット分かりにくいかも?)と気賀関所、宝林寺、大河ドラマ直虎の井伊谷城を廻れば一日楽しめます、昼に浜松名物ウナギのかば焼き(店はそこそこ有ります)をゲットすれば一日幸せになれかも?。

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イオ

みかんと梅(本城) (2022/02/26 訪問)

南北朝期に湯川光春が築いた城で、室町幕府奉公衆を務めた湯川氏の本城として200年にわたりこの地を治めました。羽柴秀吉の紀州攻めでは、湯川直春は亀山城を焼き払い退去して熊野山間部で抵抗を続け、和睦により本領安堵されるも、翌年に急死(謀殺?)しています。

日高平野の中央に位置する亀山の山頂を中心に曲輪群を配した本城と東尾根の出城で構成される山城で、南麓の小松原館の詰城として機能したと考えられます。

西麓の丸山中央集会所に車を駐めて登城開始。集会所には「亀山城址護持顕彰会」の看板が掲げられ、亀山城の説明板や石碑が建てられています。亀山は津波の避難場所に指定されているため山頂まで舗装道が整備されており、あちこちに設けられた案内表示に従ってみかん山を登ること15分で「本城」と呼ばれる山頂の主郭部に到着。

南北二段からなる主郭は周囲を分厚い土塁で囲み、土塁の南東隅、南西隅は櫓台状になっていて、南西隅からは日高平野を一望することができます。主郭下段の南部と西部には平入りの虎口が開口し、大手口にあたる南部の虎口には鏡石状に巨石が置かれています。坂虎口状のスロープから主郭上段へ。主郭上段には城址碑と亀山城主湯川氏供養塔が建てられています。北辺の土塁に上ってみると北下に腰曲輪が広がっており、切岸は急峻でなかなかの高さがあります。北下だけでなく主郭の南西下や南東下にも整備された腰曲輪があり、さらに主郭部の周囲を帯曲輪が幾重にも囲んでいたようですが、現在では段々のみかん畑になっていて往時の面影は窺えません。

続いて、南東隅の櫓台から南東に派生する小曲輪群へ。主郭部と違ってこちらはほぼ未整備で、雑木林の中に階段状の曲輪群が見られるくらいです。さて、小曲輪群を抜けると東尾根の出城に向かいます(続く)。
 

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朝田 辰兵衛

京成大佐倉駅からだと… (2019/11/18 訪問)

京成本線大佐倉駅からだと,徒歩約15分で東光寺ビョウに到着します。そして,見どころのセッテイ空堀へのアクセスが近いです。逆から攻めてる感がハンパないですが…<苦笑>。
この日は,台風の影響により,空堀内への進入は危険と判断しました。

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赤い城

宝福寺の背後から (2022/03/06 訪問)

宝福寺の駐車場にて駐めて登城。
お寺の背後から登って行くとお堂のある曲輪があります。
ここが主郭かと思いましたが違うようです。
この郭は土塁で守られていました。
西側に進むと土塁の先に空堀。
さらに進むと本丸の碑と説明板が立っていました。
やはりお堂のある郭が主郭っぽいのですがこちらが主郭のようです。
背後には空堀があり、その先は古墳群で守られています。
主郭から下にニ郭、その周囲にも土塁と空堀が設置されていました。
主郭の下には高校のグランドがありました。
君島胤時の三男大宮胤景によって築かれ、大宮氏が代々居城とした城です。
規模や遺構からもっとメジャーになって良い城かと思いました。

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じゅんじん

ここから整備? (2022/02/19 訪問)

公園化するのかな?城址碑が道路側。説明板が裏側。敷地はなんにもありません。

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じゅんじん

久昌寺 (2022/02/19 訪問)

小折城(生駒屋敷)は城門が現存しています。久昌寺は信長の側室吉乃さんの菩提寺ですが4月に取り壊されます。残念。。。

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にのまる

36見附めぐり㉟~和田倉門~

木橋風に復元された橋と枡形石垣が古き良き江戸城を伝えています。隣接するビルやパレスホテルとの融和も絵になる風景です。
道路の敷設や道三濠の埋め立てによって形状が変わってしまっているところもありますが、門の内側の和田倉噴水公園は都会のオアシスといった雰囲気でちょっと休憩するのにもよいです。先日寄ってみたら休憩所のレストランが閉店してスタバになっていました。
公園を抜けると突然桜田巽櫓が現れて「江戸城来た~!」となるのも嬉しい瞬間です。
一ノ門の高麗門は半蔵門に移設され、現役で活躍中です。

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じゅんじん

個人宅前 (2022/02/19 訪問)

入るの気まずいね。城址碑と祠があります。道路沿いには説明板があります。昔手前の神社まではきたんだけど気づかなんだ。

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じゅんじん

利家とまつ (2008/08/23 訪問)

大河で出てきたはず。過去写真を発見したので載せました。(記憶がありません(;'∀'))

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ふゆづき

コンパクトな平城 (2022/03/05 訪問)

水戸城、笠間城と併せて土浦城を訪問しました。
公共交通機関では、土浦駅から徒歩15分位の場所にあり、車で行く場合にも隣接する土浦市立博物館(御城印はここの受付で売っています)と共通の駐車場があります。

この城は、江戸城の防衛構想の一貫として、常陸方面からの侵攻勢力に対する最後の防衛拠点として整備されたものと思っております。
江戸初期の立藩時の大名の石高が小さかったためか(3.5万石)、城域は比較的コンパクトにまとめられておりますが、霞ヶ浦が近いことから想像されるように、湿地帯に築かれた城であり、内堀には水が満たされています。
関東の城らしく、石垣は限定的な使用であり、土塁の上に築かれた東西の櫓、櫓門(太鼓櫓と)及び霞門が本丸を固めております。
また、二の丸には、旧前川門が移築され、その近くには堀の跡が確認できるようになっています。
茨城では少ない建物の遺構があるアクセスのしやすい城ですが、隣接する土浦市立博物館を見ても、攻城時間は45分程度だと思います。

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イオ

堀切パラダイス(西曲輪群) (2022/02/26 訪問)

(続き)

手取城は長大な堀切によって東西に分かたれ、大堀切の西側には東西二段の西の丸が広がっています。西の丸の中央北部には巨大な土塁があり、西側上段にはのろし台と呼ばれる櫓台があります。西の丸の南東下には水の手曲輪があり、南麓の登城道沿いの溜池に続いている…はずですが、見落としてしまいました。

西の丸はよく整備されていますが、北西斜面や西下の堀切に下りていく道は見当たらないので、大堀切まで戻って北西斜面へ。大土塁の北下から小さな尾根が北にのびていますが、尾根の付け根と先にも堀切や竪堀が設けられていて、小さな尾根にも怠りなく防備を固めています。北西斜面には数条の竪堀があり、枯葉が堆積しているものの、なかなかの規模であることがわかります。竪堀を越えた先が西尾根の二重堀切で、内側の堀切はかなりの深さと幅がありました。二重堀切の先にも西尾根の曲輪群は続いているようですが、藪が激しくなってきたのでこれ以上の探索は断念し、二重堀切の間の竪堀から南下に見えている登城道まで直降しました。

登城道を駐車場に戻る道中にも西尾根の堀切や竪堀が見られ、内側から四条目の堀切がある古城行道の石碑までが城域かと思っていましたが、石碑から駐車場までの間にも二条の堀切があるようで、探しつつ歩いて行くと縄張図と照らし合わせてようやくわかる程度(ほぼ藪)の堀切がありました。東の丸まで舗装道が続いてはいるものの、道幅は狭く南側は崖(ガードレール無し)なので、土取場の駐車場に駐めての登城をおすすめします。駐車場から歩いても10分あまりで東の丸に着きますし、道中の遺構も見逃さずに済みますしね。

和歌山県は100名城(和歌山城)も続100名城(新宮城)も平山城で、名の通った山城はありませんが、手取城は「日本の山城100名城」(洋泉社)に県内から唯一選ばれているだけあって、よく整備されて訪れやすく、各曲輪の土塁や各尾根の堀切や竪堀など見どころ盛りだくさんの素晴らしい城です。中でも計15条にも及ぶ堀切は圧巻で、まさに堀切パラダイスでした。
 

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